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第1章 再会
同窓会、どうしようかい? ②
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五年ぶりに聞いた彼の声は、真樹が記憶していた中学時代の彼の声よりぐっと落ち着いている。
『……おーい、聞こえてるかー?』
「バカ、聞こえてるよ。久しぶり」
彼にからかわれ、それに真樹が言い返す。このやり取りも五年前と変わっていない。
『元気そうじゃん。よかった。――あ、そういやさ、お前んとこにも同窓会の案内状って来た?』
「えっ? うん、来たけど」
彼はこのハガキが届いたから、真樹に連絡することにしたのだろう。
『そっか、それなら話は早えぇわ。同窓会、お前も出るだろ?』
「いや、まだ分かんないよ。出たいのはヤマヤマだけど、休みが取れるかどうか……」
『休み? お前、作家やってんじゃねえのかよ?』
作家は自由業じゃないのか、と言っているように、真樹には聞こえた。
――というか。
(岡原も知ってたのか。あたしがラノベ作家になったこと)
彼女はむしろ、そのことに驚いていた。
まあ、ペンネームは本名とあまり変わらないし、知り合いだったら気づかない方がどうかしていると思うけれど。
「いや、そうなんだけどさ。あたし、本屋でバイトもしてるから。あたしが心配してるのはそっちの休みの方だよ」
祝日は客商売にとって書き入れ時だから、休みが取れるかどうか分からない。そう真樹が説明すると、岡原に「〝書き入れ時〟ってナニ?」と訊かれた。
(えっ、そこから説明しなきゃいけないの? カンベンしてよ……)
真樹がため息をつくと、岡原は「ゴメン、俺が悪かった!」と謝った。
『まあ、休みが取りにくいってことだけは分かったよ。けど、何とかなんねえの? 俺はお前にも出てほしいんだけどな』
「……なんで、そんなにあたしに出てほしいのよ?」
彼がここまで自分にこだわっている理由が真樹には分からない。
それならどうして、この五年間一度も連絡をくれなかったのだろう? ――と思ったところで、自分からも連絡を取ろうとしなかったので、彼のことを責める気にはなれないけれど……。
『当日、お前にどうしても伝えたいことがあっからさ。だから、絶対来いよ! 俺も行くから! 話はそんだけ。じゃあな』
「えっ!? ちょっと待ってよ! あたし、まだ返事してな――」
ツーツーツー ……
真樹が最後まで言い終えないうちに電話が切れ、終話音だけが空しく響いた。
「……岡原のヤツ、一方的なところも相変わらずなんだから」
真樹はほんの少しだけ懐かしさを滲ませ、苦笑いして独りごちる。
言いたいことがあるなら、電話で言えばいいのに。
「っていうか、もうホントにどうしよう?」
これは何が何でも、二十九日には休みを取らなければならなくなった。真樹は頭を抱える。
万が一、当日バイトを休めなくて同窓会に出られなくなったら、岡原はガッガリするだろうか?
「はー……。明日出勤なのに、気が重い」
だからといって、体調も悪くないのに欠勤することだけは、彼女のプライドが許さないのでできないし――。
…… グ~~ッ。真樹の腹の虫が空腹を訴える。
「お腹すいた……。そういえば、お昼ゴハンまだだったなぁ」
スマホで時刻を確かめると、もう一時半を過ぎていた。どうせカレーを作るのなら、昼食も兼ねて早めに作ってしまおう。
真樹はどんよりと沈み込んだ気持ちを切り替えるため、キッチンで調理を始めた。
****
――翌日。どうにか気持ちの切り替えに成功した真樹は、〈ブックランドカワナベ〉に無事出勤していた。
この書店は、豊島区内の商店街にある。店長の川辺さん夫妻が経営している二階建ての中規模な店舗だ。
「――すいませーん。本の注文をしてて、入荷したって連絡もらったんですけど」
レジ横の事務カウンターで売り場の在庫を確認していた真樹は、黒縁メガネをかけた三十代くらいの男性に声をかけられた。
「はい。ただいま確認します。――お控えを見せて頂けますか?」
〝控え〟というのは、注文書のお客様控えのことである。――真樹はその男性客から預かった控えと、店のファイルに保管してある注文書の原本を照らし合わせ、在庫管理も行っているパソコンで商品の入荷情報を確かめた。
「橘春樹さまですね。――はい、ご注文された商品はすでに入荷してますね。お持ちしますので、ちょっと待って頂いていいでしょうか」
彼女は他のバイト店員に持ち場を代わってもらい、バックヤードの書庫へ向かった。
「えーっと、一一九八番は……あった!」
売り場の棚に並ぶ商品とは別に、個別注文で入荷した商品はコンテナにまとめられ、注文票の番号が付箋で貼り付けられている。
真樹はファイルの中の〈橘春樹〉という名前の注文書番号を確かめた。それが、一一九八番だったのだ。
注文された商品は、ハードカバーの小説。最近直木賞だか芥川賞だかの最終候補に残った男性作家が二年前に出したデビュー作だ。
「――お待たせしました! こちらの商品で間違いないでしょうか? タイトルと著者名の確認、お願いできますか?」
「そうそう! それです。間違いない」
男性客――橘さんは満足そうに頷いた。
「この本、今じゃほとんどの書店さんで取り扱いがなくて、お取り寄せしないと手に入らないんですよね」
「そうなんだよ。電子書籍も出てるんだけどね、僕はやっぱり、本は紙の本じゃないと読んだ気がしなくて」
真樹も紙書籍派なので、彼の話に笑顔で頷く。
そして書店員として、紙書籍にまだ需要があるのだと分かったことも嬉しかった。
「他に購入する商品がないようでしたら、このまま隣のレジでお会計させて頂きますね。――千九百八十円です。お支払いは現金ですか? クレジットとかキャッシュレス決済も使えますけど」
彼はクレジットカードで支払いをした。
「ありがとうございました!」
ほくほく顔で店を出ていく橘さんを、真樹も満面の笑みで見送った。
「――麻木さんのファン、また一人増えたみたいだねえ」
後ろから中年男性の――しかも出勤日には必ず聞いている声が聞こえてきて、真樹は思わず飛び上がる。
「わっ! 店長!」
声の主はこの書店の店主、川辺誠だった。ちなみに彼と妻のまどかも、真樹がライトノベル作家の〈麻木マキ〉だと知っている。
「近くに大手の書店さんもあるのに、わざわざウチみたいな店で取り寄せして下さるなんて、何ともありがたいことだね。麻木さんの接客がよかったからだと僕は思うよ」
「いえいえ、そんな! あたしは特別なことなんか何も!」
大手チェーンの書店には接客マニュアルのようなものがあるのかもしれないけれど、この書店にそんなものはない。だから、真樹は自分なりに考えて工夫して接客しているだけなのだ。
「でも、橘さんが今度はあたしの本を手に取って下さったら、あたしも嬉しいです。たとえ偶然でも」
彼はきっと、この店にも著書が並んでいる〈麻木マキ〉が、自分の応対をしてくれた彼女だと気づいていないだろう。
――時刻は夕方四時近く。早めに新学期が始まった私立の高校だろうか、制服のブレザー姿の女子高生二人が参考書を買いにきて、真樹はもう一人のバイト店員の男の子と彼女達のレジ対応をした。
「――麻木さん、四時になったら上がっていいから。今日もお疲れさん」
「はい。――あ、店長! ちょっとご相談があるんですけど……」
真樹は退勤時間になってやっと、店長に例の件――祝日である二十九日に休みをもらえるかについて話すことができた。
お昼休憩の時にでも話を切り出せたらよかったのだけれど、休憩は交代でとることになっているので話す時間がなかった。
かといって、仕事中に個人的な話をするわけにもいかなかったし――。
「いいよ。じゃあ、二階の事務所で聞かせてもらおうかな」
「はい」
――この店は二階にも売り場があり、そのバックヤードにスタッフの休憩室兼ロッカールームと事務所がある。
「……で、麻木さん。相談って何かな?」
「あの……、申し訳ないんですけど。二十九日、お休みを頂けないかな……と」
真樹はとても言いにくそうに、恐縮しながら話を切り出した。
「二十九日? 差し支えなければ理由も聞かせてくれるかな?」
「はい……。あの、中学校の同窓会があるんです。で、きのう元同級生から電話がかかってきて、『どうしても来てほしい』って言われちゃって……」
ゴメン、岡原! あんたを悪者にさせてもらうね。――真樹は心の中で、彼に詫びた。
「祝日なんで、店側としては休まれちゃ困るって言うのは重々承知してますけど。とにかくそういう事情なんで……」
川辺店長は真樹のだんだんフェードアウトしていく説明を聞き、「分かった」と頷く。
「そういうことなら、遠慮しないで休みを取りなさい。同窓会で昔の友達に会うなんて、立派な理由じゃないか」
「えっ、いいんですか!?」
真樹は驚きと嬉しさで瞬いた。「ダメだ」とか、「そんな理由で休まれても困る」とか言われたらどうしようかとヒヤヒヤしていたのだ。
「うん。当日のシフト調整は僕がしておくから、君は心配しなくていい。有給扱いにしてほしいなら、届け出して帰ってね」
「はいっ! ありがとうございます!」
「届出の理由は〝私用のため〟って書いてくれたらいいからね」
「はい」
真樹は店長から有給休暇の申請用紙を一枚もらい、二十九日に有休を取る旨と、その理由をボールペンで書いた。
『私用(同窓会出席)のため』
「――店長、書けました! これでいいんですか?」
真樹が用紙を提出すると、店長はそれをしっかりと受け取り、頷いた。
「うん、オーケーだ。確かに受理したよ。あと、当日の君の代打は僕の方で手配しておくから。同窓会、楽しんでおいで」
「ありがとうございます、店長。じゃあまた明日も頑張ります。お先に失礼します!」
「ああ、お疲れさま。明日もよろしく」
店長にペコッと会釈し、タイムカードを押して真樹は事務所を出た。そのままロッカールームで制服のエプロンを外し、グレーの七分袖シャツの上からパーカーを羽織って帰途につく。
「二十九日、休み取れてよかった」
真樹はホッとして、歩きながら思いっきり伸びをした。
しかも有給にしてもらえた。〝至れり尽くせり〟というヤツだ。
「とりあえず、岡原に知らせといた方がいいかな」
真樹も同窓会に出られることになったと分かれば、彼は跳びはねて喜ぶだろう。
当日までのサプライズにしようかとも一瞬考えたけれど、鈍いアイツのことだから、毎日「どうなってんだ」と返事の催促が来そうだ。それはそれでウザい。
「……ま、いっか。晩ゴハンは昨日のカレーがあるから、今日は買い物しなくていいし。まっすぐ帰って、それから電話しよっと」
家に着く頃には、四時半ごろになっているはずだけれど、電話して差し支えないのだろうか? 確か彼は、自動車修理工場に就職したと聞いていたけれど。もし仕事中だったら迷惑かもしれない。
「――あれ?」
でも、昨日彼から電話があったのは、確か午後一時半過ぎだった。
もしかして、彼は仕事を変えたのか。それとも、昨日はたまたま休みだっただけか。五年間一度も会っていないのだから、その間に転職していたとしても、何の不思議もないのだ。
「だからって、あたしから『アンタ、今どんな生活してんの?』って訊くのも何だかなぁだし」
たとえ彼がどんな職に就いていても、今元気なんだから。自分からはあえて訊かないでおこうと真樹は思い、マンションへ向かって歩を進めた。
****
「――佐伯さん、ただいま!」
真樹がいつもどおりに管理人室に声をかけると、佐伯さんもいつもどおりに笑顔で挨拶を返してくれただけでなく、わざわざ管理人室から出てきてくれた。
手には何やら、スーパーのレジ袋を持っている。
「おかえり、麻木さん。仕事お疲れさま。昨日はカレーありがとうね。美味しかったよ」
真樹は佐伯さんが差し出したレジ袋を受け取った。
袋の中に入っているのは、昨日カレーをお裾分けした時のタッパーと、お徳用のマドレーヌ十個入りだった。カレーを分けてもらったお礼のしるしのようだ。
「お礼なんていいのに、わざわざ気を遣って頂いちゃって! ――カレー、甘すぎませんでした?」
初老の管理人の心遣いに恐縮しつつ、真樹は訊ねてみる。
彼女は基本的に辛いものが苦手で、お寿司も未だにワサビ抜きしか食べられない。
だから、カレーを作る時も毎回甘口になるのだけれど、男性の口には合わなかったのではないかと気になっていたのだ。
「いやいや、そんなことはないよ。私もこう見えて、辛すぎるのはあんまり得意じゃなくてね。むしろ、あれくらいでちょうど食べやすかったんだよ」
「そうなんですか。じゃあ、また何か作ったら持ってきますね!」
「うん、ありがとうね。――ところで麻木さん、何かいいことでもあったのかい?」
唐突に訊ねられ、真樹は目を瞠る。
「えっ? どうして分かったんですか?」
「だって、顔に書いてあるよ。『いいことありました』ってね」
「えー? やだなぁ、もう。実はそうなんですけどね」
真樹は恥ずかしそうに両手で顔を覆ったけれど、嬉しさを隠すようなことはしない。
「今月の二十九日に、同窓会があるんですけど。あたし接客業だし、祝日にお休み取れるのかなーって心配で。でもね、有休がもらえることになったんです! もう嬉しくて!」
「へえ、よかったねえ。同窓会、楽しんでおいで」
「はい! それじゃ、また」
真樹は佐伯さんに会釈して、集合ポストを覗きに行った。
郵便は一通も来ていなかったけれど、代わりに一枚のメモが入っている。
『お仕事お疲れさまです。
お帰りになったら連絡下さい。 片岡』
『……おーい、聞こえてるかー?』
「バカ、聞こえてるよ。久しぶり」
彼にからかわれ、それに真樹が言い返す。このやり取りも五年前と変わっていない。
『元気そうじゃん。よかった。――あ、そういやさ、お前んとこにも同窓会の案内状って来た?』
「えっ? うん、来たけど」
彼はこのハガキが届いたから、真樹に連絡することにしたのだろう。
『そっか、それなら話は早えぇわ。同窓会、お前も出るだろ?』
「いや、まだ分かんないよ。出たいのはヤマヤマだけど、休みが取れるかどうか……」
『休み? お前、作家やってんじゃねえのかよ?』
作家は自由業じゃないのか、と言っているように、真樹には聞こえた。
――というか。
(岡原も知ってたのか。あたしがラノベ作家になったこと)
彼女はむしろ、そのことに驚いていた。
まあ、ペンネームは本名とあまり変わらないし、知り合いだったら気づかない方がどうかしていると思うけれど。
「いや、そうなんだけどさ。あたし、本屋でバイトもしてるから。あたしが心配してるのはそっちの休みの方だよ」
祝日は客商売にとって書き入れ時だから、休みが取れるかどうか分からない。そう真樹が説明すると、岡原に「〝書き入れ時〟ってナニ?」と訊かれた。
(えっ、そこから説明しなきゃいけないの? カンベンしてよ……)
真樹がため息をつくと、岡原は「ゴメン、俺が悪かった!」と謝った。
『まあ、休みが取りにくいってことだけは分かったよ。けど、何とかなんねえの? 俺はお前にも出てほしいんだけどな』
「……なんで、そんなにあたしに出てほしいのよ?」
彼がここまで自分にこだわっている理由が真樹には分からない。
それならどうして、この五年間一度も連絡をくれなかったのだろう? ――と思ったところで、自分からも連絡を取ろうとしなかったので、彼のことを責める気にはなれないけれど……。
『当日、お前にどうしても伝えたいことがあっからさ。だから、絶対来いよ! 俺も行くから! 話はそんだけ。じゃあな』
「えっ!? ちょっと待ってよ! あたし、まだ返事してな――」
ツーツーツー ……
真樹が最後まで言い終えないうちに電話が切れ、終話音だけが空しく響いた。
「……岡原のヤツ、一方的なところも相変わらずなんだから」
真樹はほんの少しだけ懐かしさを滲ませ、苦笑いして独りごちる。
言いたいことがあるなら、電話で言えばいいのに。
「っていうか、もうホントにどうしよう?」
これは何が何でも、二十九日には休みを取らなければならなくなった。真樹は頭を抱える。
万が一、当日バイトを休めなくて同窓会に出られなくなったら、岡原はガッガリするだろうか?
「はー……。明日出勤なのに、気が重い」
だからといって、体調も悪くないのに欠勤することだけは、彼女のプライドが許さないのでできないし――。
…… グ~~ッ。真樹の腹の虫が空腹を訴える。
「お腹すいた……。そういえば、お昼ゴハンまだだったなぁ」
スマホで時刻を確かめると、もう一時半を過ぎていた。どうせカレーを作るのなら、昼食も兼ねて早めに作ってしまおう。
真樹はどんよりと沈み込んだ気持ちを切り替えるため、キッチンで調理を始めた。
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――翌日。どうにか気持ちの切り替えに成功した真樹は、〈ブックランドカワナベ〉に無事出勤していた。
この書店は、豊島区内の商店街にある。店長の川辺さん夫妻が経営している二階建ての中規模な店舗だ。
「――すいませーん。本の注文をしてて、入荷したって連絡もらったんですけど」
レジ横の事務カウンターで売り場の在庫を確認していた真樹は、黒縁メガネをかけた三十代くらいの男性に声をかけられた。
「はい。ただいま確認します。――お控えを見せて頂けますか?」
〝控え〟というのは、注文書のお客様控えのことである。――真樹はその男性客から預かった控えと、店のファイルに保管してある注文書の原本を照らし合わせ、在庫管理も行っているパソコンで商品の入荷情報を確かめた。
「橘春樹さまですね。――はい、ご注文された商品はすでに入荷してますね。お持ちしますので、ちょっと待って頂いていいでしょうか」
彼女は他のバイト店員に持ち場を代わってもらい、バックヤードの書庫へ向かった。
「えーっと、一一九八番は……あった!」
売り場の棚に並ぶ商品とは別に、個別注文で入荷した商品はコンテナにまとめられ、注文票の番号が付箋で貼り付けられている。
真樹はファイルの中の〈橘春樹〉という名前の注文書番号を確かめた。それが、一一九八番だったのだ。
注文された商品は、ハードカバーの小説。最近直木賞だか芥川賞だかの最終候補に残った男性作家が二年前に出したデビュー作だ。
「――お待たせしました! こちらの商品で間違いないでしょうか? タイトルと著者名の確認、お願いできますか?」
「そうそう! それです。間違いない」
男性客――橘さんは満足そうに頷いた。
「この本、今じゃほとんどの書店さんで取り扱いがなくて、お取り寄せしないと手に入らないんですよね」
「そうなんだよ。電子書籍も出てるんだけどね、僕はやっぱり、本は紙の本じゃないと読んだ気がしなくて」
真樹も紙書籍派なので、彼の話に笑顔で頷く。
そして書店員として、紙書籍にまだ需要があるのだと分かったことも嬉しかった。
「他に購入する商品がないようでしたら、このまま隣のレジでお会計させて頂きますね。――千九百八十円です。お支払いは現金ですか? クレジットとかキャッシュレス決済も使えますけど」
彼はクレジットカードで支払いをした。
「ありがとうございました!」
ほくほく顔で店を出ていく橘さんを、真樹も満面の笑みで見送った。
「――麻木さんのファン、また一人増えたみたいだねえ」
後ろから中年男性の――しかも出勤日には必ず聞いている声が聞こえてきて、真樹は思わず飛び上がる。
「わっ! 店長!」
声の主はこの書店の店主、川辺誠だった。ちなみに彼と妻のまどかも、真樹がライトノベル作家の〈麻木マキ〉だと知っている。
「近くに大手の書店さんもあるのに、わざわざウチみたいな店で取り寄せして下さるなんて、何ともありがたいことだね。麻木さんの接客がよかったからだと僕は思うよ」
「いえいえ、そんな! あたしは特別なことなんか何も!」
大手チェーンの書店には接客マニュアルのようなものがあるのかもしれないけれど、この書店にそんなものはない。だから、真樹は自分なりに考えて工夫して接客しているだけなのだ。
「でも、橘さんが今度はあたしの本を手に取って下さったら、あたしも嬉しいです。たとえ偶然でも」
彼はきっと、この店にも著書が並んでいる〈麻木マキ〉が、自分の応対をしてくれた彼女だと気づいていないだろう。
――時刻は夕方四時近く。早めに新学期が始まった私立の高校だろうか、制服のブレザー姿の女子高生二人が参考書を買いにきて、真樹はもう一人のバイト店員の男の子と彼女達のレジ対応をした。
「――麻木さん、四時になったら上がっていいから。今日もお疲れさん」
「はい。――あ、店長! ちょっとご相談があるんですけど……」
真樹は退勤時間になってやっと、店長に例の件――祝日である二十九日に休みをもらえるかについて話すことができた。
お昼休憩の時にでも話を切り出せたらよかったのだけれど、休憩は交代でとることになっているので話す時間がなかった。
かといって、仕事中に個人的な話をするわけにもいかなかったし――。
「いいよ。じゃあ、二階の事務所で聞かせてもらおうかな」
「はい」
――この店は二階にも売り場があり、そのバックヤードにスタッフの休憩室兼ロッカールームと事務所がある。
「……で、麻木さん。相談って何かな?」
「あの……、申し訳ないんですけど。二十九日、お休みを頂けないかな……と」
真樹はとても言いにくそうに、恐縮しながら話を切り出した。
「二十九日? 差し支えなければ理由も聞かせてくれるかな?」
「はい……。あの、中学校の同窓会があるんです。で、きのう元同級生から電話がかかってきて、『どうしても来てほしい』って言われちゃって……」
ゴメン、岡原! あんたを悪者にさせてもらうね。――真樹は心の中で、彼に詫びた。
「祝日なんで、店側としては休まれちゃ困るって言うのは重々承知してますけど。とにかくそういう事情なんで……」
川辺店長は真樹のだんだんフェードアウトしていく説明を聞き、「分かった」と頷く。
「そういうことなら、遠慮しないで休みを取りなさい。同窓会で昔の友達に会うなんて、立派な理由じゃないか」
「えっ、いいんですか!?」
真樹は驚きと嬉しさで瞬いた。「ダメだ」とか、「そんな理由で休まれても困る」とか言われたらどうしようかとヒヤヒヤしていたのだ。
「うん。当日のシフト調整は僕がしておくから、君は心配しなくていい。有給扱いにしてほしいなら、届け出して帰ってね」
「はいっ! ありがとうございます!」
「届出の理由は〝私用のため〟って書いてくれたらいいからね」
「はい」
真樹は店長から有給休暇の申請用紙を一枚もらい、二十九日に有休を取る旨と、その理由をボールペンで書いた。
『私用(同窓会出席)のため』
「――店長、書けました! これでいいんですか?」
真樹が用紙を提出すると、店長はそれをしっかりと受け取り、頷いた。
「うん、オーケーだ。確かに受理したよ。あと、当日の君の代打は僕の方で手配しておくから。同窓会、楽しんでおいで」
「ありがとうございます、店長。じゃあまた明日も頑張ります。お先に失礼します!」
「ああ、お疲れさま。明日もよろしく」
店長にペコッと会釈し、タイムカードを押して真樹は事務所を出た。そのままロッカールームで制服のエプロンを外し、グレーの七分袖シャツの上からパーカーを羽織って帰途につく。
「二十九日、休み取れてよかった」
真樹はホッとして、歩きながら思いっきり伸びをした。
しかも有給にしてもらえた。〝至れり尽くせり〟というヤツだ。
「とりあえず、岡原に知らせといた方がいいかな」
真樹も同窓会に出られることになったと分かれば、彼は跳びはねて喜ぶだろう。
当日までのサプライズにしようかとも一瞬考えたけれど、鈍いアイツのことだから、毎日「どうなってんだ」と返事の催促が来そうだ。それはそれでウザい。
「……ま、いっか。晩ゴハンは昨日のカレーがあるから、今日は買い物しなくていいし。まっすぐ帰って、それから電話しよっと」
家に着く頃には、四時半ごろになっているはずだけれど、電話して差し支えないのだろうか? 確か彼は、自動車修理工場に就職したと聞いていたけれど。もし仕事中だったら迷惑かもしれない。
「――あれ?」
でも、昨日彼から電話があったのは、確か午後一時半過ぎだった。
もしかして、彼は仕事を変えたのか。それとも、昨日はたまたま休みだっただけか。五年間一度も会っていないのだから、その間に転職していたとしても、何の不思議もないのだ。
「だからって、あたしから『アンタ、今どんな生活してんの?』って訊くのも何だかなぁだし」
たとえ彼がどんな職に就いていても、今元気なんだから。自分からはあえて訊かないでおこうと真樹は思い、マンションへ向かって歩を進めた。
****
「――佐伯さん、ただいま!」
真樹がいつもどおりに管理人室に声をかけると、佐伯さんもいつもどおりに笑顔で挨拶を返してくれただけでなく、わざわざ管理人室から出てきてくれた。
手には何やら、スーパーのレジ袋を持っている。
「おかえり、麻木さん。仕事お疲れさま。昨日はカレーありがとうね。美味しかったよ」
真樹は佐伯さんが差し出したレジ袋を受け取った。
袋の中に入っているのは、昨日カレーをお裾分けした時のタッパーと、お徳用のマドレーヌ十個入りだった。カレーを分けてもらったお礼のしるしのようだ。
「お礼なんていいのに、わざわざ気を遣って頂いちゃって! ――カレー、甘すぎませんでした?」
初老の管理人の心遣いに恐縮しつつ、真樹は訊ねてみる。
彼女は基本的に辛いものが苦手で、お寿司も未だにワサビ抜きしか食べられない。
だから、カレーを作る時も毎回甘口になるのだけれど、男性の口には合わなかったのではないかと気になっていたのだ。
「いやいや、そんなことはないよ。私もこう見えて、辛すぎるのはあんまり得意じゃなくてね。むしろ、あれくらいでちょうど食べやすかったんだよ」
「そうなんですか。じゃあ、また何か作ったら持ってきますね!」
「うん、ありがとうね。――ところで麻木さん、何かいいことでもあったのかい?」
唐突に訊ねられ、真樹は目を瞠る。
「えっ? どうして分かったんですか?」
「だって、顔に書いてあるよ。『いいことありました』ってね」
「えー? やだなぁ、もう。実はそうなんですけどね」
真樹は恥ずかしそうに両手で顔を覆ったけれど、嬉しさを隠すようなことはしない。
「今月の二十九日に、同窓会があるんですけど。あたし接客業だし、祝日にお休み取れるのかなーって心配で。でもね、有休がもらえることになったんです! もう嬉しくて!」
「へえ、よかったねえ。同窓会、楽しんでおいで」
「はい! それじゃ、また」
真樹は佐伯さんに会釈して、集合ポストを覗きに行った。
郵便は一通も来ていなかったけれど、代わりに一枚のメモが入っている。
『お仕事お疲れさまです。
お帰りになったら連絡下さい。 片岡』
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