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針路を北へ

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 明るいカフェテラスのような資料室の一角で、リュカは戸惑った様子で向かいに座るロベールに笑いかけた。

「本気なのですか?」
「あぁ、もちろん。だが、お前はどうする?」
「そうですねぇ……。」

 リュカは窓の外に目を向け、遠くを眺めるような目をしてしばらく記憶を辿っているようだった。

「あと1ヶ月は臨時講師の授業を2つ受け持っているので行けそうにありません。それが終われば次の予定は入れていないのですが……。」
「1ヶ月か…。流石にそこまでは待てないかもしれないな。」
「お急ぎのようでしたら残念ですが今回は……。ですが、向こうに着いてからの案内役は私が手配しますよ?」
「案内役?」

 ロベールは顔を顰めて聞き返した。リュカの白い顔に午後の陽光が当たり更に眩しく見える。

「はい。ロベール様たちの乗った船が着いたら家の者に知らせが行くよう明日にでも手紙を書いておきます。」
「お前……。自分は帰らないのに他人の世話を押し付けたりして本当に大丈夫なのか?」
「はい?大丈夫ですが、何か?」
「いや……。」

 ロベールはリュカから顔を背けると窓の外を見た。テラスに幾つかあるテーブル席には人影もなく、その向こうに見える低木の茂みに茶色い小鳥が3羽辺りを警戒しながら歩いているのが見えた。

「マルセルがさ、言ってたんだよ。リュカは何か訳があって国を出たんじゃないかって。俺もそうじゃないかと思ってたからさ。」
「あぁ。ある意味それは正解ですね。確かに私はステーリアから逃げ出して今ここにこうしている訳ですがら。ですが家との関係性は決して悪くはありません。」

 リュカは任せてくれと言うようにロベールに向けてにっこりと笑いかけた。



※ ※ ※ ※ ※



 それから2週間後、ザールの港を密かに出発した一行は1ヶ月の船旅を経てステーリアに無事到着した。

 ロベールは船から降りると興奮を隠しきれない様子で周囲をきょろきょろと見回した。マルセルもロベール同様高揚する気持ちを抑えながらも控え目に周囲の様子を伺っていた。

「へ~!流石に国の大きさが違うと港も大きいな。大型船だってあんなに沢山いる。」
「ザールとは何から何まで規模が違うな。」
「確かに。ただザールでは港町に商店街があるが、この近くは倉庫だらけだよ。ほら、その先にある入国審査の門を潜ればその向こう側で街へ向かう馬車が拾える。」
「入国審査…か。」

 道行く人々の大部分が大きな荷物を持って右側の行列に並ぶように歩いて行く。
 一方で門の左手には従者を伴ったいかにも身分の高そうな一部の者のみが進んでいるようだ。

「大丈夫なのか?」
「荷物検査を受ける商人たちとそれ以外が分けられているだけだから大丈夫だ、問題ないと思う。」
「本当に大丈夫なのかよ?マルセルの身分がばれて厄介なことになったりしないだろうな?」

 入国審査の騎士にジャンが歩み寄ると、身振り手振りを加えてステーリア語で何かを説明しはじめた。少し離れた場所でそれを見守っていたロベールとマルセルにも、やがて騎士たちの表情が一変するのが分かった。
 三人いた騎士のうちの一人が慌てたように何処かへ走り去って行くと、残りの二人がにこやかな笑みを浮かべて一行を門の脇にある待機場所に来るよう促してくる。

「ジャン、これは一体どういうことなんだ?お前何を話した?」
「それが……。」

 ジャンは困惑した表情を見せると騎士たちともう一度言葉を交わし、再び苦笑を浮かべた。

「リュカの家の名を出した途端にこの通りです。こちらの騎士たちにも既に何か通達が来ていたようで。今から迎えの馬車が来るまで控え室で待っていて欲しいと……。」
「その通りです。ウォーレン公の客人が本日の便で到着される事は私たちにも既に知らされておりました。」

 入国審査の騎士のうちの一番年上と思われる一人が恭しく礼をしながら流暢なザール語でマルセルに向けて口を開いた。

「そうでしたか。」
「じゃあ少しここで待つとするか?」

 その時、門の向こう側に列をなして待機していた馬車の隊列がゆっくりと二手に別れると、その間をかき分けるようにして一際立派な馬車が姿を現した。
 その馬車は隊列の先頭まで来ると当然のようにそこで停車する。

「ロベール?」
「あぁ、分かってる。俺だって今すんごい嫌な予感してるし。」
「あれは?」
「ウォーレン公の次男アルノー様の馬車です。」
「次男?」

 ロベールは騎士の言葉に顔を強ばらせると馬車から華麗に降り立った紳士がこちらへ一直線に向かってきているのを見つめた。

「て事はリュカの兄貴か。だったら俺たちより随分年上のはずだよな?」
「もちろん。だが……ウォーレン公はステーリアでも王家にかなり近い方の血筋にあたるから──。」
「リュカも随分若く見えたが、兄貴の方もかなり若く見える。何ていうか──。」

 ロベールが言葉を選んでいるうちにその男は三人の元へ近付くと、迷うことなくマルセルの目の前で足を止めた。

「お待ちしておりました。リュカから話は聞いております。貴方がマルセル様ですね?」
「そうです。貴方はリュカの兄上でいらっしゃいますか?」
「ウォーレン公爵家二男、アルノー・ウォーレンと申します。はじめまして。」
「こっちが──」
「ロベール様とジャン様、ですね?」
「いや、何ていうか。様とか付けないで頂きたい……」

 苦笑を浮かべるロベールをチラッと見ると、ジャンが真面目な顔つきでアルノーに向かって騎士の礼をとった。

「ジャンと申します、アルノー様。お初にお目にかかります。」
「貴方は騎士学校を卒業したばかりだと聞いておりましたが、以前何処かでお見かけしたような……。」

 アルノーはリュカと同じ紺色の瞳を細めるとじっとジャンの顔を見つめた。ジャンは俯いたまま身動きもせず固まっている。

「騎士学校の卒業生も大勢おります。人違いでは?」
「いえ、確かに何処かで…。」

 アルノーは尚もジャンの顔を見つめて何かを思い出そうとしていたが、ふとジャンの腰にある剣に気が付くとポンと手を叩いた。

「御前試合だ!思い出しました。相手の剣を折った、あの歴史に残る名試合の騎士は貴方でしょう?だがあの時は確か黒髪の騎士だった気がしたのですが……」
「……」

 ジャンは黙ったままアルノーから顔を背けると、マルセルに向けて目配せをした。
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