魔物の森のハイジ

カイエ

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#5

28 : Lynn

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# Lynn

 ちょっと楽しくなってきた。

 暗い気持ちはなぜか綺麗サッパリなくなり、つのがいきなり伸びるようなことはなくなった。じわじわと長くなってはくるが、この調子なら一日一回砕けば十分だろう。
 そうと決まれば、拠点を作ろう。

 ▽

 樹海は鬱蒼としていて深く広く、獣道一つない。
 本当に人がいた気配がないので、ひょっとすると前人未到である可能性もある。
 この世界は常に危険と隣合わせだ。元の世界と違って、必要もないのにわざわざ探検に出る酔狂な人間も多くは居ないはずだ。

 残念ながらレイピアを戦場に置いてきてしまったので(ノイエの腕が持っていってしまった)、刃物は短剣が二本だけ。
 それでもないよりはマシだ。
 まさかこの寒空の下ずっと外で生活するわけにもいかないので、急いで生活できるだけのスペースを作っておく必要がある。
 ちょっと大きめな部屋くらいある平坦な場所を見つけたので、拠点にすることに決めた。
 入り組んだ根っこが邪魔だし、力技で引っこ抜いたりするのは流石に厳しい。
 今ならハイジにだって負けないくらいの力があるはずだが、自然が相手だと流石に分が悪い。
 諦めて、雨風を防ぐことだけを考えることにする。
 目標は、竪穴式住居程度のごく狭い家を作ることだ。
 なんとしても冬が本格化する前に形にしなくてはならない。
 茅葺屋根というわけにはいかないだろうが、それに類する屋根にできそうな植物を見つけておく必要がある。柱になりそうな木々や枝や葉っぱなどはいくらでもある。
 地面は……床を作ったりする余裕もなさそうだから、とりあえず簡易的なベッドでも作れば良いかもしれない。
 あとは暖を取るために火を起こす方法を考えなければならない。

 問題は、着替えがないことだ。
 ついでに風呂もない。
 なんとか水を貯める方法がないか頭を捻ったが、これだけ資材が豊富な森の中にあって、風呂を作る方法はどうしても思いつかなかった。
 
 季節は秋、そして冬がすぐ傍まで迫っている。
 戦場に戻れば遺体がゴロゴロしているだろうが、流石にはぎ取るようなことは気が進まない。
 一応あたしはまだ人間のつもりなのだ。
 角生えてるけど。

 ▽

 それにしても魔素が濃い。
 魔獣の気配はそこここにあるが、なぜか襲ってくる様子はない。
 まぁ、襲ってきてもさほど怖くはないが、とりあえず魔力探知を広げておいたほうが良いかも知れない。

 –––––うわっ。

 魔力探知すると、一気に地平線あたりまで範囲が広がってしまった。
 わちゃわちゃと気配がありすぎて、何が何だか分からない。
 
(うーん……まぁ、敵意を向けられれば、魔力探知がなくても察知はできるけどさ)

 それに、どんな敵が来ようと今のあたしの脚力に叶うはずがない。
 ずっと欲しかった「いくらでも速く走れる脚」がこんな形で手に入るとは……。
 ぴょんと跳ぶと、簡単に枝まで手が届く。
 枝から枝に飛び移ることも可能だ。ただ、そんなことをするとすぐに手の皮が向けて大変なことになる。

(いやまぁ、すぐ治るんだけど)

 治るからと言って、痛いものは痛いのだ。
 とりあえずあまり無茶はしないほうが良いだろう。

 あたしはサバイバル生活を覚悟して、バッサバッサと木の枝やら葉っぱやらを集め始めた。


# Metsästäjät

「……何やってんだ? ありゃ」

 『遠見』を使ってリンの様子を覗き見たヘルマンニが、呆れ声で言った。

「どうした?」
「なんかよぅ、枝やら葉っぱやら集めてやがるんだよ。もしかして家でも建てるつもりかな」
「……そんなことできるわけ無いだろう」

 ヴォリネッリは、この世界でも最北端の国だ。
 その中でも、このあたりは極北の地だ。冬になれば、何もかもが凍てついてしまう。リンが作ろうとしている竪穴式住居のようなものでやり過ごすことなど到底不可能だ。

「いやぁ、でも、リンは結構抜けたところあっからよ……隙間だらけの家じゃここいらの冬が越せないことに気づいてないかもしれねぇぞ」
「別に構わん。何をしようとしているのか知らんが、どのみちその作業は無駄になる。俺が街へ連れ帰るからな」
「そのためには、まずはあたしたちがリンをリンを捕らえないとね」

 会話しながらも、四人は猛烈な速度で森を駈けている。岩を飛び越し、根を避け、邪魔な枝は剣で切り落としながらの超高速行軍である。

「……ヘルマンニ、ペトラ。そろそろ黙れ。リンに気づかれる。ここからはぞ」
「あいよ」
「了解」

 それまで仲良く四人一組で走っていた四人は、ヨーコの指示で一斉に散開した。
 
『あ、あー、あー、聞こえますか司令官どのー』
(ああ、問題ない。よしヘルマンニ、リンの様子を皆に伝えろ)
『あいあいさー。えー、ハイジ、ペトラ、視界を送るから確認してくれるか』
(ああ)
(よしきた)

 ヨーコ、ハイジ、ペトラの脳裏に、ヘルマンニが覗き見たリンの姿が投影される。
 身体的な視界とは別の、感覚的な映像だが、三人に驚く様子はない。

 アゼムが死んだあの日、ヨーコはそれまで鍛え上げてきた能力を全て失った。
 剣を握っていたのはハイジ一人。残り三人の弟子はハイジの手を握っていただけではあるが、ヨーコが手にかけたことになるかどうかの判定は、ヨーコ自身の認識にあった。
 ヨーコが「アゼムを害してしまった」と感じさえしなければ、ヨーコの能力が失われることはなかったし、その手にかけたと本人が認識すれば、全てが失われる。

 結果、ヨーコは使い勝手の良かった能力と、大量の経験値を奪われた。

 ヨーコはそのことについて大してショックを受けなかった。というよりは––––アゼムの望みを叶えるためなら、能力を投げ捨てることくらいは構わないとヨーコは考えていた。つまり確信犯である。
 だが、諦めるわけにはいかないことがある。
 それは、師の残した傭兵団を受け継ぐこと。

 能力と経験値を奪われたうヨーコは半ばゼロに近い状態から鍛錬をしなした。
 そして手に入れたのが、司令塔としての能力––––『伝令者ヘラルド』だ。
 いわばテレパシーのようなものである。
 送受信できるのは声と簡単な映像だけだが、司令官としてはこれ以上有用な能力は存在しない。

 この能力を使ってヨーコは司令官としての名声を得、その名声をしてエイヒムにあるライヒ領中央ギルドの長の座を勝ち取った。

(……久しぶりに使ったが問題ないようだな……少々負担が大きいが)

 だが、それを仲間たちに悟られるわけにはいかない。
 ヨーコは平然とした態度を崩さず、全てが終わった後にやってくるであろう、魔力枯渇の苦しみを覚悟した。

 司令官には、時にやせ我慢が必要なのだ。


# Lynn

(……なんか妙なのよね)

 枝や草の山を前に休憩していると、四方から妙な気配を感じる。
 害意や敵意は感じないが、こっそりと自分を観察しているかのような奇妙な気配。
 始めは魔獣かと思った。でも––––

(魔獣って、頭を使わないのよね)

 もし本当に魔獣なら、目線が通った瞬間に襲ってくる。
 この体になってからは、襲ってこずに逃げていくことも多いが(それはそれで傷ついた)、少なくとも普通の獣が狩りをするみたいに、遠くから観察してきたりするようなことは絶対にないと断言できる。

 試しに殺気を放ってみるが、辺りの魔獣や鳥たちが慌てて逃げていくだけだ。
 気配察知してみても、特にこちらに向かってくるものはいない。
 いくつか妙に動きの早い存在がいるが、てんでバラバラに動いているだけのように見える––––少なくともこちらを意識している動きではない。
 なのに、なぜか視線を感じる。

(今のあたしなら、追うのは簡単だ)

 見に行くかどうか少し迷うが、結局気のせいだと思うことにする。
 昨晩、木のむろに背中を預けて、つのを砕きながら眠ったときのことを考えると、まずはすこしでも人間らしい環境を作ることを優先したほうが良い気がした。

 資材集めにもそれなりに時間がかかっている。
 夜までに壁や屋根を作る余裕はないだろう。
 結局、大きな木を背に、周りに枝や葉を積み上げて、体を隠せるだけの簡易的な寝床を作る。

(……冬までになんとかしないと、凍死は免れないわね)

 死ぬのはあまり怖くなかった。
 それでも、餓死や凍死、あと魔獣やどうでもいい盗賊などに殺されるのはまっぴらごめんだ。
 死ぬなら狩人に狩られるか、あるいはハイジに殺されたい。

(……今あたし、ハイジに殺されたい、って思った?)
(なんじゃそりゃ……なんでそんなこと思ったんだろ)

 要するに、自分はまだ人とのつながりを失いたくないのだろう。
 額から捻れた魔獣の角が生えて、もはや人間世界に戻るのは絶望的なはずなのに、あたしは往生際悪く、未だにハイジのことをも想っている––––。


# Metsästäjät

(で、ありゃ何をしてるんだ? ハイジ)
(どうやら、今夜の寝床のつもりらしいな。それにしては集めてきた材料が多すぎるから、あそこを拠点にするつもりなのだろう)
(……ハイジ、あんたリンに冬の厳しさを教えなかったのかい?)
(そんなものは『寂しの森』で生活していれば嫌でも身につく)
(実際身についてないだろ!)
『無駄なお喋りはやめろ。ヘルマンニ、気づかれてる様子はないか?』
(覗いてみたけど、なんとなく気配は感じてるみたいだぜ。ま、無視することに決めたみたいだが)
『クッ……ハイジの弟子と言う割に、詰めが甘いな』
(あんたも無駄口聞いてんじゃないよ、ヨーコ)
(……よし、こちらは準備に取り掛かる。明日の朝までには終わらせる)
『よし、ではそれぞれ自分の仕事をしろ。気づかれるなよ』

 包囲網は、少しずつ狭まってきている。
 しかし、当の角の生えた少女は、未だどこか夢見心地のまま、寝支度に気を取られている。
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