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第五章
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ソレは紫の瘴気を纏った何かだった。
例えるなら牛や猪に近い。だがその体躯は四メートルを越えていた。凄まじい体格は野生的な筋肉に覆われていて突進するだけで人間なぞ即座に殺せるだろう。
タールのような澱んだ黒色の毛並みはぼたぼたと何かの汚液を滴らせている。見るだけで生理的嫌悪を沸かせるような異様な生き物だった。目が赤く輝いて、それだけが鮮やかだ。
全員に緊張が走る。委員長が絞り出すように言った。
「【原初の獣、ハトウェル】、ですか……!?」
「違う」
イツトリが即答した。彼はソレから目を離さないまま、はっきりと告げる。
「アレは子供だ。ハトウェルの子。【瘴気の獣、リリアム】」
「あんなにも【原初の獣】に似ているのに?」
「だから言ってるだろ、子供なんだ。そもそもハトウェルは馬鹿でかい。こんな小さな森に収まっている範囲じゃないよ。アレは病と死を撒き散らす生き物だ。瘴気と腐食の時点で違う。証拠が欲しいなら委員長達が生きてる事だよ。マトモに相対して逃げられている時点でハトウェルじゃない」
「何故わかるんです?」
委員長の疑問の声に淡々と答える。
「昔聞いた話と違う。寝物語程度だが、嘘は言わない奴だった」
「……どんな奴なんですの?寝物語程度にそんなことを話すなんて」
【怪物】だよ、とは言わなかった。
イツトリは無言でただ化け物を冷たく見つめる。
「子供が一匹、ということは召喚術の方かな。神話生物を呼び出すんだから相当無理をしているだろうけど」
「どうしますの?」
「倒す。そこのお坊ちゃん、はどうでもいいが、委員長が毒に侵されている」
「え!?」
慌てたようにヴァイオレットがバルバートと委員長を振り返る。二人とも気まずそうに視線を逸らしていた。
従者の方がボソボソと質問してくる。
「何故、わかった」
「匂い。獣臭いった言ったろう。はやく帰って解毒薬でも調合してもらわないと。破魔を追加して解除させているが時間稼ぎにしかならない。本体を叩かない必要がある」
「なら、私も、」
「ダメだ。外に出たら魔術の効果が切れる。今、お前が普通に動いて喋っているのは俺の魔術のお陰だぞ」
断言だった。イツトリの言葉に全員が押し黙る。そうなのだ、今、彼の魔術によって全員が守られている。
「というかあなたやっぱり詐欺では!?なんで華なんかにいるんですの!どう考えてもわたくし達より強いでしょ!」
ヴァイオレットが思わず叫んでしまうほどに彼の魔術は完璧だった。今に至るまでたったの一滴も瘴気に侵されず、揺るぎない鉄壁さで結界を保つ魔術陣も、それを支える魔力も何もかもが規格外だ。
「別に隠している訳じゃない。やる気がないからやらないだけで」
「なんで!」
「ダメです、ジェムニさん。イツトリくんのやる気のなさはそれこそ底辺です。本人に微塵もやる気がないから何をしても無駄なんですよ……」
疲れ果てたような声を出す委員長には哀愁が漂っていた。何度も挑戦し、手を変え、品を変え、あらゆる手段でイツトリのやる気をなんとかしようとした委員長が言うと説得力が違うんだな、とイツトリは他人事のように思う。
ないものはないし、やりたくないことはやらない。それがイツトリ・ヘルムートである。
「取り敢えず、このまんま睨み合ってても意味ないし、俺は行くけど、委員長は動くなよ」
「でしたら、ニケを連れて行ってください。せめて、それぐらいは」
「了解」
「お待ちなさい」
「……何?」
魔術陣にイツトリが離れても効果が持続するように重ね掛けをしながら投げやりに聞き返す。
面倒くさいと少年の顔に書いてあった。めげないお嬢様ことヴァイオレットははっきりと告げる。
「わたくしも、連れて行きなさい」
「お嬢様!?危険すぎます」
「いいえ、バルバート。だから行くのです。わたくしは生徒会の一員。このような状況は見逃せませんわ」
「まぁ手伝ってくれるならなんでも構わないけど。死にそうになったら適当に逃げろよ」
「ヘルムート!」
非難するような声を上げたバルバートに向かってイツトリは顔を顰めたまま、
「なんだ。これで置いて行ったって追いかけて来られるんだから最初から連れて行った方が良い。動けもしないお前は足手まといだって自覚はあるんだろう。さっさと毒をどうにかしないと後遺症だって残るかもしれないんだぞ」
正直、この問答だって時間の無駄だった。のしのしと歩みを止めないリリアムは此方を獲物として認識していないから良いものの、何かの弾みで動けない委員長達を獲物として認識するかもしれないのだ。
そうなる前に注意を引いて気を逸らし、移動させたい。
アレは足が遅い上に図体がデカいので見失う事は無いだろうがそれでもあまり意識を逸らしておきたいものではないのだ。
細かな事情はわからずとも、こうやって喋っているのは時間の無駄、ということは理解しているらしい。苦虫を噛み潰したような顔でお嬢様を頼む、と言ってきた。
頼まれるような者じゃないんだけどな、とイツトリは内心苦々しく思っていた。
そんなこんなでヴァイオレットを仲間に加え、イツトリはノーチェスを連れて結界の外に出る。
委員長が呼び出した首のない天使ニケは一体だけ借り受ける事にした。もしもの時になれば呼び戻せるが、やはりすぐ近くに守れるものがいた方がいい、という少年の判断によるものだ。
「じゃあ手早く、獣退治に赴くとしよう」
例えるなら牛や猪に近い。だがその体躯は四メートルを越えていた。凄まじい体格は野生的な筋肉に覆われていて突進するだけで人間なぞ即座に殺せるだろう。
タールのような澱んだ黒色の毛並みはぼたぼたと何かの汚液を滴らせている。見るだけで生理的嫌悪を沸かせるような異様な生き物だった。目が赤く輝いて、それだけが鮮やかだ。
全員に緊張が走る。委員長が絞り出すように言った。
「【原初の獣、ハトウェル】、ですか……!?」
「違う」
イツトリが即答した。彼はソレから目を離さないまま、はっきりと告げる。
「アレは子供だ。ハトウェルの子。【瘴気の獣、リリアム】」
「あんなにも【原初の獣】に似ているのに?」
「だから言ってるだろ、子供なんだ。そもそもハトウェルは馬鹿でかい。こんな小さな森に収まっている範囲じゃないよ。アレは病と死を撒き散らす生き物だ。瘴気と腐食の時点で違う。証拠が欲しいなら委員長達が生きてる事だよ。マトモに相対して逃げられている時点でハトウェルじゃない」
「何故わかるんです?」
委員長の疑問の声に淡々と答える。
「昔聞いた話と違う。寝物語程度だが、嘘は言わない奴だった」
「……どんな奴なんですの?寝物語程度にそんなことを話すなんて」
【怪物】だよ、とは言わなかった。
イツトリは無言でただ化け物を冷たく見つめる。
「子供が一匹、ということは召喚術の方かな。神話生物を呼び出すんだから相当無理をしているだろうけど」
「どうしますの?」
「倒す。そこのお坊ちゃん、はどうでもいいが、委員長が毒に侵されている」
「え!?」
慌てたようにヴァイオレットがバルバートと委員長を振り返る。二人とも気まずそうに視線を逸らしていた。
従者の方がボソボソと質問してくる。
「何故、わかった」
「匂い。獣臭いった言ったろう。はやく帰って解毒薬でも調合してもらわないと。破魔を追加して解除させているが時間稼ぎにしかならない。本体を叩かない必要がある」
「なら、私も、」
「ダメだ。外に出たら魔術の効果が切れる。今、お前が普通に動いて喋っているのは俺の魔術のお陰だぞ」
断言だった。イツトリの言葉に全員が押し黙る。そうなのだ、今、彼の魔術によって全員が守られている。
「というかあなたやっぱり詐欺では!?なんで華なんかにいるんですの!どう考えてもわたくし達より強いでしょ!」
ヴァイオレットが思わず叫んでしまうほどに彼の魔術は完璧だった。今に至るまでたったの一滴も瘴気に侵されず、揺るぎない鉄壁さで結界を保つ魔術陣も、それを支える魔力も何もかもが規格外だ。
「別に隠している訳じゃない。やる気がないからやらないだけで」
「なんで!」
「ダメです、ジェムニさん。イツトリくんのやる気のなさはそれこそ底辺です。本人に微塵もやる気がないから何をしても無駄なんですよ……」
疲れ果てたような声を出す委員長には哀愁が漂っていた。何度も挑戦し、手を変え、品を変え、あらゆる手段でイツトリのやる気をなんとかしようとした委員長が言うと説得力が違うんだな、とイツトリは他人事のように思う。
ないものはないし、やりたくないことはやらない。それがイツトリ・ヘルムートである。
「取り敢えず、このまんま睨み合ってても意味ないし、俺は行くけど、委員長は動くなよ」
「でしたら、ニケを連れて行ってください。せめて、それぐらいは」
「了解」
「お待ちなさい」
「……何?」
魔術陣にイツトリが離れても効果が持続するように重ね掛けをしながら投げやりに聞き返す。
面倒くさいと少年の顔に書いてあった。めげないお嬢様ことヴァイオレットははっきりと告げる。
「わたくしも、連れて行きなさい」
「お嬢様!?危険すぎます」
「いいえ、バルバート。だから行くのです。わたくしは生徒会の一員。このような状況は見逃せませんわ」
「まぁ手伝ってくれるならなんでも構わないけど。死にそうになったら適当に逃げろよ」
「ヘルムート!」
非難するような声を上げたバルバートに向かってイツトリは顔を顰めたまま、
「なんだ。これで置いて行ったって追いかけて来られるんだから最初から連れて行った方が良い。動けもしないお前は足手まといだって自覚はあるんだろう。さっさと毒をどうにかしないと後遺症だって残るかもしれないんだぞ」
正直、この問答だって時間の無駄だった。のしのしと歩みを止めないリリアムは此方を獲物として認識していないから良いものの、何かの弾みで動けない委員長達を獲物として認識するかもしれないのだ。
そうなる前に注意を引いて気を逸らし、移動させたい。
アレは足が遅い上に図体がデカいので見失う事は無いだろうがそれでもあまり意識を逸らしておきたいものではないのだ。
細かな事情はわからずとも、こうやって喋っているのは時間の無駄、ということは理解しているらしい。苦虫を噛み潰したような顔でお嬢様を頼む、と言ってきた。
頼まれるような者じゃないんだけどな、とイツトリは内心苦々しく思っていた。
そんなこんなでヴァイオレットを仲間に加え、イツトリはノーチェスを連れて結界の外に出る。
委員長が呼び出した首のない天使ニケは一体だけ借り受ける事にした。もしもの時になれば呼び戻せるが、やはりすぐ近くに守れるものがいた方がいい、という少年の判断によるものだ。
「じゃあ手早く、獣退治に赴くとしよう」
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