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成り代わり
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雨は昼前になって少しだけ弱まったものの、まだ止む様子はなかった。
「天気予報とか、雨雲レーダーとかないもんね。……いつまで降り続けるんだろう。」
これが日本なら今頃はスマホもテレビも警報のアラートが賑やかに鳴っているに違いなかった。
凛花はペンを置くとリリーが今朝届けてくれたばかりの絵の具を手に取った。固形の絵の具は水で解いて使うものらしいのでひょっとしたらインクの代わりになるかもしれない。凛花の欲しいと言っていた赤と黄色の他にも何色かセットになった高そうな絵の具道具を眺めていると、リリーが部屋に入ってきた。
「リンカ様。…ダニエル様がお呼びなのですが…。」
「え?ダニエル?」
「はい。今王宮からお戻りになられたようで…。」
「どこ?ダニエルの部屋?」
「はい。」
「分かった、ありがとう。」
凛花は絵の具を机の上に戻すと、立ち上がりながら首を傾げた。あおいの件で早くに王宮へ呼び出されていったのにもう帰って来たとはどういうことなのだろうか?それに、いつも仕事から帰るとダニエルの方が凛花の部屋に顔を出していたのに、どうして今回に限って呼び出されたのだろうか。
「何かあったのかな…?」
リリーによって開かれた扉からダニエルの部屋に入ると、タオルで頭を拭いている後ろ姿が目に入った。
「お帰りなさい。雨で濡れちゃったの?着替えるなら私また後にするけど──」
リリーが扉を閉めて出て行く音がすると、ダニエルは頭からタオルを取って凛花を静かに見つめた。
「そんなに濡れてないから、着替えはいい。」
──あれ?ダニエル?なんかいつもより……。
凛花は騎士服のダニエルをまじまじと見返した。口元には穏やかな笑みをたたえたこの顔…。
「どうした?」
「……いや、それこっちが聞きたいんだけど。ダニエルじゃなくてフィルだよね?」
ダニエルの振りをした王太子は、タオルをソファーの背に投げると両手を上に挙げて降参のポーズをとった。
「リンカ、お前凄いな?御者も使用人も誰も気が付かなかったのに。何故分かった?」
「いろいろと違うからだけど。ダニエルは私を部屋に呼んだりしないし。それに……いつもならただいまって言ってくれるし。」
「あぁ、そういう細かい所はさすがに真似出来ないからな。そうか。まぁいい。リンカに話があってわざわざこんな真似をしたんだ。時間が無いんだ。」
「私に話?」
「リンカ、お前どこまで例の話の続きの記憶がある?この前教えてくれた崖崩れの話は2周目と…確かそう言っていなかったか?ひょっとして3周目以降の記憶もあるのではないか?」
ソファーに座ったフィリップは完全に王太子の口調に戻ると凛花を問いただした。
「3周目までしか私は知らないけど。多分まだその先も話は続いてたと思う。」
「3周目はアオイは何処で何をする?」
「確か……修道院から逃げ出した後で雨が酷くなったから山間の小さな村で雨宿りをしたはず。でもそこにも捜索の手が近付いたことに気が付いたディーが追っ手を一人で引き受けて足止めをして。その間にアオイだけが馬に乗せられて逃げ延びる…。」
雨の中ヒロインを馬に無理やり乗せるとそのまま馬の腹を蹴るようにして一人先に行かせるディー。ヒロインがしがみついた馬上から振り返るとそこにはディー一人に対し追っ手が取り囲むように剣を手に現れたところだった。ヒロインがディーを見るのはコレが最後になった。なぜなら話の舞台がここから隣国に移るからだ。
その辺から話の更新が途切れがちになり、ヒロインの前には隣国の王子や年若い宰相など次々に新しい男性が現れ始め、凛花は話の続きを読むのを辞めてしまった。
「それで?アオイの逃げた先は?」
「…確か気がついたのは隣国の王宮の一室。」
「隣国の王宮?」
「そう。長い間雨に打たれて馬の上で気絶していたのをたまたま通りかかった隣国の王子一行が助けてくれたのよ。」
フィリップは顎に手をやると窓の外を睨んだ。
「どういう事だ?この雨の中を隣国の王子一行がたまたま通りかかるのか?それに……」
「?」
「北の隣国には今王子はいないはずだ。王妃と喧嘩をして東の国に留学してからは長く国に帰らないでいるからな。」
「また、話が違ってきてる……」
「まぁそもそも修道院を抜け出した時点でアオイの傍にディーがいないが。」
「やっぱり私が邪魔しちゃったのかな…あおいさんのお話の続きを。」
フィリップは凛花を見据えたまま不敵な笑みを浮かべた。
「リンカ、お前はいつまでアオイのことをアオイさんなどと呼ぶつもりだ?いい加減目を覚ませ。」
凛花は遠慮なくフィリップの顔を睨みつけた。
「目を覚ませって、それおかしくない?私はあおいさんに直接何かをされた訳でもないんだから。」
フィリップはなおも笑みを浮かべたまま、自分の唇を人差し指で触った。
「じゃあお前の婚約者はどうだ?ディーは?アオイに何もされなかったとでも?」
「……」
「リンカの知っている話の中ですら、ディーは何度も気持ちを裏切られ、見捨てられ、死に追いやられたんだろう?そして現実の世界ではダニエルは私の代わりに…」
凛花は手をきつく握りしめた。一体フィリップは凛花に何が言いたいのだろうか?
「あ、あおいさんとダニエルの事は私には関係ないから!フィルにも……関係ない。」
フィリップは目を細めると唇に触れたままで優しく笑った。
「私の事をフィルと呼ぶのを許したお前に、無関係などと言わせない。」
「天気予報とか、雨雲レーダーとかないもんね。……いつまで降り続けるんだろう。」
これが日本なら今頃はスマホもテレビも警報のアラートが賑やかに鳴っているに違いなかった。
凛花はペンを置くとリリーが今朝届けてくれたばかりの絵の具を手に取った。固形の絵の具は水で解いて使うものらしいのでひょっとしたらインクの代わりになるかもしれない。凛花の欲しいと言っていた赤と黄色の他にも何色かセットになった高そうな絵の具道具を眺めていると、リリーが部屋に入ってきた。
「リンカ様。…ダニエル様がお呼びなのですが…。」
「え?ダニエル?」
「はい。今王宮からお戻りになられたようで…。」
「どこ?ダニエルの部屋?」
「はい。」
「分かった、ありがとう。」
凛花は絵の具を机の上に戻すと、立ち上がりながら首を傾げた。あおいの件で早くに王宮へ呼び出されていったのにもう帰って来たとはどういうことなのだろうか?それに、いつも仕事から帰るとダニエルの方が凛花の部屋に顔を出していたのに、どうして今回に限って呼び出されたのだろうか。
「何かあったのかな…?」
リリーによって開かれた扉からダニエルの部屋に入ると、タオルで頭を拭いている後ろ姿が目に入った。
「お帰りなさい。雨で濡れちゃったの?着替えるなら私また後にするけど──」
リリーが扉を閉めて出て行く音がすると、ダニエルは頭からタオルを取って凛花を静かに見つめた。
「そんなに濡れてないから、着替えはいい。」
──あれ?ダニエル?なんかいつもより……。
凛花は騎士服のダニエルをまじまじと見返した。口元には穏やかな笑みをたたえたこの顔…。
「どうした?」
「……いや、それこっちが聞きたいんだけど。ダニエルじゃなくてフィルだよね?」
ダニエルの振りをした王太子は、タオルをソファーの背に投げると両手を上に挙げて降参のポーズをとった。
「リンカ、お前凄いな?御者も使用人も誰も気が付かなかったのに。何故分かった?」
「いろいろと違うからだけど。ダニエルは私を部屋に呼んだりしないし。それに……いつもならただいまって言ってくれるし。」
「あぁ、そういう細かい所はさすがに真似出来ないからな。そうか。まぁいい。リンカに話があってわざわざこんな真似をしたんだ。時間が無いんだ。」
「私に話?」
「リンカ、お前どこまで例の話の続きの記憶がある?この前教えてくれた崖崩れの話は2周目と…確かそう言っていなかったか?ひょっとして3周目以降の記憶もあるのではないか?」
ソファーに座ったフィリップは完全に王太子の口調に戻ると凛花を問いただした。
「3周目までしか私は知らないけど。多分まだその先も話は続いてたと思う。」
「3周目はアオイは何処で何をする?」
「確か……修道院から逃げ出した後で雨が酷くなったから山間の小さな村で雨宿りをしたはず。でもそこにも捜索の手が近付いたことに気が付いたディーが追っ手を一人で引き受けて足止めをして。その間にアオイだけが馬に乗せられて逃げ延びる…。」
雨の中ヒロインを馬に無理やり乗せるとそのまま馬の腹を蹴るようにして一人先に行かせるディー。ヒロインがしがみついた馬上から振り返るとそこにはディー一人に対し追っ手が取り囲むように剣を手に現れたところだった。ヒロインがディーを見るのはコレが最後になった。なぜなら話の舞台がここから隣国に移るからだ。
その辺から話の更新が途切れがちになり、ヒロインの前には隣国の王子や年若い宰相など次々に新しい男性が現れ始め、凛花は話の続きを読むのを辞めてしまった。
「それで?アオイの逃げた先は?」
「…確か気がついたのは隣国の王宮の一室。」
「隣国の王宮?」
「そう。長い間雨に打たれて馬の上で気絶していたのをたまたま通りかかった隣国の王子一行が助けてくれたのよ。」
フィリップは顎に手をやると窓の外を睨んだ。
「どういう事だ?この雨の中を隣国の王子一行がたまたま通りかかるのか?それに……」
「?」
「北の隣国には今王子はいないはずだ。王妃と喧嘩をして東の国に留学してからは長く国に帰らないでいるからな。」
「また、話が違ってきてる……」
「まぁそもそも修道院を抜け出した時点でアオイの傍にディーがいないが。」
「やっぱり私が邪魔しちゃったのかな…あおいさんのお話の続きを。」
フィリップは凛花を見据えたまま不敵な笑みを浮かべた。
「リンカ、お前はいつまでアオイのことをアオイさんなどと呼ぶつもりだ?いい加減目を覚ませ。」
凛花は遠慮なくフィリップの顔を睨みつけた。
「目を覚ませって、それおかしくない?私はあおいさんに直接何かをされた訳でもないんだから。」
フィリップはなおも笑みを浮かべたまま、自分の唇を人差し指で触った。
「じゃあお前の婚約者はどうだ?ディーは?アオイに何もされなかったとでも?」
「……」
「リンカの知っている話の中ですら、ディーは何度も気持ちを裏切られ、見捨てられ、死に追いやられたんだろう?そして現実の世界ではダニエルは私の代わりに…」
凛花は手をきつく握りしめた。一体フィリップは凛花に何が言いたいのだろうか?
「あ、あおいさんとダニエルの事は私には関係ないから!フィルにも……関係ない。」
フィリップは目を細めると唇に触れたままで優しく笑った。
「私の事をフィルと呼ぶのを許したお前に、無関係などと言わせない。」
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