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アリスの殴り込み

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無人となったクーララ王国のセーフハウスを出たアリスは、軍庁舎を目指して街路をトコトコと歩きながら考える。

(殴り込みって具体的に何をするんかな?)

アリスの殴り込みのイメージは漠然としたもので、刃物や拳銃を手にしてサラシを腹に巻いたヤクザ集団が、別のヤクザ集団が拠点とする雑居ビルに押しかけて乱暴なことをするという程度のものだ。

前世でアリスはヤクザ映画を観たことがないので、彼女の「殴り込み」の知識はテレビ・ドラマでちらっと見かけた殴り込みのシーンに全面的に依存している。

(そもそも殴り込みの目的って何なんかな? 人を殺すこと? 建物の破壊? それとも何かを奪うこと? たぶん、人を殺すことやんなだよね

だとしたら困ったことである。

(あたし生物なまものを切られへんねんなー)

アリスは生き物をつぶしたときに出てくる生々しいモノがとても苦手だ。 彼女が叩き殺せるのは蚊ぐらいなもので、ハエになるともう叩き潰せない。 潰したときに出てくるモノの量が蚊に比べて圧倒的に多いからである。

(殴り込みって人を斬らずに成立するんかな? 殴り込みって言うぐらいやから普通は斬るんじゃなくて殴るんやろうけど、あたしの華奢きゃしゃな手じゃ殴られへんしな)

考えながらノロノロと歩いているうちに、アリスはいつしかミザル市の中心部にある広場まで来ていた。 アリスの正面にはハンター協会のビルがあり、右手には市役所と軍庁舎がある。

(あー、もう軍庁舎があそこに見えてる。 まだ考えがまとまってないのに)

とうとうアリスは立ち止まってしまった。 セーフハウスを出たときの勢いはすでにすっかり失われている。「殴り込みを決意したからには実行しなくては」という義務感めいた気持ちだけでアリスは今ここにいる。

(でも... まあ。 軍をのさばらせとくと、どうにも生きていかれへんもんな)



雑踏の中で立ち尽くすアリスの目に見覚えのある人物の姿が映る。 マロン君だ。 小さな鞄をわきに抱えて、アリスが立つほうへ歩いて来る。

エリカが軍に《支配》されている今、マロン君はアリスが自分からコミュニケーションを取ろうと思う極めて少数の人たちのうちの1人である。 近付いて来るマロン君に向かってアリスはベルを鳴らす。

チン!(マロン君!)

ベル音に気づいたマロン君はうつむいていた顔を上げて、アリスのところへやって来た。

「アリスちゃん? こんなところをウロウロしてて大丈夫なのかい?」

マロン君はとても疲れた顔をしていた。 ハンター協会をクビになった心労だろう。 

チン(今から軍に殴り込みに行くとこなんです)

「殴り込みだって? ラットリングも倒せない君が?」

チン(えと、建物とかを主に切る予定です)

「建物?」

殴り込みと建物切断の関係を咄嗟とっさには把握できないマロン君。

チン(はい。 ドアとか柱とか。 あとは椅子とか? 机とか...)

「ああ、君のミスリルの剣で。 しかし...」

マロン君はアリスの予定にあまり賛成ではない様子で、うーんと考え込む。

考え込むマロン君に、アリスは親切げに言い足す。

チン(他には、テーブルとかに飾られている花瓶を、こうガシャーンと床に叩き落とすなども考えられます)

アリスは両腕で花瓶を薙ぎ払う仕草をするが、当然マロン君には見えていない。

「アリスちゃん、君の殴り込みの目的は何なんだい? そこから考え直したほうがいい」

マロン君に言われて、アリスは改めて考える。

(あたしの殴り込みの目的か...)

アリスが考えているとマロン君が口を開く。

「アリスちゃんは軍にファントムさんの《支配》を止めさせたいんだろう?」

チン(そうです)

「それならミザル市の市民に軍の悪行あくぎょうを訴えるのはどうかな? ファントムさんが直々に呼びかけるなら市民の心も動くはずだ」

マロン君の提案はアリスにはピンと来なかった。 市民に軍の悪行を訴えてどうなるん? それに、呼びかけるってどうやるん? その辺の疑問をアリスはベルの音に乗せてみた。 チチチン?

アリスのベルの音にマロン君は答える。

「多数の市民が集まってデモのようになれば軍も反省するだろうというわけさ。 呼びかけには君のそのベルを使ってもいいけど、ビラを作ってまくといい。 ビラの文面について僕に1つ良いアイデアがある」

そうしてマロン君は、そのアイデアについてアリスに熱心に語った。 

「ビラの文面でね、『このビラを読んだ者は同じ文面のビラを新たに10枚作って配布せよ』と指示しておくんだ。 『指示に従わない者にはファントムさんが直々に天罰を与えに行く』と書き添えておくといい」

(...それって不幸の手紙やん。 効果はあるやろけど、ファントムさんのイメージが悪化しそう。 エリカさんが知ったら怒るやろな)

ちんチン(じゃあ、とりあえずビラを1枚用意するから、そこで待ってて。 すぐ書くから)

「え? 僕にビラを渡そうと言うのかい?」

チン(言い出しっぺやん)

「...自分がビラを渡される立場になってわかったよ。 このアイデアはとても迷惑だ。 ボツにしよう」

チン...(うん...)

「役に立てなくて悪かったね。 就職活動で忙しい身なんで、これで失礼するよ」

そう言ってマロン君は、そそくさと立ち去った。



一人になったアリスは考え始める。 マロン君のアドバイスが思考の刺激になったのだ。

(ミザル市民に訴えかける、か。 問題は方法やねんな。 ベルをチンチン鳴らしながら一軒一軒まわってられへんし、広場でチンチンやってても多くの人の耳には届かへん。 かと言って、何百枚ものビラを私一人で手書きで書くのも大変...)

やっぱりマロン君のアイデア不幸の手紙にしようか、そう考えながら太陽が沈みかけている空を見上げて一息ついたとき、アリスの目にが映った。

(でっかいベルが、あそこにあるやん)

アリスの目に映ったのは、市庁舎のベル・タワー鐘楼(しょうろう)の巨大なかね。 あれを卓上ベルのように使用して、自分のメッセージをミザル市全域にとどろかせてやれば...?

むろん不安はある。 あの巨大な鐘を果たしてアリスは扱い切れるのか? 成人男性が両腕で抱えきれないサイズの大鐘である。 そんな大鐘で卓上ベルと同じように人々にメッセージを届けられるだろうか?

だがアリスは自分の思い付きに、すっかり魅了されていた。

(あのでっかい鐘で軍の悪行を全市民にバラしてやる!)

アリスはベルタワーに向かって駆け出した。 
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