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第一章
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イツトリ・ヘルムートが帝都特異魔術学園に入学したのは今から半年前のことだ。
「イツトリ、お前さん、帝都特異魔術学園に入学してこい」
してみないか?とか疑問系じゃなかった。
決定事項を告げる言い方だった。
彼の後見人兼保護者となった、偏屈な爺さん(その力は魔術師としては非常に高い)から告げられた内容に少年は青い瞳を瞬かせた。
「ついに耄碌したのか、じじい」
六十を超えてもしゃきしゃきと動く筋骨隆々とした肉体を持つこの爺は魔術師だ。
魔力量が多い優秀な魔術師は寿命がとんでもなく伸びるとはいえ、見た目の年齢に引きずられているのかも知れない。
寿命が長いのに忘れっぽくて大丈夫か、いやむしろ忘れっぽい方が良いのだろうか?と心配したイツトリに対して返ってきたのは拳骨だった。
鈍い音が炸裂する。
「い、ッ、だ!!何すんだじじい!」
涙目になったイツトリは拳骨を落とされた頭を抱える。基本何でも魔術で解決できるくせに肉体まで鍛えているなんて反則だ。
「誰が耄碌じじいだ、阿呆」
「耄碌じじいとは言ってないだろ、耄碌したかとは聞いたけど!」
「もう一発欲しいか?」
「要るわけないだろ、暴力じじい!」
拳をちらつかせる老人に叫び返してイツトリは距離を取った。大きく嵌め込まれたガラス窓まで行くと頭を守る体勢に入る。窓の左隣、暖炉の近くで暖まっていた獣が慰めるように身体を擦り付けてきた。
しゃがみ込んだ少年はそのふかふかに暖まった首に手を回して抱き締めると顔を埋める。
「……暴力的な人間に拾われてしまった」
「なにおう、俺が拾ってやって良かっただろうが。他の人間共に見つかってみろ、研究機関に回されちまうぞ。【最果ての森】の生き残りなんざな」
老人と少年が二人で暮らす小さなこの小屋は地図の北の最果てにあった。
年がら年中雪深い。田舎も田舎、人なんて彼らの他には絶対いない、人の住めない土地である。少し南の方に降れば人里があるがそれだけだ。老人と少年は世界の果てに住んでいた。
だが、少し前までは更に果てがあった。
【最果ての森】と呼ばれる純白の森が最北端にあった。そこに存在するすべての動植物は白く染まる。動物も植物も例外なく、大気に漂う高濃度の魔力によって純白に染まるのだ。
生きている者すべてが降り積もる雪と同じ色の純白の世界。
それが【最果ての森】と呼ばれる森だ。
だが、それは今はもうない。
人間によって【最果ての森】は燃やされた。跡形もなく、完全なる灰になるまで燃やされたのだ。だから今は老人が住むこの土地が世界の最果てといえるだろう。何せ、最果てはもうないのだから。
イツトリはその【最果ての森】で生きていた唯一の人間だった。赤子の頃に森に捨てられ、森の生き物達と共に育った彼は人間によって故郷を無くしていた。
拾ってくれた老人も人間だが、だからといって人間に好感情を抱いている訳がない。
それを理解しているだろうに人間の学園に行け、などと言ってくる老人をイツトリは見た。
「俺がその魔術学園とやらに行く理由は?」
「お前さんは人に馴染めないだろう。そんなんで生きていけるほど世界は甘くないぞ」
「森にでも行けば良い。自然と共に生きる術なら知っているさ」
「その異質な獣を連れてか?ノーチェスは見た目こそ獣だが、本質は違う。どんな生き物だってお前達を排斥するだろう。仲間として認めるにはあまりにも逸脱している。受け入れられるのは本能が馬鹿な人間だけだ。諦めろ、イツトリ。【最果ての森】が燃えた時点でお前達に居場所はない。そしてお前さんは人間だ。人間ならば人間に馴染む努力をしなければならないんだ。【遺言】を忘れた訳ではないだろう」
はっきりと言われて少年は顔を上げた。
青い瞳が光を反射して赤く光る。
「……、」
不気味な雰囲気を湛えながらも黙っている少年に老人は続けた。
「お前さんらが自由に生きる。その為の手段だと思え。割り切ってしまえ。幸い、お前さんには魔術師としての才能があるからな。帝都特異魔術学園に入学して卒業出来れば気ままな生き方をしたって誰も文句は言わんだろう。あの学園は異質さ、異様さこそを重視する。変人を輩出してなんぼだ。どんな道だって選べるはずだ」
異質、と言われてイツトリは無意識のうちに首の包帯に触れていた。
森が燃えた時、彼の命だけは助かったが無傷では無かった。包帯はその時の火傷痕を隠す為のものだ。焼け爛れた皮膚は再生せず、無残な傷口を晒しているので包帯で保護して隠している。首だけではない。両手、手のひらから手首までもを覆う凄まじい火傷の痕が残っていた。
あの森を焼いたのは人間だ。
彼に火傷を負わせたのは、ノーチェスの仲間達を殺したのは、人間だ。
その生き物と集団生活をしろと言うのか?
イツトリも姿形こそ人間だが、その在り方は大きくかけ離れている。人でありながら人ならざる者である彼は自分の後見人の言葉に眉を寄せた。
生き辛いのは確かに困るが、人間に馴染む努力をするだけなら学園に行かなくてもいいのではないだろうか。
学園に行くメリットがあまり見当たらない。
イツトリが反論する前に老人は言葉を重ねる。
「それに、あの学園には多くの禁書がある。お前さん達が襲われた理由がわかるかもしれん。目的もわからなかったんだ。結果として【怪物】を殺すのが本当に目的だったように見えるが、それも結果論だ。だとしたらまたいつ襲われてもおかしくないぞ。隠れ潜むのがお前の望みか?」
その言葉に俯きかけていたイツトリは弾かれたように顔を上げた。
イツトリ達が暮らしていた森にはかみさまがいた。
【怪物】と呼ばれる、神話の生き物が。
かつて世界中を彷徨って居場所と名前を探し、最終的には世界を滅ぼす穢れを浄化する為だけに謂れのない罪を被せられ、世界のすべてを燃やす白い焔で殺された、【怪物】。
殺されたとされていただけで実際は生きていて、【最果ての森】と呼ばれる場所で静かに暮らしていただけの存在。
名前も持たずに捨てられて、死ぬのを待つだけだった小さな赤子にイツトリという名前と居場所をくれた養い親だ。
もう世界のどこにもいないけれど。
森と共に灰になってしまった、たった一つの大事なものだ。
何故、奪われなければならなかったのか。
「そこに行けば、わかるのか」
「可能性があるってだけだ。確実なことは言えん」
だが、と老人は続けた。
「ゼロじゃない。途方もないかもしれんが、道は確かにある」
「じゃあ行く」
イツトリにとって、【怪物】はすべてだった。
いや、今もすべてだ。
彼を構成するすべてに【怪物】は存在する。恩人だ。命をくれた、名前をくれた、居場所をくれた。
あの優しい生き物が何故、虐げられなければならなかったのか。何故、殺されて当然などと考えられるようになったのか。それが知りたい。それが出来るなら何処でだって出向こう。
不快な存在がいようとも我慢して見せよう。
だが、懸念材料が幾つかあった。
勢いよく頷いたイツトリだったが心配になる。
「自分で言うのもアレだが、俺は多分、人と共存できないぞ。問題起こしそう。人間はうるさすぎる」
イツトリは騒音が苦手だ。
人が多いと音が多いから、人混みも苦手だった。通常の人間なら問題ないであろう生活音ですら彼にとっては不快な部類に入ってしまう。【最果ての森】が静かすぎたせいなのだが、そこで育った彼にとって人間は未知の存在であり、人間が集まる街などは苦手だった。
「そこについては対策済みだ」
「本当に?俺はある程度我慢できるけど、ノーチェスは獣の本能が強い。俺の言うことには従順だが限度がある。盲目的ではないからな」
獣の本能が強いということはつまり、相手を殺す可能性があるということだ。あんまり人間の習慣に詳しくないイツトリでもそれが危険だということはわかる。
イツトリ自身のストレス値がマックスになった場合もまた、ノーチェスはその排除に動いてしまうだろう。
「安心しろ。一人、ワシの友人に声をかけておく。一通りの事情は説明しておくから、何かあれば頼れ。人間の習慣の方はワシの孫だな。孫が学園に通っているから気にするように言っておく」
「へぇ。いたせり尽くせりじゃないか。ありがとう、じじい」
「おうよ。盛大に感謝しろよ。そもそも最初からそう言え、クソガキ」
「……ノーチェス、やっぱり一回このじじい殴ろうぜ。叩いたら治る気がする」
「ワシは叩いて治るようなモンではないわ!かかってこい、クソガキ!」
日常になった馴れ合いだった。
【怪物】と暮らしていた頃には考えもしなかった、違う日常。もうあの森はないけれど。【怪物】と呼ばれたヒトはいないけれど。
それでも生きているイツトリの日常は続いている。
それが少し、物悲しかった。
「イツトリ、お前さん、帝都特異魔術学園に入学してこい」
してみないか?とか疑問系じゃなかった。
決定事項を告げる言い方だった。
彼の後見人兼保護者となった、偏屈な爺さん(その力は魔術師としては非常に高い)から告げられた内容に少年は青い瞳を瞬かせた。
「ついに耄碌したのか、じじい」
六十を超えてもしゃきしゃきと動く筋骨隆々とした肉体を持つこの爺は魔術師だ。
魔力量が多い優秀な魔術師は寿命がとんでもなく伸びるとはいえ、見た目の年齢に引きずられているのかも知れない。
寿命が長いのに忘れっぽくて大丈夫か、いやむしろ忘れっぽい方が良いのだろうか?と心配したイツトリに対して返ってきたのは拳骨だった。
鈍い音が炸裂する。
「い、ッ、だ!!何すんだじじい!」
涙目になったイツトリは拳骨を落とされた頭を抱える。基本何でも魔術で解決できるくせに肉体まで鍛えているなんて反則だ。
「誰が耄碌じじいだ、阿呆」
「耄碌じじいとは言ってないだろ、耄碌したかとは聞いたけど!」
「もう一発欲しいか?」
「要るわけないだろ、暴力じじい!」
拳をちらつかせる老人に叫び返してイツトリは距離を取った。大きく嵌め込まれたガラス窓まで行くと頭を守る体勢に入る。窓の左隣、暖炉の近くで暖まっていた獣が慰めるように身体を擦り付けてきた。
しゃがみ込んだ少年はそのふかふかに暖まった首に手を回して抱き締めると顔を埋める。
「……暴力的な人間に拾われてしまった」
「なにおう、俺が拾ってやって良かっただろうが。他の人間共に見つかってみろ、研究機関に回されちまうぞ。【最果ての森】の生き残りなんざな」
老人と少年が二人で暮らす小さなこの小屋は地図の北の最果てにあった。
年がら年中雪深い。田舎も田舎、人なんて彼らの他には絶対いない、人の住めない土地である。少し南の方に降れば人里があるがそれだけだ。老人と少年は世界の果てに住んでいた。
だが、少し前までは更に果てがあった。
【最果ての森】と呼ばれる純白の森が最北端にあった。そこに存在するすべての動植物は白く染まる。動物も植物も例外なく、大気に漂う高濃度の魔力によって純白に染まるのだ。
生きている者すべてが降り積もる雪と同じ色の純白の世界。
それが【最果ての森】と呼ばれる森だ。
だが、それは今はもうない。
人間によって【最果ての森】は燃やされた。跡形もなく、完全なる灰になるまで燃やされたのだ。だから今は老人が住むこの土地が世界の最果てといえるだろう。何せ、最果てはもうないのだから。
イツトリはその【最果ての森】で生きていた唯一の人間だった。赤子の頃に森に捨てられ、森の生き物達と共に育った彼は人間によって故郷を無くしていた。
拾ってくれた老人も人間だが、だからといって人間に好感情を抱いている訳がない。
それを理解しているだろうに人間の学園に行け、などと言ってくる老人をイツトリは見た。
「俺がその魔術学園とやらに行く理由は?」
「お前さんは人に馴染めないだろう。そんなんで生きていけるほど世界は甘くないぞ」
「森にでも行けば良い。自然と共に生きる術なら知っているさ」
「その異質な獣を連れてか?ノーチェスは見た目こそ獣だが、本質は違う。どんな生き物だってお前達を排斥するだろう。仲間として認めるにはあまりにも逸脱している。受け入れられるのは本能が馬鹿な人間だけだ。諦めろ、イツトリ。【最果ての森】が燃えた時点でお前達に居場所はない。そしてお前さんは人間だ。人間ならば人間に馴染む努力をしなければならないんだ。【遺言】を忘れた訳ではないだろう」
はっきりと言われて少年は顔を上げた。
青い瞳が光を反射して赤く光る。
「……、」
不気味な雰囲気を湛えながらも黙っている少年に老人は続けた。
「お前さんらが自由に生きる。その為の手段だと思え。割り切ってしまえ。幸い、お前さんには魔術師としての才能があるからな。帝都特異魔術学園に入学して卒業出来れば気ままな生き方をしたって誰も文句は言わんだろう。あの学園は異質さ、異様さこそを重視する。変人を輩出してなんぼだ。どんな道だって選べるはずだ」
異質、と言われてイツトリは無意識のうちに首の包帯に触れていた。
森が燃えた時、彼の命だけは助かったが無傷では無かった。包帯はその時の火傷痕を隠す為のものだ。焼け爛れた皮膚は再生せず、無残な傷口を晒しているので包帯で保護して隠している。首だけではない。両手、手のひらから手首までもを覆う凄まじい火傷の痕が残っていた。
あの森を焼いたのは人間だ。
彼に火傷を負わせたのは、ノーチェスの仲間達を殺したのは、人間だ。
その生き物と集団生活をしろと言うのか?
イツトリも姿形こそ人間だが、その在り方は大きくかけ離れている。人でありながら人ならざる者である彼は自分の後見人の言葉に眉を寄せた。
生き辛いのは確かに困るが、人間に馴染む努力をするだけなら学園に行かなくてもいいのではないだろうか。
学園に行くメリットがあまり見当たらない。
イツトリが反論する前に老人は言葉を重ねる。
「それに、あの学園には多くの禁書がある。お前さん達が襲われた理由がわかるかもしれん。目的もわからなかったんだ。結果として【怪物】を殺すのが本当に目的だったように見えるが、それも結果論だ。だとしたらまたいつ襲われてもおかしくないぞ。隠れ潜むのがお前の望みか?」
その言葉に俯きかけていたイツトリは弾かれたように顔を上げた。
イツトリ達が暮らしていた森にはかみさまがいた。
【怪物】と呼ばれる、神話の生き物が。
かつて世界中を彷徨って居場所と名前を探し、最終的には世界を滅ぼす穢れを浄化する為だけに謂れのない罪を被せられ、世界のすべてを燃やす白い焔で殺された、【怪物】。
殺されたとされていただけで実際は生きていて、【最果ての森】と呼ばれる場所で静かに暮らしていただけの存在。
名前も持たずに捨てられて、死ぬのを待つだけだった小さな赤子にイツトリという名前と居場所をくれた養い親だ。
もう世界のどこにもいないけれど。
森と共に灰になってしまった、たった一つの大事なものだ。
何故、奪われなければならなかったのか。
「そこに行けば、わかるのか」
「可能性があるってだけだ。確実なことは言えん」
だが、と老人は続けた。
「ゼロじゃない。途方もないかもしれんが、道は確かにある」
「じゃあ行く」
イツトリにとって、【怪物】はすべてだった。
いや、今もすべてだ。
彼を構成するすべてに【怪物】は存在する。恩人だ。命をくれた、名前をくれた、居場所をくれた。
あの優しい生き物が何故、虐げられなければならなかったのか。何故、殺されて当然などと考えられるようになったのか。それが知りたい。それが出来るなら何処でだって出向こう。
不快な存在がいようとも我慢して見せよう。
だが、懸念材料が幾つかあった。
勢いよく頷いたイツトリだったが心配になる。
「自分で言うのもアレだが、俺は多分、人と共存できないぞ。問題起こしそう。人間はうるさすぎる」
イツトリは騒音が苦手だ。
人が多いと音が多いから、人混みも苦手だった。通常の人間なら問題ないであろう生活音ですら彼にとっては不快な部類に入ってしまう。【最果ての森】が静かすぎたせいなのだが、そこで育った彼にとって人間は未知の存在であり、人間が集まる街などは苦手だった。
「そこについては対策済みだ」
「本当に?俺はある程度我慢できるけど、ノーチェスは獣の本能が強い。俺の言うことには従順だが限度がある。盲目的ではないからな」
獣の本能が強いということはつまり、相手を殺す可能性があるということだ。あんまり人間の習慣に詳しくないイツトリでもそれが危険だということはわかる。
イツトリ自身のストレス値がマックスになった場合もまた、ノーチェスはその排除に動いてしまうだろう。
「安心しろ。一人、ワシの友人に声をかけておく。一通りの事情は説明しておくから、何かあれば頼れ。人間の習慣の方はワシの孫だな。孫が学園に通っているから気にするように言っておく」
「へぇ。いたせり尽くせりじゃないか。ありがとう、じじい」
「おうよ。盛大に感謝しろよ。そもそも最初からそう言え、クソガキ」
「……ノーチェス、やっぱり一回このじじい殴ろうぜ。叩いたら治る気がする」
「ワシは叩いて治るようなモンではないわ!かかってこい、クソガキ!」
日常になった馴れ合いだった。
【怪物】と暮らしていた頃には考えもしなかった、違う日常。もうあの森はないけれど。【怪物】と呼ばれたヒトはいないけれど。
それでも生きているイツトリの日常は続いている。
それが少し、物悲しかった。
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