魔物の森のハイジ

カイエ

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 見知らぬ街で過ごす夜は楽しかったが、あたしたちは観光に来ているわけではない。あくまで遠征である。
 楽しい時間は瞬く間に過ぎていった。

 翌日、またも軍用荷馬車でガタゴトと揺られ、中継地点がなかったため、荷馬車でむさ苦しい男たちに混じって雑魚寝をして、ようやく戦場へたどり着いた。
 到着した時にはすでに深夜だったため、さらにここでも一泊である。

 前の儀礼戦のときとは随分と雰囲気が違う。
 戦場だけでなく、参加している兵士たちの出身も違うし、何よりも季節が違う。
 季節はすでに晩秋、冬がそこまで迫っている。気温は深夜には氷点下にまで下がるだろう。
 この時期の戦は、夏と比べると辛く厳しいものになるはずだ。
 炊き出しなども行われているが、夜に暖を取るために薪が節約されており、前と比べると量も少ない。
 軍幕テントは数人に一人与えられているが、ハイジとあたしは司令室(といってもこちらも布張りのテントである)にお邪魔している。
 この寒空の下でマントにくるまって眠るよりは快適だろうが、そのかわりに明日の戦意高揚では衆目環視の中愛想を振りまかなければならない。厄介なことだ。

 ハイジもあたしも、寒さのしのぎ方も解っていることだし、個人的にはテントで二人で寄り添って眠るのもやぶさかではないのだが、目立つ戦歴を持つ戦士がそんな真似をすれば、士気が下がる。
 温かいお茶も用意してくれることだし、あたしは司令室で厄介になることにした。

 開戦は翌日の正午。
 参加するのはマッキセリ領方の義勇軍、敵はお馴染みのハーゲンベックである。

(嫌なお馴染みもあったものだ)

 ハーゲンベックにしてみれば、自業自得とはいえそこら中から賠償金を毟り取られている状況で、もう後がない。負けるわけにはいかないし、かといって戦わないわけにもいかない。なぜならそれ以外にハーゲンベックが生き残る未知はないからだ。
 前回の戦のでライヒが勝利を治めた時点で、ハーゲンベックがマッキセリに宣戦布告することはすでに解っていたことだったのだ。

 ––––それで、リンちゃん、次はいつ戦いに行くの?

 ニコの言葉を思い出す。
 あの時はまだ宣戦布告はなされていなかったが、大人組ハイジたちはすでにマッキセリ戦について検討を始めていた。
 だからあたしは、ニコにすぐに始まるであろうことを伝えた。
 ニコは、あたしを止めなかった。

(ニコが信頼して送り出してくれたんだから、生き残らないとね)

 何も、大活躍しようだなんて大それたことは考えていない。前回はハイジとあたしの遊撃が上手く嵌ってくれたおかげでそれなりの戦績を残せたが、あれが当たり前だと思ってはいけない。
 それに––––

(ペトラ、ヘルマンニ、ヴィーゴさん––––皆、現役を退いて十年以上経つはずなのに、手も足も出なかった)

 一応、結果としては三人ともに辛勝しているが、あきらかに手を抜かれていた。
『黒山羊』なんて物々しい二つ名で呼ばれているからと行って、自分が強いなどと自惚れることはできない。
 何よりも、敵方に英雄クラスの実力者が居ないとも限らない。
 前回の戦では遭遇しなかっただけかも知れないし、今回はハーゲンベックもなりふりかまっていられないから、そこら中の傭兵団に声をかけているはずだ。
 二つ名持ちが実力者なのはほぼ間違いないことではあるが、実力者が二つ名持ちだとは限らない。無名の戦士にも英雄クラスがいる可能性は十分にある。

(そう考えたら、あたしが二つ名持ちなのって、やっぱり分不相応な気がする)
(……そんなことで皆のやる気が出るなら、好きな名前で呼べばいいんだけどさ)

 ちなみに『麗しき黒髪の戦乙女』は、仲間内では禁句タブーとしておいた。
 どうせ明日の戦意高揚でそう呼ばれるんだろうけど、先日ヘルマンニにふざけて「おい、麗しき黒髪……」まで呼ばれた時には、黙らせるために間髪入れずに居合抜きを放った。
「うひゃぁ、なにしやがる!」とか言いながら、ゆうゆうと避けていたが。

(まったくもぅ)

 中つ国ミズガルズ––––本当に戦争ばかりの、厳しい世界である。

『はぐれ』はこの世界の人間と比べて体が弱いし、何の説明もないから飛ばされてきた直後はパニック状態だ。戦場や森などの『死の領域』に出現すれば、そのまま死んでしまうことも多い。
 ただ、元の世界アースガルズで神隠しに遭って、この世界に飛ばされてきた『はぐれ』は、必ずなんらかの力を持っている。偶然ではあるまい。––––ならば、きっと精霊カミによる無選別な悪戯などではなく、あたし達はぐれには何か役割があるのだ。

 ––––あたしの役割は、間違いなく戦うことだろう。

 あんな平和すぎるほど平和な国で生まれ育ち、陸上にしか能のないあたしが、なぜこんな役目を負っているのかはわからない。
 ただ、この世界に来てあたしは生まれ変わった。
 闘志のないタイプだと言われ続けてきたが、どこかのお姫様の護衛には「気性が荒い」なんてありがたくない評価をいただいた。

 では、あたしをこの世界につれてきた精霊カミサマ。貴方の期待に応えようではないか。


 * * *


 一晩経ち、朝が来る。
 なんだか随分やかましいなと思ったら、雨がポツポツ降っていた。
 軍幕テントの油布を水滴が叩いている。

 だが、戦争なのだ。体育祭のように「雨が降ったから延期」というわけにはいかない。
 後数時間もすれば、ほら貝が鳴らされ、殺し合いが始まる。

 低気圧は人の心を沈ませる。
 あたしは人を斬る感触を思い出して、ほんの少し憂鬱になる。

(ダメだダメだ、あたしが暗い顔をしていたら、士気に関わる)

 無理やり気持ちを起こして、戦意高揚に備える。
 マッキセリは、詳しくはわからないが、ヴィーゴさんと縁のある領だという。
 ライヒやオルヴィネリと比べるとこぢんまりした領だ。
 四面楚歌に陥ったハーゲンベックが相手なのだ、苦戦は免れない。

 マッキセリの将軍だという人がやってきて、指令台に立って顔を見せて欲しいと言われる。
 ハイジと顔を見合わせ、そして皆の前に立つ。

 どこかで聞いたような美辞麗句が並べ立てられ、あたしは顔をひきつるのを必死に抑えながら、笑顔で手を降った。
 ハイジは相変わらずのむっつり顔だが、自分がよく見えるように胸を張って、堂々と立っている。––––あたしから見れば、実は気が引けているのがわかるけれど。

 兵たちが喝采を上げる。どの兵もあたし達を見ていて、死ぬかも知れない近い未来の希望としている。死を覚悟しているからこそ、兵たちの目はギラギラと生命力を力強く放っている。

 この中の、一体何人が死ぬのだろう。
 もしかすると、あたしだって死ぬかも知れない。死ぬ気はなくとも、死ぬときは死ぬのだ。
 自分の命を自由にできないように、彼ら全てを守ることもできない。

 ぐ、っと胸が苦しくなる。顔には出さない。笑顔のまま手を振る。
 魔力を通した視界には、燃え上がるような命が、何かを守るために揺れている。

 ––––––––––––––––その時だった。

「ッ?!」

 バッ、とあたしとハイジが同時に敵のいる方角を向いた。
 ここまでまっすぐに、投げつけるかのように届いたのは、猛烈な殺意!
『寂しの森』でマーナガルムと視線が通った瞬間に感じる敵意を何倍にも煮詰めたような、肌がひりつくような殺気だった。

(ハイジ! 今の……!)
(ああ……強烈だったな。敵側に、一筋縄じゃいかないのがいるぞ)

 皆を不安にさせないように、笑顔を保ちながらハイジを小さく言葉を交わす。

(……ヤバいヤバいヤバい、完全にあたしたちを認識してるよ、これ)
(……落ち着け。敵に手強い奴が現れることくらいは想定していただろうが)

 すぐにでも指令台を降りて敵を観察したいが、そういうわけにもいかない。
 脂汗がにじみ出てくるのがわかった。

 ––––法螺貝が鳴り響いた。
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