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1:囚われの姫君と悪魔の姫君
004 御影石の湯屋2
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私はユーディットに手を引かれて、湯屋に入っていく。
床も壁も浴槽も、私の趣味で御影石製だ。
壁には金細工で作られた竜が首をもたげていて、その口から浴槽に向かって湯が流れ込んでいる。
天井の四隅からつり下げられた無尽の炎のランプが、室内に淡い光を投げかけていた。
この浴場は、王城のものとしてはさほど広い浴場ではない。
所詮、私一人が使うものだから、というのが主な理由だ。
父は愛人を連れ込むための特別な浴室を持っているし、城の他の住人たちは大浴場か客室のシャワーを使うことになっている。
「座って座って。わたしが体を洗ってあげるよ」
そう言ってにこやかに笑うユーディットの真っ白な肢体が、黒を背景に際立って見えた。
私は無理矢理座らされ、湯をかけられる。
さきほどまで肌寒かったのと、血のぬめりが気になっていたので、ほっとした。
体が温まってきて、ようやく全身に血が通っている気になってくる。
「あれ?」
「……どうしたの?」
「石鹸も海綿もないなあ。これじゃあ洗えないや」
好都合だ、と最初は思った。
次の瞬間に、ユーディットの触れていた浴槽の縁から何かの軋む音が聞こえ、考えを改めた。
まずい。
機嫌を損ねたら、何をされるかわからない。とばっちりは御免だ。
石鹸と海綿はどこにあっただろうか。
私は記憶をひっくり返す。
脱衣所にはストックを置いていない。消耗品は毎日侍女がチェックして補充していたはずだ。
ということは、たまたま切れていて、今日はまだ補充していないということか。
昨日はどうだったか?
石鹸も充分にあったし、海綿も2個はあったような。
それが、なぜ、今になって消えているのか?
「わたしはアンネリーゼと洗いっこしたかったのに」
残念そうに呟くユーディットの声に、わずかな怒りが混じっている。
恐怖で背筋から凍り付きそうになった。
「ユ、ユーディット……あんまり怖い顔しないで……」
一触即発。
そんな危機的状況を破って、浴室の戸をノックする音が聞こえてきた。
「アンネリーゼさま。石鹸をお持ちいたしました」
聞き覚えのある声がした。
磨りガラスに映ったシルエットは、侍女に着せている揃いの衣装のものに似ていた。
「ご、ご苦労。入ってきてよいぞ」
私は急いで返事をする。
ちらりと横を見ると、ユーディットの表情からは怒気が抜け落ちていた。
誰かは知らないが、好都合だった。このまま状況を打破してくれたなら、もっと良い。
「失礼いたします」
そう言って入ってきた者の姿を見て、私はぽかんと口を空けて固まってしまった。
彼女は少年のように短く切った白金色の髪をしていて、猫の目に似た琥珀色の瞳で、浅黒い肌の悪魔だった。
銀縁の片眼鏡をかけ、自信に満ちた笑みを浮かべたその顔には見覚えがあった。
え? なんでお前が?
顔全体でそういう感情を表す。
彼女の名はコンスタンツェ。魔王軍のナンバー3に位置する女将軍だった。
(魔王とその腹心が死んだ今、実質上、彼女がナンバー1の実力者である)
彼女は現在、隣国への攻撃のために最前線にいるはずだ。
「ユーディットさまにはお初にお目にかかります。
私はアンネリーゼさま付きの侍女、コンスタンツェと申します。以後お見知りおきを……」
いやいや。お前、将軍だろ。侍女じゃないだろ。
口から出そうになる叫びを、ぐっと飲み込む。
どうして侍女の姿なんかを?
もしかして、魔王城での異変を察知して、最前線から私を助けるために転移魔法で帰ってきたのか。
その服装もユーディットの不意を討つため……ということだろうか。
もしや、このために予め石鹸や海綿を隠しておいたのか。
流石は魔王軍最高の策士。
このシチュエーションならば、さしものユーディットも油断するだろう。
策謀のコンスタンツェの面目躍如だ。
「コンスタンツェとやら。挨拶はいいから、石鹸と海綿をよこせ」
「はい。ただ今」
コンスタンツェは脇に抱えていた藤の籠から石鹸を取り出す。
ユーディットは無防備に石鹸に手を伸ばした。
──今だ!
「あれ? 石鹸だけ? 海綿は?」
──今だったはずなのに、なぜ攻撃しない!?
私は困惑したままコンスタンツェを睨む。
コンスタンツェは、なんだか申し訳のなさそうな顔をして、私にテレパシー(悪魔同士の直通回線である)を送る。
『ごめんなさい。全然隙がありませんでした。一旦出直します』
『コンスタンツェエエエエエエエエエエエお前えええええええええええええええええ』
私の心の絶叫を無視し、コンスタンツェはユーディットに向き直る。
「すいません。アンネリーゼさまは肌が弱いので、海綿は使えないんですよお」
「へえ。そうなのか。じゃあ、どうやって洗うの?」
「普段はご自分の手で洗っておられます」
コンスタンツェはしれっと重大な嘘をついた。
おい。待て。コイツにそんなこと言ったら……。
「どういうことだ?」
「ですから、お互いに洗いっこなさるのでしたら……ね?」
「……そうか。なるほど」
「アンネリーゼさまは綺麗好きですので、隅々まで洗ってあげてくださいね?」
「気が利くやつだ。コンスタンツェだっけ。覚えておいてあげよう」
「身に余る光栄です。
──あら、いけない。この後ベッドメイクをしなきゃいけないんだったわ。
それでは失礼いたしますね。アンネリーゼさま、ユーディットさま。どうぞごゆっくり」
ユーディットはにこにこしながら頷いた。
コンスタンツェ。
今、しれっと主君を仇に売り渡さなかったか。
コンスタンツェは頬を染めてはにかむと、私を売って稼いだ隙を使ってそそくさと退出する。
このヘボ策士。
状況が余計に悪化してるじゃないか。
恨み言をテレパシーに乗せて送ったが、なしのつぶてだった。
ものすごい速度でテレパシーの圏外に逃げたらしい。
ああ。
どうするんだ、これ……。
私はユーディットの方をちらりと見る。
石鹸を自分の胸に塗り付け、熱い視線で私を見つめるユーディットと目が合った。
「うあぁ……」
「お待たせ。やっと洗いっこできるね」
「あの……その……」
「大丈夫。優しくしてあげるからね」
気が遠くなる。
ユーディットは抵抗できない私を引き寄せ、抱きすくめた──
床も壁も浴槽も、私の趣味で御影石製だ。
壁には金細工で作られた竜が首をもたげていて、その口から浴槽に向かって湯が流れ込んでいる。
天井の四隅からつり下げられた無尽の炎のランプが、室内に淡い光を投げかけていた。
この浴場は、王城のものとしてはさほど広い浴場ではない。
所詮、私一人が使うものだから、というのが主な理由だ。
父は愛人を連れ込むための特別な浴室を持っているし、城の他の住人たちは大浴場か客室のシャワーを使うことになっている。
「座って座って。わたしが体を洗ってあげるよ」
そう言ってにこやかに笑うユーディットの真っ白な肢体が、黒を背景に際立って見えた。
私は無理矢理座らされ、湯をかけられる。
さきほどまで肌寒かったのと、血のぬめりが気になっていたので、ほっとした。
体が温まってきて、ようやく全身に血が通っている気になってくる。
「あれ?」
「……どうしたの?」
「石鹸も海綿もないなあ。これじゃあ洗えないや」
好都合だ、と最初は思った。
次の瞬間に、ユーディットの触れていた浴槽の縁から何かの軋む音が聞こえ、考えを改めた。
まずい。
機嫌を損ねたら、何をされるかわからない。とばっちりは御免だ。
石鹸と海綿はどこにあっただろうか。
私は記憶をひっくり返す。
脱衣所にはストックを置いていない。消耗品は毎日侍女がチェックして補充していたはずだ。
ということは、たまたま切れていて、今日はまだ補充していないということか。
昨日はどうだったか?
石鹸も充分にあったし、海綿も2個はあったような。
それが、なぜ、今になって消えているのか?
「わたしはアンネリーゼと洗いっこしたかったのに」
残念そうに呟くユーディットの声に、わずかな怒りが混じっている。
恐怖で背筋から凍り付きそうになった。
「ユ、ユーディット……あんまり怖い顔しないで……」
一触即発。
そんな危機的状況を破って、浴室の戸をノックする音が聞こえてきた。
「アンネリーゼさま。石鹸をお持ちいたしました」
聞き覚えのある声がした。
磨りガラスに映ったシルエットは、侍女に着せている揃いの衣装のものに似ていた。
「ご、ご苦労。入ってきてよいぞ」
私は急いで返事をする。
ちらりと横を見ると、ユーディットの表情からは怒気が抜け落ちていた。
誰かは知らないが、好都合だった。このまま状況を打破してくれたなら、もっと良い。
「失礼いたします」
そう言って入ってきた者の姿を見て、私はぽかんと口を空けて固まってしまった。
彼女は少年のように短く切った白金色の髪をしていて、猫の目に似た琥珀色の瞳で、浅黒い肌の悪魔だった。
銀縁の片眼鏡をかけ、自信に満ちた笑みを浮かべたその顔には見覚えがあった。
え? なんでお前が?
顔全体でそういう感情を表す。
彼女の名はコンスタンツェ。魔王軍のナンバー3に位置する女将軍だった。
(魔王とその腹心が死んだ今、実質上、彼女がナンバー1の実力者である)
彼女は現在、隣国への攻撃のために最前線にいるはずだ。
「ユーディットさまにはお初にお目にかかります。
私はアンネリーゼさま付きの侍女、コンスタンツェと申します。以後お見知りおきを……」
いやいや。お前、将軍だろ。侍女じゃないだろ。
口から出そうになる叫びを、ぐっと飲み込む。
どうして侍女の姿なんかを?
もしかして、魔王城での異変を察知して、最前線から私を助けるために転移魔法で帰ってきたのか。
その服装もユーディットの不意を討つため……ということだろうか。
もしや、このために予め石鹸や海綿を隠しておいたのか。
流石は魔王軍最高の策士。
このシチュエーションならば、さしものユーディットも油断するだろう。
策謀のコンスタンツェの面目躍如だ。
「コンスタンツェとやら。挨拶はいいから、石鹸と海綿をよこせ」
「はい。ただ今」
コンスタンツェは脇に抱えていた藤の籠から石鹸を取り出す。
ユーディットは無防備に石鹸に手を伸ばした。
──今だ!
「あれ? 石鹸だけ? 海綿は?」
──今だったはずなのに、なぜ攻撃しない!?
私は困惑したままコンスタンツェを睨む。
コンスタンツェは、なんだか申し訳のなさそうな顔をして、私にテレパシー(悪魔同士の直通回線である)を送る。
『ごめんなさい。全然隙がありませんでした。一旦出直します』
『コンスタンツェエエエエエエエエエエエお前えええええええええええええええええ』
私の心の絶叫を無視し、コンスタンツェはユーディットに向き直る。
「すいません。アンネリーゼさまは肌が弱いので、海綿は使えないんですよお」
「へえ。そうなのか。じゃあ、どうやって洗うの?」
「普段はご自分の手で洗っておられます」
コンスタンツェはしれっと重大な嘘をついた。
おい。待て。コイツにそんなこと言ったら……。
「どういうことだ?」
「ですから、お互いに洗いっこなさるのでしたら……ね?」
「……そうか。なるほど」
「アンネリーゼさまは綺麗好きですので、隅々まで洗ってあげてくださいね?」
「気が利くやつだ。コンスタンツェだっけ。覚えておいてあげよう」
「身に余る光栄です。
──あら、いけない。この後ベッドメイクをしなきゃいけないんだったわ。
それでは失礼いたしますね。アンネリーゼさま、ユーディットさま。どうぞごゆっくり」
ユーディットはにこにこしながら頷いた。
コンスタンツェ。
今、しれっと主君を仇に売り渡さなかったか。
コンスタンツェは頬を染めてはにかむと、私を売って稼いだ隙を使ってそそくさと退出する。
このヘボ策士。
状況が余計に悪化してるじゃないか。
恨み言をテレパシーに乗せて送ったが、なしのつぶてだった。
ものすごい速度でテレパシーの圏外に逃げたらしい。
ああ。
どうするんだ、これ……。
私はユーディットの方をちらりと見る。
石鹸を自分の胸に塗り付け、熱い視線で私を見つめるユーディットと目が合った。
「うあぁ……」
「お待たせ。やっと洗いっこできるね」
「あの……その……」
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