ある日王子は国を出ることにした

ゆみ

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疲労困憊

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 帰路の馬車の中──トロメリンの王太子についてロベールを質問攻めにしている侯爵の横で、マルセルは座席に深く身を沈めただ揺れに身を委ねていた。

「朝早かったせいか流石に今日は疲れたな。」
「あぁそうだな。でもまさか王宮にまで行くことになるなんて……」
「──考えてもいなかった。おまけに王太子と次期公爵にまで会う事になろうとは。」
「まぁいろいろあったけど、こうして無事に帰って来れたんだ。マルセル、侯爵邸に着くまで少しでも休むといい。」

 時間にしてみればステーリア宮の滞在は極短いものであったが、マルセルは今日一日分の力を全て使い切ってしまったような妙な疲れを感じていた。向かい側に座っていたジャンは疲れた様子のマルセルを気遣いつつ、隣のロベールの方をちらっと見ながら小さく笑みをこぼした。

「どうした?」
「いや……」

 マルセルは上機嫌で語り合っているロベールと侯爵の方を不思議そうに見ながら、再び視線をジャンに戻した。ジャンが二人の方を見て笑った理由はよく分からないままだったが、その穏やかな笑顔を見た途端マルセルは猛烈な眠気に襲われ、止む無く目を閉じることにした。


 王宮から侯爵邸へ戻ると、マルセルたちは帰りを待ちわびていたであろう双子たちにすぐさま捕らえられ、そのまま歓迎の食事会の席へと急かされた。
 晩餐が終わり、ようやく解放されたマルセルはロベールをその場に残したままテーブルを離れると早々に部屋へ引き上げることにした。

 ふかふかのソファーにどっと座り込んだマルセルは天井を仰ぎ見ながら首元のタイを緩め大きなため息をついた。ジャンはその様子を眺めながらもこちらは疲れた様子など欠片も見せずマルセルを見下ろすように立ったままでいた。

「なぁマルセル。今日王太子に言われたあの事……お前はいつから気が付いていたんだ?」

 ジャンが唐突に話を切り出すと、マルセルは天井の意匠に見入っている風を装ってしばらく黙り込んだ。だがそれも長く続くものではない。額に置いた腕の陰からゆっくりと視線を移すと、身じろぎせずに此方を窺っているジャンの空色の瞳とぶつかった。

「いきなり何の話だ?」
「前からお前は直感とか予感とかそういう風に言う事が多かったけど、あれって本当は聖なる力のことだったんじゃないのか?気付いていたんだろう?」
「直感や予感と聖なる力とは何がどう違う?私にはそのすべてが同じとしか思えないのだが。」
「それは……」
「私だけが特別な訳ではない。お前はどうなんだ?ジャンは何も感じた事はないのか?妙な胸騒ぎや予感めいたものを。それに仮に私に聖なる力があったとして、それが何かの役に立つとでも言うのか?たかだか1人、2人が聖なる力を込めて祈った所でどれだけの事が出来ると思う?トロメリンの国を加護でもするか?」
「それは……正直俺にも分からない。だけどその力があるせいでお前は今まで何かを我慢し続けて来たんじゃないのか?」
「我慢?」
「あぁ。」

 ジャンはマルセルの隣に腰掛けると、背もたれに身を沈めて目元を両手で覆った。マルセルはジャンが何を言いたいのかが分からず、身を起こしてその顔を覗き込んだ。

「お前は幼い頃から外に出ることも許されずザールの屋敷で隠れるように暮らしていたんだろう?そして母親が亡くなったら今度はミレーヌで身分を隠して……。」
「小さい頃は確かに外を自由に駆け回るロベールが羨ましくてしょうがなかった。だがミレーヌの領地へ行ってからは私も自由に動けるようになった。」
「それはマルセルが王位継承権を放棄したからだろう?ステーリアの王太子殿下も仰っていたが、なぜもっと早くに陛下と会って話し合おうとしなかったんだ?」
「何を話し合えば良かったと言うんだ?」

 マルセルは話がジャンの思う方向へと誘導されているのを感じとると、ソファから立ち上がり腕を組んで室内を落ち着きなく歩きはじめた。
 ジャンは立ち上がったマルセルを見上げながら無言で懐から剣を取り出すとそれを目の前の机の上に放り投げた。ガチャンと金属質の大きな音が部屋に鳴り響き、驚いたマルセルはほんの一瞬肩を揺らした。

「──陛下に直接会うのが怖かった?実の父親が自分たちの事をどう思っているのか知りたくなかった?」
「……」
「俺だって今まで実の父親に会う事を全く考えなかった訳じゃない。本当の話を聞いてみたいと思った事もあったさ。」

 マルセルはジャンに背を向けた状態で足を止めた。

「今は?直接会って話を聞きたいとは思わないのか?」
「相手が普通の貴族ならばあるいは──でも俺の父親は普通とは違った。陛下から直接話を聞いたところで自分は何も変わらない。だから今はもう直接会って話が聞きたいなんて思ってない。」
「私は……やはり一度は会わないと駄目なんだろうと……ようやく諦めがついてきた所だ。」
「諦め?」

 ジャンは再び笑いながらソファーで伸びをすると、そのまま軽く目を閉じた。口元に微かに笑みを湛えたままのその姿がマルセルの目には妙に眩しく映り、咄嗟に視線を自らの手に落とした。

「──父上に会うのが怖いと思った事は今まで一度だってない。邪険に扱われようが薬を盛られようがそんなことは別にどうでも良かった。ただ、もし会うことがあるのならば向こうの方から来るべきだと……心のどこかでそう思っていたんだ。お前たち親子の人生を滅茶苦茶にして悪かったと──一言でいいから謝罪してほしいと。ずっとそう思っていた。」
「一国の主に頭を下げさせようと考えてたのか?……気持ちは分からんでもないが。」
「確かに相手は一国の主なのかもしれない。でも私にとっては身勝手に振舞った挙句私たちを見捨てた、憎いだけの相手でしかなかった。」
「……うん。」
「でも、こうしていろいろな方面からの話を聞いている内に、多少なりとも私の誤解も入っていたんじゃないかと思い始めた。」

 ジャンはいつの間にかソファーの上で身を起こし、唇をかんで虚空を見つめながら考えに耽っているようだった。

「なぁ……今思い出したんだが。今回、ステーリアに父を──ポールを連れてこなかったのには何か訳があったのか?」
「ポールか。いや、出発前にただ漠然と連れて行くべきではないと思っただけだ。直感……だな。」

 マルセルは自嘲気味に笑うとふと真顔に戻ってジャンと視線を交わした。

「結果的にはその直感も正しかったようだが。」
「恐らく、ポールは例の薬の密輸の件にも関わっているだろう。そしてその薬はどういう訳だかトロメリンの王宮に献上されて王太子の元に渡っていると──。」
「そう考えるのが妥当な線だろうな。誰かに指示されて動いているのか、主犯かは今の時点では何とも言い難いが。」

 マルセルはタイを引き抜きながら立ち上がるとそれをソファーの背にポイっと投げかけ、ジャンに背を向けながら片手を上げて合図を送った。

「悪いがもう限界だ、後は任せた。私は先に寝る。」
「あぁ……疲れているのに話につき合わせて悪かったな。」
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