魔物の森のハイジ

カイエ

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#2

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 ハイジが戦争に向かって一週間が経った。
 このギルドでの仕事もそろそろ終わりである。
 情報収集には便利だったし、ギルドの皆やお客さんたちとも仲良く慣れたので、少し惜しい気持ちもあるが、これ以上は甘えられない。
 きちんと独り立ちする必要がある。

 ミッラからいくつかの仕事が斡旋されてきたが、どれもまともそう仕事だった。

(どれも住み込みの仕事ばかりだ、ありがたい)
(どうせなら女主人のいる食堂が良さそうかな……?)

「ミッラさん、こちらの『ペトラの店』を紹介してくれませんか」
「ああ、決めたのね。うん、ペトラさんはとても立派な方よ」

 いい選択だと思うわ、とミッラ。

「そうですか。良かったです」

 頷くと、ミッラはどこか悪戯な笑顔であたしを見つめていた。
 なんだろう、なんだか居心地が悪い。

「なんですか?」
「随分とハイジさんのことを気にしてたらしいわね」
「……そうですかね?」
「ヘルマンニさんが言ってたわよ。リンはハイジの話ばっかりせがむ、って」
「……そりゃあ、お世話になった人ですし。 それに、戦争に行ってるのだから、気になるのが普通では?」
「まぁ、そうね。……ところでリンちゃん」
「なんでしょう?」
「ハイジのところに行く気はないの?」
「あるわけ無いです」

 何が言いたいんだ、ミッラは。

「じゃあ、とりあえず今日は昼上がりね。『ペトラの店』も夕方には忙しくなるから、それまでには面接に行きなさい」
「はい、何から何までありがとうございます」
「いいのよ、仕事なんだから」

 そう言って、ミッラは『ペトラの店』までの地図を書いて渡してくれる。
 ギルドからそう遠くないようだ。

「……ところでミッラさん」
「何かしら?」
「戦争はどんな状況ですか?」
「あら、やっぱりハイジさんのことが気になる?」
「……」

 なんだろう、ちょっとイラッとした。
 同級生の中にもいたなぁ……他校の男子選手と一言二言言葉をかわしただけなのに、惚れた腫れたと囃し立ててくる子。世界は変わっても、女子の野次馬根性に違いはないということか。

「……そうじゃなくて、場合によってはここだって戦地になるかもしれないわけですし」
「ああ、なるほどね。大丈夫、ここが戦場になるなんてことにはならないわ。……それに、もし心配なんだったら、ペトラさんのところはますますお勧めよ」
「?……何故です?」
「ペトラさんは、元傭兵よ」
「……は?」
「引退してもう随分経つけど、今でもそんじょそこらの男たちには負けないくらい強いわよ」
「……」

 どうも、この世界の常識は、まだまだあたしの予想を超えてくるようだ。


 * * *


「来たね!」

 面接に行くと、巨大な女性が巨大な鍋をぐるぐるとかき回していた。

「ギ、ギルドから紹介されてきました、リンと言います! よろしくおねがいします!」
「ミッラから聞いてるよ。あたしがペトラだ」

 ペトラと名乗った女性の迫力に気圧される。
 背丈は180cmをゆうに超えている。
 全体的にパーンと太っていているのだが、動きがキビキビしていて、だらしない印象は全く受けない。
 体重は100kg を下ることはあるまい。
 娼婦のお姉さんがたもタジタジの迫力あるグラマラスなレディである。

 瞳の色は灰色がかった青で、目つきは鋭い。
 髪の色は茶がかった金髪。三編みをさらに頭に巻いてまとめ、イギリス風の丸いコック帽をかぶっている。
 一言で言うと「大きくてちょっと怖そうなおばさん」という感じなのだが、笑うと人懐っこい表情になる。
 悪意を感じさせない、見ているだけで気分が明るくなるような、気風の良い女性だ。

「あの、こちらで雇っていただけるかもと聞いて来たのですが、面接をお願いできますでしょうか!」

 頭を下げると、ミッラは眉を上げて「驚いたね」と言った。

「随分と丁寧な言葉づかいができるじゃないか」
「そうでしょうか」
「ああ、立派なもんだ。ウチのニコに言葉遣いを教えてやってほしいくらいだね」

 ペトラは体を揺すって豪快に笑う。

「だが、ウチは大衆酒場なのさ。そんなお貴族様みたいな口調じゃやってけないね」
「うぇっ!?」

(これ、断られる流れ?)

 あたしは一考する。
 ミッラはペトラのことを「信頼できる人」と言っていた。
 ハイジまでいい人扱いするような変わった人ではあるが、あたしは基本的にミッラのことを信頼している。
 つまり……これも意地悪で言っているわけではあるまい。
 できればここで雇ってもらいたい。

(お貴族様みたいな口調が気に入らない、のね)
(……ギルドの酒場で、お客たちはどんな風に話してたっけ)

 サッと頭の中で戦略を練る。
 ……よし、これで行こう。

「じゃ、言い方を変えるわ。ペトラ、役に立ってみせるからあたしを雇ってくれない?」
「採用。今晩から入んな」

 (はやっ!)
 (これがこの店のスピード感か。ならば)

「わかった。じゃあ今晩からよろしくね、ペトラ」
「あいよ。仕事は、最初はニコにでも教えてもらいな。……あの子でも、最初くらいは何とか……まぁ、大丈夫だろ、うん」

 心なしか、鍋をかき混ぜるスピードが上がった。
 その「ニコ」という人物に、なにか不安があるのだろうか。

「ニコさんですか。えっと、娘さん?」
「いや、ちっちゃい頃に両親を亡くした子で、あたしが引き取ったんだ。娘じゃない」
「えっ」
「戦争でね」
「あー……」

(戦災孤児ってことか)
(いくつくらいの人だろう。どんな人なのかな)

 難しい人でなければいいな、できれば仲良くできるといいな、などと思っていたら、ドタバタと階段を駆け下りる音。

「ペトラ~! ごめーん、遅くなったぁ」
「遅いよ、ニコ!」
「だって、寝癖がひどくてそのままじゃ店に出られない……あれ、女の子がいるっ!」

 駆け下りてきたのは、小柄な少女だった。
 あたしをみてキョトンとしている。

 目は水色。
 赤の混じった金髪で、三編みのお下げ髪にしている。
 そばかすだらけで、美人なタイプではないものの、愛嬌があって可愛らしい顔をしている。
 あたしよりも10cm くらいは背が低くて、痩せっぽちだ。

「今日からこちらでお世話になることになった、リンと言います。よろしく」
「おー、ペトラが言ってた人かぁ。うん、よろしく、ニコ、です」
「よろしく」

 ニコは、言葉の最後をしどろもどろにする。
 人見知りするタイプなのだろうか。

 ニコは「んんっ」と咳払いをした。

「あたしが先輩だからね。何でも教えてあげる!」

 背筋を伸ばして、澄まし顔。
 みれば、薄っすらと背伸びまでしている。
 どうやらお姉さんぶっているらしい。

(うわ、可愛い)

 あたしはいっぺんにニコを気に入ってしまった。
 考えてみれば、この世界に来て年の近い女性はニコが初めてなのだ。
 ミッラはだいぶ年上だし、ヤーコブはまだ小さい。
 酒場はオジさんばかりで、女性は気風の良い狩人のお姉さんか、娼婦のお姉さんしか来ない。
 貴重だ。ぜひ仲良くしたい。

「うんわかった、あたし何にもわからないから、色々教えてね」

 あたしは精一杯親しげに微笑んで見せる。
 コミュニケーションの第一歩は笑顔。
 しかし、ニコは驚いたように「ほわー」などと言っている。
 やはり人見知りなのだろうか、ちょっと赤面していたりする。
 先輩というよりは、妹みたいだった。
 癒やされる。

「う、うん、任せといて、リンちゃん!」
「初対面で遅刻するところを見せちまっちゃあ、格好がつかないんじゃないか? ニコ」
「はわー! やり直し! 最初からやり直し!」
「できるわけ無いだろ」

 ペトラとニコの会話から、二人の距離感も大体わかった。
 親子でも、姉妹でもないが、主従関係でもない。
 一番近いのは「友達」だろうか。

「じゃあ、早速だけど、ニコさん、仕事を教えてもらえる?」
「ニコでいいよ、リンちゃん! じゃあね、まず着替えを……ペトラぁ、リンちゃんの服どうしよう」
「アンタのを貸して……はやれないよな、どう見ても」
「むーっ」

 ペトラがニコを眺めながら一考する。
 確かに、ニコは小柄で細いので、あたしに服を貸すのは無理だろう。

 あたしは学校の制服しか持っていない。
 今はギルドで借りた制服を着ているが、これだって仕事を辞める時に返さないといけないだろう。

「倉庫に、去年の手伝いの服があるだろうさ。ニコ、案内してやんな」
「わかった! リンちゃん、行こう!」

 ニコがあたしの手を握って、走り出す。
 
(わっ)

 人見知りするかと思えば、スキンシップに躊躇がない。
 日本人とは距離感が違うなーと思いつつ、あたしは素直にニコに着いて行った。


* * *


 住み込みで与えられたのは、店の屋根裏部屋だった。
 ニコと二人部屋である。
 ふと、森小屋の部屋を思い出す。
 あの部屋は一人で使うには広すぎて、寂しかったのだ。
 だから、狭い屋根裏部屋にベッドが二つもあると、なかなかに窮屈ではあったが、そういうのも悪くないと思った。

「このお店は夏に忙しくなるんだ」
「そうなんだ。じゃあ、今はそうでもないのかな」
「今は、暇だねぇ」

 部屋には一応衝立があって、あたしが着替えている間、ニコはその向こうにいる。
 これも、この世界の距離感なのだろう。

「ふぅん……なんであたしを雇ってくれたんだろ?」
「さあ……でも毎年、雪解けの前に一人、お手伝いを雇ってたよ。今年はちょっと早いけど、仕事を覚えるためじゃないかな」

 制服はニコが来ているものと同じものなのかと思ったら、ちょっとおばさんっぽいデザインだった。
 別に可愛い制服を着るために仕事をするわけじゃないので、別に構わない。
 袖の膨らんだ薄茶の花柄ワンピースに袖を通し、白いエプロンをつければ、どうみても店員さんである。

「夏はどのくらい忙しいの?」
「そうだねぇ……目が回るくらい! かなー」
「そんなに? じゃあ、今は?」
「ペトラとあたしで十分回るかな。あっ、でもリンちゃんが来てくれて嬉しいよ」

 衝立の向こうで、パタパタ手をふる気配がする。
 気遣いのできる少女だった。

 衝立から顔を出して「もう良いよ」と伝える。

「わぁ、リンちゃん、店員さんだねぇ」
「似合うかな」
「えっ、う、うーん」
「無理しなくていいから」

 まぁ、あまり似合いはしてない自覚はある。

「去年着てたの、中年のおばちゃんだったから……」
「ふぅん? てっきり若い子だったのかと思った」
「歳が近い子が来たのは初めて! だから、嬉しかったんだぁ」
「あたしも。この世界に来て、初めて年の近い子に会えて、すごく嬉しい」
「リンちゃん、歳いくつ?」
「十八になったばかり。ニコは?」
「……うっ……」

 ニコの笑顔が固まった。

「じゅ、十四……」
「……」

 思ったより年下だった。
 
(この世界の人の年齢、読めないなあ)

「あ、あたしのほうが先輩だもん!」
「わかってる、頼りにしてるよ、ニコ」

パタパタ手をふるニコは、思わず頭をなでたくなるくらい可愛かった。
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