魔物の森のハイジ

カイエ

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#5

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 最前線は精兵たちの舞台である。あたしのような無名の兵は中央を避けて回り込んで戦う。弱卒は弱卒同志でどうぞ、ということだ。
 といっても、数合わせで集められたような兵にまともな戦働きなどできるわけもなく、ほとんどは一度も剣を合わせることなく終わるらしい。
 戦略も何もありはしない。単純で原始的な戦いだ。ならば、あたしは戦う機械になろう。
 
 最初に遭遇した敵は、見るからに練度の足りていない青年だった。
 気配遮断をしていても、目一杯動いていればそれなりに目につくものだが、全力疾走するあたしに気付いてすらいない。
 つまりは弱い。殺す価値はない。
 それでも敵の力を削ぐためには、ちょっと痛い目を見て貰う必要がある。
 どうせ戦うのだ。相手に容赦するのは敗者の発想だ。
 あたしは青年の剣を叩き折り、同時に手の健を断ってやる。
 
「ぎゃっ!」

 青年は何が起きたか解っていないようだ。しかし、これで当分の間は剣を持つことができまい。
 これは何も親切心でやっているわけではない。殺してしまえばそれまでだが、怪我をした兵士は、軍が治療するなり何なりする必要がある。戦死者よりも負傷者のほうが軍の負担は大きい。ハーゲンベック軍のお荷物を増やしてやったというわけだ。
 その点、話を聞く限りハイジら過去の英雄たちはバカだと思う。
 ガンガン殺して、相手を本気にさせるばかりだ。
 どうせならけが人だらけにしてやったほうが、相手の戦意を削ぎ、行軍スピードを落とすのにも役立つだろうに。
 
 一人を斬ったことで、注目が集まる。
 ある程度は気配遮断が効いているので、細かい見た目まではわからないだろうが、チンチクリンの女であることくらいはわかるはずだ。
 無謀にも見えるあたしの特攻に、相手は驚き、そして中には景気づけに殺してやろうとでも思ったのか、襲いかかってくる者もいた。
 でも、その攻撃はあまりにも甘くて。
 
 ––––ギャギャギャギャギィン!
 
 全員の剣を叩き切り、利き手の剣を経つ。
 
「ぎゃあッ!」「何だ!?」「手っ! 俺の手がッ!!」

 そのまま更に特攻。
 すれ違いざまに、弱兵たちが戦えないように、武器を破壊し、健を切って切って切りまくった。
 
 後方で敵と味方がぶつかっているのが聞こえる。
 
(ようやく激突か)

 遅い。遅すぎる。
 この世界の戦い方は、元の世界の現代戦を知る者の感覚からすれば悠長が過ぎる。
 剣戟に混じって悲鳴、怒号。しかし後ろを気にしている暇はない。
 まぁいい、それならそれで、遊撃手としてあたしのできることも増えるというものだ。
 
 このまま敵兵の体力を削ぐばかりで終わるかと思った頃。
 
「小娘! 貴様何者だ、名を名乗れ!」

(おっと)

 見れば、それなりに覇気のある立派な体格の男が立ちはだかっていた。
 とりあえずあたしには名を名乗るつもりは全く無い。
 故に、無視して突撃。

「来るかッ! 舐めるな小娘!」

 男はあたしに剣を振り下ろすが、あたしはそれを難なく回避。
 ついでにハイジ相手に散々練習した、殺気のコントロールで翻弄してやる。

「ぬッ!!!」

 あたしを見失った男が周りを見回す。
 
(ここよ)

 あたしは上空で狙いを定めて、全体重をレイピアにかけ、重力に従って加速した。
 ズドン! と肩から心臓にかけて、深々と根本まで突き刺さる。

「ご…………ッ!」

 ゴブリ、と男の口から血があふれる。
 が手から伝わってくる。 
 
(大したことないわね。まず一人目)

 殺さなければ殺される。あたしが死ぬだけならどうということはないが、その刃は守るべき人たちに届くかも知れないのだ。腕に自身のある兵は危険だ。弱兵らとは違う。殺さなければならない。
 命を奪う時、自分の心が耐えられるかが不安だったが、問題はないようだ。
 その事実にホッとしつつ、あたしはそのまま男の肩を踏み抜いて跳躍する。弱兵たちの指揮官らしき男と目があった。
 
 加速の後、伸長––––敵兵にしてみれば、唐突に現れて味方の兵を殺した妙な女が、突然目の前に現れたかのように感じただろう。
 驚くのも無理はないが、それで固まってとっさに動けないようでは、この男も大したことはなさそうだ。そのまま地面に向かって加速、肋骨の隙間を狙って心臓を一突きした。
 
 ぐるん、と目を回し、倒れていく男。
 
(二人目)

「将軍が……!?」
「に、逃げろッ!」

 どうやら指揮官はそれなりに地位のある兵だったらしく、弱兵たちが恐慌状態に陥った。

「おっ、おい! こら、逃げるなッ! 敵前逃亡は重罪だぞ!!」

 別の将兵が慌てたように周りに怒鳴っているが、敵を目の前によそ見とはいい度胸である。振り返る時間を与えず加速して接敵、首を切り裂く。
 
(三人目)

 逃げ惑う敵兵達を追い、一人ひとり丁寧に腕の健を斬って回る。

「ぎゃあッ!!」「や、やめ……」「痛いぃいぃい!!!」「腕っ! 腕がっ!」

 悲鳴が上がりまくるが、敵があたしであることを喜んで欲しいものだ。
 なにせ、一時的に無力化するだけで済んでいるのだ。怪我だってそのうちに癒える。元は農兵だか商人だか知らないが、行きていくのに不便を強いることもない。これがもしほかの兵だったら、皆殺しにされているところだ。
 
 と、そこで魔力探知に引っかかるものがあった。

(…………矢!!)

 あたしが一番警戒していたのが、弓矢による攻撃だ。
 走るあたしの足はすでに地面を蹴ってしまっている。進行方向を狙って迫る矢が数本––––このままではあたしに避ける術はない。普通であれば、の話だが。
 
(伸長)

 ピタリと宙に止まる。目の前すれすれを飛び去る矢。一本は掠りそうだ。加速し、レイピアで切り落とす。そして転回。
 
(今の矢は正確で危なかった。放ったのは––––)
(––––お前達か)

 ぐりん、と弓兵たちを睨む。

「ひッ?!」「今、あいつ宙に……」「何だ、あの動き……ッ!」
「化け物…………化け物だ…………ッ!!」

(失礼ね)

 慌てて逃げ出す弓兵を追い、腕の健を斬って回る。弓なら散々練習させられたのだ。どこを斬れば使い物にならなくなるかはよく解っている。ついでに弓自体の破壊も忘れない。
 弓兵の大半は接近戦が苦手そうな者ばかりだ。だが、矢の同時撃ちができる腕の持ち主は危険だ。そうした練度の高い敵は立ち振舞でわかる。

(四人目、五人目)

 きっちりと屠っておく。
 しかし、次々と精兵ばかり狙うあたしは、いつの間にか警戒されていたらしい。

「囲めッ!」
「こいつ、只者じゃないぞ!」
「警戒しろ!」

 わらわらと敵が囲んでくる。しかもそれなりの練度。

(さすがはハーゲンベック……と言いたいところだけれど、こんなに沢山実力者がいるなら農兵なんかを前に出さずに自分で戦えばいいのに)
(ま、鍛えてても根は臆病なんでしょうね)

 そして伸長の重ねがけから、加速。
 あたしを囲む男たちが一斉に剣を振り下ろす。

「消えたッ?!」「どこだっ! 探せっ!」

(ここよ)

 あたしは加速して敵の頭上に到達する瞬間に気配を消し、全員の目を欺くことに成功。
 そしてなで斬り。
 
「がっ!」「ぎゃぁっ!」「へぶっ!」

(六、七、八人)

 吹き出す血をかぶると動きづらくなるのでそれを回避する。
 魔力探知で目の届く範囲の強敵は、これで粗方片付いた。
 あたりを見回すと、無事な兵は一人もいない。死者九名、負傷者数十名。
 負傷者たちはガタガタ震えて、化け物でも見るような目であたしを見ている。
 あまり気分の良いものではないが、あたしは意図的に敵兵たちの視線を無視し、死屍累々の光景について考えないように努めた。
 
すぐ後ろに感じる、慣れ親しんだ気配を持つ男に声を欠けられる。
 
「リン」
「うん」

 すぐそこに巨大な男の姿。しばらく前から気付いていたが、ハイジがあたしを気遣わしげに見ていた。
 
「ハイジ」
「張り切りすぎだ」
「そう? いまのところは余裕だけれど」
「……これ以上は目をつけられる。ここは一旦引け」
「わかった」

 即座に背を向けて、スタスタ歩き始める。ハイジが言うのなら、四の五の言う必要はない。
 しかし、どうやら遠くからあたしの姿を補足していたらしい敵の声がざわつくのが解った。
 どうやら目をつけられるという点については、既に遅いようだ。

「逃げるぞ!」「討て! 討て!」

 なにやら叫んでいるが、無視だ。
 実戦を経験してわかったが、どうやら矢についてもそれほど恐れる必要はなさそうだ。気配で察知できるし、加速すれば叩き落とすことも容易かった。森にいる頃は矢を避けたり叩き落とすなんて絶対無理だと思っていたが、あれはハイジの射った矢だったかららしい。
 それに、今はすぐ後ろにハイジがいるのだ。考える必要もない。

(ご愁傷さま)
(その男、あたしみたいに甘くないから気をつけてね)

 あたしは農兵だか義勇兵だかわからないような弱兵達を無力化しながら自陣へ戻った。
 見る限り、ライヒ方がしているようで、自陣近くには敵がいなかった。
 
(動き足りないわ)

 あたしはため息を一つ付いて、補給所へ足を踏み入れる。
 その途端、ワッと歓声が上がった。
 
「黒山羊の帰還だ!」
「我らが戦乙女!」
「黒髪の戦乙女よ!」

(…………一体何事?!)

 一瞬「コイツラもまとめて叩き切ってやろうか」と考えてしまった。
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