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#4
幕間 : Heidi 12
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初めて出会った時、その女傭兵は敵だった。
▽
リヒテンベルクは戦争屋である。ライヒ戦で白旗を上げた後も、様々な小国にちょっかいを掛けている。そのため『魔物の谷少年傭兵団』とぶつかることも多かった。
戦争屋としては、戦えない平民よりも戦士を優遇するのは当然である。リヒテンベルクでは勇敢に戦えば戦うほど領主から恩恵を得られる。兵糧の質も高く、長戦の場合は娼館やカジノなどの娯楽も用意される。そのため兵のモチベーションも高い。
そんな中、紅一点混じっていたのがその女傭兵だった。
女傭兵は背が高く、グラマラス。恐ろしく整った顔と見事なスタイルを見せつけるかのような軽装だ。燃えるような鋭い瞳で不敵に笑っている。
傭兵などよりは、オペラ座のほうがよほど似合いそうなゴージャスな美人だった。
遠見で敵を探るヘルマンニは、始め「なんで娼婦が参戦しようとしてやがんだ?」と訝しがったが、すぐにその考えを打ち消した。それほどまでに女傭兵は好戦的に見えた。戦いたくてウズウズしているのが見て取れる。
しかし腕の方は大したことはなさそうだ。それなりに鍛えられているとはいえ、女の細腕で身の丈に合わない大剣などを担いでいる。経験豊富な傭兵ならそんな馬鹿なことはしない。
「つまり、戦いたがりの夢見がちなお嬢さんだということだな」
ヘルマンニから「変なのがいる」と報告を受けたアゼムはそう判断すると、すぐにハイジに女傭兵の捕縛を命じた。
この戦の雇い主はライヒ卿ではない。つまり兵たちのモラルは決して高くない。万一その女傭兵が捕虜となれば、兵たちが好き放題するのは目に見えている。万一それをハイジが目にしようものならどうなるか––––アゼムは背筋を震わせた。
ハイジは間違いなく暴走する。そうなれば敵だろうが味方だろうが関係ない。その場にいる男たちを皆殺しにする。怒り狂うハイジはアゼムでも止められないだろう。それほどハイジは強くなっている––––あくまでフィジカルな部分だけだが。
もしそんなことになれば、軍は瓦解する。ハイジ一人の暴走を止めるだけで、リヒテンベルクと戦うことよりも厄介なことになる予感しかしない。敵がいきなり倍になるようなものだ。
索敵中に女を発見しただけでそこまで読み切った、ヘルマンニのファイン・プレーだった。
▽
「離しなさいよッ!」
アゼムから「経験不足の婦女子が自身の実力を見誤って参戦しているから保護して差し上げろ」と命じられたハイジは、あっさりと女傭兵を捕らえた。どうせ捕らえるなら味方に被害が出る前にすべきだと、儀礼戦の開始を報せる法螺貝が鳴らされた瞬間に敵陣に飛び込み、女を捕らえて自陣に連れ帰った。
女は怒り狂って暴れているが、ハイジはどこ吹く風だった。
「何よッ! バカにしてッ! 聞いてるの?! アンタのことよ! ねぇッ!」
女はハイジを指差してヒステリックに怒鳴っている。どうやら、戦う気満々だったのに、自慢の大剣をあっさりと弾き飛ばされた挙げ句、まるで相手にされなかったことが気に食わないらしい。あるいは豆の詰まった麻袋みたいに肩に担いでお持ち帰りされたことか––––その両方かもしれない。
「何であたしを斬らないの! アンタの実力ならあたしなんて簡単に斬れるでしょうに!」
「……女と戦う気はない」
「はぁ?! 女だから……?! そんな理由?! バカにしてッ! 戦士を侮辱するつもりなのッ?!」
「戦士? その形でか」
「何よッ!」
「剣が身の丈に合ってない。お前の体格なら細剣だ。それになんだその格好は。踊り子でもあるまいし、革鎧くらいしろ。何が戦士だ、笑わせるな」
ハイジにしては珍しく饒舌だが、それは女傭兵の態度とは無関係に、ハイジにとって女子供は守るべきものという認識であり、この状況に困惑しているだけだ。しかし女傭兵はそれを聞いて侮辱されたと感じたようだ。顔を真赤にして激昂している。
「バカにしてッ! どうせアンタもあたしの体が目当てなんでしょうがっ! 好きにすればいいわ! 戦うと決めたときからそのくらいのことは覚悟しているもの!」
「……黙れ」
女の言葉にハイジはつい本気で威圧した。その言葉は看過できなかった。女や子供などの弱者を搾取することは、ハイジにとっては究極の禁忌である。ハーゲンベックの連中と同列に語られることを、ハイジは許せなかった。
ハイジに威圧された途端、女傭兵は「ヒグッ」と息をつまらせた。濃厚な殺気に息をすることもできない。手さえ触れずに殺される。女傭兵は自分と眼の前にいる陰鬱な顔の大男との実力の差の一端を否応なしに理解させられた。
「……すまん」
ハイジにしてみれば、ちょっと怒ってみせただけのつもりだったが、呼吸ができずみるみるうちに顔色を浅黒くさせていく女を見て、慌てて威圧を解いた。
「がはッ……! ハァッ! ハァッ!……」
呼吸を取り戻した女にハイジは近寄ろうとし、しかし女の目に明らかな恐怖があることに気づき、ぎくりと立ち止まった。ハイジは激しく狼狽した。敵に畏れられるだけなら別にいい。しかし弱きものに恐れられるというのは何とも不快だった。それではハーゲンベックの連中と変わりないではないか。守るどころか、自分が存在しているだけで目の前の女を傷つけてしまうという事実にハイジは酷く落ち込んだ。グッと唇を噛み締め、しまいには諦めて元の位置に座って無視を決め込むことにした。要するに現実逃避である。
しばらくゼイゼイと息を斬らせていた女傭兵は、しばらくしてハイジに恐る恐る話しかけてきた。
「ねぇ……これからあたし、どうなるの?」
気丈に振る舞っていても、不安なのだろう。戦争に参加するのは初めてだったが、剣を振るう暇もなく捕虜になってしまった。払いのよいリヒテンベルクと違い、敵方には余裕がなさそうだ。つまり捕虜など邪魔になるだけだ。ならば自分の扱いはどうなるか。兵たちの慰み者にされるか、僅かな金銭と引き換えに奴隷にでもされるか。
しかし、目の前の大男は興味なさそうに答えた。
「どうもならん」
「どうもならん、って……どういう意味よ」
「そのままの意味だ。どうこうするつもりはない。戦が終われば地元に帰るなりなんなりしろ」
「なっ……じゃあ、なんのためにあたしを捕虜にしたのよ!」
「知らん。師匠は『間違えて婦女子が迷い込んでるから保護しろ』と言っていたな」
ハイジのあまりの言い草に、女はカッとなったが、目の前にいる男が圧倒的強者であることを思い出し、しょんぼりと引き下がった。
ペラリ、ペラリとハイジがめくる頁の音以外は、遠くから聞こえてくる怒号だけだ。本当ならハイジはすぐにでも参戦したかったが、師匠からこのやかましい女の世話を厳命されているので、仕方なくユウキから送られてきた本をめくっているというわけだ。
女は何度も話しかけようとして、その都度諦めるを繰り返したが、とうとう独り言のようにポツリと言葉を発した。
「帰るところなんて、ないもの」
ペラリ、と頁をめくる音だけが返ってくる。ハイジには何の反応もない。完全に無視している。
女は再度カッとなったが、先ほど自分を威圧してしまったときの男の様子を思い出し、きっと自分を傷つけてしまうことを畏れているのだろう、と理解した。それは実に正鵠を射ている。ハイジは弱者を傷つけてしまうことを極端に恐れている。だから女子供を前にどうしていいかわからなくなると、自分の殻に閉じこもってしまう悪癖があった。
「ねぇ、聞いてるの」
「……なんだ」
「あたし、帰るところがない」
「だからどうした」
ハイジに悪気は無いのだが、弱者に対してはどうしても態度が硬化する。自ら望んで異常なまでに肥大化させた体と、感情が揺らぐだけで相手を傷つけてしまう性質のせいで、ハイジはできる限り弱者とは距離を起きたがっている。何しろ、自分はただの暴力装置なのだ。弱者のために生きることを自分に課しているが、同時に弱者にとっても自分は危険な存在なのである。このジレンマで、ハイジは弱者に対してすっかり心を閉ざすようになった。
そうした様子を、女傭兵はなんとなく察したようで、諦めてそのまま話し続けることにした。なにしろ、沈黙に絶えられなかったし、ついでに目の前の男に思うところがあったのだ。
「ねぇ、歳はいくつ?」
「お前に何の関係がある?」
「別にいいじゃないの、そのくらい」
「……悪いが、話しかけないでくれ」
にべもない。しかし女傭兵は諦めなかった。
「アンタはあたしに興味がないかもしれないけど、あたしを捕虜にしたんだから、話くらい聞きなさいよ」
「……なんだ」
ハイジは不機嫌そうに返事をした。できれば勘弁してほしかった。女の態度は生意気だし、かといって自分がそれに苛つけば、簡単に相手が傷つく。触れただけで壊れる高価なガラス細工で食事をしろと言われるようなものだ。弱者を傷つけることを何より忌避するハイジにとって、目の前の女は屈強な敵兵より恐ろしい相手だった。
それを知ってか知らずか、女はハイジとの会話を試み続ける。
「だから、歳」
「……二十四だ」
「思ったより若いのね。あたしは十九よ」
だからどうした、とハイジは思った。
「名前、何ていうの?」
「何なんだお前は……」
困惑し、ため息を付きながらも、ハイジは答えた。
「ハルバルツだ」
「へぇ、東方の名前ね」
「……そうなのか?」
「ええ。北部では珍しい名前ね。あたしは生まれも育ちも北部だけど、死んだ父が東方の生まれだったから、何度も行ったことがあるわ」
「そうか」
「……ねぇ、こういう時、普通「お前はなんて名前なんだ」って訊くもんじゃない?」
何度目かもわからないため息を付いて、ハイジは知りたくもない質問を嫌々口にした。
「……名前は?」
女はニッコリと笑って答えた。
「ペトラ。––––マリア・ペトラ・サンデマンよ」
▽
リヒテンベルクは戦争屋である。ライヒ戦で白旗を上げた後も、様々な小国にちょっかいを掛けている。そのため『魔物の谷少年傭兵団』とぶつかることも多かった。
戦争屋としては、戦えない平民よりも戦士を優遇するのは当然である。リヒテンベルクでは勇敢に戦えば戦うほど領主から恩恵を得られる。兵糧の質も高く、長戦の場合は娼館やカジノなどの娯楽も用意される。そのため兵のモチベーションも高い。
そんな中、紅一点混じっていたのがその女傭兵だった。
女傭兵は背が高く、グラマラス。恐ろしく整った顔と見事なスタイルを見せつけるかのような軽装だ。燃えるような鋭い瞳で不敵に笑っている。
傭兵などよりは、オペラ座のほうがよほど似合いそうなゴージャスな美人だった。
遠見で敵を探るヘルマンニは、始め「なんで娼婦が参戦しようとしてやがんだ?」と訝しがったが、すぐにその考えを打ち消した。それほどまでに女傭兵は好戦的に見えた。戦いたくてウズウズしているのが見て取れる。
しかし腕の方は大したことはなさそうだ。それなりに鍛えられているとはいえ、女の細腕で身の丈に合わない大剣などを担いでいる。経験豊富な傭兵ならそんな馬鹿なことはしない。
「つまり、戦いたがりの夢見がちなお嬢さんだということだな」
ヘルマンニから「変なのがいる」と報告を受けたアゼムはそう判断すると、すぐにハイジに女傭兵の捕縛を命じた。
この戦の雇い主はライヒ卿ではない。つまり兵たちのモラルは決して高くない。万一その女傭兵が捕虜となれば、兵たちが好き放題するのは目に見えている。万一それをハイジが目にしようものならどうなるか––––アゼムは背筋を震わせた。
ハイジは間違いなく暴走する。そうなれば敵だろうが味方だろうが関係ない。その場にいる男たちを皆殺しにする。怒り狂うハイジはアゼムでも止められないだろう。それほどハイジは強くなっている––––あくまでフィジカルな部分だけだが。
もしそんなことになれば、軍は瓦解する。ハイジ一人の暴走を止めるだけで、リヒテンベルクと戦うことよりも厄介なことになる予感しかしない。敵がいきなり倍になるようなものだ。
索敵中に女を発見しただけでそこまで読み切った、ヘルマンニのファイン・プレーだった。
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「離しなさいよッ!」
アゼムから「経験不足の婦女子が自身の実力を見誤って参戦しているから保護して差し上げろ」と命じられたハイジは、あっさりと女傭兵を捕らえた。どうせ捕らえるなら味方に被害が出る前にすべきだと、儀礼戦の開始を報せる法螺貝が鳴らされた瞬間に敵陣に飛び込み、女を捕らえて自陣に連れ帰った。
女は怒り狂って暴れているが、ハイジはどこ吹く風だった。
「何よッ! バカにしてッ! 聞いてるの?! アンタのことよ! ねぇッ!」
女はハイジを指差してヒステリックに怒鳴っている。どうやら、戦う気満々だったのに、自慢の大剣をあっさりと弾き飛ばされた挙げ句、まるで相手にされなかったことが気に食わないらしい。あるいは豆の詰まった麻袋みたいに肩に担いでお持ち帰りされたことか––––その両方かもしれない。
「何であたしを斬らないの! アンタの実力ならあたしなんて簡単に斬れるでしょうに!」
「……女と戦う気はない」
「はぁ?! 女だから……?! そんな理由?! バカにしてッ! 戦士を侮辱するつもりなのッ?!」
「戦士? その形でか」
「何よッ!」
「剣が身の丈に合ってない。お前の体格なら細剣だ。それになんだその格好は。踊り子でもあるまいし、革鎧くらいしろ。何が戦士だ、笑わせるな」
ハイジにしては珍しく饒舌だが、それは女傭兵の態度とは無関係に、ハイジにとって女子供は守るべきものという認識であり、この状況に困惑しているだけだ。しかし女傭兵はそれを聞いて侮辱されたと感じたようだ。顔を真赤にして激昂している。
「バカにしてッ! どうせアンタもあたしの体が目当てなんでしょうがっ! 好きにすればいいわ! 戦うと決めたときからそのくらいのことは覚悟しているもの!」
「……黙れ」
女の言葉にハイジはつい本気で威圧した。その言葉は看過できなかった。女や子供などの弱者を搾取することは、ハイジにとっては究極の禁忌である。ハーゲンベックの連中と同列に語られることを、ハイジは許せなかった。
ハイジに威圧された途端、女傭兵は「ヒグッ」と息をつまらせた。濃厚な殺気に息をすることもできない。手さえ触れずに殺される。女傭兵は自分と眼の前にいる陰鬱な顔の大男との実力の差の一端を否応なしに理解させられた。
「……すまん」
ハイジにしてみれば、ちょっと怒ってみせただけのつもりだったが、呼吸ができずみるみるうちに顔色を浅黒くさせていく女を見て、慌てて威圧を解いた。
「がはッ……! ハァッ! ハァッ!……」
呼吸を取り戻した女にハイジは近寄ろうとし、しかし女の目に明らかな恐怖があることに気づき、ぎくりと立ち止まった。ハイジは激しく狼狽した。敵に畏れられるだけなら別にいい。しかし弱きものに恐れられるというのは何とも不快だった。それではハーゲンベックの連中と変わりないではないか。守るどころか、自分が存在しているだけで目の前の女を傷つけてしまうという事実にハイジは酷く落ち込んだ。グッと唇を噛み締め、しまいには諦めて元の位置に座って無視を決め込むことにした。要するに現実逃避である。
しばらくゼイゼイと息を斬らせていた女傭兵は、しばらくしてハイジに恐る恐る話しかけてきた。
「ねぇ……これからあたし、どうなるの?」
気丈に振る舞っていても、不安なのだろう。戦争に参加するのは初めてだったが、剣を振るう暇もなく捕虜になってしまった。払いのよいリヒテンベルクと違い、敵方には余裕がなさそうだ。つまり捕虜など邪魔になるだけだ。ならば自分の扱いはどうなるか。兵たちの慰み者にされるか、僅かな金銭と引き換えに奴隷にでもされるか。
しかし、目の前の大男は興味なさそうに答えた。
「どうもならん」
「どうもならん、って……どういう意味よ」
「そのままの意味だ。どうこうするつもりはない。戦が終われば地元に帰るなりなんなりしろ」
「なっ……じゃあ、なんのためにあたしを捕虜にしたのよ!」
「知らん。師匠は『間違えて婦女子が迷い込んでるから保護しろ』と言っていたな」
ハイジのあまりの言い草に、女はカッとなったが、目の前にいる男が圧倒的強者であることを思い出し、しょんぼりと引き下がった。
ペラリ、ペラリとハイジがめくる頁の音以外は、遠くから聞こえてくる怒号だけだ。本当ならハイジはすぐにでも参戦したかったが、師匠からこのやかましい女の世話を厳命されているので、仕方なくユウキから送られてきた本をめくっているというわけだ。
女は何度も話しかけようとして、その都度諦めるを繰り返したが、とうとう独り言のようにポツリと言葉を発した。
「帰るところなんて、ないもの」
ペラリ、と頁をめくる音だけが返ってくる。ハイジには何の反応もない。完全に無視している。
女は再度カッとなったが、先ほど自分を威圧してしまったときの男の様子を思い出し、きっと自分を傷つけてしまうことを畏れているのだろう、と理解した。それは実に正鵠を射ている。ハイジは弱者を傷つけてしまうことを極端に恐れている。だから女子供を前にどうしていいかわからなくなると、自分の殻に閉じこもってしまう悪癖があった。
「ねぇ、聞いてるの」
「……なんだ」
「あたし、帰るところがない」
「だからどうした」
ハイジに悪気は無いのだが、弱者に対してはどうしても態度が硬化する。自ら望んで異常なまでに肥大化させた体と、感情が揺らぐだけで相手を傷つけてしまう性質のせいで、ハイジはできる限り弱者とは距離を起きたがっている。何しろ、自分はただの暴力装置なのだ。弱者のために生きることを自分に課しているが、同時に弱者にとっても自分は危険な存在なのである。このジレンマで、ハイジは弱者に対してすっかり心を閉ざすようになった。
そうした様子を、女傭兵はなんとなく察したようで、諦めてそのまま話し続けることにした。なにしろ、沈黙に絶えられなかったし、ついでに目の前の男に思うところがあったのだ。
「ねぇ、歳はいくつ?」
「お前に何の関係がある?」
「別にいいじゃないの、そのくらい」
「……悪いが、話しかけないでくれ」
にべもない。しかし女傭兵は諦めなかった。
「アンタはあたしに興味がないかもしれないけど、あたしを捕虜にしたんだから、話くらい聞きなさいよ」
「……なんだ」
ハイジは不機嫌そうに返事をした。できれば勘弁してほしかった。女の態度は生意気だし、かといって自分がそれに苛つけば、簡単に相手が傷つく。触れただけで壊れる高価なガラス細工で食事をしろと言われるようなものだ。弱者を傷つけることを何より忌避するハイジにとって、目の前の女は屈強な敵兵より恐ろしい相手だった。
それを知ってか知らずか、女はハイジとの会話を試み続ける。
「だから、歳」
「……二十四だ」
「思ったより若いのね。あたしは十九よ」
だからどうした、とハイジは思った。
「名前、何ていうの?」
「何なんだお前は……」
困惑し、ため息を付きながらも、ハイジは答えた。
「ハルバルツだ」
「へぇ、東方の名前ね」
「……そうなのか?」
「ええ。北部では珍しい名前ね。あたしは生まれも育ちも北部だけど、死んだ父が東方の生まれだったから、何度も行ったことがあるわ」
「そうか」
「……ねぇ、こういう時、普通「お前はなんて名前なんだ」って訊くもんじゃない?」
何度目かもわからないため息を付いて、ハイジは知りたくもない質問を嫌々口にした。
「……名前は?」
女はニッコリと笑って答えた。
「ペトラ。––––マリア・ペトラ・サンデマンよ」
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