魔物の森のハイジ

カイエ

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#5

幕間 : Jouko 2

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 貴族だったヴィーゴの父親は、女に狂って母を死なせている。
 母の死因は自殺である。
 
 ヴィーゴがまだ子供の頃は、立派な父だったのだ。––––それが、ある日現れた女のせいで狂ってしまった。
 妙な女だった。父を独占するどころか、他の女をどんどんあてがって、いつの間にか父の周りにはハレムが出来上がっていた。
 
 父は堕落した。
 いつも煙草をくゆらせ、女を侍らせ、ついには貴族としての職務を放棄するようになった。
 自領は腐敗し、領民は飢えた。あっという間だった。
 母は父に立ち直らせようと努力したが、父はすでに正気を失っていた。女の持ち込んだ煙草が麻薬だったからだ。

 何もかももう手遅れだった。 
 今なら考えるまでもなくわかる。あの女は間諜だったのだ。
 
 そして荒廃しきった頃、他領ハーゲンベックから宣戦布告があり、なすすべもなく占領された。
 ほとんど戦うこともなく、エリメンタリ家は白旗を上げた。
 母は絶望のあまり自殺した。
 父は、母が死んだことよりも、いつの間にか姿を消していた愛妾を失ったことを悲しんでいた。

 ヴィーゴは父を斬り捨てた。
 心は全く傷まなかった。
 女などというくだらないものに心を奪われて、数万の民を苦しめた父。
 それを止めることもできず、ついには子供を残して自死を選んだ弱い母。
 
 ––––女など––––!!
 
 ヴィーゴは、他ならぬエリメンタリ中の領民達から憎まれている。当然だ。あの両親から生まれた子供なのだ。処刑しても飽きたらぬ。そうした怨嗟を一身に背負ったヴィーゴは、しかし自死だけは選ぶまいと、そしてどのような運命をも受け入れることを覚悟した。
 
 
 ▽
 
 
「お前、そんなこと言ったって、この世界の人間の半分は女なんだぞ。それに女はいいぞぉ? 男を癒やしてくれる。お前だって、いつか好きな女の一人もできれば考えも変わるさ」
「ありえません」

 ヨーコは茶化すような師の言葉をばっさりと切って捨てる。

「話が逸れてます、師匠」
「ん? ああ、そうか……うん、まぁそういうわけだ。つまりは集中だ。目的を制限し、それを誓約すれば、それだけ経験値と魔力は効率的に使われる。特に魔力を使う場合は、数倍の効率を得られるぞ」
「その分リスクを負うということですか。割に合いませんね」
「ああ、だからお前たちにも教えてなかったんだ。だが、まぁお前達ももう十分に一人前だ」

 アゼムのその言葉に、ヨーコは顔を歪めた。じわり、と胸に不安が広がるのがわかる。
 アゼムは、自分を手放す頃合いだと考えているのだろうか––––
 
(この人に捨てられるのだけはごめんだ)

 自分はまだ、こんなにも不安だというのに。
 アゼムはそうしたヨーコの思いに気づく様子もなく話を続ける。

「だから、もし能力を伸ばしたいなら、力の集中は使える手段となる。そうだな……お前だけに教えるってのも不公平だし、アイツらにはおまえから教えてやってくれ」
「わかりました。……でも、あの女にもですか?」
「あの女って……そりゃおまえ、ハイジを必死に追いかけてよ、華奢だった体が倍になるくらい鍛えてんのに、ペトラだけ仲間はずれにするわけにゃいかんだろ」
「……気は進みませんが、命令とあらば従います」

 ヨーコがペトラを毛嫌いしていることはアゼムもわかっている。いや、相手が誰であろうと、女が相手だとヨーコの態度は硬化するのだ。むしろペトラはまだマシな方だ。
 
 女のせいで故郷を滅ぼされた生い立ちを考えればそれも無理はない。とはいえ、この性質はこれからのヨーコの人生にマイナスでしかないだろう。
 アゼムはそのことをずっと気にしているが、しかし口に出したりはしなかった。
 
「ただし、条件はよく考えろと言っておけよ? 俺みたいに考えなしに決めてしまうと、あとあと面倒くさい」
「もし誓約を破れば、能力そのものが使えなくなるから、ですか」
「そうだ。まぁ能力なんてなくたって剣の腕さえあれば何とでもなるがな。実際、俺はここしばらく能力を使ってないぞ」
「このところ、女子供ばかり相手にしてますしね……」
「とはいえ、経験値まで失うというのは厄介だよな。弱体化は免れん。だからもし女子供を斬っちまったら––––まぁ、隠居でもするか」
「……そうなったら、俺が養ってあげますよ」

 ヨーコの言葉に、アゼムは目を見開き、そして破顔した。

「ははっ、期待しとくぜ」
「これまでの恩を考えれば当然でしょう?」
「一緒んなってバカやってただけじゃねぇか」
「それでもです。あの時師匠が拾ってくれなかったら……」
「よせよ、恩だのなんだの、くだらねぇ。まぁ、俺はそんな失敗はしねぇから心配すんな」

 それより飲もう、と笑ってグラスを突き出すアゼム。
 さっきこぼした分は減らしてくださいよ、とブツクサ言いながらスキットルから酒を注ぐヨーコ。
 
 二人はグイとグラスを煽った。


 ▽


 谷に戻ると、ヨーコは他の弟子たちにアゼムから教わった裏技チートを伝えた。
 
 ヨーコの進言により、お互いその誓約については秘密にすることに決まった。どんなに信頼していても、秘密にすべきことは漏らすではないというのがヨーコの主張だ。
 ヨーコは、現在の『魔物の谷』に於ける長兄だ。アゼムからの信頼も最も厚く、その冷静な判断に皆も信頼を置いている。故に、ヨーコが強く言えば、皆は大人しくそれに従う。
 
 アゼム曰く、制限の範囲は狭いほうが力が増すらしい。ちょうど漏斗じょうごの口が細いほうが勢いを増すのと同じ––––かといって制限を狭めすぎると、漏斗の口はふさがってしまう。
 
 いかにリスクを減らしつつ、うまく範囲を狭めるかを考える必要がある。他の弟子たちにもそうした理屈はしっかりと教えておいた。
   
 ––––ヘルマンニは何に誓約するのだろうか。ヘラヘラと軽薄そうに見えて、ヘルマンニは思慮深く、仲間思いだ。くだらないものに誓約したりはしないはずだ。
 
 ––––ハイジは? どうせ『はぐれ』関係に決まっている。馬鹿の一つ覚えだ。いつまでも死んだ養母の影なんぞを追いかけてご苦労なことだ。
 
 ––––ペトラも同じだ。あの女の目にはハイジしか映っていない。女なんて軽率なものだ。どうせ「ハイジのために戦う」とかそのあたりだろう。
 
 それより自分だ。決して失われることのない、そしてできるだけ限定的な条件を見つけ出す必要がある。

 そしてヨーコは誓約した。
 アゼムの意志を継ぐためだけに戦おう、と。
 アゼムが勝たせたいと思う領主のために戦い、アゼムが守りたいと思う人々のために戦い、アゼムの弟子のために戦う。
 いつかアゼムが死んだとすれば、その遺志を継ぐのは自分しかありえない。
 
 誓約とはどうすればよいのかと思ったが、何ということもなかった。ただ「自分はこの力を目的以外には使わない」と誓いながら生きていればいい。
 変化は劇的に現れた。
 ヨーコの場合は、身体的には何ら変化はなく、すべてが内面に現れた。
 変化が現れ始めると、もう撤回はできないのだとわかった。経験値が、魔力が、すべてその目的に集中しはじめたからだ。もはや違う目的には使えない。なるほど、誓約を破るとすべてを失うとはそういうことかとヨーコは納得した。
 この制約は、ヨーコにとってはむしろ喜びだった。
 
 ––––進むべき道がはっきりと示された。

(どうやら、俺は人の上に立ち、後進を導く役割があるらしい)
(俺ほどのエゴイストは他にいないだろうに、面倒なことだ)

 しかし、アゼムが自分に求めていることがならば、どんなことであっても否はない。
 
(目立ちたくはないが……しかたないな)

 ヨーコはアゼムの後継者となるべく、歩み始めた。


 ▽

 
 エリメンタリ領がハーゲンベックに占領されたあと、ヴィーゴの首には賞金がかけられた。ヴィーゴの存在が邪魔なハーゲンベックがエリメンタリの領民を扇動したからだ。
 しかし、ハーゲンベックの治世は劣悪である。エリメンタリの領民たちは、地獄とも揶揄されたヴィーゴの父親の治世と比べても輪をかけて厳しい生活を強いられ、エリメンタリの治世を懐かしがる者まで現れはじめることとなった。

 ヴィーゴは、少年だった彼が、狂った父親を諌めるために奔走していたことを知る一部の良識ある召使いに囲われて、なんとか生きていた。しかし、見つかって絞首台に吊るされるのも時間の問題だった。
 父を殺し、母を恨み、領民から憎まれるヨーコは、とっくに人生に絶望していた。死刑それも悪くないと考えていたが––––ある時綺羅星のように現れた一人の英雄が、彼を救い出すことになる。
 エリメンタリは英雄率いる傭兵団によって瞬く間にハーゲンベックから取り戻され、マッキセリという小さな領に併合されることになった。
 当初、英雄は全領主の息子であるヴィーゴ・エリメンタリを新領主として立てる計画を立てていたが、他ならぬヴィーゴがそれを拒んだからだ。

 ヴィーゴは英雄に頭を垂れた。

 ––––どうか自分を貴方のそばで役立たせて欲しい。
 ––––どんなことにでも耐えてみせるから、どうか自分を鍛えて欲しい。
 ––––二度とエリメンタリのような地獄を作り出さないために、ハーゲンベックのような豚がのさばらない世界を作るための手助けをさせて欲しい。

 若き少年貴族ヴィーゴ・エリメンタリの覚悟を認めた、英雄『愚賢者』アゼム・ヒエログリードはそれを受け入れた。

 アゼムはヴィーゴに「ヨーコ」の名を与え、ヨーコは誓いのとおり、今日に至るまで、アゼムの右腕として自分の全てを捧げつづけている。


 ▽


 ヨーコの態度には、常に師に対する尊敬が込められている。
 子供っぽいアゼムに対して口うるさく文句を言ったりするものの、その敬意は他の弟子たちとは一線を画す。

『愚賢者』アゼム・ヒエログリードは、人の感情の機微に敏感である。しかし、アゼムは人の心すべてを理解できているなどと自惚れてはいない。

 だから、アゼムは見誤ったのだ。 
 ヨーコの、爬虫類じみた無表情で幾重にも覆い隠された、アゼムへの恋心を。
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