魔物の森のハイジ

カイエ

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#4

幕間 : Heidi 11

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 ハイジの悪い予感は的中した。
 謁見の日の夜、アゼムに伴って登城したハイジは、ライヒ卿の本当の姿を知る。

 ライヒ卿は、有り体に言えば仕事中毒ワーカホリックだった。聞けば一日二時間ほどしか眠らず、食事すらも仕事をしながら摂る始末だという。

「おーい、約束通り来たぜ」
「この書類が終わるまで待っててくれ。すぐ終わる」
「そこの棚にある酒、飲んでいい?」
「好きにしろ」

 アゼムの態度はおよそ貴族に対するものではない。ハイジはヒヤヒヤしたが、ライヒ卿は気にした様子もない。というよりは、ライヒ卿自体が全く貴族には見えなかった。いつ見ても仕事ばかりしていて、周りの貴族たちの何倍も働いている。
 一体いつ休んでいるのだろうか。


 ▽


 仕事を一区切りさせたライヒ卿は、ハイジにもアゼム同様に接した。
 偉そぶらない、と言えば聞こえは良いが、これでは『魔物の谷』の仲間と変わらないではないか。貴族といえば、平民を見下し、足蹴にしてふんぞり返っているものじゃなかったのか。漠然とそう決めつけていたハイジは酷く困惑した。
 よくよく考えてみれば、ハイジは貴族のことを何も知らなかった。初めて知った貴族がハーゲンベックだったせいで、貴族イコール敵、貴族はすべからく人間のクズだと勝手に思い込んでいたのだ。
 それにライヒの雰囲気は誰かに似ている気がする。しばらく考えて思い当たる。ヨーコと似ている。ライヒ卿はヨーコと比べると冷たい感じはしないものの、どこか通じるものがあるように感じた。

「あー、わかるわかる。だってヨーコあいつも貴族だしな」
「は?!」
「ヨーコの実家はハーゲンベックにやられて没落したんだよ。エリメンタリ家は没落したとはいえ、貴族に違いはないぞ」
「……」

 身近な貴族の存在に気付いていなかったことを知ったハイジは、そのうちに諦めの境地に達した。ライヒ卿との付き合い方も、次第にヨーコと同じようにぞんざいなものになっていく。というよりは、あまりに普通に接してくるものだから、かしこまるのがバカバカしくなったのだ。
 そしてライヒ卿も、かしずかれるよりも少々乱暴なくらいの気の知れた付き合い方を好んだ。アゼムもそれが解っていて、傭兵仲間と同じように接しており、ライヒ卿もそれを喜んでいるようだ。

 しかし、ハイジはライヒ卿の書き記した書籍を読み漁るうちに、深い尊敬の念を抱くようになった。ハイジは、これまで漠然とハーゲンベックを打倒することばかりを考えてきたが、そのやり方では到底目的は達成できないと漸く理解した。

 ライヒ卿には野望があるという。その野望は多岐にわたるが、それにはハーゲンベックなどの軍事や圧政で肥え太った貴族のも含まれていた。
 ライヒ卿は貴族の本質は政治だと考えている。まつりごと政治家きぞくだけでは成り立たない。生活を営む領民がおり、農業や狩猟や商業があり、流通があり、そこから税収があって、はじめて政治は意味を持つ。すなわち経済だ。また、貴族は軍人でもある。貴族は領民を守り、運用を助けることが役割である。だからこそ貴族に権力が集中している。その貴族が何も考えずに好き放題やれば、結局のところ政治がうまくいかず、領民が飢え、税収も滞り、政治家たる貴族も立ちいかなくなる。政治家としての義務を果たさない貴族など、百害あって一利なしだ。尊敬に値しない。貴族が領民の生活と安全を優先すれば、領全体が潤い、結局上に立つ貴族も得をする。貴族か領民のどちらか一方が得をするかではないのだ––––と、事程左様にライヒ卿の思想は非常に近代的モダン現実的リアリスティックだった。善悪よりも、貴族のプライドよりも、領全体の利益を優先するという経済優先の考え方に、ハイジは大変感銘を受けた。そして、ハイジは自分が暴力装置でしかないことを理解しているがゆえに、ライヒ卿–––否、友人であるライヒの野望のために、命を賭けることを自分に誓った。

 誓ったその日から、ハイジはライヒの騎士となったが、自分に騎士などという身分が似合わないこと、そしてライヒとの良好な関係のためには、傭兵というより自由な立場でいるほうが都合が良い。ハイジは返品不可だと言われた爵位を返上し、ただライヒの忠実な友であり続けることを誓った。

 かくして、王国随一のインテリ貴族と、王国随一の暴力装置が友情で結ばれた。


 ▽


 ユウキはハイジたちと別れ、ヴォリネッリの中央図書館で務めるようになった。
 ハイジにはハーゲンベックを打倒するという目的がある。そのためにはユウキの存在は障害にしかならない。ハイジはユウキを冷たく突き放した。
 対してユウキはハイジのことを実の兄か何かのように慕っていて、別れ際も涙々の別れになる始末だった。ハイジは内心そのことを気に病んでいたが、表面では何事もなかったかのように振る舞った。

 ハイジがユウキに冷たかったのには他にも理由があった。

(『はぐれ』を見ると、アンジェを思い出す)

 ハイジにとってはアンジェとの思い出は大切で、かつ一番思い出したくない記憶と密接に結びついている。要するにハイジは『はぐれ』という存在が苦手だったのだ。
 しかし、ハイジが心に決めた主君ライヒが『はぐれ』の子であること、そして王国中央図書館に務めるユウキが甲斐甲斐しく手紙を添えてハイジの好みそうな本を送りつけてきたりして、頑ななハイジの心も少しずつ柔らかくなってきている。

 さらに言うと––––ライヒの野望の一つには『はぐれ』の地位向上とというものがあった。
 有効活用などというと偽悪的ではあるが、ヘルマンニの説明からもわかるように、この世界ではそのあり方や見た目の不吉さから『はぐれ』は迫害の対象である。しかし、同時に科学的なパラダイムシフトは大抵の場合『はぐれ』からもたらされているという一面もある。魔力的にも才能も豊かな『はぐれ』を迫害し続けるよりは、上手に付き合っていけるほうが何かと良い。
『はぐれ』の有用さは他領の貴族や、利益に目ざとい商人達も目をつけている。そのため、奴隷として、愛人として囲い込もうとあらゆる手を尽くす。ライヒにはそれが気に入らない。自分の母も父親に囲い込まれた『はぐれ』だったこともあるし、第一それほど有用であるならなぜ迫害などするのだ。
 本当に不吉な存在であるなら手出しすべきではない。だがほとんどの『はぐれ』は体が弱く、善良かどうかはともかくとして犯罪に手を染めるような者はほとんど居ない。むしろ平均的なこの世界の人間よりは、よほどモラルが高い。奉仕精神があり、恩に報い、精神性が高い傾向がある––––というよりは、この世界の平均的な人々のモラルが低いだけかもしれないが(ライヒは母親に育てられているため、この辺の感覚は日本人に近い)、どちらにせよ迫害するよりも受け入れるほうが双方にとってメリットがあるだろう。要するに、良くも悪くも特別扱いすることはないということだ。

 ライヒ領では、ライヒ卿の人気の高さから『はぐれ』に対する偏見は少ない。しかし王国全体では未だ迫害と搾取の対象だ。そうした事情をライヒから知らされたハイジは、少しずつアンジェへの執着を脇において、『はぐれ』の存在に対する守護者ガーディアンとして活動することを決意した。特に、魔物の領域と戦場には、できる限り顔を出すようになった。『はぐれ』はそうした魔素溜まり(ヘルマンニに言わせれば『死溜まり』)に発生するからだ。

 ライヒという『はぐれ』と貴族の間に生まれた一人の天才の出現で、世界は大きく変わり始めている。しかし、畝るように変質していく世界の裏に、『魔物の谷』の四人が深く関わっていることを、人々が知ることはなかった。
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