卒業からの1週間

ゆみ

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何故と聞かれても困る

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 私はカップの底に残った泡をただじっと見つめていた。牛乳を泡立てたクリームのような泡がカップの底でまだ消えずに残っている。添えてあったスプーンを手に取ると泡をそっとかき混ぜる。

 どうして一週間だけなのかと聞かれても、あの時の自分の正直な気持ちを先輩に打ち明ける気にはなれなかった。

「……」
「教えたくない?」

『先輩の高校生活の中での、たった一つのいい思い出になりたいと思ったから』

 一週間でそんな事が出来る訳ないのに、あのときの私は一体何を勘違いしていたんだろう。図々しいにも程がある……。

「……一週間だけだったら先輩も暇つぶしで付き合ってくれるかなぁ……なんて。」
「――それ、嘘でしょ?」

 まるで私の心の中を見透かすように、先輩は静かな声で追及を続けた。

「嘘じゃ……ないです。」
「じゃあさ、なんで卒業式の後だったの?俺が引っ越す事もっと前から知ってたんでしょ?」

 返答に困った。先輩の言葉は一言一句その通りで……。

「あと、君は一番大事な事忘れてると思うんだけど。」
「大事な……事……ですか?」
「そ。」

 それきり、先輩はクイズ番組の出題者のように腕を組んで私が解答にたどり着くまで待つ構えを見せた。
 気がつけばテーブルの上にある二つのカップは空になっている。窓の外からは柔らかい陽射しが差し始めていた。

――大事な事、大事な事……。

「あ!」
「お?もう分かった?」
「いえ、多分違うと思います。でも……思い出しちゃったんで。行きましょ、先輩!」

 私は慌てて席を立つと、店を出ようと先輩を急き立てた。

「何?店……出るの?」
「はい。」
「どうした、急に?」
「コンビニ、行きましょう!」
「え?何?」

 先輩はカフェから出た所で少し固まると訳が分からないと言う様な顔をしながらポリポリと頭をかいた。
 それに気が付かないふりをしながらコンビニに向けて歩き出そうとした私の手が、ぐいっと逆方向に引っ張られた。

「ちょっと待って。そっちよりこっちのがコンビニ絶対に近いから。」
「わ、分かってます……。」

 温かくて大きな手が私の冷え切った手を優しく包み込んでくれる。
 繋がれたままの手も、私の歩くスピードに合わせてくれている歩幅も……何もかもが今の私には苦しかった。

「せ、先輩……」
「ん?コンビニ行くんでしょ?」
「先輩、手。今度こそホントに知り合いに会ったらやばいですから。」
「手を離せってこと?知り合いって……例えば元カレとか?」
「私の方じゃなくて……。ほら、先輩の友達とか陸上部の誰かとか。」
「俺の?なら全然やばくないし、別にいーよ。」
「え……?」

 先輩は繋いだ手を前後に揺らしながら、天気の話でもするトーンで続けた。

「そんなことより、彼氏……いつ別れたの?」
「はい?」
「1年の夏頃から付き合ってたヤツいたでしょ?」
「……人違いじゃないですか?」
「人違いじゃないよ、一緒に帰ってるとことかよく見たし。」
「それ、本当に私でした?」
「うん、そう。多分君と同学年の足のほっそーいやつ。よく二人で歩いて帰ってた。」
「――もしかして真瀬のことですか?美術部の。」
「あー……ごめん。俺そいつの名前も何も分かんないわ。」

 高校に入学してからすぐの頃は一人で行動することが多かった。そんな私が美術部に入部したのをきっかけに知り合ったのが一年唯一の男子部員――真瀬幸太だった。
 幸とは一年生のときはクラスが同じだった事もあって二人でいる事も比較的多かったかもしれない。でももちろん付き合っていた訳ではない。

「幸とは今でも仲はいいですけど……誤解です。付き合ってないですから。」
「コウって言うんだ?そいつ。」
「……はい。幸太……マセコウタ。」

 先輩は少し戸惑ったようにこちらを見つめると、コウタと小さく呟いた。

「……」
「先輩は?」
「――え?ごめん、何?」

 何か考え事をして話を聞いていなかったのか、先輩は驚いた様に突然その場で足を止めた。手をつないだままで向かい合って改めて言い直すのも恥ずかしい質問――。

「先輩は……付き合ってた人いましたよね?どうして別れちゃったんですか?」
「あー俺?別れたっていうか……一方的に告られて、気がついたら向こうから捨てられてた感じ?」

 うまい返し方が分からず固まってしまった私に、先輩は少し笑いながら問いかけた。

「何?もしかして引いた?」
「……そんなんじゃありません。」
「そうなん?」

 先輩は再び歩き出すと、道の先を見つめながら抑揚のない声で続けた。

「俺、付き合いはじめても基本相手しないからね、退屈なんだってさ。」

――それは、嘘だ。

「……嘘。相手、してくれてるじゃないですか?今日だって。」
「あー。今回は特別。キャンペーン期間中だから。」
「キャンペーン期間中……。」
「椙山はさ、入学してからずっと俺の事見てたでしょ?違う?」

 今度は私が驚いてその場で足を止める番だった。どうしよう……。もしかして今までの私の行動全てが先輩にはバレバレだったって事?

「……」
「何驚いてんの?俺じゃなくても普通に気付くわ。」
「あ……ですよね。」
「……」
「ごめんなさい……。私……。」
「椙山?」

 繋いだ手を強引に引き剥がすと慌てて頬を拭った。恥ずかしすぎて泣きたい自分と、それでも好きな人に泣き顔を見られたくない自分とがせめぎ合う。
 もうコンビニはすぐそこに見えている。

「……ちょっと、私コンビニ行ってきます。」
「え?あ……うん。」
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