ある日王子は国を出ることにした

ゆみ

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夜の散歩

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 窓の外は既に闇に沈んでいた。大神官が帰った後も何やら一人沈み込んだ様子のマルセルを見かね、気分転換に外の空気を吸いに行かないかと提案をしたのはジャンだった。昼過ぎに帰って来てジャンから大体の事情を聞いていたロベールもその意見に賛同した。
 ジャンが先頭に立ち一行を連れて来たのは港を見下ろす高台にある教会だった。教会の灯りは夜になっても消えることなく灯り続けているようだが、3人の他に人影はほとんど見られない。

「こんな時間に教会?」
「そうだ。初めてここに来たのは留学でこっちに来た年の冬だったかな?学園の知人に連れられて。ほら、あれ。」

 そう言いながらジャンが指さしたのは礼拝堂の天井だった。見上げた先にあるのはランタンとろうそくの灯りでぼんやりと照らされた天井画だ。ロベールとマルセルの目にまず最初に飛び込んで来たのはそこに描かれた二人の女性の姿──。

「あれは……聖女?」
「間違いない。二人とも銀髪だし暗くてはっきりとは見えないが目も紫っぽい気がする。」

 マルセルは聖女二人を守るように描かれている騎士を目で追うとその立ち向かう先にいる人物を見て瞬きを数回繰り返した。騎士が聖女から遠ざけようとしているのは立派な髭を蓄えその頭に光輝く王冠を載せた一人の男──恐らくは王の姿だ。王の後ろには大勢の群衆も描かれている。

「この絵は……一体何を表しているんだ?」

 天井を見上げるのに首が疲れたのか木製のベンチに腰を下ろしながらロベールがジャンに聞いた。

「聖女と騎士が駆け落ちをしようとして捕らわれ、騎士がその場で手討ちに遭ったという昔話の一場面らしい。この教会はその騎士の魂を鎮める為に建てられたとか。」

 マルセルはロベールの隣に腰を下ろしながら鼻で笑った。

「どこかで聞いたような話だな……。聖女と騎士の駆け落ちとは。」
「でも見て見ろよ、この絵では騎士の背後に聖女が二人いるぞ?」
「そうだ、二人ともを連れて逃げようとしたからこそ王と民の逆鱗に触れたんだ。」
「国から聖女を二人とも逃がそうとした騎士か……。単純な恋愛感情なんかじゃなくて他に何か思惑があったんだろうな。」

 マルセルは天井画の王の背後、群衆に紛れて今にも剣を抜こうとしている数人の騎士の姿を見つけると目を細めた。王や聖女と比べると随分小さく描かれている為よく見ないと分からないがその髪はどれも漆黒に見える。
 ジャンはマルセルの脇に立つとその目線の先を辿って小さく声を出した。

「王の後ろで剣を抜こうとしているのは、ステーリアの建国当初から王族の為だけに存在していると言われている影の騎士と呼ばれている者たちだ。」
「影の騎士?……黒髪黒目のあれが?」
「なんだよ、まるでポールの事を言ってるみたいじゃないか?」
「その影の騎士を密かに育成し、王宮に送り込んでいるのは昔からウォーレン公一族なんだそうだ。」
「リュカの家?そういえば今日会った時に双子ちゃんが公爵は騎士団の団長のようなものだと言っていたな。もしかしてジャンが通っていた騎士養成学校もウォーレン公の持ち物なのか?」

 ジャンはロベールの声を明確に否定すると声を潜めて続けた。

「騎士学校は国営だ、ウォーレン公がどこまで関与しているのかは俺も知らない。それに影の騎士は学校で養成されている訳ではない。どうやら公爵家しか知らない特別なルートがあるようだ。」
「特別なルート?」
「国の最重要機密事項らしいから詳しい事は知ることはできないけどね。」
「王族を守るのが黒髪の影の騎士──でも聖女を守っているのは普通の騎士なんだな。ステーリアでは黒髪黒目も珍しいのか?」
「そういえば今日街を歩いた感じでは一人も見なかったな。」
「俺の学園での知り合いにも黒髪はいたが確かに人数は少ない。」
「そうなるとポールはもしかして……。」
「影の騎士一族と何か関係があるのかもしれない。でも父はこちらでは王族に仕えていた訳ではなく神殿騎士だったはずだ。」
「そうだよな、マリエ様についてたんだから。あ~、何だよ?二つの国の王族と聖女まで関係しててもう訳分からないっていうくらい複雑な事情なのに、今度は影の騎士だって?お前らの周りって一体どうなってんだよ?」
「確かに──というよりむしろそれを聞きたいのは私たちの方だ。」

 ジャンはベンチに寝そべるように伸びているロベールの脚を邪魔そうに避けると隣に腰を下ろした。
 三人は改めて天井を仰ぎ見るとしばらくの間絵を食い入るように眺めた。礼拝堂には再び静寂が訪れ、時折灯りに寄ってきた虫の羽音が耳に届く。

「私はトロメリンを出たら自由の身になれるものだと思い込んでいた。ましてや船で一ヶ月もかかる異国にまで来たのだからここで私の事を知る者などいないだろうと──。母上の存在も時が流れてもしかして忘れ去られているのではないかと、どこかで期待していたのかもしれない。それなのに……」
「マリエ様は特別だよ…。20年に一度しか生まれない聖女様の事を民は忘れたりはしないさ。」
「聖母になればそうなんだろう。でももう一人の元聖女は歴史上名が残っていないじゃないか?この絵の聖女のように駆け落ちをしたり貴族に嫁いだり……ひっそりと暮らしている者も多かったはずだ。」
「ひっそりと──市井しせいの雑音から遠ざかったところで?」
「それは──」

 マルセルは天井画の聖女に再び目を向けるとそこに何かを探しているかのように目を凝らした。

「──ない。おかしいな……。」
「?」
「なんだよ、いきなり?」

 マルセルの様子がいきなり変わった事に驚いたロベールはベンチに座り直すと隣のマルセルを軽く睨んだ。当のマルセルは天井画から目を逸らさないままで自分の襟元に手を入れ銀の鎖を探り出すと、それを二人の目の前に揚げて見せた。銀の鎖には繊細な彫刻の施された指輪が鈍く輝いている。

「指輪?」
「お前の趣味……じゃないよな?」
「当たり前だ。これは母上がずっと身に着けていたものなんだ。だから私はてっきり聖女の証なんだと思っていた。だがこの絵の聖女の手には指輪は描かれていない。」

 マルセルの言葉を受けロベールとジャンは三度みたび天井画に目を向けた。
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