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第三章 社交と結婚

第65話 要求と懐柔①

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 アールクヴィスト士爵領で盗賊団が討伐された。

 その報せは、まず隣のケーニッツ子爵領へ、そしてその周囲の貴族領へと広まっていった。

 報せを聞いた貴族たち、そして民衆は、人口わずか200人ほどの小領が大規模な盗賊団を倒したことに驚きつつも、「これで盗賊の脅威に怯える必要はなくなった」と安堵したのだった。

 そんな中で一人、安堵よりも焦りを感じていたのがアルノルド・ケーニッツ子爵である。

「アルノルド様。アールクヴィスト士爵閣下が到着されました。応接室の方でお待ちいただいております」

「ああ、すぐに向かう」

 使用人の報告に、アルノルドは努めて落ち着いた声で応える。しかし、その顔は青い。それも当然だ。

 アルノルドは、盗賊団をアールクヴィスト領に逸らすためにある噂を広めた。当然アールクヴィスト士爵もそのことに気づいているだろうし、噂の出処にも察しがついているだろう。

 本来の計画では、ケーニッツ子爵領の領軍が、盗賊に襲われて弱ったアールクヴィスト領に助力するかたちで盗賊団に止めを刺すはずだった。そして「アールクヴィスト領を助けてやった」という事実を作るつもりだった。

 それなのに、アールクヴィスト士爵は自領だけで盗賊団を倒してしまった。

 アールクヴィスト士爵はおそらくアルノルドを恨んでいるだろう。そしてアールクヴィスト士爵は頭の切れる男である。

 こちらを恨んでいる切れ者とまともに対峙したい人間がこの世のどこにいるだろうか。

 アールクヴィスト士爵に面会を申し込まれ、ついにその日がやって来て、一体何を言われるのかと大きな不安を抱きながらアルノルドは屋敷の応接室に向かった。

・・・・・

「お久しぶりです、ケーニッツ子爵閣下」

「……ああ、息災そうで何よりだ、アールクヴィスト卿」

「ええ、おかげさまでこの通り健在です」

 そう言いながら、ノエインは好青年ぶった微笑を崩してニヤッと不敵な笑みを浮かべる。

 その邪悪な笑顔を見て、アルノルドは慄いた。今まで見せられてきた穏やかな微笑みとは大違いだ。こいつは本来はこんな顔で笑うのか。

 ノエインの後ろに控えるマチルダとバートも、かすかに冷たい殺気を放っている。そのせいでアルノルドの後ろに控える護衛の兵士まで緊張気味だ。

「ところで、盗賊団はそちらに流れていったそうだな。何でも、貴殿らが討伐したとか。とても勇ましい話で驚いたよ」

 言質をとられては駄目だ。どうにかして会話のペースを握らなければ……そう思ってアルノルドは自分から話題を切り出した。

「はい。大盗賊団だったので私も焦りを感じましたが……我が領で優秀な職人が開発した新兵器で事なきを得ました」

「し、新兵器?」

「ええ……ご覧に入れましょう」

 ノエインが振り向いて目で合図すると、バートは頷いて手にしていた袋を応接室のテーブルに置く。

 わざと「ガシャンッ」と音を立てて置き、おまけに「新兵器」と銘打っていたため、アルノルドの護衛が警戒して剣の柄に手をかけた。それをアルノルドは手で制し、袋から出てきた武器を見る。

「これは……なるほど。弓を扱う筋力や技術を補う武器か」

「さすがはケーニッツ閣下、まさにその通りです」

 アルノルドは自分の頭は悪い方ではないと自負している。木製の台座に弓がはめ込まれたような道具を見せられて、すぐにこれがどのような利点を持つのか理解できた。

「開発した職人はこれを英雄譚の登場人物にちなんでクロスボウと名づけました。これは長い修練を積まずとも、誰もが弓兵になれる武器です」

「誰もが弓兵に……それなら戦い慣れていない農民でも十分な戦力に転換できるだろうな。これで盗賊団に勝ったというわけか」

「仰る通りです。これが我が領には100挺以上あります。200人の軍勢とて敵ではありませんでした」

 実際にはまだ50挺もないが、ノエインははったりをかました。数を盛ったところでアルノルドに本当のことを知られるはずもない。

 アルノルドは動揺を見せないよう表情を取り繕いながらも、内心で慄く。

 これが100挺あるということは、そのままアールクヴィスト領が100人規模の弓兵部隊を有しているということだ。

 おまけにノエインは「200人の軍勢とて敵ではない」と言った。これがアルノルドには「ケーニッツ子爵領の領軍とて敵ではない」と遠回しに言われたように聞こえる。

「それに、私のゴーレムもありますから」

「ああ、貴殿がよく連れているあれか」

「はい。盗賊との戦いでも役立ちました。殺した盗賊の三分の一ほどは私個人の戦果でしょうか」

 ノエインのゴーレム操作の異様な実力はアルノルドも見かけている。重量の塊のようなゴーレムが人間の如く暴れ回れば、白兵戦で無類の強さを発揮するのも頷ける。

 こうして自領の、自分の強さを飄々と語るノエインの言葉が、アルノルドには全て脅し文句に聞こえた。

 表面上は穏やかでも「アールクヴィスト領を舐めるな」と言われているように感じる。そして、この態度がノエインの思い上がりではないことは「大盗賊団を討伐した」という結果が証明している。

「ケーニッツ閣下? 少し顔色がよろしくないようですが、もしやご気分が優れないのでは?」

「……いや、大丈夫だ」

 わざとらしく心配そうな顔をしたノエインに、アルノルドは額の汗を拭いながらそう返す。

 会話のペースを握るなどとんでもない。完全にコケにされていた。

「……ところでケーニッツ閣下。盗賊団の接近が噂されるのと同時に、なぜか私の領地が弱くて金持ちだ、などという噂も耳に入ってきたのですが、何かご存じではないですか?」

 クロスボウを下げさせ、アルノルドの方に向き直ったノエインの声がスッと冷たくなる。

「そうか。その噂なら私も聞いた。一体誰が言い始めたものか……見当もつかんよ」

 アルノルドは動揺を押し殺し、全身全霊で平静を取り繕ってそう言った。

 ここで言質を取られては負けだ。逆にここを乗り切ればどうにでもなる。状況的にはアルノルドが噂を広めたことが明らかでも、それを決定づける証拠があるわけではないのだから。

「閣下もご存じではありませんか……まったく、こちらとしては困ったものです。この噂が盗賊を呼び寄せたようなものですから」

「災難だったな、アールクヴィスト卿」

 ノエインもそれ以上深く追求する気はないのか、声に棘を含ませるのを止めてあっけらかんと言った。その声色にアルノルドも内心ほっとする。

「世間というものは噂が好きですからね……私たちが盗賊団を倒してしまったことで、その暴走や移動を許した貴族領に悪い噂が立たないか心配です」

 そう言われて、アルノルドはノエインの意図に気づいた。

 アルノルドは卑劣な噂を広めてまで盗賊団をアールクヴィスト領に受け流した。その噂はケーニッツ子爵領を中心に、隣領にも広まった。

 今はまだそれだけだ。しかしノエインがもしもこの事実を王国中に吹聴し始めたら。

 世間から「盗賊を倒したアールクヴィスト士爵は勇敢だ。それに対してケーニッツ子爵はなんという臆病者だろう」と言われてもおかしくない。

 アルノルドの思惑ではケーニッツ子爵領軍が盗賊団に止めを刺すはずだった。しかしノエインが自力で盗賊団を討ってしまった今となっては、ただ「ケーニッツ子爵は腰抜け」という醜聞の種が生まれただけだ。

「悪い噂が広まらないように、私がお力になれればいいのですが……」

 困ったように笑うノエイン。その顔もまたわざとらしい。

 今ではノエインにも商人にそれなりの伝手がある。「ケーニッツ子爵は盗賊に恐れをなした」という醜聞を王国内に広める手段はいくらでもあるだろう。

「醜聞を広められたくなければ詫び示せ」とノエインが言っているのは、アルノルドにも分かる。

 こんなはずではなかった。本来ならアールクヴィスト士爵に恩を売れるはずだった。そう思ってももう後の祭りだ。

「……アールクヴィスト卿、盗賊に襲われた後だろう。何か困っていることはないかね? 私でよければ力になろう。代わりと言っては何だが、悪い噂が広まらないように手伝ってほしい」

 望む詫びを示すから黙っていてほしい。今回のことは許してほしい。アルノルドが遠回しにそう言うと、ノエインは待ってましたと言わんばかりに表情を輝かせて言った。

「よろしいのですか? ありがとうございます。それでは……この王国北西部の貴族の派閥に私をご紹介いただき、その輪に加えていただきたい。閣下に仲介役をお願いしたく思います」
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