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第一章『人外×幻想の魔物使い』
第27話:魅惑的な食事
しおりを挟む煉瓦造りの屋根を、硝子張りの窓を、庭の草地を、樹木を、隣の家を、皇都を、ヒースヴァルムを、強く打ち付けていた雨は上がり、妙な静けさの中に水滴の滴る音だけが響く。
ポチャン、ポチャン、ポチャン――
空気の入れ換えのために窓を開けていた家の中にも、その静謐な美しい音は届く。自然の奏でる音色に耳を澄ませながら、コルクのコースターにティーカップを置いた熟年の女性はふと手元の本から顔を上げ、正面を視る。
「…………」
そこにいるのは、薄赤の毛を持ち、長い尻尾の先端に炎を灯す子猫。額では揺らめく炎を内包したような赤宝石が彼の存在の希薄さを象徴している。
来客は去り、しんと静まり返る室内の中心に設置されたソファーで、やはり物音一つ立てずに小柄な身体を丸め『七色の卵』を暖めている、とある少女の眷属だ。
「フラムちゃんは偉いねぇ。いつもエルウェの召喚獣のことを想ってくれて」
熟年の女性が毎度のようにそう言うと、その眷属は毎度のようにこう答える。
「……別にィ。コイツが主の助けになりたいってうるさいから、早く孵してやりたいだけだァ。きっとこのドラゴンは強ェ、どこの誰よりも……オレよりもなァ」
それはこれまでに何度も繰り返してきたやり取り。
同じような返答を聞き届け、けれど熟年の女性は毎回安堵の溜息を零す。
「フラムちゃんがエルウェの傍にいてくれれば安心ねぇ。少し気が強い所もあるけれど、あの子の根っこは寂しがり屋なの……この先もずっと、エルウェをよろしくね?」
「主はオレの全てだァ。きっとコイツもそれを望んでる……必要とされるなら、いつだって側にいるさァ。それに今は、馬鹿だが有望な新入りもいることだしなァ」
そう言って細められた眷属の紅い猫目は、ドラゴンの卵を映していない。どこか遠く、濁りが渦を巻く瞳は視界に映る物を捉えてはいない。
それこそ――自分自身の中を見据えているような、そんな奇妙な感覚を覚えて。
ちょっとだけ不安になって、熟年の女性は瞳を眇めた。
同時に、だからこそ、と。
だからこそ、この答えの分かりきっている問答を繰り返しているのかもしれない、と思った。少女へ向かう心は誰よりも強く何よりも優しく、けれど透き通るような純真ではないから。額の赤い宝石に、何かしらの違和感が揺らめくから。
再度ティーカップに口をつけ、コースターに音もなく置いて。
白い息を吐き、数年前から抱き始めたこの不可思議な感慨には蓋をする。
ただ、一つ言えることがあるとするならば。
それは、眷属の少女に対する『愛』は紛うことなき『本物』だということだ。
「あらあら、うふふ。そうねぇ、フラムちゃんは本当に、主思いの良い子ねぇ」
「…………あァ。主を、頼むぜェ……可愛い後輩よォ」
そう、ぼそりと零して。幸運を呼び寄せる宝石が、鈍く輝く。
どこか手の届かぬ場所へと思いを馳せるように、瞳が静かに閉じられた。
****** ******
ギルドマスターであるヨキさんの妻、サエさんに「また明日来るわね」とさよならを告げてからの帰路。しばらく続いていた大雨も昼食をごちそうになっている頃には上がり、今は赤鈍色の雲が厚く空を覆い隠していた。
また降り出さないとも限らないし、今のうちにと急遽宿に向かっているわけである。僕としては濡れることは問題ないんだけれど、錆が怖い。エルウェに臭いって言われたら生きていけない。っていうか死ぬ。すぐに死ぬ。
年若い魔物使いであるエルウェが召喚した規格外れの七色の卵――ドラゴンの卵はいつ孵るかわからないが、こうやって毎日訪れて魔力を譲渡しているらしい。
昨日は予想通り忙しく行く暇がなかっただけで、普段は冒険者稼業が終わった後にサエさんの家に寄っているのだとか。それからどうして自分たちの手元においておかないのかというと、あの宿のボロさでは防犯出来るか怪しいからだそうな。
だからといって持ち運んでいても、ふとした衝撃で割れてしまうかもしれないし。
結果として、ドラゴンの卵だけは自立した後も置かせて貰っているらしい。
エルウェが魔力を空っぽにした後は、フラム先輩がその柔らかい赤毛で包むように卵に密着し、やけに生真面目に魔力を篭めていた。他人の魔力は受け付けないらしいが、魔物使いとして主を共有する眷属ならば可能とのこと。
ちなみに僕が泣く泣く魔力を分けてあげると提案したところ、エルウェに「エロ騎士はダメ。だって割りそうなんだもの」と言われた。なんでわかった? と素で驚いたのは内緒。あは。
今のうちに帰ろうとエルウェが提案しても、フラム先輩はまだ卵を暖めていると言ってサエさん家に残った。やっぱりね、的なエルウェの反応と微笑みを絶やさないサエさんの反応からして、いつものことなんだろうね。
……いや常に微笑みを絶やさないサエさんの反応からは、何も読み取れないけれど。
あのザ・男って感じの声してるフラム先輩がまさかの子育てキャラというギャップ萌えを狙ってきていた。いや、子猫の姿であの声って言う時点でギャップなんだ。今回のこれはギャップのまたギャップ、つまりは一周回ってギャップ、うんよくわからないが恐ろしい眷属め。エルウェも嬉しそうだったじゃないかズルイ!
「ふぇええええええええええええええええええええ――ッッ!!」
急な大雨でずぶ濡れになり、ふわふわの毛が張りついて骨張ってしまった犬の獣人や、雨宿りしていたためか忙しそうに駆ける制服を着た蜥蜴男。大きな水溜まりの中で跳ね回る子供達を叱りつける主婦にと、ヒースヴァルムの首都《皇都》には、一時的になりを潜めていた賑やかさが徐々に戻ってきている。
そして僕はいつもの太股ではなく、エルウェの胸に抱かれる形で運ばれていた。
ついでに申しますと絶賛号泣中であります。
洞窟を彷徨っていた頃は涙なんて何をどう絞っても出なかったんだけど、シェルちゃんの馬鹿みたいな魔力で流浪の白鎧に変異を遂げてからと言うものの、条件反射であれば汗も掻くし本物の涙だって出るようになった。
大事なのは慣れなんじゃないかな。慣れれば何でも出来るんだよ、きっと。
それにそれに。
もうね、僕は心配なんだ。僕の立ち位置が今から心配なんだ。
中身が元人間? 子供じゃないんだから? そんなの知ったことではない!
僕が泣きたいから泣くんだびぃぇええええええええええええっ!?
「本当の本当に捨てたりなんかしないわよ……だから泣き止みなさい。男の子なんだからみっともないわよ、ほら泣き止みなさいって……泣き止み、いい加減泣き止んで……っ、泣き止みなさいよっ!?」
「うぎゃっ!?」
さすがに間欠泉の如く涙を流すルイには及ばなくとも、噴水のような涙を流し、それも大声で泣き喚いている僕はさぞかし目立っているだろう。通りすがるヒースヴァルムの住民達から訝しげな視線を向けられている。
まるで友達の親から手渡しされた赤ん坊が急に泣き出して、どうあやせばいいか思い当たらないみたいにおどおどしていたエルウェは最終的にキレた。地面に僕を投げつける。それ判断ミスですぅ。僕は悲しいですぅ。泣きますぅ。痛いですぅ。
それにね、なんか泣き止むタイミング見失っちゃって。
どうしよ、あっ、これどうしよぉ。泣き止んだら捨てられる気がして、まだ孵ってもないドラゴンに負けた感じがして、もはや八割意地である。
いっそのこと僕と結婚してくれるって言ってくれるまで泣き続けて――、
「~~~~~っっ!! わかった、わかったわよ! こうすれば満足なんでしょ!? 機嫌直してくれるんでしょ!? 今日は、そのっ、特別に――ご飯あげるからぁっ!!」
流石に周囲からの視線に我慢ならないものがあるのか、ぎゅっと両手でローブの裾を握り、羞恥の余り顔を真っ赤に染めたエルウェが叫ぶ。
その言葉に、足を伸ばして濡れた石畳に座っていた僕はきょとんとする。
言葉の意味がすんなりと入ってこない。瞬時には理解できなかったのだ。
はぇ? 何だって? 今日は特別に、ご飯くれるから? 特別な……ご飯? ご飯?
と、しばしの間考え込んで、ハッと雷が落ちるような衝撃を受けた。
――おパンツッッ!?
おーまいがぁ。なんてこった、まさかくれるというのか僕の主食を? しかもエルウェから言い出しただと……今日は大雨だったけど明日は槍でも降るんじゃないだろうか。
兎にも角にも、くれるというのだから甘んじて受けようじゃないか。例え裏があったとしても断る理由なんて僕には存在しない。
即座に泣き止んだ僕は、紫紺の瞳を弓なりに細める。
そして嬉びと期待が天元突破した内面を露わにするように、厭らしい声で笑った。
「でゅへへぇ~」
「このエロ騎士ほんとに気持ち悪いわねっ!?」
****** ******
その夜。
日を跨ぎ、闇が濃くなり始めた時間帯のこと。
眠らない街の喧騒がまだ遠くに響き、雑多な煌めきを映す大枠の窓の側。
黒の下着を兜に装着した小さな鎧が、静かに窓の外を眺めていた。
――僕である。その鎧、紛うことなきこの僕である。
頭に被った布から感じる温もりの残滓。
長方形の純金を面甲を開けた口のような隙間に咥え、煙草の煙を楽しむようにスカした素振りで「ふぅ」と大きな息を吐く。
原理は不明だが、確かに熱を持って放出された深い感慨の籠もった息は、静謐な雰囲気を醸す兜を映していた窓を白く濁らせた。しかしそれも短時間のことで、すぐに透明度が戻ってくる。
僕は純金の塊を籠手先で摘まむと、ポツリとくぐもった声を漏らした。
「……世界が輝いて見えるぜ……ヒースヴァルム、綺麗な国だ……」
『其方、そろそろ世の中のためにも捕まった方が良いと思う……』
シェルちゃんが何か危ないことを言っていると、十字にわけられた窓の右側、水蒸気の付着していない透明な硝子に、うっすらと紅い子猫の姿が見えた。
男気溢れる幸を呼ぶ幻獣……フラム先輩だ。
彼は僕の背後に設置されたテーブルにちょこんと座り、大きな欠伸をしながらこちらを見ていた。
「ふあァア…………まさかお前ェ、ずっとそうやって外を眺めてたのかァ?」
「あれ、そんなに時間経ってた?」
眠たい目を擦っているフラム先輩はそう指摘するけれど、はてさて時間を忘れてしまっていたようである。全ては頭に被った下着のせいだ。魅惑的な香りが正気を奪ってしまうのだ。末恐ろしい。魅了の効果を発揮する魔導具か何かだろうか?
「いよいよ頭がおかしくなったンじゃないのかァ? 主が寝入る前からそうやって黄昏れてただろォ……かれこれ二時間は経ってるぞォ」
「そんなに……ふっ、ふふふ。まぁいいじゃないか。エルウェの脱ぎたてほかほかをつけていると、世界が鮮やかに彩られて見えるんだ……野郎に奪われた唇の記憶が浄化されていくようだよ……」
「そ、そうかァ……」
そう言って、フラム先輩が痛ましい物でも見るような哀れみの目を向けた先には、「ぅ、ぅうう……」と苦しげに呻いて寝返りを打っているエルウェが。
大丈夫だろうか、何か怖い夢でも見ているんだろうか? 心配だよ僕は。
沈黙。
ややあって、そろそろごっこ遊びに飽きてき僕は素面に戻り、こんな時間に起きてきたフラム先輩に問う。
「……もしかして起こしちゃった? それともどこか行く予定でもあるの?」
「オレかァ? オレは……いや、オレも一人で黄昏れたいんだァ。ぶらぶらと夜闇に紛れて散歩でもしてくるゥ……なに、直ぐ戻るさァ」
言うや否や、身軽な身のこなしでテーブルから飛び降りたフラム先輩。
けれど、小さな足音を立てて去って行くその背中は、どこか。
得体の知れない歪な、寂寞の影が張りついているような気がして。
「あっ、ならフラム先輩もどう? 下着つけると幸せな気分に――、」
「誰がつけるかァッ!?」
振り返り叫んだフラム先輩は、いつも通りの彼で安心する。
「ほらほら、遠慮しないで。僕たちはエルウェに仕える眷属じゃないかぁ」
「お前みたいな変態野郎と一緒にするんじゃねェッ!?」
「あれぇ? 確かこの辺にしまってたと思うんだけど――、」
「それに今被ってるヤツをくれるんじゃないんだなッ!?」
棚をがさごそと漁っていた僕にそんなことを言う。
なに? 僕が被ってる特別製が欲しいの?
「え? フラム先輩も脱ぎたてほやほやがいいの? ええ~、でもこれは僕がねだりにねだって手に入れた物であって……おっ、あったあった。これ、エルウェが数着しか持ってない白の下着! レアものだよ! これで我慢してくれないかなぁ?」
「……お前の相手をするのは本当に疲れるぜェ」
そう残し、フラム先輩は下着を受け取ることなく歩いていった。
器用に尻尾を使い扉を開け閉めすると、合鍵を持ち出したのか向こう側でガチャリと鍵の閉まる音がした。
ほんと、どこに行くんだか。
僕は静かに手元の白布を面甲に近づけた。
「ふあぁあぁ……やっぱり良い匂いぃ」
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