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春の章 辛口男子は愛想が欲しい
5、別人格よおいでませ
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ゴールデンウィークが明けてすぐの水曜日。
チーム配信の時間まで、わたしは大手町にあるステファンフーズ本社にて、事務作業にいそしんでいた。チーム配信やイベントなど、彼らが出張る時はついていくが、それ以外の時は基本ここがわたしの職場だ。
わたしは自分のPCでチームのSNSをチェックしていた。
これの更新はわたしの仕事で、結構こまめに彼らの写真を撮ってはアップしている。
この間のこどもの日イベントの写真も何枚か載せているのだけれど、にこやかなノイ君とおいちゃんとは対照的にコオリ君は無表情だ。
このクールな表情が『ミステリアス』と女性ファンからは好評だし、彼が気にしていたコメント力だって、振り返り配信での戦術の話は『わかりやすい』とか『戦術の幅広すぎ(尊敬!)』などと男性ファンから好評だ。
つまり、コオリ君は彼が思うよりも全方位に向けて矢印のある選手ではあるんだ。
わたし個人としては、苦手なことを無理してやるよりは、今のまま努力を続けてもらえばいいんじゃないかなぁと思うんだけど……。
でもコオリ君自身は、きっと変わりたいって思ってる。
そうなると──。
「……やっぱり、あれしかないな」
わたしは一人うなずいて、別の画面を開いた。
◆
その夜のチーム配信。最初の挨拶のネタは、もちろん水戸でのイベントだ。
「SNSで見てくれた人もいるかと思うんですけど、僕たち水戸に行ってきたんですよー」
とおいちゃんが始めると、ノイ君が「子供たちと遊ぶの結構楽しかったね。あと食べ物もめちゃくちゃ美味しかった」と続く。
よし、今だ。
わたしはスタジオの端っこの方に移動してからスマホを取り出した。動画アプリをたちあげて、一視聴者としてこの配信を見始める。自分の個人アカウントでログインして、コメント画面を開いた。
にんじん『こんばんは。初見です』
まずは挨拶から。『にんじん』という名前は適当につけた。コメント欄は、同じような挨拶が続いている。
にんじん『水戸と言えば、○○甘納豆ですよね』
基本的に配信中はコメントに目を通しながら、話をすすめる。いつもはノイ君が大体そのあたりをケアして、コメントに対してリアクションをすることが多いのだけれど、このコメントにはコオリ君が「あっ」と反応を示した。
「○○甘納豆、俺もおみやげに買った」
知ってるよ! それ買ってるところ、隣で見てたからね!
すかさず『控えめな甘さが最高ですよね。特に金時豆』と送る。コオリ君は「そうそう。いくつか買ったけど、金時豆が美味しかった」と微笑む。
よし、食いついた。金時豆がコオリ君の好みだったこともリサーチ済みだ。
わたしは次々に甘納豆ネタのコメントを連打して、コオリ君の反応を引き出した。
「どこまで甘納豆ネタ広げるんだよ」とノイ君が呆れた笑いをこぼすまで。
コオリ君は「確かに」と苦笑しつつも、「でも今日もここに来る前つまんできたから、なんかタイムリーで」と穏やかな表情を見せた。
「まあわかるけどね。にんじんさん、きっと地元民だね。ものすごい甘納豆愛を感じるわ」
違うけどね、ここにいるけどね!
ノイ君のコメントにふっと笑みがこぼれる。
つかみは上々。この調子でいこう。
──そう。わたしが思いついたアイデアはこれ。
コオリ君がコメント力を気にするのは、多分自分から話題を作っていくことが苦手だからなのだ。彼は話をふられれば、きっちりコメントを残すことはできる。
だったら、わたしがこうして合いの手を入れて、コオリ君が話しやすい環境を作ればいいんだって。
その日のコオリ君の口数は、普段の3割増くらいだったんじゃないかな。
これを続けていけば、コオリ君の自信につながるかもしれない。そうなりますように。
今はそう信じるだけだ。
◆
この『こっそりコメント送って、裏から配信を支えよう作戦』は、1ヶ月くらい後になんとなく効果があらわれてきた。
コオリ君の口数が増えたのである!
チーム配信の時でも、週1でチームから義務付けられている個人配信でも、コメント欄をチェックするようになった。(なにせわたしが『にんじん』として弾丸のようにコメント送ってるからね!)
もちろん他の人のコメントも気にするようになったし、そこから会話を繋げようっていう意思を感じる。
これはいい傾向じゃない……?
6月の中旬の日曜日。その日のチーム配信でも、わたしは始まると同時に『おつかれさまです。雨すごいね』とコメントを書き込む。
つい先週梅雨に入ったばかりの東京は、朝から雨が降り続けている。いくつもの水たまりを避けてスタジオのあるビルについた時には、スカートの裾が結構濡れてしまっていたくらい。
このコメントを拾ったのは、ノイ君だった。
「雨ってほんとユーウツになるよね。まあ梅雨だから仕方ないんだけど」
そういえばノイ君は雨だと髪の毛のセットが面倒になるって言ってたなぁ。それは確かにユーウツだ。
わたしも雨の日は広がっちゃうから、基本まとめている。
にんじん『ノイズさんの無造作ヘアは手入れ大変そうですね。コオリさんとおいちゃんはラクそう』
「確かに、俺ほんど癖はないから、髪の毛で苦労したことはないな」
コオリ君が先にコメントすると、おいちゃんも「同じく」とうなずく。ノイ君は「えーマジで。うらやましーわ。癖っ毛のあらゆる苦労を一度体験してみてほしいわ」と拗ねる。
「コオリなんて、どがつくストレートだもんね。寝癖とかつかないんでしょ?」
「たまにはありますよ。こう……後ろとか」
コオリ君が後頭部を指差して「ピンってはねたりとか」なんて手振りを付け加える。
よし、今日も順調に話が続いてる。
明らかに1ヶ月前よりコメントへの瞬発力が高まっている。コオリ君は、もともと頭の回転は速いから、意識さえ向けられれば全然違うんだろうな。
数日前に佐伯さんもコオリ君について「雰囲気変わったね。なんか口数増えた」って言ってたし、この作戦はやっぱり成功だ。
わたしは自分のことみたいにそれが嬉しくて、その日の配信後に佐伯さんの言葉をそのままコオリ君に伝えた。
他の二人が先に控え室に着替えに戻るのを見送ってから、コオリ君ははにかむように微笑んだ。
「豊福さんは配信見てて『にんじん』って人いるの気づいてます?」
「うっ、うん。最近けっこう見てくれてる人だよね」
声がひっくり返りそうになったけれど、ぐっとおさえる。
「その人、俺の配信にもコメントくれるんですけど……なんか良いんですよね」
話しやすいっていうのも変ですけど。
そう前置きをして、コオリ君は適切な言葉を探している。
「程よい合いの手というか……なんかにんじんさんのコメントひろってると、話が続くみたいな感じがあって」
そう、まさにそれを目指していたんだよ!
わたしは心の中でガッツポーズをした。
振られた話題から、話を広げること。
それができるできないで、ずいぶん違うのだから。
コオリ君本人も手応えを感じている様子に、わたしははっきり言って浮かれていた。
でも、物事ってそうそう調子がいいままでは進まない。そう気づかせてくれたのが、ノイ君だったんだ……。
チーム配信の時間まで、わたしは大手町にあるステファンフーズ本社にて、事務作業にいそしんでいた。チーム配信やイベントなど、彼らが出張る時はついていくが、それ以外の時は基本ここがわたしの職場だ。
わたしは自分のPCでチームのSNSをチェックしていた。
これの更新はわたしの仕事で、結構こまめに彼らの写真を撮ってはアップしている。
この間のこどもの日イベントの写真も何枚か載せているのだけれど、にこやかなノイ君とおいちゃんとは対照的にコオリ君は無表情だ。
このクールな表情が『ミステリアス』と女性ファンからは好評だし、彼が気にしていたコメント力だって、振り返り配信での戦術の話は『わかりやすい』とか『戦術の幅広すぎ(尊敬!)』などと男性ファンから好評だ。
つまり、コオリ君は彼が思うよりも全方位に向けて矢印のある選手ではあるんだ。
わたし個人としては、苦手なことを無理してやるよりは、今のまま努力を続けてもらえばいいんじゃないかなぁと思うんだけど……。
でもコオリ君自身は、きっと変わりたいって思ってる。
そうなると──。
「……やっぱり、あれしかないな」
わたしは一人うなずいて、別の画面を開いた。
◆
その夜のチーム配信。最初の挨拶のネタは、もちろん水戸でのイベントだ。
「SNSで見てくれた人もいるかと思うんですけど、僕たち水戸に行ってきたんですよー」
とおいちゃんが始めると、ノイ君が「子供たちと遊ぶの結構楽しかったね。あと食べ物もめちゃくちゃ美味しかった」と続く。
よし、今だ。
わたしはスタジオの端っこの方に移動してからスマホを取り出した。動画アプリをたちあげて、一視聴者としてこの配信を見始める。自分の個人アカウントでログインして、コメント画面を開いた。
にんじん『こんばんは。初見です』
まずは挨拶から。『にんじん』という名前は適当につけた。コメント欄は、同じような挨拶が続いている。
にんじん『水戸と言えば、○○甘納豆ですよね』
基本的に配信中はコメントに目を通しながら、話をすすめる。いつもはノイ君が大体そのあたりをケアして、コメントに対してリアクションをすることが多いのだけれど、このコメントにはコオリ君が「あっ」と反応を示した。
「○○甘納豆、俺もおみやげに買った」
知ってるよ! それ買ってるところ、隣で見てたからね!
すかさず『控えめな甘さが最高ですよね。特に金時豆』と送る。コオリ君は「そうそう。いくつか買ったけど、金時豆が美味しかった」と微笑む。
よし、食いついた。金時豆がコオリ君の好みだったこともリサーチ済みだ。
わたしは次々に甘納豆ネタのコメントを連打して、コオリ君の反応を引き出した。
「どこまで甘納豆ネタ広げるんだよ」とノイ君が呆れた笑いをこぼすまで。
コオリ君は「確かに」と苦笑しつつも、「でも今日もここに来る前つまんできたから、なんかタイムリーで」と穏やかな表情を見せた。
「まあわかるけどね。にんじんさん、きっと地元民だね。ものすごい甘納豆愛を感じるわ」
違うけどね、ここにいるけどね!
ノイ君のコメントにふっと笑みがこぼれる。
つかみは上々。この調子でいこう。
──そう。わたしが思いついたアイデアはこれ。
コオリ君がコメント力を気にするのは、多分自分から話題を作っていくことが苦手だからなのだ。彼は話をふられれば、きっちりコメントを残すことはできる。
だったら、わたしがこうして合いの手を入れて、コオリ君が話しやすい環境を作ればいいんだって。
その日のコオリ君の口数は、普段の3割増くらいだったんじゃないかな。
これを続けていけば、コオリ君の自信につながるかもしれない。そうなりますように。
今はそう信じるだけだ。
◆
この『こっそりコメント送って、裏から配信を支えよう作戦』は、1ヶ月くらい後になんとなく効果があらわれてきた。
コオリ君の口数が増えたのである!
チーム配信の時でも、週1でチームから義務付けられている個人配信でも、コメント欄をチェックするようになった。(なにせわたしが『にんじん』として弾丸のようにコメント送ってるからね!)
もちろん他の人のコメントも気にするようになったし、そこから会話を繋げようっていう意思を感じる。
これはいい傾向じゃない……?
6月の中旬の日曜日。その日のチーム配信でも、わたしは始まると同時に『おつかれさまです。雨すごいね』とコメントを書き込む。
つい先週梅雨に入ったばかりの東京は、朝から雨が降り続けている。いくつもの水たまりを避けてスタジオのあるビルについた時には、スカートの裾が結構濡れてしまっていたくらい。
このコメントを拾ったのは、ノイ君だった。
「雨ってほんとユーウツになるよね。まあ梅雨だから仕方ないんだけど」
そういえばノイ君は雨だと髪の毛のセットが面倒になるって言ってたなぁ。それは確かにユーウツだ。
わたしも雨の日は広がっちゃうから、基本まとめている。
にんじん『ノイズさんの無造作ヘアは手入れ大変そうですね。コオリさんとおいちゃんはラクそう』
「確かに、俺ほんど癖はないから、髪の毛で苦労したことはないな」
コオリ君が先にコメントすると、おいちゃんも「同じく」とうなずく。ノイ君は「えーマジで。うらやましーわ。癖っ毛のあらゆる苦労を一度体験してみてほしいわ」と拗ねる。
「コオリなんて、どがつくストレートだもんね。寝癖とかつかないんでしょ?」
「たまにはありますよ。こう……後ろとか」
コオリ君が後頭部を指差して「ピンってはねたりとか」なんて手振りを付け加える。
よし、今日も順調に話が続いてる。
明らかに1ヶ月前よりコメントへの瞬発力が高まっている。コオリ君は、もともと頭の回転は速いから、意識さえ向けられれば全然違うんだろうな。
数日前に佐伯さんもコオリ君について「雰囲気変わったね。なんか口数増えた」って言ってたし、この作戦はやっぱり成功だ。
わたしは自分のことみたいにそれが嬉しくて、その日の配信後に佐伯さんの言葉をそのままコオリ君に伝えた。
他の二人が先に控え室に着替えに戻るのを見送ってから、コオリ君ははにかむように微笑んだ。
「豊福さんは配信見てて『にんじん』って人いるの気づいてます?」
「うっ、うん。最近けっこう見てくれてる人だよね」
声がひっくり返りそうになったけれど、ぐっとおさえる。
「その人、俺の配信にもコメントくれるんですけど……なんか良いんですよね」
話しやすいっていうのも変ですけど。
そう前置きをして、コオリ君は適切な言葉を探している。
「程よい合いの手というか……なんかにんじんさんのコメントひろってると、話が続くみたいな感じがあって」
そう、まさにそれを目指していたんだよ!
わたしは心の中でガッツポーズをした。
振られた話題から、話を広げること。
それができるできないで、ずいぶん違うのだから。
コオリ君本人も手応えを感じている様子に、わたしははっきり言って浮かれていた。
でも、物事ってそうそう調子がいいままでは進まない。そう気づかせてくれたのが、ノイ君だったんだ……。
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