魔物の森のハイジ

カイエ

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 デートといえば聞こえはいいが、要するにただの食事である。

(デートとか言ってるのあたしだけだしね)

 別に構いはしない。人並みのキャッキャウフフをハイジに期待するほどあたしは間抜けではない。
 そもそも森小屋だとほとんど会話がないのだ。だからこうした他愛のない会話も楽しいものだ。

「お前が来た『日本』というのは、どんな場所なんだ?」

 食後のお茶(ハイジはお酒だ)の時間になると、ハイジが珍しくそんなことを聞いてきた。
 そういえば、この世界に来てから日本の話をしたことがない。ギルドで働いている時にも、何度か「精霊の国」––––つまりあたしの故郷について話題は出たが、根掘り葉掘り聞かれることはなかった。
 あまり興味がないのだろうか。

「……そうやって故郷について聞いてきたのはハイジが初めてね」
「それは……やはり皆気を使うのだろう。何せ、だ。この世界にも故郷に帰れない者は珍しくない。そうした者に––––故郷について根掘り葉掘り訊くというのはマナー違反だ」
「ふぅん、なるほど?」
「だが、先ほどのお前は故郷の食べ物について嬉しそうに語っていた」
「結局食べられなかったけどね」
「だから……もしかしてのではないか?」

(ああ、なるほど、この質問は、ハイジの興味というよりは『話したいなら話して楽になれ』って意味でしたか)

 相変わらず分かりづらい心遣いではあるが、余計な気遣いでもある。
 あたしはすでに故郷については割り切っている。

「そうね、特に話したいことも、話したくないこともないけれど、まぁ、この世界よりは安全な場所だったよ。平和な国だった」
「戦争がなかったのか」
「過去にはあったよ。でも、あたしの国は、七十年くらいはなんとか平穏にやってたんだ」
「七十年……それは凄いな」

 それは途方も無いことだぞ、とハイジが驚く。

「でも、遠い外国……外国ってわかるかな、この世界だと外国って概念がなかったりする?」
「いや、国がある以上、外国はある。ただ、外国人、だったか。そういう分け方はしないな」
「へぇ、平和的な考え方ね」

 何と、この世界の人間は、国境を超えて一つの民族というわけか。
 人類みな兄弟を地で行くとは。

「平和にはほど遠いな。どちらかというと、その時々で敵と味方がいるだけだ」
「殺伐としすぎじゃない?!」

 元の世界よりよっぽどギスギスしていた。
 そりゃそうか、こんなに頻繁に戦争ばかりしているのに、平和思想なんて発達してるわけがない。

「何しろ、見ただけでは見分けが付かんからな。『はぐれ』以外は」
「ああ、なるほど」

 この世界の人間は皆金髪碧眼……は言い過ぎだとしても、それに近い見た目をしている。白人・黒人・黄色人種と色とりどりだった元の世界と違う。
 国や領の別ははっきりしていても、国籍や人種での見分けはつくまい。

 この世界で『はぐれ』は、つくづく特殊な存在なわけだ。

「元の世界については、まぁ平和で便利で清潔な場所だった、としか説明できないかな。戦争はもちろん、犯罪も少ないから、めったに人は死なないし、百年以上生きる人が多かったよ」
「百年とはなかなか凄いな。この世界だと六十まで生きれば大往生だ」
「長生きも良し悪しだけどね……少子化問題とか……まぁ、それはいいか」

 ハイジが聞きたいのはそういうことではないだろう。

「そういえば、よく『はぐれ』が『精霊の国からやってきた』とかいわれるんだけど、あれは何故なの?」
「……ふむ、そこに疑問を持つか」
「当然でしょ、あたしは精霊じゃないし、日本は精霊の国ではないわ。人間の国よ」
「……それについては、師匠の父親が色々書き残している」
「お師匠さんの父親? 何? 学者さんか何か?」
「ああ。師匠の父親はお前と同じ日本人はぐれで、学者だった」

 へぇー。

「と言っても会ったことはないがな」
「あ、そうなんだ」
「俺と師匠が出会った頃にはすでに亡くなっていたからな。だが、本を大量に残している」
「ハイジが読んでるあれ?」
「ああ。ヴォリネッリの首都にある王国図書館で司書をやっている『はぐれ』がいてな。『はぐれ』に関する本などを送ってくれている」
「……もしかして、あたしがこの世界に来た理由とかも、そこに書かれてたりする?」
「理由まではわからんが、一応は仮説はある」
「へぇ。よかったら聞かせてよ」

 あたしは、既にこの世界の人間として、この世界で生きて、この世界で死んでいくことに納得している。
 それでも、何度思ったことか、数え切れない。

 なぜ、あたしがこの世界にやってきたのか。
 そこに意味はあるのか。
 そして––––元の世界に帰る術はあるのか。

(仮に『帰っていいよ』と言われても、もう帰る気はないけれど)
(知りたい。なぜあたしが今ここにいるのかを)

「仮説だぞ?」

ハイジはあたしの目をじっと見て、話し始めた。


 * * *


 おまえの故郷の『日本』は、『はぐれ』の故郷としては一番ありふれた国だ。
 俺の経験上、『はぐれ』が四人いれば、そのうち最低三人は日本だな。
 だが、他にもいくつかの国から『はぐれ』はやってきている。
 アーサーの故郷である英国イギリスや、そのほか芬蘭フィンランド丁抹デンマークなど、いくつかの国から『はぐれ』はやってきている。

 共通項は、黒目・黒髪であることだ。
 アーサーから聞いたが、あちらの世界にも、この世界と同じ青目・金髪の人間は多いらしいな。目の色、肌の色も色々あると聞いている。賑やかなことだな。
 だが、『はぐれ』は一様に黒目・黒髪だ。
 例外はこれまでに見つかっていない。

 師匠の父親は、日本に帰りたかったようだ。
 亡くなるまで、帰る方法を探し続けていたらしいが、結局見つからなかった。
 帰る方法を探すうちに、お前たち『はぐれ』の故郷にいくつかの共通項が見つかった。
 それを本に残してもいる。
 俺も読んだが、共通項とは『ヤオヨロズノカミが信仰されている』ことだと書いてあった。
 お前はどうなんだ? ヤオヨロズノカミに聞き覚えがあるか?
 
 ……日本以外にはヤオヨロズノカミはいない?
 いや、そんなはずはないぞ。
 ヤオヨロズノカミとは、自然などの人間の力の及ばないあらゆる事象にカミが宿っている、という考え方なのだろう? 言葉は違うかもしれんが、アーサーからも間違いなく故郷にはそうした信仰アミニズムが息づいている、と言っていた。
 この世界でもそのあたりは同じだな。人間の力の及ばない全てに対し、精霊が宿っている。これは迷信でも何でもなく、ただの事実だ。お前も見ただろう? 瞑想を通して、魔力を通じて––––そうだ。あれがこの世界の本質だ。

 うむ、ここではカミではなく『精霊』と呼んでいる。

 お前たちの世界では、この世界よりも精霊の存在が身近らしいな。
 聞いた話だと、どんなに小さな集落にでも、必ず精霊が祀られているのだろう?
 何かがあれば返礼に足を運び、困ったときには力を借りに行くらしいじゃないか。
 時にはそこで祭りが開かれるとも聞いている。

 お前はどうだったのだ?
 ––––受験? 受験とは何だ? ふむ……貴族の通う学校や、ギルドの昇給試験のようなものか。
 祀られた精霊に力を借りに行ったのか。
 興味深いな。精霊が直接力を貸してくれるとは……。
 ハツモウデ? そのショウガツとはどういうものだ?
 ……ふむ、なるほど、冬至のことか。ああ、それについてはこちらでも同じだ。夏至と冬至には争い事をやめて、心穏やかに過ごすようにする。
 いつも忙しい精霊たちが休めるようにな。

 お前たちの世界の精霊はいたずら好きらしいな。
 精霊の国では、まれにカミカクシという現象が起きると聞く。
 精霊がお気に入りの子供を、自分の近くに置いておこうとすることだ。
 カミカクシに遭うと、ここ中つ国ミズガルズへ連れてこられる。

 うん? ああ、知らなかったのか。この世界を指して、中つ国ミズガルズと呼ぶ。お前たちの住む場所は『精霊の国アースガルズ』だな。隣り合った世界だと言われているが、詳しくは知らん。

 この世界に連れてこられた『はぐれ』が元の世界に変える方法は、色々調べてもわからなかった。師匠の父親も散々調べたらしい。俺も調べようと思ったが、本を読むくらいしかできん。調べ方もわからんしな。


 * * *


「……そっか、あたし、神隠しに遭ったのか」

 神隠しなど、言葉の概念の上でしか知らなかったが、実在する現象だとは。

「……興味深いけど、特に生きていく上で影響のある情報ではなかったわね」
「そうか……。リン、お前は、元の世界に帰りたいか?」
「それ、ニコにも聞かれたわ」
「もし帰りたいのなら、もう少し本腰を入れて帰る方法を探すくらいのことはするつもりだ」
「ううん、いらないわ」
「うん? そうなのか?」
「ええ。だって、もうあたしの生きる場所はここだもの。どこにも行く気はないわ」
「そうか」

 ハイジは少しホッとしたように頷いた。

「まぁ、あるとすれば、あたしが居なくなって、両親がどんなに心配してるだろう、ってそれだけかな」
「それについては心配要らないようだぞ」
「へ?」
「アーサーから聞いた話だが––––アーサーの弟も『はぐれ』なのだ」
「へぇっ! ……でも、それが?」
「アーサーの弟は、アーサーよりも数年前にカミカクシに遭っている。だが、アーサーは弟がカミカクシに遭ってからも数年間、向こうで弟と過ごしているんだ」
「……おぉ」
「アーサーの弟がカミカクシにあった日の記憶も、アーサーと弟で共通したものだった。つまり、カミカクシに遭っても、向こうでは人が消えていないということになる」
「……そっかぁ……、じゃあ」
「お前の両親が、お前を亡くして悲しんでいたりはしない、ということだ」

 その言葉は、元の世界に対する最後の執着を振り払ってくれた。

「……ありがと、ハイジ」
「……何がだ」
「すっごく、安心した。あたし、もうこの世界で生きていくことに、何の不満もないんだけど、ただ、パパとママのことだけが心配だったんだ」
「……そういうことなら、もっと早くに教えてやるべきだったな」
「そう言えばそうね。どうせ、あたしがホームシックになるとでも思ったんでしょう」
「その通りだ」
「バカね」

 あたしはハイジを見て笑った。

「あたし、この世界が好きよ。だって、ハイジがいるんだから」
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