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序
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――この世は,目に見えているものばかりが存在しているわけではない。
怨み・嫉妬・劣等感。――人間に後ろ暗い感情が存在する限り,そこに巣食う「魔」は必ず生まれるのだ。
それは時に「妖怪」として姿を現し,人間に牙をむくこともある。死してのち,「悪霊」となる人間もいる。
また逆に人畜無害な妖怪もいる。その者達は,時に人の手となり足となり働きもする。
――当事務所は,目に見えないものによる摩訶不思議な現象にお困りの方々に手を差し伸べるべく,開設した「よろず相談所」である。
嵯峨野よろず相談所代表 嵯峨野大我
****
――それは堀田美咲にとって,まさに"青天の霹靂としかいいようのない出来事だった。
「――堀田さん,……ちょっといいかな?」
アルバイト先であるカフェでの勤務中に,店長の大橋から声をかけられたのは,二〇歳になって間もない四月半ばのこと。
「はい。何ですか?」
美咲はレジで女性客三人グループの会計の対応をしていたが,手が空いたので彼と一緒に店のバックヤードまでついて行った。
大橋店長はまだ二十五歳。この大手カフェチェーンの正社員として大卒で入社し,美咲が高卒でアルバイトを始めた昨年の四月に店長として着任してきた。
顔がイケメンで(本人曰く、某人気若手俳優に似ている……らしい),スラっとした細身のシルエットなので,店の女性客からも女性スタッフからもモテる。
ただ,美咲には全然その気はないのだが。
今は恋愛よりも,まず生きていくことが大事なのだ。恋愛なんかにうつつを抜かしている場合ではないのである。
――それはさておき。
(あたし,なんで呼ばれたんだろう?)
美咲は大橋店長の後ろで,こっそり首を傾げた。
働き始めて一年,自分では咎められる理由は何ひとつないと思っている。
少し茶色がかっているロングヘア―(ちなみに地毛である)は仕事中ちゃんと束ねているし,その他の身だしなみもキチンと守っている。
それに,仕事だって真面目にやっている。
お客様とトラブルを起こしたことは一度もないし,他のスタッフとの人間関係も良好だ。
だから,マイナスな原因で呼ばれる理由に全く心当たりがないのだが……。
気になったのは,彼の表情だった。
困っているような,それでいて美咲のことを哀れんでいるような表情を見せられたら,いい理由で呼ばれたとはどうしても考えにくいのだ。
(この状況って,普通に考えたらクビ宣告だよね……。どう考えても)
たとえ本人に思い当たるフシがなくても,他人の目からは分かる解雇理由があるかもしれない。
美咲は覚悟を決めた。
どうせ解雇を言い渡されるなら,言われる側の人間もそれなりに心構えをしておいた方が受けるダメージは少なくて済む。
それに……。美咲は高校まで空手部に所属し,高三の夏までは主将を務めていた。
勝負の世界に身を置いていた者として,土壇場でうろたえるようなみっともないことはしたくない,というのが彼女の性分でもあるのだ。
「――で,店長。あたしを仕事中に読んだ用件って何なんですか?」
やっと人気の少ない休憩室まで来て,美咲の方から大橋店長に訊ねた。
「えーっとね,非常に言いにくいんだけど……。堀田さん,来月から君との契約を継続できなくなりました」
「は?」
"やっぱりな"と思うのと同時に,美咲は唖然となる。
そんな遠回しに言わなくても,言わんとしていることは分かっているのだ。
「申し訳ないけど,今月いっぱいで辞めてもらえるかな?」
「つまりクビ……ってことですか。解雇される原因は?」
どんな理由があるにしろ,ちゃんと話してもらわないことには納得して退職,というわけにはいかない。
「堀田さんに悪いところがあったとか,そういうことじゃないんだ。会社側の都合っていうのかな。人員削減っていうか……」
「要するに,"リストラ"ってことなんですね」
美咲の中では最悪のパターンだった。
自分に非があっての退職勧告なら,すんなり「はい,そうですか」と後腐れなく辞めてもいい。
でも,会社の都合によるリストラとなると,もう「仕方ない」と諦めるしかない。何を訴えても決定が覆ることはないのだろうから。
(でも,なんであたしなの?)
ふと湧いた疑問をぶつけてみようかとも思ったけれど,ムダだと思ってやめた。
リストラとは,得てして理不尽なものなのである。
「――まあ,あと二週間くらいあるし。その間はキチンと働いてもらって,次の就職先はゆっくり探せばいいよ」
他人事みたいに言う店長に,美咲は内心カチンときた。
("ゆっくり"? 冗談じゃないよ! こっちは生活かかってるのに!)
美咲は高校を卒業してから,池袋の賃貸アパート(間取りは1DK)で一人暮らしをしている。
実家からの仕送りはほとんどなく,この店でのアルバイトの収入だけで生活していた。そのために自分の体力の限界ギリギリまでシフトを詰め,この一年やってきたのだ。
その収入が,今月で終わってしまう。来月一〇日に給料が振り込まれたら,それで最後。次の仕事だって,見つかってもすぐに収入があるわけではない。
(もう,"あと二週間"なんて悠長なこと言ってられない! 一刻も早く,次の手を打たないと!)
アルバイト従業員をリストラするのに,次の就業先も世話してくれないような薄情な会社だ。こんなところ,さっさと辞めてしまうに限る!
「店長,もう仕事に戻っていいですか?」
「ああ,そうだね。――仕事中に呼び出して悪かったね,堀田さん」
美咲は「いえ」と取り繕った笑顔で応えて仕事に戻ったけれど,内心では「早く次の仕事を見つけてこんな会社とはおサラバしてやる!」と固く決意していた――。
****
――翌日。この日は美咲のバイトは休み。
前日の固い決心が揺るがないうちに,彼女は職探しをすべく,朝から部屋でノートPCと向き合っていた。
「ハローワークもあんまりアテになんないしなあ……。ネットで探すのが一番手っとり早いよねえ」
美咲はあらゆる求人情報を網羅しているという総合求人サイトを,片っ端からチェックしていた。
できることなら,自分の特技を仕事に活かしたい。――高校卒業前から,そう思って就職活動をしてきた。
実は彼女,中学時代からパソコンに精通しており,WEB関係の仕事に就きたいと思って就職活動に勤しんでいたのだ。
ところがそれはうまくいかず,生活のためにとりあえず始めたカフェでのアルバイトだけで手いっぱいになり,そちらの方はすっかり諦めかけていたのだった。
とはいえ,カフェでの仕事もおざなりにしていたつもりはなかったのだが――。
「――ん? よろず……相談所?」
美咲がその求人情報に目を留めたのは,果たして偶然だったのか,必然だったのか。
『よろず相談所 アシスタント募集
日給七,〇〇〇円 別途交通費支給
PCのスキル有りの人・武道有段者優遇
嵯峨野よろず相談所』
――まさに,美咲のためにあると言っていいほどの好条件である。
ただ,この内容だけでは肝心の仕事内容がどんなものなのか,全くもって分からない。
さしずめ,「詳細は面談で」ということだろう。――つまり,面接を受けなければこの求人情報の謎は解けないということだ。
けれど,美咲にとっては"渡りに舟"だった。思い立ったが吉日というし。
「こういう職種なら,応募する人少ないだろうし。簡単に採用されそう♪」
美咲の指は,ためらうことなくキーボードの上を滑った。
名前・現住所・連絡先などの必要事項と,特技として〈PC操作・実戦空手三段〉と打ち込み,求人に載っているメールアドレス宛てにメールを送信した。
まるで誰かの意志で動かされているかのように,一連の動作は淀みなく行われた――。
怨み・嫉妬・劣等感。――人間に後ろ暗い感情が存在する限り,そこに巣食う「魔」は必ず生まれるのだ。
それは時に「妖怪」として姿を現し,人間に牙をむくこともある。死してのち,「悪霊」となる人間もいる。
また逆に人畜無害な妖怪もいる。その者達は,時に人の手となり足となり働きもする。
――当事務所は,目に見えないものによる摩訶不思議な現象にお困りの方々に手を差し伸べるべく,開設した「よろず相談所」である。
嵯峨野よろず相談所代表 嵯峨野大我
****
――それは堀田美咲にとって,まさに"青天の霹靂としかいいようのない出来事だった。
「――堀田さん,……ちょっといいかな?」
アルバイト先であるカフェでの勤務中に,店長の大橋から声をかけられたのは,二〇歳になって間もない四月半ばのこと。
「はい。何ですか?」
美咲はレジで女性客三人グループの会計の対応をしていたが,手が空いたので彼と一緒に店のバックヤードまでついて行った。
大橋店長はまだ二十五歳。この大手カフェチェーンの正社員として大卒で入社し,美咲が高卒でアルバイトを始めた昨年の四月に店長として着任してきた。
顔がイケメンで(本人曰く、某人気若手俳優に似ている……らしい),スラっとした細身のシルエットなので,店の女性客からも女性スタッフからもモテる。
ただ,美咲には全然その気はないのだが。
今は恋愛よりも,まず生きていくことが大事なのだ。恋愛なんかにうつつを抜かしている場合ではないのである。
――それはさておき。
(あたし,なんで呼ばれたんだろう?)
美咲は大橋店長の後ろで,こっそり首を傾げた。
働き始めて一年,自分では咎められる理由は何ひとつないと思っている。
少し茶色がかっているロングヘア―(ちなみに地毛である)は仕事中ちゃんと束ねているし,その他の身だしなみもキチンと守っている。
それに,仕事だって真面目にやっている。
お客様とトラブルを起こしたことは一度もないし,他のスタッフとの人間関係も良好だ。
だから,マイナスな原因で呼ばれる理由に全く心当たりがないのだが……。
気になったのは,彼の表情だった。
困っているような,それでいて美咲のことを哀れんでいるような表情を見せられたら,いい理由で呼ばれたとはどうしても考えにくいのだ。
(この状況って,普通に考えたらクビ宣告だよね……。どう考えても)
たとえ本人に思い当たるフシがなくても,他人の目からは分かる解雇理由があるかもしれない。
美咲は覚悟を決めた。
どうせ解雇を言い渡されるなら,言われる側の人間もそれなりに心構えをしておいた方が受けるダメージは少なくて済む。
それに……。美咲は高校まで空手部に所属し,高三の夏までは主将を務めていた。
勝負の世界に身を置いていた者として,土壇場でうろたえるようなみっともないことはしたくない,というのが彼女の性分でもあるのだ。
「――で,店長。あたしを仕事中に読んだ用件って何なんですか?」
やっと人気の少ない休憩室まで来て,美咲の方から大橋店長に訊ねた。
「えーっとね,非常に言いにくいんだけど……。堀田さん,来月から君との契約を継続できなくなりました」
「は?」
"やっぱりな"と思うのと同時に,美咲は唖然となる。
そんな遠回しに言わなくても,言わんとしていることは分かっているのだ。
「申し訳ないけど,今月いっぱいで辞めてもらえるかな?」
「つまりクビ……ってことですか。解雇される原因は?」
どんな理由があるにしろ,ちゃんと話してもらわないことには納得して退職,というわけにはいかない。
「堀田さんに悪いところがあったとか,そういうことじゃないんだ。会社側の都合っていうのかな。人員削減っていうか……」
「要するに,"リストラ"ってことなんですね」
美咲の中では最悪のパターンだった。
自分に非があっての退職勧告なら,すんなり「はい,そうですか」と後腐れなく辞めてもいい。
でも,会社の都合によるリストラとなると,もう「仕方ない」と諦めるしかない。何を訴えても決定が覆ることはないのだろうから。
(でも,なんであたしなの?)
ふと湧いた疑問をぶつけてみようかとも思ったけれど,ムダだと思ってやめた。
リストラとは,得てして理不尽なものなのである。
「――まあ,あと二週間くらいあるし。その間はキチンと働いてもらって,次の就職先はゆっくり探せばいいよ」
他人事みたいに言う店長に,美咲は内心カチンときた。
("ゆっくり"? 冗談じゃないよ! こっちは生活かかってるのに!)
美咲は高校を卒業してから,池袋の賃貸アパート(間取りは1DK)で一人暮らしをしている。
実家からの仕送りはほとんどなく,この店でのアルバイトの収入だけで生活していた。そのために自分の体力の限界ギリギリまでシフトを詰め,この一年やってきたのだ。
その収入が,今月で終わってしまう。来月一〇日に給料が振り込まれたら,それで最後。次の仕事だって,見つかってもすぐに収入があるわけではない。
(もう,"あと二週間"なんて悠長なこと言ってられない! 一刻も早く,次の手を打たないと!)
アルバイト従業員をリストラするのに,次の就業先も世話してくれないような薄情な会社だ。こんなところ,さっさと辞めてしまうに限る!
「店長,もう仕事に戻っていいですか?」
「ああ,そうだね。――仕事中に呼び出して悪かったね,堀田さん」
美咲は「いえ」と取り繕った笑顔で応えて仕事に戻ったけれど,内心では「早く次の仕事を見つけてこんな会社とはおサラバしてやる!」と固く決意していた――。
****
――翌日。この日は美咲のバイトは休み。
前日の固い決心が揺るがないうちに,彼女は職探しをすべく,朝から部屋でノートPCと向き合っていた。
「ハローワークもあんまりアテになんないしなあ……。ネットで探すのが一番手っとり早いよねえ」
美咲はあらゆる求人情報を網羅しているという総合求人サイトを,片っ端からチェックしていた。
できることなら,自分の特技を仕事に活かしたい。――高校卒業前から,そう思って就職活動をしてきた。
実は彼女,中学時代からパソコンに精通しており,WEB関係の仕事に就きたいと思って就職活動に勤しんでいたのだ。
ところがそれはうまくいかず,生活のためにとりあえず始めたカフェでのアルバイトだけで手いっぱいになり,そちらの方はすっかり諦めかけていたのだった。
とはいえ,カフェでの仕事もおざなりにしていたつもりはなかったのだが――。
「――ん? よろず……相談所?」
美咲がその求人情報に目を留めたのは,果たして偶然だったのか,必然だったのか。
『よろず相談所 アシスタント募集
日給七,〇〇〇円 別途交通費支給
PCのスキル有りの人・武道有段者優遇
嵯峨野よろず相談所』
――まさに,美咲のためにあると言っていいほどの好条件である。
ただ,この内容だけでは肝心の仕事内容がどんなものなのか,全くもって分からない。
さしずめ,「詳細は面談で」ということだろう。――つまり,面接を受けなければこの求人情報の謎は解けないということだ。
けれど,美咲にとっては"渡りに舟"だった。思い立ったが吉日というし。
「こういう職種なら,応募する人少ないだろうし。簡単に採用されそう♪」
美咲の指は,ためらうことなくキーボードの上を滑った。
名前・現住所・連絡先などの必要事項と,特技として〈PC操作・実戦空手三段〉と打ち込み,求人に載っているメールアドレス宛てにメールを送信した。
まるで誰かの意志で動かされているかのように,一連の動作は淀みなく行われた――。
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