魔物の森のハイジ

カイエ

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#3

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 弓を引き絞る。
 ギチギチときしむ弓音を耳で感じながら、集中力を高めていく。
 まとを中心に、視界がグググと狭まっていく。
 弦と、視界と、集中力が同期していく。
 やがて、感覚の全ての感覚の焦点が合い……、

(ここっ!!)

 三本の矢が放たれる!

「ギャンっ!」

 矢が放たれると、極限まで狭まっていた視界が広角に開く。
 的になる魔獣は角ウサギ……ジャッカロープだ。
 ジャッカロープはねじれた長い角を槍のように使い、自分より遥かに大きな獲物も捉える、危険な魔獣だ。
 今狙っているのは、六匹の小さな群れ。

 放った矢の三本のうち、ジャッカロープに当たったのはたった一本だけ。
 しかも致命傷ならず。
 しっかりと延髄を狙ったはずが、それて矢は肩のあたりに突き立っている。
 残りニ本はあらぬ方向に飛んでいってしまった。

 ジャッカロープたちは突然の攻撃に混乱状態に陥っている。
 逃げたり、隠れたり、中には威嚇してくるものもいる。
 そんな中、手負いの一匹だけは歯を剥き出しながら、敵––––あたしから目を離さない。
 ぐっと姿勢を落とす。襲いかかる前に行う威嚇動作だ。
 
 ジャッカロープは群れで狩りをする。
 こうして狩られる側になったとしても、簡単には狩られてはくれない。
 それどころか、逆に狩り返してやるという強い意志を感じる。

 しかし。

 ヒューッ、と鋭い矢音。
 混乱状態だったジャッカロープが矢音に驚き、一瞬動その作を止め、五本の矢が同時にジャッカロープ達を襲った。

「「「ギャギャンッ!!」」」

 ハイジの放った矢だ。
 矢は、五匹のジャッカロープの延髄ど真ん中に深々と突き立っている。
 正確無比の同時撃ち––––全て、正確に、確実に命を刈り取っている。
 あたしのヘッピリ矢とはえらい違いだ。

 残りは、あたしが仕留めそこねた手負いの一匹だけ。
 手負いウサギは、お友達が殺されても構わず突っ込んでくる––––予想外に速い! あたしはすぐさまナイフを抜いて迎え討つ。
 ジャッカロープの動きは素早いが、ぴょんぴょんと跳ねながら走るので、隙が多い。両足が地面から離れたタイミングで避ければ、敵は方向転換はできない。避けるのは容易だ。
 ジャッカロープの牙は鋭いが、警戒するのは角だけでいい。接近戦ならナイフのほうが強いからだ。
 すれ違いざまにできるだけ短く、鋭く腕を振って、頸動脈を切断。
「ギャン!」と悲壮な鳴き声を上げて、ジャッカロープから血がほとばしる。
 哀れなジャッカロープはそのまま倒れ、血を撒き散らして痙攣しているが、すぐに息絶えて動かなくなる。。

 この間、十秒ほど。
 あたしは短くため息をついて肩を落とす。

「だめね……二本までならなんとかなるけど、三本になると急に全部当たらなくなる」

 後ろに立っていたハイジが一歩踏み出して傍らに立ち、ゆっくりと弓を引き絞る。
 これは「見ろ、覚えろ」ということだ。
 だから、あたしは、じっと見る。覚える。

 ハイジの構える弓は巨大だ。あたしの弓の三倍近くはある。
 自分の弓を与えられる前に一度、引かせてもらったことがあるが、そもそも弦を引くことすらできなかった。
 本当にびくともしなくて、意地になったあたしは、足と両手で弦を引っ張ろうとしたら拳骨を食らったが、その三日後に、ハイジはあたしの体格に合わせた弓を作って与えてくれた。
 少ない力で引ける扱いやすい弓だ。
 驚いたことに弓は花のレリーフで装飾されていた。
 ちょっと感激して、可愛くてお洒落だねと言ったら、格好のためではなく、手に馴染むためには、自分の弓だとひと目でわかることが大事なのだと言われた。
 あたしはがっかりした。

 ハイジが弓を放つ。
 矢は無音で飛んでいき、はるか遠くに見える白樺に「ズガン!!」と派手な音で突き刺さった。
 音と振動で、鳥がバサバサと飛び去っていく。

(うわぁ、白樺の木を貫通してるよ……)

 あたしはハイジの一挙手一投足を、すべて糧にしようと集中する。
 ハイジの技術は凄まじくて、的を外すところはまだ一度も見たことがない。
 矢を矢筒から抜いてから射るまでに一秒もかからないし、複数本の同時射ちや、何十本も連射したりと自由自在だ。
 おまけに風切音を鳴らしたり、無音で放ったりも自在。
 魔獣は、動いているときに矢音を聞くと、警戒のために一瞬体がこわばる。
 動いている魔獣を狩るときは音を鳴らし、止まって警戒している魔獣なら無音で放つ。
 全ての魔獣の習性をよく理解しているからこその使い分けである。

 ハイジは残心を解くと、ザクザクと雪を踏みしめて矢の回収に向かう。
 あたしはあたしで自分の矢を探す。

(ハイジ探すのが簡単でいいわね。なんたって、全部が的に当たってるんだから)

 自分の矢を探すのはなかなか骨が折れるが、見つかるまで探させられるのがわかっているので、自分の射った矢の位置はしっかりと把握している。
 矢をそのまま引き抜くとやじりが肉に埋もれてしまうので、回収前に矢傷にナイフを突き刺して広げててやる。
 この季節なら、水は雪という形で回りにいくらでもあるので、ナイフと矢をサッと雪で拭う。

 矢を回収したら、ジャッカロープも回収である。
 その場ですぐに血抜きして、腹を裂いて内蔵を取り出す。
 腎臓と心臓は食べられるので残す。
 それ以外の内蔵は、埋めずにそのへんに積んでおく。
 こうすれば、死肉漁りの魔獣が集まってくるので、一網打尽にできるからだ。

 こうして、早朝の狩りの訓練を終える。

 小屋に帰れば、ジャッカロープの処理をしてから昼食だ。
 見れば、右手の指に痣ができている。矢を引くときに、まだまだ正しく引けていないようだ。反省。
 反省終わり。まぁいい、どうせ夜には治るのだ。
 それよりもお腹が空いた。温かいスープとパンが恋しい。

 森の生活は、するべきことが多い。
 作業は黙々と行われる。あたしとハイジの会話は必要最低限。
 ハイジは話しかけられるのもあまり得意ではないようだ。
 しかし、その静けさは不快なものではなかった。
 はじめは少し苦痛だった沈黙も、今ではどこか心地よさを感じるまでになっている。

 裏小屋でジャッカロープを捌く。
 もう慣れたものだ。
 はじめは人間の赤ん坊に似たそのフォルムが苦手でしかたなかったが、今では旨そうな食材にしか見えない。

(色ツヤが良くて旨そうな肉ですなぁ)
(惚れ惚れしちゃうぜ)

 皮を剥ぐのはまだまだ下手くそだが、肉を切り分けるのは随分得意になった。
 肉を分割するには関節に刃を入れる。関節まわりは脂肪がつくので、慣れればすぐわかる。
 当たりをつけてぐっと刃を押し込むと、ほとんど抵抗なく、軟骨を断ち切る心地よい感触とともに、肉はきれいに分割される。

 すぐに食べるなら骨付きでも構わないが、塩漬けや燻製にするなら骨は取り外す必要がある。
 骨に沿って刃を滑らせ、開き、骨のまわりの筋や膜を断ち切りながら、できるだけ肉が残らないようにうまく骨を抜く。
 きれいに形を揃えられると、なんともいえない達成感がある。

 捌いた肉は分別して、脂肪の少ないものは燻製用に、それ以外は強めの塩漬けにする。
 燻製はまとめて大量に行うので、今日の作業はこれで終わりだ。
 水を張ったバケツに血で汚れた矢を放り込み、着替えを水に漬け、それから昼食だ。

 野菜と燻製肉のスープと、酸味のあるパン––––このパンは恐るべきことに、なんとハイジの手作りである––––で、いつもどおりの昼食を済ませる。

 こんな風に森の一日は始まる。

 この世界の暦は元の世界とほぼ同じで、一週間が七日、一ヶ月が三十日、一年は360日。
 ただし、呼び方だけが違う。
 今は真珠の月の終わりごろ。地球なら2月に相当する。雪が降り積もって月夜に輝く様が真珠のようだからだという。
 とはいえ、雪の中に少しずつだが緑が顔を見せ始めている。
 そろそろ雪解け月――あとひと月もすれば、また街で出て、酒場で働くことに行かなければならない。
 ハイジは夏の間、傭兵として戦いに行くらしい。

 今の時間を大事にしなければ。

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 三章スタートです。
 ここからはリンのターン。
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