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嵐の前の静けさ
今や女子プロレス(ごっこ)の聖地として、日本、いや世界にその名をとどろかせているニューおてんば温泉。温泉で有名なおてんば市の郊外にあり、今年の夏はニューおてんば温泉誕生から百年というビッグイヤーを迎えようとしていた。
「百年を記念して、何かやれないかしらねぇ」といい、娘にメールで相談を持ちかけたのは、ニューおてんば温泉の社長夫人である。
娘の浅子は正真正銘の女子プロレスラー。スーパーアサコというリングネームで、女子プロレス界を席巻しまくっていた。最近は団体の枠を超えて、女子最強を決定づける三本のベルト(いわゆる三冠というやつ)を手にしている。
強くて、かっこよくて、貫禄があり、女としての魅力もぐんと増してきた娘の浅子が「何かって何よー。一応涼子にも聞いてみるけど」という書き出しで、忙しい中、メッセージを返してきてくれた。
「あら、さっそく娘から返信だわ」なんて目を細めながら、浅子の母親がスマホをのぞき込むと、「おてんばプロレスができて五年目。おてんばプロレスにゆかりの選手らを集めて、真のナンバーワンを決めるのはおもしろいかもね」と投げかけてきた。
「温泉とプロレスの二刀流でシティープロモーションを仕かけているのは、日本でもおてんば市だけなので、その個性を発揮しない手はないでしょ。おてんばプロレス自体、部員不足で悩んでいるみたいだし、ここはひとつ人材募集も兼ねて、一大イベントを仕かけてみるのはありだと思うな。私としてはそんな考えだけど、お母さんたちはどうなの?」。
愛用のスマホを片手に、浅子のお母さんは「うーん、そうね」とひとりごとをいうと、「私たち夫婦も五十歳。節目と節目が重なり合って、何かするにはちょうどいいタイミングかもしれないわ」と思い、とりあえず社長を務める旦那の意見を聞いてみることにした。
地元ではおしどり夫婦として有名なふたり。一時は離婚の危機に苛まれたこともあったが、プロレスが自分たち夫婦を救ってくれた。そう思うと、プロレスへの恩返しは欠かせないだろう。温泉とプロレスという、まったく違うものをかき混ぜることで、なんとも不思議な相乗効果が起こることを浅子の母親は知っていたのである。
その日の夜のこと、「なるほど、それはおもしろい。ここはひとつ、打ち上げ花火的なイベントでも考えてみるか」と身を乗り出してきたのは、浅子の父親である。無類のウイスキー好きで、今夜はいち推しのジャパニーズウイスキーを飲みながら、早くもほろ酔い加減だった。最近は商工会議所の常議員も務め、社長としての威厳を演出したいのか、ひげをたくわえるようになっていた。一時は“なんちゃって女子(コスプレ)レスラー”として、おてんばプロレスのリングをかき乱したこともあったが、それはまぁ、おちゃらけということで。
大学卒業後、浅子の父親は「家なんか継ぐものか」と突っぱねて、一旦は東京の商事会社でサラリーマン生活を始めたが、お盆休みで帰省した際、地元の美しい山並みを眺めているうちに「都会での生活も疲れたなぁ。俺が骨を埋めるのは、やはりここかな」という想いが首をもたげ、その年の冬のボーナスをもらうやいなや、さっさと辞表を出して地元へ戻ってきた。
先代の社長が脳梗塞で倒れてからは、浅子の父親が社長代行を務めるようになり、空前の温泉ブームも手伝って、経営はそれなりに順調だった。正式に三代目の社長に就いたのは、結婚して浅子が誕生してからである。ラブラブの奥さんと二人三脚で、ニューおてんば温泉の歴史を彩ってきた。「ハートにほっこり、ニューおてんば温泉」は、奥さんが考えたキャッチコピーだが、「ほっこり」も何も、街中がうらやむほどの熱々カップルだったのだ。
そんな社長らに、新たな可能性をもたらしたのが女子プロレスだった。浅子がまだ大学生の頃、浅子の盟友の木下涼子(リングネームはRKクイーン。スーパーアサコと同じ団体-ジャパンなでしこプロレス-に所属する、百年にひとりの逸材であった)が立ち上げた女子プロレスごっこ団体・おてんばプロレスとの出会いが、すべてを変えたのである。
「よし、わかった。やるからには浅子や涼子ちゃんにも協力を求めたいところだが、あの子たちはプロだからなぁ。素人の我われが、ほんまもんのプロレス団体を巻き込むわけにはいかないので、ひとまずおてんば企画の日奈子社長の意見も聞くことにしよう」。
そう考えて、ニューおてんば温泉の社長がコンタクトをとったのは、同じおてんば市内で編集プロダクションを営む日奈子社長である。その名も有限会社おてんば企画。社長の日奈子はプロレスやイベントに理解があり(ていうか、単に好奇心旺盛なだけかもしれないが)、おてんばプロレスの姉妹団体であるバンコクおてんばプロレスのメインスポンサーも務めていた。まぁ、そのへんの経緯は、原稿用紙ならぬワード原稿のページがいくらあっても足りないので、とりあえず『おてんばプロレス』のバックナンバーに目を通してほしいかな。
おてんば企画は、おてんば駅から歩いて二十分ほどの古びた雑居ビルの四階にあった。浅子の父親が、まるでアジトのような薄暗い階段を昇っていくと、ひまわりのように明るい日奈子社長が出迎えてくれた。フローラル系の香水だろうか、ほんのりとした花の香りが伝わってきた。
「あらあら、老舗の会社の社長さん自らお越しいただき、誠に恐れ入ります。エレベーターがなくて大変なんですよね、このビル」といい、日奈子が招き入れてくれたのは、緑に包まれた蔵王山が一望できる社長室であった。まっ白い壁には、オランダ風車を描いた大きな油絵が一枚。誰のものだろう、おそらくは有名人のサイン入り色紙が無造作に並べ立てられていた。
「ずっとバタバタで、事務所も散らかしっぱなし。なんともお恥ずかしい限りです」。
見るからに美人ではあるのだが、ちょっと男っぽいというか、がさつなところがあり、それはそれで魅力につながっている日奈子社長。いい寄ってきた男性は数知れず。それなりに結婚を考えた男性もいないわけではなかったが、「あ、いいな」と思う男性に限って、よからぬことを企(たくら)んでいたり、色欲だけが目当てだったり。「大人の世界はもういいや」なんて、半ば嫌気がさしていたこともあり、今年で四十二歳になる日奈子は、なんと驚いたことに二十代の男子社員と熱愛中だった。
しかも――。
男子は男子でも、ミニスカートがよく似合う若手スタッフがお相手というのだから、周囲がざわつくのも当然か。浅子の父親自身、よく妻から日奈子の恋の噂は聞かされていたが、日奈子本人の説明を聞く限りでは、どうやら本当のことらしい。ちょっと照れながら「そうなのよ」と笑う日奈子。悪びれている様子はみじんもない。
ニューおてんば温泉の社長とは、商工会議所の会合でよく顔を合わせていたので、まんざら知らない間柄ではなかったが、いつもひとこと多いというか、百ことぐらいは多い。今日も口軽女・日奈子の本領発揮であった。
「タイに駐在中のジュリーに、事実上のプロポーズをしたところまではよかったんだけど、ジュリーは“女性”を自認しているので、すぐに結婚というわけにはいかないんですよ。ま、タイでは同棲のまねごとみたいなこともやりましたけど、恋人未満の関係でしかないというか、よくよく考えてみると、メンタル的には女性同士の間柄。こうなったら、私が“男性”になって、ジュリーと一緒になるしかないのかしらなんて、今はそんなことを半ば本気で考えていますわ。おほほ」という日奈子の言葉には、ニューおてんば温泉の社長も絶句するしかなかった。
日奈子社長がいうジュリーとは、おてんばプロレスのOG(いや、正確にいうとOBか)で、おてんば女子大学始まって以来、初めての“男子の女子大生”だった。本名は木村樹里亜で、おてんばプロレス出身の浅子の後輩でもある。卒業後、出版や編集の仕事に憧れていたジュリーは日奈子社長の会社に入り、今はおてんば企画主催の「バンコクおてんばプロレス」のレスラー兼実務スタッフとして、タイに駐在しながら広告・宣伝の業務にあたっていた。
「タイでは、こんなオバさんの私のことを一生懸命フォローしてくれていたんです。仕事もできるわ、家事もこなすわ、普通の女の子以上に女の子らしいジュリー。私なんかにしてみれば、男でも女でもない、自分史上最愛のパートナーということになるかしら」というと、日奈子はウェーブがかった茶褐色の髪をかきあげた。ぷーんと漂う女の香りに、ニューおてんば温泉のトップは、ちょっとたじろいでしまった。
今の日奈子にしてみれば、ジュリーなしでは、もはや自分の人生はあり得ない。そういってもいいほど、唯一無二の存在となっていたのである。
男子で女子の超人気レスラー・ジュリーのことも巻き込みながら、ニューおてんば温泉の百周年を祝おうというのが、日奈子社長の考えであった。ニューおてんば温泉とおてんば企画。“おてんば”つながりの両社の思惑が一致したのはいうまでもないだろう。
トップ同士が話し合った結果、具体的に推し進めることになったのが、「ニューおてんば温泉百一年目への挑戦! おてんばプロレス・O1クライマックス」である。「O1」の「O」は、もちろん「おてんば」の「O」。一時は市議選への立候補も考えたことがあるというニューおてんば温泉社長の人脈はなかなかのもので、おてんば市の協賛をとりつけることができた。市だけでなく、商工会議所やら体育振興会やら温泉協会やら。多くの卒業生を輩出している、おてんば女子大学の同窓会事務局までが協賛に加わってくれた。
一方、おてんば企画のトップ・日奈子社長は、自社媒体でのネットワークをフル活用し、スポンサー探しに奔走した。自社媒体の誌面には、見開き二ページで広告を掲出。告知ポスターを制作した時点では、まだ参加レスラーが決まっていなくて、ポスターの紙面中は「ミスX」だらけであったが、それはそれで話題を呼んだらしい。
おてんばプロレスのナンバーワンを決めるべく、「O1クライマックス」は、ニューおてんば温泉の創立記念日でもある九月二十日に開催されることになった。内容的には総勢八名のレスラーによるトーナメント戦。気になる一回戦は次の四試合である。
〇アサコズマザー vs ミスX1
〇稲辺容子 vs ミスX2
〇プレジデント日奈子 vs ミスX3
〇ファイヤー松本 vs ミスX4
とまぁ、ミスX1とかX2とか、まるで元素記号のような謎の英数字だらけになってしまったが、しばし冷静に考えてみると、主催者であるアサコズマザーとプレジデント日奈子を除けば、正式に参加を表明しているのは、現役女子大生の稲辺容子とファイヤー松本のふたりだけ。容子と松本は、おてんばプロレスの現在(いま)を支える両輪でもあった。
浅子のお母さんとしては、実の娘でプロ中のプロレスラーであるスーパーアサコにも出場してほしいところだったが、スーパーアサコが所属している女子プロレス団体・ジャパンなでしこプロレスの承諾が得られる可能性は、二百パーセントなかった。同じジャパンなでしこ所属のRKクイーンもしかり。一瞬リングに立つだけでもいいからというお願いはしてみたが、スケジュールの関係もあり、実現することはなかったのである。
日奈子社長がぞっこんLOVEのジュリーは、いざふたを開けてみれば、駐在中のタイでの仕事が忙しくて来日は難しいという話であった。「うーん、残念無念。ジュリーが出るか出ないかで、客の入りが二百人は違うのにな」と悔しがる日奈子。それもそのはず、ニューおてんば温泉では、かつてのヒロイン・ジュリーのファンクラブが、いまだに熱を帯びていたのだ。
出場メンバーの中に、パンチ力のある超絶人気レスラーが見当たらないのは、いささかもの足りない気もするが、そこは女子プロレスごっこの聖地・おてんば市の吸引力に期待するしかない。ミスXたちの中に、大物レスラーが潜んでいないとも限らないし。
ニューおてんば温泉のエントランス上に「ニューおてんば温泉 誕生百年記念 おてんばプロレス O1クライマックス開幕」という横断幕が掲げられた。否が応でも盛りあがる、温泉とプロレスのまち。特にニューおてんば温泉のある地区にしてみれば、温泉とプロレスは切っても切り離せない関係にあった。
地元のコミュニティーFMでは大会展望と称し、ニューおてんば温泉社長と社長夫人によるトークセッションが放送される始末。トークセッションも何も、それって単なる夫婦放談でしょと思いきや、案のじょう生放送では夫婦のいいたい放題が暴走し、それを止められなかったFM局のディレクターが大目玉を食らったとかなんとか。まぁ、すべてはローカルでの話。メジャー団体にはないのどかな風景が、そこには広がっていた。
秋はすぐそこまできている。戦後最大クラスの台風が日本列島を縦断しようかという嵐が迫りくる中、「O1クライマックス」の幕が切っておろされた。
「百年を記念して、何かやれないかしらねぇ」といい、娘にメールで相談を持ちかけたのは、ニューおてんば温泉の社長夫人である。
娘の浅子は正真正銘の女子プロレスラー。スーパーアサコというリングネームで、女子プロレス界を席巻しまくっていた。最近は団体の枠を超えて、女子最強を決定づける三本のベルト(いわゆる三冠というやつ)を手にしている。
強くて、かっこよくて、貫禄があり、女としての魅力もぐんと増してきた娘の浅子が「何かって何よー。一応涼子にも聞いてみるけど」という書き出しで、忙しい中、メッセージを返してきてくれた。
「あら、さっそく娘から返信だわ」なんて目を細めながら、浅子の母親がスマホをのぞき込むと、「おてんばプロレスができて五年目。おてんばプロレスにゆかりの選手らを集めて、真のナンバーワンを決めるのはおもしろいかもね」と投げかけてきた。
「温泉とプロレスの二刀流でシティープロモーションを仕かけているのは、日本でもおてんば市だけなので、その個性を発揮しない手はないでしょ。おてんばプロレス自体、部員不足で悩んでいるみたいだし、ここはひとつ人材募集も兼ねて、一大イベントを仕かけてみるのはありだと思うな。私としてはそんな考えだけど、お母さんたちはどうなの?」。
愛用のスマホを片手に、浅子のお母さんは「うーん、そうね」とひとりごとをいうと、「私たち夫婦も五十歳。節目と節目が重なり合って、何かするにはちょうどいいタイミングかもしれないわ」と思い、とりあえず社長を務める旦那の意見を聞いてみることにした。
地元ではおしどり夫婦として有名なふたり。一時は離婚の危機に苛まれたこともあったが、プロレスが自分たち夫婦を救ってくれた。そう思うと、プロレスへの恩返しは欠かせないだろう。温泉とプロレスという、まったく違うものをかき混ぜることで、なんとも不思議な相乗効果が起こることを浅子の母親は知っていたのである。
その日の夜のこと、「なるほど、それはおもしろい。ここはひとつ、打ち上げ花火的なイベントでも考えてみるか」と身を乗り出してきたのは、浅子の父親である。無類のウイスキー好きで、今夜はいち推しのジャパニーズウイスキーを飲みながら、早くもほろ酔い加減だった。最近は商工会議所の常議員も務め、社長としての威厳を演出したいのか、ひげをたくわえるようになっていた。一時は“なんちゃって女子(コスプレ)レスラー”として、おてんばプロレスのリングをかき乱したこともあったが、それはまぁ、おちゃらけということで。
大学卒業後、浅子の父親は「家なんか継ぐものか」と突っぱねて、一旦は東京の商事会社でサラリーマン生活を始めたが、お盆休みで帰省した際、地元の美しい山並みを眺めているうちに「都会での生活も疲れたなぁ。俺が骨を埋めるのは、やはりここかな」という想いが首をもたげ、その年の冬のボーナスをもらうやいなや、さっさと辞表を出して地元へ戻ってきた。
先代の社長が脳梗塞で倒れてからは、浅子の父親が社長代行を務めるようになり、空前の温泉ブームも手伝って、経営はそれなりに順調だった。正式に三代目の社長に就いたのは、結婚して浅子が誕生してからである。ラブラブの奥さんと二人三脚で、ニューおてんば温泉の歴史を彩ってきた。「ハートにほっこり、ニューおてんば温泉」は、奥さんが考えたキャッチコピーだが、「ほっこり」も何も、街中がうらやむほどの熱々カップルだったのだ。
そんな社長らに、新たな可能性をもたらしたのが女子プロレスだった。浅子がまだ大学生の頃、浅子の盟友の木下涼子(リングネームはRKクイーン。スーパーアサコと同じ団体-ジャパンなでしこプロレス-に所属する、百年にひとりの逸材であった)が立ち上げた女子プロレスごっこ団体・おてんばプロレスとの出会いが、すべてを変えたのである。
「よし、わかった。やるからには浅子や涼子ちゃんにも協力を求めたいところだが、あの子たちはプロだからなぁ。素人の我われが、ほんまもんのプロレス団体を巻き込むわけにはいかないので、ひとまずおてんば企画の日奈子社長の意見も聞くことにしよう」。
そう考えて、ニューおてんば温泉の社長がコンタクトをとったのは、同じおてんば市内で編集プロダクションを営む日奈子社長である。その名も有限会社おてんば企画。社長の日奈子はプロレスやイベントに理解があり(ていうか、単に好奇心旺盛なだけかもしれないが)、おてんばプロレスの姉妹団体であるバンコクおてんばプロレスのメインスポンサーも務めていた。まぁ、そのへんの経緯は、原稿用紙ならぬワード原稿のページがいくらあっても足りないので、とりあえず『おてんばプロレス』のバックナンバーに目を通してほしいかな。
おてんば企画は、おてんば駅から歩いて二十分ほどの古びた雑居ビルの四階にあった。浅子の父親が、まるでアジトのような薄暗い階段を昇っていくと、ひまわりのように明るい日奈子社長が出迎えてくれた。フローラル系の香水だろうか、ほんのりとした花の香りが伝わってきた。
「あらあら、老舗の会社の社長さん自らお越しいただき、誠に恐れ入ります。エレベーターがなくて大変なんですよね、このビル」といい、日奈子が招き入れてくれたのは、緑に包まれた蔵王山が一望できる社長室であった。まっ白い壁には、オランダ風車を描いた大きな油絵が一枚。誰のものだろう、おそらくは有名人のサイン入り色紙が無造作に並べ立てられていた。
「ずっとバタバタで、事務所も散らかしっぱなし。なんともお恥ずかしい限りです」。
見るからに美人ではあるのだが、ちょっと男っぽいというか、がさつなところがあり、それはそれで魅力につながっている日奈子社長。いい寄ってきた男性は数知れず。それなりに結婚を考えた男性もいないわけではなかったが、「あ、いいな」と思う男性に限って、よからぬことを企(たくら)んでいたり、色欲だけが目当てだったり。「大人の世界はもういいや」なんて、半ば嫌気がさしていたこともあり、今年で四十二歳になる日奈子は、なんと驚いたことに二十代の男子社員と熱愛中だった。
しかも――。
男子は男子でも、ミニスカートがよく似合う若手スタッフがお相手というのだから、周囲がざわつくのも当然か。浅子の父親自身、よく妻から日奈子の恋の噂は聞かされていたが、日奈子本人の説明を聞く限りでは、どうやら本当のことらしい。ちょっと照れながら「そうなのよ」と笑う日奈子。悪びれている様子はみじんもない。
ニューおてんば温泉の社長とは、商工会議所の会合でよく顔を合わせていたので、まんざら知らない間柄ではなかったが、いつもひとこと多いというか、百ことぐらいは多い。今日も口軽女・日奈子の本領発揮であった。
「タイに駐在中のジュリーに、事実上のプロポーズをしたところまではよかったんだけど、ジュリーは“女性”を自認しているので、すぐに結婚というわけにはいかないんですよ。ま、タイでは同棲のまねごとみたいなこともやりましたけど、恋人未満の関係でしかないというか、よくよく考えてみると、メンタル的には女性同士の間柄。こうなったら、私が“男性”になって、ジュリーと一緒になるしかないのかしらなんて、今はそんなことを半ば本気で考えていますわ。おほほ」という日奈子の言葉には、ニューおてんば温泉の社長も絶句するしかなかった。
日奈子社長がいうジュリーとは、おてんばプロレスのOG(いや、正確にいうとOBか)で、おてんば女子大学始まって以来、初めての“男子の女子大生”だった。本名は木村樹里亜で、おてんばプロレス出身の浅子の後輩でもある。卒業後、出版や編集の仕事に憧れていたジュリーは日奈子社長の会社に入り、今はおてんば企画主催の「バンコクおてんばプロレス」のレスラー兼実務スタッフとして、タイに駐在しながら広告・宣伝の業務にあたっていた。
「タイでは、こんなオバさんの私のことを一生懸命フォローしてくれていたんです。仕事もできるわ、家事もこなすわ、普通の女の子以上に女の子らしいジュリー。私なんかにしてみれば、男でも女でもない、自分史上最愛のパートナーということになるかしら」というと、日奈子はウェーブがかった茶褐色の髪をかきあげた。ぷーんと漂う女の香りに、ニューおてんば温泉のトップは、ちょっとたじろいでしまった。
今の日奈子にしてみれば、ジュリーなしでは、もはや自分の人生はあり得ない。そういってもいいほど、唯一無二の存在となっていたのである。
男子で女子の超人気レスラー・ジュリーのことも巻き込みながら、ニューおてんば温泉の百周年を祝おうというのが、日奈子社長の考えであった。ニューおてんば温泉とおてんば企画。“おてんば”つながりの両社の思惑が一致したのはいうまでもないだろう。
トップ同士が話し合った結果、具体的に推し進めることになったのが、「ニューおてんば温泉百一年目への挑戦! おてんばプロレス・O1クライマックス」である。「O1」の「O」は、もちろん「おてんば」の「O」。一時は市議選への立候補も考えたことがあるというニューおてんば温泉社長の人脈はなかなかのもので、おてんば市の協賛をとりつけることができた。市だけでなく、商工会議所やら体育振興会やら温泉協会やら。多くの卒業生を輩出している、おてんば女子大学の同窓会事務局までが協賛に加わってくれた。
一方、おてんば企画のトップ・日奈子社長は、自社媒体でのネットワークをフル活用し、スポンサー探しに奔走した。自社媒体の誌面には、見開き二ページで広告を掲出。告知ポスターを制作した時点では、まだ参加レスラーが決まっていなくて、ポスターの紙面中は「ミスX」だらけであったが、それはそれで話題を呼んだらしい。
おてんばプロレスのナンバーワンを決めるべく、「O1クライマックス」は、ニューおてんば温泉の創立記念日でもある九月二十日に開催されることになった。内容的には総勢八名のレスラーによるトーナメント戦。気になる一回戦は次の四試合である。
〇アサコズマザー vs ミスX1
〇稲辺容子 vs ミスX2
〇プレジデント日奈子 vs ミスX3
〇ファイヤー松本 vs ミスX4
とまぁ、ミスX1とかX2とか、まるで元素記号のような謎の英数字だらけになってしまったが、しばし冷静に考えてみると、主催者であるアサコズマザーとプレジデント日奈子を除けば、正式に参加を表明しているのは、現役女子大生の稲辺容子とファイヤー松本のふたりだけ。容子と松本は、おてんばプロレスの現在(いま)を支える両輪でもあった。
浅子のお母さんとしては、実の娘でプロ中のプロレスラーであるスーパーアサコにも出場してほしいところだったが、スーパーアサコが所属している女子プロレス団体・ジャパンなでしこプロレスの承諾が得られる可能性は、二百パーセントなかった。同じジャパンなでしこ所属のRKクイーンもしかり。一瞬リングに立つだけでもいいからというお願いはしてみたが、スケジュールの関係もあり、実現することはなかったのである。
日奈子社長がぞっこんLOVEのジュリーは、いざふたを開けてみれば、駐在中のタイでの仕事が忙しくて来日は難しいという話であった。「うーん、残念無念。ジュリーが出るか出ないかで、客の入りが二百人は違うのにな」と悔しがる日奈子。それもそのはず、ニューおてんば温泉では、かつてのヒロイン・ジュリーのファンクラブが、いまだに熱を帯びていたのだ。
出場メンバーの中に、パンチ力のある超絶人気レスラーが見当たらないのは、いささかもの足りない気もするが、そこは女子プロレスごっこの聖地・おてんば市の吸引力に期待するしかない。ミスXたちの中に、大物レスラーが潜んでいないとも限らないし。
ニューおてんば温泉のエントランス上に「ニューおてんば温泉 誕生百年記念 おてんばプロレス O1クライマックス開幕」という横断幕が掲げられた。否が応でも盛りあがる、温泉とプロレスのまち。特にニューおてんば温泉のある地区にしてみれば、温泉とプロレスは切っても切り離せない関係にあった。
地元のコミュニティーFMでは大会展望と称し、ニューおてんば温泉社長と社長夫人によるトークセッションが放送される始末。トークセッションも何も、それって単なる夫婦放談でしょと思いきや、案のじょう生放送では夫婦のいいたい放題が暴走し、それを止められなかったFM局のディレクターが大目玉を食らったとかなんとか。まぁ、すべてはローカルでの話。メジャー団体にはないのどかな風景が、そこには広がっていた。
秋はすぐそこまできている。戦後最大クラスの台風が日本列島を縦断しようかという嵐が迫りくる中、「O1クライマックス」の幕が切っておろされた。
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