イールの書〜神々の⻩昏、⼈類の夜明け〜

第3部 2章：イールの告⽩

第89話：神々への介入

山田とリンドバーグ教授の救出から4日目。彼らの体調も完全に回復し、研究チーム全体が再び一つになっていた。蒼から受け取ったヴァルキューレ・コーポレーションの情報解析と並行して、賢吾たちはイールの書の中でも最も重要な部分に到達していた。



それは、イールが各神々にどのような介入を行ったか、その詳細な記録だった。3000年にわたる壮大な計画の全貌が、ついに明らかになろうとしていた。



イールの書から浮かび上がるホログラムは、巨大な設計図を空中に展開した。それは、まるで精密な建築図面のように、各神々への介入計画が緻密に記されていた。中央には「人類強化計画」という文字が、古代ルーン文字で刻まれている。



「オーディンには知識を」



作戦記録の最初のページが開かれた。そこには、若きオーディンとイールの出会いが記録されていた。



オーディンは元々、小さな部族の族長の息子に過ぎなかった。しかし、その目には既に知識への渇望が宿っていた。イールは、その資質を見抜いていた。



「知識は力」



イールの計画書が続く。



「しかし同時に責任も生む。彼が賢明になれば、人類を導ける。愚かになれば、破滅をもたらす。だからこそ、知識と引き換えに『代償』を設定する」



映像は、イールがオーディンをミーミルの泉へと導く場面を映し出した。しかし、それは単なる神話的な泉ではなかった。地球外生命体の知識データベースへのアクセスポイントだった。



「片目と引き換えに、知識を得る」



イールの仕掛けた試練。



「失うことの痛みを知る者だけが、真の知恵を得られる」



実際、オーディンは片目を失った後、より深い洞察力を得た。物事の表面だけでなく、本質を見抜く力。それは、単なる知識の蓄積ではなく、知恵への昇華だった。



「これは実に巧妙だ」



山田が感心しながら分析を加えた。救出後、彼の分析能力はさらに鋭さを増していた。



「犠牲を払うことで、知識の価値を理解させる。同時に、傲慢にならないための戒めにもなっている」

「トールには純粋な力を」



続く記録は、トールへの介入計画を示していた。病弱だった鍛冶屋の息子を、最強の戦士へと変貌させる過程が詳細に記されている。



「しかし制御装置も」



イールの注意書きが添えられていた。



「暴走すれば破壊者となる。守護者であり続けるよう調整。ミョルニルに安全装置を組み込む」



ホログラムは、ミョルニルの設計図を表示した。確かに、ハンマーの中には複雑な制御回路が組み込まれていた。使用者の精神状態を監視し、怒りが一定レベルを超えると、威力が自動的に制限される仕組みだった。



「だから、トールは最強でありながら、決して暴君にならなかった」



エイリークが理解を示した。



「純粋な心を保ち続けられたのは、イールの配慮があったから」



リンドバーグ教授が重要な発見を共有した。救出後、彼は古文書との照合作業に没頭していた。



「興味深いことに、各地の神話でも同様のパターンが見られます。強大な力を持つ神々には、必ず何らかの制限や弱点がある。これも、イールの影響かもしれません」



美咲が重要な発見をした。



「これは、バランスを取っているんですね」



美咲は、全体の設計図を見渡しながら言った。



「各神が互いを補完し、牽制し合うように。オーディンの知恵とトールの力。どちらかが暴走しても、もう一方が止められる」

「フレイには豊かさを、しかし武力は奪う」



ドヴァリンが次の記録を読み上げる。フレイへの介入は、また違った方向性を持っていた。



「戦士ではなく、養う者として」



イールの意図が明確に記されていた。



「人類には戦士より農夫が必要。豊穣の神として、食料生産と文化の発展を促す」



実際の介入記録を見ると、イールは巧妙にフレイの運命を操作していた。最強の剣を手放させ、代わりに農業と芸術の才能を開花させる。戦いではなく、創造によって人々を導く存在へと変えていった。



斎藤博士が医学的な観点から分析を加えた。救出作戦で覚醒した能力を使い、より深い洞察を示すようになっていた。



「各神の身体改造にも、明確なパターンがあります。戦闘特化型、知識特化型、生産特化型。まるで、社会全体の機能を分担させているかのようです」



他の神々への介入も、それぞれ明確な目的を持っていた。



ヘイムダルには「見る力」を与えたが、それは単なる千里眼ではなかった。真実と嘘を見分ける力、人の本質を見抜く力。それによって、アスガルドの門番として、悪意ある者の侵入を防ぐ役割を果たした。



ブラギには「言葉の力」を。詩人として、歴史と知恵を後世に伝える役目。文化の継承者としての使命を与えた。



イズンには「若さを保つ林檎」の管理を。しかし、それは単なる不老不死の薬ではなく、適度な若返りによって、神々が堕落しないよう調整する役割も持っていた。



エイリークが感心の声を上げた。



「すべての介入に意味があった」



エイリークは、先祖の記憶と照らし合わせながら言った。



「一見無関係な悪戯も、大きな計画の一部。シフの髪を切ったのも、より美しい黄金の髪を得させ、美の基準を示すため」



香川教授が最も重要な点を指摘した。



「でも、最も重要なのは」香川教授は、設計図の中心部分を指差した。「神々に『選択』を与えたこと。力の使い方を、彼ら自身に決めさせた」



確かに、イールは神々に力を与えたが、その使い方までは強制しなかった。善にも悪にも使える力。その選択は、各自の自由意志に委ねられていた。



「操り人形ではなく、自立した存在へ」



ドヴァリンが深く頷いた。



「それがイールの真の目的だった。地球外生命体のような、感情のない効率的な存在ではなく、自分で考え、感じ、選択できる存在」



しかし、その計画には大きなリスクも伴っていた。



「自由意志を与えるということは」



賢吾が核心を突いた。



「予測不能な結果も受け入れるということ。実際、神々の中には、与えられた力を悪用する者も現れた」



イールの記録には、その懸念も記されていた。



「彼らが正しい選択をすることを信じるしかない。それが『信頼』というものだ。私の同胞が失ったもの、人類が持ち続けているもの」



美咲が感動的な発見をした。



「イールは、神々を通じて、人類全体を教育しようとしたんです。神々が模範となり、人々が学ぶ。トップダウンではなく、インスピレーションによる成長」



実際、神話を通じて、人類は多くのことを学んだ。勇気、知恵、正義、そして過ちからの学び。神々の成功と失敗の両方が、人類の精神的成長の糧となった。



蒼から提供されたデータと照合すると、興味深い相関が見つかった。



「ヴァルキューレ・コーポレーションは」



山田が発見を共有した。



「イールの計画を歪めて利用しようとしています。覚醒者を支配の道具にしようとしている。これは、イールの理念とは正反対です」



賢吾は仲間たちを見回した。救出作戦を経て、チームの結束はより強固になっていた。



「イールの計画を理解した今、我々の使命も明確です」



賢吾の声には、強い決意が込められていた。



「与えられた力を、正しく使う。ヴァルキューレの歪んだ計画を阻止し、イールが信じた人類の可能性を証明する」



エイリークも同意した。



「我々は、イールが信じた『選択』の結果。その選択を、正しいものにしなければならない」



神々への介入。それは、単なる力の付与ではなかった。人類の可能性を信じ、自由意志を尊重し、成長を促す。それは、3000年前に始まった壮大な教育計画だった。そして今、その真価が問われる時が来ていた。救出作戦の成功は、その第一歩に過ぎない。本当の戦いは、これから始まる。