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第四章:開花

私の望んだ幸せ(1)

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 私とレイジは連れ立ってディゼルド公爵邸に足を踏み入れた。
 実家であるはずのその場所へ入るのに少しよそ者感があったのは、この家に帰るのが数年ぶりだからなのか、レイジがエスコートしてくれているからなのか。
 レイジの腕に手を添えて歩く私を、ディゼルド騎士団の面々がおかしなものを見るような目で見つめていたのは見なかったことにする。


「皇太子殿下、遠路はるばるようこそお越しくださった。まさかこのような形で貴殿をここへ迎え入れることになるとは思いませんでした」
「そうであろうな。俺としても一度ここに来たかったから、このような機会を得られて感謝している」

 軽く挨拶して応接間のソファに着席すると、レイジは懐から一通の封筒を取り出して父上に差し出した。

「ポーラニア皇室からの贈答品の目録だ。ステラリアを戦後賠償の形で連れ出してしまったことに対するお詫びの気持ちも入っている。ステラリアを失った貴殿らの心に報いるには足りないかもしれないが、まずは収めてもらいたい」
「では、ありがたく頂戴いたします」

 父上は封筒を受け取るとすぐ執事に渡す。おそらく母上に見てもらうのだろう。

「それで、レイジ。ここで聞いてもいいのよね? どうして私が……王室の人間でも父上でもなく、現場の総指揮官でしかない・・・・私が、帝国へと引き渡されることになったのか」
「……ああ、そうだな。もう隠し立てはできまい」

 そういって、レイジは目の前のティーカップに口を付ける。そこから一呼吸おいて……そこからさらに深呼吸をして。

「ひ……」
「ひ?」

 言いよどむレイジに首を傾げ、じっと瞳をのぞき込む。居心地悪そうにしながらレイジはぽりぽりと首元をかき、やがて決心したようにうなずく。

「一目惚れ、だったんだ」
「んんっ!?」

 レイジの口から出るとは想像もつかなかった言葉が飛び出し、私は思わず噴き出しそうになる。

「ステラにも見てもらったとおり、俺の周囲には婚約者を狙う令嬢であふれていた。確かに優れた家門の令嬢で、さまざまな教養を身に着けていることは理解できたが、俺が求める理想像とは異なっていたんだ」

 皇室とのつながりを求め、レイジという個人を求め、見染められた自分は恵まれた人生を謳歌する。そんな理想を抱く令嬢たちの姿を、レイジは残念そうに見つめていたのを覚えている。

「年を重ねるにつれ、婚約者を決めろという声は強くなっていった。俺は自分の理想を貴族連中に示しつつも、受け入れられないまま時間だけが経過し、疲れていた……そんな折、イクリプス王国との戦線が押されているとの情報を得た。俺がステラの待ち受ける戦場に向かったのは、参戦すべきではないという貴族の声を押しのけ、帝都から離れて少しでも決定を引き延ばすためだったんだ」

 ……皇太子が参戦すると聞いて、それほどの大物が参戦するほど重要な戦いなのかと戦慄した覚えがある。あれは戦線が重要かどうかではなく、ただ存在する戦線に向かっただけだったのね。

「正直なところ、俺はイクリプス王国への戦争そのものに懐疑的だった。貴族連中が領民の不満を王国へ転嫁するために始めた戦争であり、大義名分もない。ムダに時間をかけて戦争を引き延ばし、適当なところで休戦して引き上げるつもりだった。だが……」

 そこで言葉を切って、レイジはじっと私を見る。

「その戦場で、ステラと出会った。女性でありながら総指揮官として優れた戦術で帝国の大軍を退け、戦線では自らの剣技で戦況を有利に切り拓いていく。その姿を俺は、美しいと、そう思ったんだ」

 戦場での私なんて、たいした手入れもしていない髪を兜に押し込んで鎧に身を包んだ姿でしかなかったはず。
 だというのに、レイジは私のその姿を、美しいと、そう思ってくれたんだ……。

「それからは、どうやってお前を手に入れるかしか考えられなくなった。そうして、本気で戦線を押し込んで王国軍を降伏させ、戦後賠償でステラの身柄を引き渡させると決めた」

「じゃあ、帝国軍が急に強くなったと思えたのは……」
「一刻も早く戦争を終わらせるために、俺も本気を出した。ステラリアと同等の作戦立案ができれば、人数の多いこちらが有利だと思っていたからな」

「攻め込まれている割にこちらの被害が想像よりも少なかったのは……」
「俺がなるべく殺さずに捕えるか気絶させるよう指示したからな」

「では、講和会議の場でステラリアではなく私を連行してほしいという要求を拒否したのは……」

 そう問うたのは私ではなく父上だった。
 まさか、父上は私の代わりに帝国へ渡ろうとしていた……?

「もちろん、他の誰でもなくステラを連れてきたかったからだ。この役割だけは、貴殿でも、イクリプス王室の人間でもなしえない」

 私は言葉を失う。
 レイジの計画は、レイジが戦場で私と出会ったときからはじまっていたんだ。
 私に反発されながらも、関係性が決裂しないように注意を払って、いずれ私が心からレイジに好感を持てるように。
 なんて、なんて迂遠な計画……!

「ステラリアが帝国に渡ってひと月後に婚約の通知が届いたときは何事かと思いましたぞ」
「そうだろうな。講和会議の場では目的を明かせなかったゆえ、貴殿らには不安な思いを抱かせてしまったであろう。だから、なるべく早く報告しておきたかったのだ」

 よかった。父上は、王室は、私を見捨てたわけではなかったんだ……。
 つん、と目頭が熱くなる。レイジは私の頭にそっと手を添えて。

「俺が下手なことしかできなかったせいで、ステラを不安にしてしまってすまなかった」
「ステラリアを失ったとき、私はひどく後悔した。お前を戦場に縛り付けるばかりで、親として何もしてやれなかったと。こんなことを言える立場ではないかもしれないが、お前が帝国で幸せを掴むことができたのなら、親として私はそれを応援しよう」

 言いたいことはまだまだある。
 だったら女騎士であるクラリスはどうだったのか、なぜ最初に契約婚約だと言ったのか、なぜ無茶苦茶な条件を突き付けてきたのか。
 だけど、その話はこの場でなくてもできる。私は湧き出す感情をぐっとこらえ、不安な気持ちをほぐすように、レイジの手の暖かさにしばし身をゆだねるのだった。


 ややあって、私はようやく落ち着きを取り戻した……と思う。

「化粧が崩れてしまったな。部屋で少し休んでくるといい。場所は変わっていないから」

 父上に促されて、私はレイジに「ありがとう」と言って立ち上がる。

「クラリス、ついてきてちょうだい」
「はい、お嬢様」

 私はふたりの前を辞して自室へと向かう。ふたりは静かに私を見送ってくれた。

 ---

 ステラリアの姿が見えなくなってすぐ、私は声を潜めてレイジ殿下に呼びかける。
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