ある日王子は国を出ることにした

ゆみ

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胸の痛み

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 小さく頷きながら後ろ手に閉めた扉にもたれかかるとマルセルはもう一度深くため息をついた。どこか遠くで甲高い笑い声が聞こえたような気がした。そろそろ晩餐の席も解散する頃かもしれない。自分が眠りについたのを見計ってジャンはまたひっそりとこの部屋の警護につくつもりなのだろう──一体あの男はいつ眠っているのだろうか……。
 ふと見上げた窓の外には僅かに蒼い月が覗いて見えた。


 ジャンは扉の向こう側へ消えて行くマルセルの後姿を見送ると、先ほど机の上に放り投げた剣を手に取った。ステーリアの騎士学校に留学が決まるとすぐにポールから贈られた剣だ。贈られた当時はその重さから扱いに苦労したものだが、意外なほどすぐに手に馴染み今ではこれ以外考えられないほどになった。質実剛健なその剣を手にするたびに、父親らしい贈り物だと常々思っていた、なのに──。

「密輸に関わっているだなんて……一体どうして……」

 自らはトロメリンの騎士でもステーリアの神殿騎士でもなくザールの騎士だ──幼い頃からそう聞かされるたび、父親のことを誇らしく思い、その背中を追える自分のことを嬉しくも感じていた。
 あの頃の父親がザールの騎士という称号にこだわっていたのには何か理由があったのだろうか。


──自分はどの国に属している訳でもないと伝えたかった?でもザールはトロメリンの一領地に過ぎない。直轄領だから領主は当時も国王陛下だったはず。じゃあ一体何故わざわざザールの騎士を名乗ったんだ?やはりマリエ様と何か関係があったのか?



 寝室のベッドでマルセルがウトウトしはじめた頃、短いノックの音と共に扉がきしむ僅かな音が聞こえた。
 マルセルはジャンが何か異常を知らせに来たのではないかと薄目を開けると、布団の下で身をこわばらせた。しかしやがて耳に届いた低い声はジャンのものではなかった。

「ごめん、こんな時間に──。」
「なんだ、ロベールか……脅かすなよ。」

 ようやく晩餐の席から開放されたのだろうか、ロベールは着替えもまだの様子で、気のせいか頬がほんのり赤く染まっているようにも見える。

「お前、ひょっとして酔っ払ってるのか?」
「侯爵に一杯だけ付き合わされたんだよ。しょうがないさ、あんな風に勧められたら断りきれない。」
「……」

 ロベールは薄暗い中を真っ直ぐこちら側へ歩いて来るとしばらく迷った後でベッドに直接腰をおろした。ロベールの重みでベッドが軋み、静かな部屋に鈍い音だけが響き渡る。

「どうかしたのか?何か急ぎの話でも――」
「急ぎ……という訳じゃないが。トロメリンに帰ったら正式にリーズとの縁談をすすめることになりそうなんだ。お前にも一応報告しとこうと思って。」
「縁談?」
「あぁ。この先苦労することが分かっているというのに、リーズをトロメリン王太子に嫁がせる訳にはいかないからな。代わりに俺がリーズを貰い受けることになりそうなんだ。」
「ちょっと待て、じゃあ私との──約束はどうするつもりだ?」
「……婚約の話だろ?約束は守るさ。侯爵にはリーズと正式な婚姻関係を結ぶのはしばらく待ってもらうつもりだし。5年待ってもらったとしてもリーズはまだ14歳だ、何も問題はない。」

 ロベールがそう言いながらマルセルから顔を背けた瞬間、窓から入った僅かな月明かりに照らされて垣間見えたその顔はまるで泣いているかのように歪んでいた。
 ロベールは窓の外に視線を向けたまましばらくの間黙っていたが、やがて感情を抑えたような小さな声で呟いた。

「おい、マルセル?聞いてるのか?」
「あぁ……聞いてる。」

 部屋に再び静寂が戻ると、ロベールは窓の外の月を見上げて小さく息を吐いた。マルセルはゆっくりとベッドの上で身を起こすと何から話せばいいのかと悩みながら両手でごしごしと顔をこすった。

「お前はそれでいいのか?ザールの独立の件がすぐに軌道に乗るとは限らない。私たちが思っている以上に時間がかかるかもしれないし、あるいは失敗に終わるかもしれない。」
「いいわけないだろ?俺が本当に結婚したいと思っている相手は別にいる──リーズじゃない。」
「そういう話じゃなくて──」

 マルセルは急に胸が締め付けられるような息苦しさを覚え、両手で自らの喉元を抑えた。鼓動が耳にまでうるさく響いてくる。シャツの胸元をギュッと握りしめながらロベールの顔を見上げると、ロベールは不思議そうな顔をしてマルセルを見下ろしていた。
 この感情は自らの身体から湧き出たものではないということは頭の中ではっきりと分かった。だとしたら今この体には一体何が起きているのだろうか?

「どうした?」
「……いや。ちょっと気分が……。」

 もしかしたらこれが共鳴と呼ばれるものかもしれなかった。早鐘を打つ胸に手をあてながらマルセルは黙り込んだ。

──共鳴……?今この瞬間に強い思いが雑念となって届いているとしたら相手はロベールしかいない。でも今までこんな風に苦しく感じたことは一度もなかったじゃないか?どうして今になって?


 ロベールは心配そうな顔つきになると遠慮がちにマルセルの銀色の髪を撫でた。

「おい、マルセル大丈夫か?ジャンを呼ぶか?」
「大丈夫……だ。」

 マルセルがそう言い終わらないうちにロベールはマルセルの肩をそっと引き寄せると、ゆっくりと両腕を回してその身体ごと包み込むように抱き締めた。

「俺が誰かほかの人と結婚するのがそんなに嫌だった訳?」
「馬鹿、止めろ。──離せ。」
「もうちょっとだけ──。」

 温かい腕の中で内からも外からも高まる鼓動を感じたマルセルは共鳴のせいなのか再び襲ってきた眠気のせいなのか意識が朦朧としてきており、もはや何もかもがどうでもいいとすら感じ始めていた。ロベールはマルセルの耳を塞ぐようにぐっと両腕に力を入れると、低い声で一言何かを呟いた。
 ロベールのなすがまま腕の中で目を閉じていると、やがて頭の上に大きな掌がのせられロベールの温かい身体から解放されたのが分かった。

「起こして悪かったな。俺ももう寝るよ、お休み。」


 ロベールはいつも通りの優しい笑顔を浮かべると、マルセルの額にわざとらしいほど大きな音をたてて口付けをした。
 咄嗟に額に手をあて顔を顰めながら、マルセルは薄れゆく意識の中でジャンは一体隣室で何をしているのだろうかと考えていた。
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