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怒りと戸惑い

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「お前……いつの間に。」
「マルセル、いいか?前にも言ったはずだ。俺はトロメリンでの生活には何の未練もない。その意味がお前本当に分かってるのか?」
「……」

 マルセルは助けを求めるようにジャンとポールに視線を送ったが二人は黙ってロベールの言葉を聞いているだけだった。

「言っておくが俺はマリエ様の事を慕ってはいたがそれは別に変な意味ではない。」
「……」
「俺は小さい頃からずっとお前と結婚をするんだと言い聞かされて育ってきたんだ。と。」

 ロベールはマルセルを窓際に追い詰めながら、今にも泣き出しそうな顔で続けた。

「お前は俺の初恋の相手で、大切な婚約者だったんだよ。それがいきなり男でしたと言われて……。なんでそんな簡単に頭を切り替えられるんだ?」

 マルセルは何と言葉を返したら良いのか分からず、その場で立ち尽くしていた。

「12だぞ?俺は12歳になるまでお前のことが女だと思っていた。」
「12歳?」

 やっとの事でロベールに声をかけたのはジャンだった。ロベールは力なく頷くとマルセルに背を向け、ソファーに倒れ込むように座った。

「そうだ。……俺もその頃には人並みに異性に興味を持ちはじめていたから、マルセルが……いつまでも男のような恰好をしているのはどうしてかと気になってはいたんだ。」
「私はロベールに向かって自分は女だと言った事はなかったと思うが…。」
「そうかもしれないが、逆に男だと言った事もなかっただろ?」
「それは……まぁ。」

 ロベールは気まずそうに俯くと、小さな声でごめんと呟いた。

「だから、お前には内緒で覗いたんだよ。その……着替えてるところ。それでようやくマルセルは男だったんだと気が付いた。」

 それまで黙っていたポールがロベールの傍まで歩み寄ると、マルセルの方を振り返り口を開いた。

「ロベール様がマルセル様の部屋の前で放心状態でおられるところを、私とマリエ様が偶然通りかかったのです。そしてロベール様はマリエ様に直接確認されました。マルセル様は本当は男なのかと……。」
「どうして女だとだましていたのかとマリエ様に詰め寄ったんだ。そしたら何て言われたと思う?『陛下にマルセルを連れて行かれたくないなら誰にもこの事は言わないで』って。もちろん親にも言うなと口止めされた。」
「公爵もマルセルが男だとその時は知らなかったのか?」
「少なくとも俺の口からは言ってない。俺だってしばらくの間事実を受け入れることができなかったくらいだ。口外なんてとてもする気にはなれなかった。だからいつ陛下と父がマルセルが男だと知ったのかは俺にも分からない。」

 マルセルは困惑した表情を浮かべるとロベールからポールに視線を移した。この件に関してはロベールよりもポールの方が事情に詳しいはずだ。

「ポール、お前が公爵に言ったのか?」
「いいえ。……私にそのような権利はございません。」
「じゃあやはり母上が公爵に直接?」
「はい……。ロベール様から公爵様に話が伝わるのも時間の問題だろうと。ならば自分が先に話をすると。」
「母上は王宮の事情に詳しくなかったのか?公爵が王妃の愛人だということを知らなかった?」

 ポールはマルセルの目をじっとみつめたまま深く頷いた。

「公爵から王妃にマルセルは男だという情報が伝わったんだろうな……。マルセルが12歳だったら弟はもう生まれていたんだろ?」
「あぁ。5つ年下だから、7歳くらいか。まだ王太子の儀の前だな。」

 マルセルはジャンの口から『 弟 』という言葉がぎこちなく紡ぎ出されるのを聞きながら密かに笑みを浮かべた。

「公爵は弟が王太子となっても、マルセルが王太子になっても将来自分に有利になると考えてロベールをそのままマルセルの傍に置くことにした?」
「それはどうだろう……。」

 ロベールは苦々しい顔になりながらやっと顔を上げると3人を見渡した。

「別にあのクソ親父を庇うつもりはないんだが。その頃から俺宛てによく縁談が来るようになったのは間違いない。」
「あぁ、確かにそうだったな。お前が直前になって縁談をキャンセルしたと、使いの者がミレーヌからわざわざ追いかけて来た事があったな?」
「そんな事もあったな。」
「公爵家の馬車が連なって入って来るものだから目立ってしょうがなかった。あの頃からか?ザールの屋敷周辺で噂が立ち始めたのは?」
「ザールのご令嬢に入れ込んでる公爵家の二男坊ってな。でもお前が銀髪で色白の美しいご令嬢だっていう噂はその前からあったはずだ。」
「……小さい頃はロベールに連れられて外へ出かけたりしていたからな。」
「屋敷に閉じ込められてる可愛い婚約者に外の世界を見せてやりたかったんだよ。」

 ロベールは窓の外に目を向けると、ぽつりとつぶやいた。

「ただそれだけしか考えてなかった。マルセルに外の世界を見せてやれるのは俺だけなんだって、そう信じてた。そうできる自分を誇らしく思ってた。なのに……男だと知った途端俺には何もできることなんかないって突き放されたみたいで。認めたくなかったんだ。」
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