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奴隷から聖女へ。

第16話 美しい音色。

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 村長の家の前には、既に大勢の人だかりが出来ていた。おそらく全員村人だろう。十年前に子供を失った人々が中心となって、村長の娘ロザンナを守りに駆けつけたのだ。

「娘は絶対に渡さんぞ!」

 おそらく村長であろう叫び声が、群衆の奥から聞こえる。私はネリスと頷き合うと、人混みを掻き分けてその中心地を目指した。

 群衆の最前列に到達すると、ようやく村長夫妻とその娘ロザンナの姿が見えた。ロザンナはおそらく私と同世代の十代後半、村長夫妻は四十代半ばといった所だろう。

「ふふふ、そんなに殺気立たないでください。私だって何も強引に奪おうだなんて思っちゃいません。そうですね、お嬢さんは顔立ちも良いし気品もある。さすが村長の御息女だ。おそらく魔王城で働く上級奴隷になれる筈です。今シェダールでは奴隷が不足していましてね。特に魔王城の奴隷不足は深刻だ。それも踏まえて、百万レンでどうでしょう」

「ひゃ、百万!?」

 思いがけない金額の提示に、村長の声が裏返る。シエラやネリスの話では、奴隷の相場は一人あたり五千レン程らしい。つまりロザンナの価格は相場の二百倍。村長が驚くのも無理はないだろう。

「ふっ、ふざけるな! いくら金を積まれた所で娘はやらんぞ!」

 村長は動揺を隠しながら、毅然と言い放つ。群衆から「そうだそうだ!」と歓声が上がる。

「それよりも、村から連れ去った子供達を返せ! 今すぐにだ!」

 村長が怒気を孕んだ口調で叫ぶ。群衆も同じように子供の返還を訴えた。

「ウチの可愛いハリシーナを返せ!」

「私のぼうや、ベッツェを返して!」

 群衆からの訴えは怒号となり、うねりとなって周囲を包んだ。

「やかましいぞ! カスども!」

 奴隷商人が一際大きな声で一喝した。すると水を打ったように場が静まる。

「連れ去っただと!? ふざけた事を言うな! 私がいつ連れ去った! きちんと対価を払い、貴様等の了承を得て購入した商品だ! 返せと言うならそれ相応の金を払ってもらうぞ! 即金で一千万だ! さぁ、早く払え!」

「いっ、一千万......!」

 奴隷商人の迫力、そして提示された金額に村長は絶句する。村人達も、それ以上騒ぎ立てる事は無くなった。一千万レン。とても貧しい農村の村長に用意出来る額ではない。

「どうした!? 払えんのか!? 貧乏人が、私と対等に渡り合おうとするな、おこがましい! 払えないのなら、奴隷の返却は出来んな。さぁ、大人しく娘を私に売れ!」

「くっ......!」

 村長夫妻はロザンナを庇うようにして、彼女の前に立ち塞がった。奴隷商人はそれを見て、やれやれと首を振る。

「仕方がないですねぇ。では、ちょっと素直になって頂きましょうか」

 奴隷商人は元の穏やかな口調に戻ると、懐から一本の横笛を取り出した。そしてそっと、唇を当てる。

 あの笛、見覚えがある。確かあれは、精霊が宿った道具。通称「精霊機構」と呼ばれる道具の一つだ。確か名前は、「服従の笛」。だが、あまりにも危険すぎる力を持つため、全部破壊された筈だ。何故あの男があれを持っているんだ!?

「まずい! みんな耳を塞いで!」

 私は叫び、自身の耳を塞いだ。ネリスを始め、村人達も何人かは耳を塞いでくれたが、ほとんどの人は何が起こったか理解出来ず、その場に立ち尽くしていた。

 奴隷商人の笛から、美しい音色が流れ出す。耳を塞いでいても、脳に直接響いてくる。その旋律は、私の魂を鷲掴みにした。

 ああ......なんて美しい音色だろう。心が洗われるようだ。もう、全てがどうでもいい。何も考えたくない。意思決定など、誰かに任せてしまいたい。

「アリエッタ! しっかりするんだ!」

 誰かが私を抱きしめた。この人は誰? 思い出せない。

「アリエッタ!」

 彼は突然、私の唇を奪った。柔らかい舌が、私の唇や舌を優しく愛撫する。

 この感触は......私の愛する人。確か名前は......。

「ネリス!」

 海底から水面まで急速に上がったように、私の意識ははっきりと目覚めた。そして私を抱きしめる、愛しい青年を見上げる。微笑む彼の両耳は、その形を失っていた。ドクドクと赤い血が流れている。

「ネリス、自分の耳を引きちぎったの!?」

 私は叫んだ。だが彼にはもう、私の声は聞こえていないようだった。彼は私の様子や唇の動きを読んで、微笑んだまま強い眼差しを見せた。

「あの笛が元凶なんだろ? なら、壊そう」

 ネリスはそう言って、奴隷商人が演奏している笛を指さした。奴隷商人は目を閉じて笛を演奏している。それは必然。確か、そうしなければ演奏出来ない代物だった筈だ。つまり今の奴は、隙だらけだ。

「ううっ」

 ネリスは一歩を踏み出そうとして、ガクリと片膝を地面につく。おそらく失血が原因だろう。幾多の魔獣をものともしない強者でも、自傷によって受けたダメージは大きい。

「ありがとうネリス。後は私に任せて」

 私は彼の肩にそっと手を置き、頷いて見せた。ネリスは私の意図を理解し、頷き返す。

 私はネリスの額にキスをして、笛を吹き続ける奴隷商人に向き直る。この曲が最後まで奏でられれば、笛による支配は完成する。その前に笛を破壊しなくてはならない。

 私は奴隷商人に素早く近づき、笛をぐっと右手で掴む。音を奏でる穴が塞がれ、演奏は中断する。奴隷商人は驚きに目を開き、私を凝視した。

「なっ、なんだお前は! その髪、半魔人か!? 何故笛の音が効かんのだ!」

「いいえ、確かに効いていたわ。だけど目覚めた。愛の力でね!」

「チッ! ふざけた事を!」

 慌てる奴隷商人は、私を蹴り飛ばそうと足を後ろに引く。私はその足に自分の足裏を当て、蹴りを阻止する。

「なっ......!」

 動きを読まれた事に驚き、奴隷商人は動揺する。

「あなたの企てはここまでよ。大人しく牢屋に入りなさい」

「馬鹿な事を言うな! お前のようなか細い女如きに、一体何が出来る!」

 奴隷商人は、笛を掴む私の手を振りほどこうとした。私は渾身の力を込め、笛を握り締める。バキン、と音がして、笛は砕け散った。

「ななななっ! なんて事を、ぶぐぅーっ!」

 呆気に取られる奴隷商人の顔面を、拳で殴りつける。奴隷商人の顔面はひしゃげ、折れた歯を撒き散らしながら群衆の中へと吹っ飛んだ。

「何ができるか、と言ったわね。なんだって出来るわ。今の私にならね」

 私はそう言って両手をパンパンと叩き、埃を払う仕草をして見せた。

「おおー! やった! やったぞ!」

 村人達が一斉に歓声を上げた。数人の村人が奴隷商人を取り押さえ、残りは私の周囲に集まって、涙を流して喜んだ。

 私はネリスの姿を探した。彼は群衆の中に立っていた。そして真っ直ぐに私を見つめ、微笑んでいた。



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