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episode...01

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ものごころがつく前からずっと、当たり前に側にいたから全然気がつかなかった。
私は、蒼空そらくんの全部を知ってるつもりだったけれど、それは私の思い過ごしだったのかもしれない。
あの頃私は蒼空くんが好きで、蒼空くんが何気なく笑ってくれるだけで嬉しくて浮かれてた。

春、オレンジ色の夕陽が照らす、桜の花弁はなびらがヒラヒラと舞う並木道を学校の帰りに歩いてると、遠くの方で一点を見つめたまま立ち止まって動かない見覚えのある背中を見つけて声をかける。
時計の針は、PM 16:48を指していた。

海桜「蒼空そらくーん」

光に照らされて、少しくすんだ栗色のサラサラとした綺麗な髪が風に揺れている。
私が声をかけると、蒼空くんは私にすぐに気がついて、子供みたいな笑顔で優しく微笑みながら手を振る。
けれどすぐに何かを思い出して慌ててまた物陰にしゃがみこむ。

蒼空「どうしたの?」
蒼空「ちょ、静かに。」

近づくと、蒼空くんはしゃがみこんだままの姿勢で私を見上げる。
その視線がなんだか宝物でも見つめるようにキラキラとしてて可愛いくてたまらない。
その横顔を眺めながら私の胸はドキドキと高鳴る一方で、その事に気づいているのか否か、蒼空くんは時々クスクスと笑う。

海桜「なに?」

蒼空くんが見ていたであろう方向を同じ体勢になって覗き込むと自然と顔が近づいてしまうから、思わずドキッと胸が高鳴るのを感じて一人そわそわしていた。
蒼空くんは平然としてて、指を挿した方向をおそるおそるそーっと覗いて見てみると、人慣れしているのかちょっと鈍感で人の気配に気づかないのか、桜のはなびらの中で気持ち良さそうにスースーと寝息をたてている毛並みが綺麗な黒い子猫がいる。
私の頬が真っ赤に染まっている事にも気づかないくらい、蒼空くんの視線はその子猫しか目に入っていなくて、ちょっとやけちゃうくらい可愛い子猫だ。

海桜「あ、黒猫ちゃん」
蒼空「可愛いだろ?」

何時からこうしていたのだろうか、蒼空くんはその子猫をじーっとただただ見つめていたらしい。
私は、その視線の先にいる気持ち良さそうに眠っている子猫が羨ましく思えてきて、少しの嫉妬心からくる言葉を思わずそのまま口に出しそうになったけど、言葉を飲み込んだ。

蒼空「首輪もしてないし、まだ触らせてはくれないんだ」

そう言って目を輝かせながら触りたいと言わんばかりに、うずうずとしている蒼空くんの残念そうな横顔が、なんだか大人の男性っぽくなくて可愛いらしいと私は思った。

海桜「触りたい?」
蒼空「え…」

指摘されて耳を赤くする蒼空くんが益々可愛くて、愛しくて幸せだった。

蒼空「あ、そろそろ行かないと」

急に思い立ったように立ち上がって時計を見ると、慌てた素振りでその場を去ろうとする蒼空くん。

海桜「仕事?」
蒼空「んー、今日は仕事じゃない」

もやっとした言い回しが何となく気になって、そうであって欲しくないと言う願いも込めて思い切って気になっている事を聞いてみる。

海桜「で…デート?」
蒼空「うん」
海桜「え?…」

即答で返ってきた言葉が、返ってきてほしくないと思っていた方だったので胸にチクっとする痛みを感じる。
それを知ってか知らずかイタズラをした後の子供みたいな笑顔と一緒にさっきの言葉を否定する返答が返ってきて、私は思わず安堵の表情を浮かべると皮肉な言葉が漏れる。

蒼空「うそ」
海桜「な、なんだよ、バーカ」

下を向いていると、不意に物腰の柔らかそうな雰囲気からは想像できないほどにゴツゴツとした大きな手で、ポンポンと頭を優しく撫でられて頬が熱くなる感覚を感じた。
それを蒼空くんに悟られたくなくて、見透かされないようにとまた深く俯いてうつむいて顔を隠した。

蒼空「じゃーな?」
海桜「うん」

だけどいつも、なんでも見透かされている様に思えて少しだけ蒼空くんが憎らしく思える。
蒼空くんの背中が角を曲がって見えなくなるのを、私は見つめながら見送って完全にその背中が見えなくなってから歩き出すと不意に着信音が鳴る。

海桜「はーい」
燐斗「海桜?」

着信の相手は大学のサークルで出会った男の子だった。
思わずガッカリしたと言わんばかりの低い本音トーンの声がついつい漏れて出てしまう。
その電話の向こうで燐ちゃんがクスクスと笑いながら、いつもの冗談を言う。

燐斗「あ、待ってた?」

燐ちゃんは、他の男の子なら絶対言わないような歯の浮くような台詞を日常的にサラッと言えちゃう様な性格で、女の子と間違えてしまうくらい肌は透き通るような色白の肌に、年齢よりも幼くみえる様な綺麗な顔つきをしていて、栗色のクルクルした猫っぽい髪質が可愛いと結構女の子には定評のある俗に言うモテる体質の人だった。
そんな燐ちゃんとの出逢いは、大学で入ったサークル内での飲み会だった。
私は、仲のいい友達とは皆違う大学だったので、まだ大学内には友達がいないし、とりあえず友達が作りたくてと言う理由と、面白そうという理由だけで入ったサークル内での飲み会に参加していた時で、その日も、周りには沢山の女の子達が燐ちゃんに近づきたいと言う一心であの手この手で近づいて囲んでいた。
私はと言うと、実際に燐ちゃんにもハッキリと伝えたけど、好きなタイプとは全然違ったし、すでに蒼空くんへの気持ちがハッキリとしていたから本当に全く興味がなくて、どちらか言えば、今までの学生生活では燐ちゃんみたいなタイプとは真逆で縁遠い生活をしてきたから、まさか声をかけられるなんて思ってもいなかったのに、なぜかその日は燐ちゃんから私に声をかけてきてすごく驚いたのを覚えている。
燐ちゃんが言うには、私にはそう言う下心が全くなくてそれが凄く新鮮だったらしい。
それから、なんたかんだと燐ちゃんが私を見かける度に話しかけてくれて、だんだんと仲良くなった。

海桜「いや、全然」

真顔で答える私の反応が手に取るように分かるのか、燐ちゃんはまたクスクスと笑う。

燐斗「相変わらずツレナイね」
海桜「何か用事?」
燐斗「んー、別に」

その言葉を聞いて、思わず深いため息が漏れ出る。

燐斗「渚咲誘って行くな!」

燐ちゃんはいつもの調子で唐突で成立のしない会話の後、一方的に言い切られて突然……ブチッ……ツーツーツーと電子音だけが残り、返事をする間もなく通話が途切れる。

海桜「え!?」







それから1時間後。
私の部屋には、私と燐ちゃんの二人きりだった。

燐斗「いーじゃん?な?」

全力の猫撫で声を出している燐ちゃんのちょっとかすれていて男の子なんだと思わせるちょっと艶のある声。
他の女の子ならきっと喜ぶんだろうなと思う、よくあるシチュエーションに精一杯思いっきり抵抗を試みる私。

海桜「だめ」
燐斗「なんで?」

必死に抵抗するも、やっぱり男の子なだけあって力では簡単に負けそうになる。
燐ちゃんが来ると、いつもお決まり事の様に何故かいつの間にかベットの上にいて、いつの間にか組み伏せられている。
そして無駄に身についた恋愛偏差値の高さを持て余す事なくフルに使ってくるそのあざとさに根負けしそうになりながらも抵抗を試みる私を、 何度もタイミングを見計らうかの様に助けに入ってくれるのは渚ちゃんで、今日も例外なくすぐ様ものすごい勢いで階段を駆け上がってくる足音が、ダダダダダダダダ……と響いて、ガチャッと部屋のドアが勢いよく開くのと同時に罵声が飛ぶ。

渚咲「……この愚民!海桜から離れなさい!」

慌てて入って来たのはやはり渚ちゃんだった。
黒髪美少女とは、渚ちゃんの為にあるんじゃないかと思う程に、長く綺麗な黒髪と透き通るような白い柔肌で、女の私からしても美少女だと本当に思う。
渚ちゃんとも、燐ちゃんと同じサークル内での飲み会で出逢ったのが初めてだった。
燐ちゃんに絡まれていた私を見かねて、話かけてきてくれたのが渚ちゃんだった。
渚ちゃんは物怖じしない性格で、見かけの繊細な第一印象とは違って、守られるタイプに見えて結構負けん気の強いお転婆な女の子で、たまにそのお転婆な面が災いして、顔に擦り傷を作って絆創膏を貼っていた事があった時はすごくびっくりした。
学校の帰り道の公園でたまたま猫の鳴き声が聞こえた気がして探し回った結果、茂みに顔を突っ込んで探していた時に木の葉っぱでピッと切れてしまったのだと後から聞いたけど、渚ちゃんのキレイな顔に傷が残るんではないかと思ってたけど今はすっかり綺麗に跡形もない。

燐斗「ちッ」
渚咲「この変態!通報するわよ!」

[110]と打ち込んであるスマホの画面を燐ちゃんに向けて突き付ける渚ちゃん。

燐斗「や、ちょ、、あ!」

慌てて避けようとして体制を崩すと、私の胸に燐ちゃんの手が少し触れたその瞬間、渚ちゃんがニコッと優しく笑って容赦のない一言。

渚咲「ゼロ」
燐斗「や、ちょ、まっ……ごめんてばーー!」

懇願する燐ちゃんと、それを面白がって渚ちゃんがからかい続ける。
この三人が揃うと、いつもこんな風に笑顔でいっぱいで、私はこの時間が大好きだ。







そうして時間を過ごしていると、ときどき誰かの声と壁にでもぶつかっているのかドンと言う鈍い音が響き転びながら階段を上がってくる足音みたいな音が聞こえてくる。

海桜「ん?誰か来たかな?」

立ち上がろうとした瞬間に、燐ちゃんに手をグイッと引っ張られてそのまま体制を崩した反動を使って引き寄せられてちょうどよく腕の中へとすっぽりと収まる。

燐斗「誰かもわかんねぇのにあぶねぇだろ」

と、そこにノックも無しにドアを乱暴に開けようとガチャガチャと何度も引っ張ったり押したりする音が響く。
頭の中には少し前に見てた刑事ドラマでやってたような光景が浮かんで、思わずゴクリと音をたてながら飲み込む唾と身体に緊張でチカラが入る。

蒼空「海桜ぉ~」

千鳥足で立っていたのは蒼空くんだ。

燐斗「え?知り合い?」
海桜「うん、隣のお兄ちゃん」

私が側に行くと、倒れる様にしてもたれ掛かかる蒼空くんの体を支え切れなくて、2人でそのままベットへ倒れこんでしまう。

蒼空「かまえー」

と、蒼空くんが私の上に覆い被さったまま、いつもとは違う雰囲気で顔を近づける。

蒼空「んー…」
海桜「蒼空くん酔っぱらいすぎ!」
蒼空「おー」

いつもの蒼空くんとは違って、甘えて抱きついてくる腕に緊張しながらも、何だかふわふわした感情があふれる。

渚咲「ふふ。あ、あたし水貰ってきてあげる」
海桜「ありがとう、渚ちゃん」
渚咲「いーよ」

渚ちゃんがリビングへと向かい階段を降りる。

蒼空「渚ちゃん?」
海桜「友達。あ、ねぇ燐ちゃん助けて?」
燐斗「あ、うん」

と、男の子の声がした途端に、蒼空くんの表情が一変する。

蒼空「…だれ?」

今まで過ごしてきて一度も聞いたことの無いような、蒼空くんの低いドスのきいた声と、さっきまで甘えた猫撫で声を出して、ふにゃふにゃしてたとは到底思えない程の腕の力で、ぐっと抱き寄せられる。

海桜「蒼空くん?」
燐斗「あ、えーっと…」

燐ちゃんも急な威嚇とも取れる態度に少し戸惑っている。

海桜「蒼空くん?この人も友達だよ?」
蒼空「友達?」
海桜「そう、燐ちゃんだよ」

私の言葉を聞くと、蒼空くんは腕の力をいっそう強くして抱きしめる。

蒼空「燐……ちゃん……」
燐斗「あ、燐斗です。どうも……」

と、突然、思い出した様にして、既に完全に据わっている目を更につりあげて燐ちゃんを睨みつける蒼空くん。

蒼空「あ、お前!いーーーーーっつも、俺の海桜にハレンチな事しようとする奴だろ!」

フラフラとしながらもビシッと指をまっすぐ差している蒼空の言動を肯定するタイミングを見計らったかのように、
渚ちゃんがタイミングよく部屋に入ってきて悪戯に相づちをうつ。

渚咲「間違ってないわね」
燐斗「え?!や、ちが……」

慌てて否定をしようと口を開くも時は既に遅かった。

渚咲「さっき私が来る前だって…」
蒼空「……なにしたんだ?」

今にも飛びかかりそうな蒼空くんを、私は必死に押さえ込む。

海桜「そ、蒼空くん、大丈夫!スキンシップって奴だよ!ね?燐ちゃん?」
渚咲「そうだったかしら?」
海桜「渚ちゃんも、もー、やめて」

笑っていると突然に電池が切れた子供みたいに、叫びながらフッと突然に寝落ちる蒼空くん。

蒼空「……俺の…海桜が…ぁ……………」
海桜「あ、落ちた」
渚咲「いつもこうなの?」
海桜「んーん。本当はもっとカッコイイ」

笑いながら渚ちゃんは部屋にあった時計をふと見て突然に終電の時間が迫っている事に気づいて、慌てて身支度をする。

渚咲「あ、もう22時過ぎてるじゃない!」
燐斗「え」
渚咲「ほら、行くわよ」

慌てて燐ちゃんも身支度を始める。

海桜「渚ちゃん後でLINEするね」
渚咲「うん、あたしも家に着いたらするね」
燐斗「え、海桜、俺は?」
海桜「燐ちゃんは私から送らなくても、勝手にLINEしてくるじゃん」
燐斗「そうだけどさー……」
海桜「それよりもう遅いし、渚ちゃんの事ちゃんと送っててよね?」
燐斗「ふーい」
海桜「じゃあ、またねー?」
燐&渚「またね(なー)」

それから部屋に戻って、スースーと寝息をたてて無防備な蒼空くんの寝顔を、私はしばらくの間眺めていた。

海桜「ずるいよー」











それから1時間後、お父さんか帰ってきて部屋に入ってきた。

父親「蒼空は?」
海桜「酔っぱらって寝てるー」
父親「酔っぱらって?珍しいな」
海桜「そうなの」

お父さんが寝息をたてる蒼空くんに、声をかける。

父親「蒼空ー起きろー」

強引に体を起こそうとすると、子供のように駄々をこねる蒼空くんが可愛くて、つい笑ってしまう。

蒼空「ん"ー…やらのー」

私は、蒼空くんの腕の方に回ると、そのまま腕の中に引っ張りこまれる。

海桜「ちょっ!!」
蒼空「海桜と寝るもん…」

普段の時とは違ってすっかり甘えたモードの蒼空。

父親「あーもうダメだな」
海桜「え?」
父親「このままでも大丈夫だろ?」
海桜「や、ちょ、え?!」
父親「小さい頃は毎日一緒に寝てたんだしな。じゃーおやすみー」

なんの心配もせずそのまま出ていってしまった父親の背中に、私は唖然とした。

海桜「そうだけどでも…あの、や、まっ………はぁ…」

ため息をつきながらも、少しだけこの状況に顔がにやけてしまう私がいる。

海桜「なんで、こんなに酔って家に来たんだか……」






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