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雑音
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戸惑うマルセルを尚も見つめながら、王太子は真剣な面持ちでゆっくりと口を開いた。
「王宮のごちゃごちゃとした人間関係が面倒だというのは、君の耳にも聞こえるからじゃないのか?人々の雑多な思いが──。人々の強い思いにいちいち共鳴するのが嫌なんだろう?だから君は王都から離れた場所で国王とマリエ様から保護され──」
「違う!」
マルセルは低い声で唸るように反論すると膝の上の拳をぎゅっと握り締めた。
──共鳴?馬鹿な。一体この王太子は何が言いたい?
「そんなに驚く事じゃない。我が王家にも聖母様の血が少なからず混ざっている。王族に聖なる力の片鱗が現れることも歴史上全く無かった訳でもない。頻繁にある話でもないが……。」
「私はステーリアの王族ではありません。」
「無論そうだ。だがマリエ様が母親である君の体には我が王族の血も混ざっている、そうだろう?マリエ様は私の叔父と前の聖母様との間の御子なのだから。」
「殿下……そろそろお時間が──」
「分かっている。もう少し待て。」
アルノー侯爵が控えめに王太子に時間だと告げると、王太子は一瞬迷ったように時計に視線を落とした後、マルセルの膝の上の拳にそっと自らの手を伸ばした。膝に置いた握り拳に王太子の白い手が重なる。その指先の予想外の冷たさにマルセルはぎょっとした。
「覚えておいてほしい。君の身体にはステーリアの王族と聖女、そしてトロメリン王家の血が流れている。もし君にトロメリンの王になる覚悟があるというのならば──私は君の力になろう。」
「その必要はありません。」
「ならば我が国で爵位につく気はないか?君の婚約相手にアルノーの娘でも推薦してやろう、どうだ?」
「殿下!?」
アルノー侯爵が混乱した様子で王太子とマルセルの間に割って入ると、王太子はニヤリと笑いながらようやくその重い腰を上げた。
「まだ話し足りないところだが、この後の予定が詰まっているそうだ。君さえよければまた別の機会を設けて話がしたいんだが──」
「いいえ、その必要もありません。」
マルセルは王太子に続いて席を立つと自分よりも頭一つ分背の高い王太子の顔をキッと見上げた。
「それから、私は既に婚約しておりますからアルノー侯爵家との縁談も必要ありません。」
「婚約……か。」
王太子はロベールの方にちらっと視線を向けると鼻で笑って踵を返した。
「分かった、今日の所はそういう事にしておく。でもまぁ君は近い将来もう一度私に会う事になると思うよ。私はその時を楽しみにしておくとしようか──。」
王太子はどこか遠くを見ながらそう一言付け加えると、警護の者を引き連れ庭園の奥に続く回廊へと去って行った。
ロベールとジャンは嵐の過ぎ去った後のように呆然とその場で立ち尽くしていた。ステーリアの王太子とマルセルとのやり取りを一言たりとも聞き逃さぬよう、張りつめていた緊張の糸が切れたのだろう。二人の様子を見たアルノー侯爵が小さく笑いながらベンチから立ち上がった。
「全く……。リーズの縁談の話をしに来たんだが結局明言を避けたな、あの男は。」
「縁談の件はどう対応されるおつもりですか?」
「まぁ、もう少しトロメリンの王太子については情報が欲しい所ですからね。保留しておくより他ないでしょう。」
「リーズがトロメリン王太子妃、か。」
ロベールは苦笑を浮かべながらアルノー侯爵を見上げると、何かを思い出したというように言葉を続けた。
「情報といえば……王太子についての妙な噂を耳にしたことがあったな……。」
「妙な噂?」
「ジャンは耳にしたことがないか?王太子に近い高位貴族の間で、ある薬が流行っているらしいって話。」
「薬?いや、俺は知らない。」
「ロベール様、その薬というのは一体?」
ロベールは確認するように全員の顔を見回すと、最終的に視線をアルノー侯爵に定めて口を開いた。
「確か俺の記憶では元々は不眠症の薬だったと思うんですが、それを常用していると、何て言うか、こう…気分が高揚して幻覚が見えて来るらしいんです。それがやがて癖になって辞められなくなる。」
「王太子に近い者がそんなものを使っていると言うのか?まさか。」
「噂だよ噂。俺もただ話を聞いただけだから、真偽のほどはなんとも……。」
「不眠症の薬ですか。どこかで聞いたことのある話ですね。まぁそれが我が国から密輸された例の薬でないといいのですが……。」
侯爵に促されるまま王宮の庭園を後にすると、回廊の角を曲がった所で遥か先を歩く一団が目に入って来た。アルノー侯爵は即座に足を止めると、他の者にも止まるよう身振りで促した。マルセルは自分の二の腕がわずかに粟立ったような気がして目を細めて回廊の先を見据えた。遠すぎてはっきりとしないが先を歩く4、5人の男たちの中心にいるのは暗めの金色の髪をしたがっしりとした体つきの男性のようだった。
「どうかされましたか、侯爵?」
「あれが長兄──次期ウォーレン公爵ですよ、ジャン様。恐らく父の所にでも向かっているのでしょう。出来れば会いたくはなかったのですが……。いなくなるまで少しここで待ちましょうか。」
マルセルは無意識の内に左腕を撫でていたのをジャンがじっと見つめている事に気が付いた。しかしジャンは黙ったままで視線を背けると小さくなっていくウォーレン次期公爵の後姿を睨んだ。つられてマルセルもその後姿に目を向ける。
「あれがリュカの兄貴……か。周りの護衛と大差ないな。俺も身体を鍛えるのは好きだが、あれ程までは流石に……。」
「あの人の目の前に立つと何も言えなくなるというのも理解して頂けましたでしょうか?」
「納得ですね。」
「ウォーレン公爵家はステーリアでは唯一年功序列を採用しております。ですから兄は生まれたその日から公爵の地位が約束されていたんです。もしそうでなければ今頃は騎士にでもなっていたんじゃないでしょうか。」
ロベールが笑みを浮かべながら、先程から黙ったままのマルセルを小突いた。
「どうした?お前、さっきから一言も話さないな。これだけ離れてるんだ、そんなに警戒しなくても大丈夫だぞ?」
「……分かっている。」
マルセルは左の腕からようやく手を離すと、男たちの後ろ姿が消えていった回廊の先の方をじっと見つめた。
「王宮のごちゃごちゃとした人間関係が面倒だというのは、君の耳にも聞こえるからじゃないのか?人々の雑多な思いが──。人々の強い思いにいちいち共鳴するのが嫌なんだろう?だから君は王都から離れた場所で国王とマリエ様から保護され──」
「違う!」
マルセルは低い声で唸るように反論すると膝の上の拳をぎゅっと握り締めた。
──共鳴?馬鹿な。一体この王太子は何が言いたい?
「そんなに驚く事じゃない。我が王家にも聖母様の血が少なからず混ざっている。王族に聖なる力の片鱗が現れることも歴史上全く無かった訳でもない。頻繁にある話でもないが……。」
「私はステーリアの王族ではありません。」
「無論そうだ。だがマリエ様が母親である君の体には我が王族の血も混ざっている、そうだろう?マリエ様は私の叔父と前の聖母様との間の御子なのだから。」
「殿下……そろそろお時間が──」
「分かっている。もう少し待て。」
アルノー侯爵が控えめに王太子に時間だと告げると、王太子は一瞬迷ったように時計に視線を落とした後、マルセルの膝の上の拳にそっと自らの手を伸ばした。膝に置いた握り拳に王太子の白い手が重なる。その指先の予想外の冷たさにマルセルはぎょっとした。
「覚えておいてほしい。君の身体にはステーリアの王族と聖女、そしてトロメリン王家の血が流れている。もし君にトロメリンの王になる覚悟があるというのならば──私は君の力になろう。」
「その必要はありません。」
「ならば我が国で爵位につく気はないか?君の婚約相手にアルノーの娘でも推薦してやろう、どうだ?」
「殿下!?」
アルノー侯爵が混乱した様子で王太子とマルセルの間に割って入ると、王太子はニヤリと笑いながらようやくその重い腰を上げた。
「まだ話し足りないところだが、この後の予定が詰まっているそうだ。君さえよければまた別の機会を設けて話がしたいんだが──」
「いいえ、その必要もありません。」
マルセルは王太子に続いて席を立つと自分よりも頭一つ分背の高い王太子の顔をキッと見上げた。
「それから、私は既に婚約しておりますからアルノー侯爵家との縁談も必要ありません。」
「婚約……か。」
王太子はロベールの方にちらっと視線を向けると鼻で笑って踵を返した。
「分かった、今日の所はそういう事にしておく。でもまぁ君は近い将来もう一度私に会う事になると思うよ。私はその時を楽しみにしておくとしようか──。」
王太子はどこか遠くを見ながらそう一言付け加えると、警護の者を引き連れ庭園の奥に続く回廊へと去って行った。
ロベールとジャンは嵐の過ぎ去った後のように呆然とその場で立ち尽くしていた。ステーリアの王太子とマルセルとのやり取りを一言たりとも聞き逃さぬよう、張りつめていた緊張の糸が切れたのだろう。二人の様子を見たアルノー侯爵が小さく笑いながらベンチから立ち上がった。
「全く……。リーズの縁談の話をしに来たんだが結局明言を避けたな、あの男は。」
「縁談の件はどう対応されるおつもりですか?」
「まぁ、もう少しトロメリンの王太子については情報が欲しい所ですからね。保留しておくより他ないでしょう。」
「リーズがトロメリン王太子妃、か。」
ロベールは苦笑を浮かべながらアルノー侯爵を見上げると、何かを思い出したというように言葉を続けた。
「情報といえば……王太子についての妙な噂を耳にしたことがあったな……。」
「妙な噂?」
「ジャンは耳にしたことがないか?王太子に近い高位貴族の間で、ある薬が流行っているらしいって話。」
「薬?いや、俺は知らない。」
「ロベール様、その薬というのは一体?」
ロベールは確認するように全員の顔を見回すと、最終的に視線をアルノー侯爵に定めて口を開いた。
「確か俺の記憶では元々は不眠症の薬だったと思うんですが、それを常用していると、何て言うか、こう…気分が高揚して幻覚が見えて来るらしいんです。それがやがて癖になって辞められなくなる。」
「王太子に近い者がそんなものを使っていると言うのか?まさか。」
「噂だよ噂。俺もただ話を聞いただけだから、真偽のほどはなんとも……。」
「不眠症の薬ですか。どこかで聞いたことのある話ですね。まぁそれが我が国から密輸された例の薬でないといいのですが……。」
侯爵に促されるまま王宮の庭園を後にすると、回廊の角を曲がった所で遥か先を歩く一団が目に入って来た。アルノー侯爵は即座に足を止めると、他の者にも止まるよう身振りで促した。マルセルは自分の二の腕がわずかに粟立ったような気がして目を細めて回廊の先を見据えた。遠すぎてはっきりとしないが先を歩く4、5人の男たちの中心にいるのは暗めの金色の髪をしたがっしりとした体つきの男性のようだった。
「どうかされましたか、侯爵?」
「あれが長兄──次期ウォーレン公爵ですよ、ジャン様。恐らく父の所にでも向かっているのでしょう。出来れば会いたくはなかったのですが……。いなくなるまで少しここで待ちましょうか。」
マルセルは無意識の内に左腕を撫でていたのをジャンがじっと見つめている事に気が付いた。しかしジャンは黙ったままで視線を背けると小さくなっていくウォーレン次期公爵の後姿を睨んだ。つられてマルセルもその後姿に目を向ける。
「あれがリュカの兄貴……か。周りの護衛と大差ないな。俺も身体を鍛えるのは好きだが、あれ程までは流石に……。」
「あの人の目の前に立つと何も言えなくなるというのも理解して頂けましたでしょうか?」
「納得ですね。」
「ウォーレン公爵家はステーリアでは唯一年功序列を採用しております。ですから兄は生まれたその日から公爵の地位が約束されていたんです。もしそうでなければ今頃は騎士にでもなっていたんじゃないでしょうか。」
ロベールが笑みを浮かべながら、先程から黙ったままのマルセルを小突いた。
「どうした?お前、さっきから一言も話さないな。これだけ離れてるんだ、そんなに警戒しなくても大丈夫だぞ?」
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