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番外編
モブ子の恋(後編)
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胸がざわりとする。
いくつか話をした後で、瑞季くんはうなずいて片方の女性と並んで立った。それをもう一人の女性がスマホで写真におさめている。
『コオリ』君のファンかな……。
普段からたまに見かける光景だった。主に声をかけてくるのは女の子。握手してくださいとか、写真撮ってくださいとか、サインくださいとか。瑞季くんは、知らない人は全く知らないけれど、知ってる人からしたら本当に芸能人レベルにすごい人らしい。
そういえば、ああいうのを断ってるところ見たことないな。愛想はないけど。
今もほぼ真顔で写真にうつっているが、並ぶ女性は嬉しそうだ。何度もお礼を言って、最後に握手をしてから、瑞季くんは戻って来た。
「卒業する前に、私もサインもらっとこうかな」
そう軽口をたたいたら、瑞季くんは肩をすくめた。
「大したサインじゃない」
「いいじゃん、そう思ってるのは瑞季くんだけだよ」
実際、友人から何度も頼まれたことがある。サインが欲しいとか、紹介して欲しいとか。サインくらいならお願いできるが、紹介はさすがに無理だ。ていうかしたくないから、断っているけれど。
これだけかっこいいもん、そりゃファンも多いよね。
プロゲーマーとしての彼しか見ていないファンは、こんなふうに大学生をしている瑞季くんの姿を知らない。人に見られる前提で気をはっている状態ではなく、自然なままの姿の彼を、自分は知っている。
今は、私が瑞季くんを独り占めしてる。たとえ一瞬のことだとしても、嬉しかった。
瑞季くんは戻って来たもののベンチに座る気配がないから、私も立ち上がった。
「もうちょっと何か食べない? お昼には足りないでしょ?」
「あー……そうだね」
瑞季くんは一瞬だけ迷うそぶりをした後に「ちょっと電話かけてからでいい?」というなりスマホを操作して、耳にあてる。
え……まさか豚汁食べて終わり? 彼の中ではこのまま解散のつもりだったの?
ぞくりと背筋が冷えて、あわてて彼を引き止める作戦を考え始める。せっかくの機会なんだ、もっと一緒にいたい。そして良平くんのいう通りにするのはしゃくだけれど、自分の気持ちも伝えたい──。
私がそんなことを考えている脇で、瑞季くんは誰かと通話を始めた。
「ほんとに今いるんですか? ──え? いいですけど……」
もしかして誰かと待ち合わせ……?
嫌な予感にサーッと血の気が引いていく。そして通話を切った瑞季くんは、予想通りに「ちょっと知り合いが来てるみたいで、迎えに行ってくる」と告げた。
「……知り合いって?」
まさか彼女!? とドキドキしたけれど、瑞季くんからかえってきた答えは「チームのみんな」だった。
ああ! あのイケメンたちか!
普段から瑞季くんの試合は見ているし、チーム配信だってチェックしている。だから、チームメイトの顔はすぐに浮かんだ。彼らが今ここに来ているなんて──。
「小松さんはどうする? 一緒に来る?」
瑞季くんがフラットな性格であることに、今ほどホッとしたことはないかもしれない。私は「行く!」と声を弾ませた。
人の波に逆流するようにして正門までたどりつくと、そこには画面の向こうで見たことのある男性2人が立っていた。明るい雰囲気のノイズさん、優しそうなおいちゃん。イメージ通りだ。
けれど、その隣に女性が2人いる。
……誰だろう。
1人はふわふわと砂糖菓子みたいなかわいさがあり、もう1人もメガネをかけているけれどどこか愛らしい雰囲気がある。
「ノイさんとおいさんだけかと思った」
瑞季くんは4人の前にたどりつくと、めずらしく声に驚きをのせていた。それに対して、ノイズさんが「せっかくだし、人数多い方が楽しいじゃん」と笑う。彼はそれから私を見て「あれ、もしかしてデートの邪魔しちゃった?」と首をかしげた。
デート!
ひとり赤面しそうになっているのは私だけで、瑞季くんは「違いますよ。友達です」とあっさり答える。当たり前なんだけれど、事実なんだけれど、そこまで感情こもらない声で言われると寂しい。
それでも瑞季くんが「同じゼミの小松さんです」としっかり紹介してくれたから、私も「はじめまして。みなさんのこと、いっつも応援してます」と頭を下げた。
「わー、ありがと! 女の子でカードゲームに興味ある子って少ないし、嬉しいよ」
ノイズさんは満面の笑みで答えると「じゃあ俺たちのことも紹介してよ」と瑞季くんを促した。
「えーと……小松さんは試合とか見てくれてるから知ってると思うけど、ノイさんとおいさんです。で、こちらがおいさんの彼女の由加子さん。あとマネージャーの豊福さんです」
由加子さん、豊福さんか。
おいちゃんに彼女がいるっていう話は有名だけど、こんなに可愛い子だなんて思わなかった。まるでアイドルみたいな華やかさだ。
それに、チームのマネージャーが女の人ってことも知らなかった。
明るくて優しい雰囲気が、なんだか胸に針をさしてくる。
「はじめまして、小松さん」
由加子さん、豊福さんは二人とも優しく微笑んでくれた。ちくりと、また胸が痛む。──どうしてだろう。
私が自問自答している間に、おいちゃんが瑞季くんに「なんかおすすめある?」とたずねた。
「友達の部活がやってる豚汁、結構おいしいです」
瑞季くんはそう答えて「案内しましょうか?」とたずねた。
確かに、今ならまだ良平くんはいるだろう。言えば肉多めにしてくれるかもしれない。
「豚汁いいね! 風冷たいし、あったまろうよ」
ノイズさんが明るく言って、みんなうなずく。こうしてまたみんなでラグビー部の屋台に戻ることになったんだけれど。
「豊福さん、ここまで遠かったでしょう」
瑞季くんは、歩き始めた途端に豊福さんの隣に行ってしまった。いつもの無表情ではあるけれど、その声はどこか心配そうだ。
「そこまでじゃなかったよ。わたしも久しぶりにこういう雰囲気味わいたかったし」
のんびりと豊福さんも答えている。それを聞いて、瑞季くんは少しだけほっとしたように目元をゆるめた。
──なんか、すごく……嫌な気持ちだ。直感が何か言いたげで、もやもやする。そんな気持ちをシャットダウンしようとしていると「コオリって大学ではどんな感じなの?」とノイズさんが私の隣にやってきた。
「あいつのことだから、要領よさそうだけど」
「そうですね。いつも効率よく勉強してて、そつのない感じです」
「やっぱりね」
ノイズさんは自分の予想通りだったのが嬉しかったのか、にこっと笑った。いい笑顔だ。明るくて、まぶしいくらい。
この人、画面で見たまんまの印象だな。
キラキラしたオーラは、もしかしたら生身の方が強いかも。
それからもノイズさんが私の相手をしてくれたから、胸にこもったもやもやは広がることはなかった。
良平くんは、再び姿をあらわした私たちを見て「あれ?」と首をかしげたけれど、ノイズさんとおいちゃんを見て「おおお!」と声を張り上げた。
「なになに、全員集合じゃん!」
良平くんは興奮した様子で「ホンモノ! おおおおー! 初めて見た!」と騒いでいる。それにノイズさんとおいちゃんはちょっと驚いていたけれど、すぐに「俺たちのこと知ってるんだねー。ありがとう!」と破顔した。
「いやもう! 瑞季から話も聞いてるし、試合も見てるしで……握手してください!」
言うなり良平くんが2人に向かって手を差し出す。ごつごつした大きな手を見て、おいちゃんが「めちゃくちゃ鍛えてるね、すごい」と感動したようにつぶやいた。それから2人と順番に握手して、良平くんはご満悦だ。
彼らが豚汁を買うときも張り切って「肉大盛り!」と指示していた。
「コオリの友達、意外なくらい豪快だな」
ノイズさんが笑いをこらえて呟く。隣にいる豊福さんも「本当だね」と微笑んだ。瑞季くんは肩をすくめて「まあ……言いたいことはわかります」と苦笑いだ。
あ、まただ。
胸の奥が痛む。
二度目となれば、その理由も察しがついた。
私、『コオリ』くんとしての瑞季くんの顔は、何も知らないんだ……。
どこか力の抜けた様子でノイズさんたちと会話している瑞季くんの顔は、大学では見たことのないものだった。あまり表情が動かないタイプだと思っていたけれど、今目の前にいる瑞季くんは違う。特に……豊福さんに対して。彼女と話すときの柔らかい雰囲気は、私には見せたことのないものだ。
唐突にひどい疎外感に襲われて、私は良平くんの袖を引っ張った。客の呼び込みに戻っていた良平くんは突然私が背後にあらわれたから、驚いている。
「おお、どうしたよ。割り箸足りなかった?」
「違う。──良平くん、助けて」
「は?」
「無理。もう無理」
良平くんは何事かという顔をして、瑞季くんたちの方を見た。豚汁を手に入れた彼らは、またベンチを求めて来た道を戻り始めている。
「瑞季となんかあった?」
私の様子がどうもおかしいと気づいてくれたのか、良平くんが声をひそめた。それに必死で首を横に振りながら「瑞季くんは何もしてない。私が気づいちゃっただけ。──瑞季くん、あの人のこと好きだ」と早口で言う。
「あの人?」
「メガネの人! いたでしょ!」
「……いたっけ?」
「ばか!」
どこまで選手しか見てないのよ! 憤慨する私に良平くんは眉を下げて「落ち着けって──」と言いながら、腕時計を確認した。それから「ごめん、ちょっと先に抜けさせて」と屋台に向かって言うなり、私の腕を引っ張った。
「おーい瑞季! 俺、小松に用事あるから、ちょっと借りるな!」
野太い声で良平くんが叫ぶ。
まわり全員が振り返るような大声にひいいっと今度は顔が青ざめたけれど、肝心の瑞季くんには無事届いたようで、彼が片手をあげるのが見えた。
それからの話は……私の中で一番の黒歴史と言っていいものになった。
人気のないところにつくなり大泣きした私に、良平くんはたじたじ。
瑞季くんが豊福さんに恋してると言ってもぴんとこないらしくて、慰めもとんちんかんだし。
あげくの果てに「あーもう、じゃあ俺でいいな。そうしろ」なんて言われてキスされて、涙が引っ込んだんだから、私も私だ。だから黒歴史。
そして学祭明けのゼミで様子のおかしい私たちに、瑞季くんが目ざとく気づいて──ああ、ここから先は何も言いたくない。
いくつか話をした後で、瑞季くんはうなずいて片方の女性と並んで立った。それをもう一人の女性がスマホで写真におさめている。
『コオリ』君のファンかな……。
普段からたまに見かける光景だった。主に声をかけてくるのは女の子。握手してくださいとか、写真撮ってくださいとか、サインくださいとか。瑞季くんは、知らない人は全く知らないけれど、知ってる人からしたら本当に芸能人レベルにすごい人らしい。
そういえば、ああいうのを断ってるところ見たことないな。愛想はないけど。
今もほぼ真顔で写真にうつっているが、並ぶ女性は嬉しそうだ。何度もお礼を言って、最後に握手をしてから、瑞季くんは戻って来た。
「卒業する前に、私もサインもらっとこうかな」
そう軽口をたたいたら、瑞季くんは肩をすくめた。
「大したサインじゃない」
「いいじゃん、そう思ってるのは瑞季くんだけだよ」
実際、友人から何度も頼まれたことがある。サインが欲しいとか、紹介して欲しいとか。サインくらいならお願いできるが、紹介はさすがに無理だ。ていうかしたくないから、断っているけれど。
これだけかっこいいもん、そりゃファンも多いよね。
プロゲーマーとしての彼しか見ていないファンは、こんなふうに大学生をしている瑞季くんの姿を知らない。人に見られる前提で気をはっている状態ではなく、自然なままの姿の彼を、自分は知っている。
今は、私が瑞季くんを独り占めしてる。たとえ一瞬のことだとしても、嬉しかった。
瑞季くんは戻って来たもののベンチに座る気配がないから、私も立ち上がった。
「もうちょっと何か食べない? お昼には足りないでしょ?」
「あー……そうだね」
瑞季くんは一瞬だけ迷うそぶりをした後に「ちょっと電話かけてからでいい?」というなりスマホを操作して、耳にあてる。
え……まさか豚汁食べて終わり? 彼の中ではこのまま解散のつもりだったの?
ぞくりと背筋が冷えて、あわてて彼を引き止める作戦を考え始める。せっかくの機会なんだ、もっと一緒にいたい。そして良平くんのいう通りにするのはしゃくだけれど、自分の気持ちも伝えたい──。
私がそんなことを考えている脇で、瑞季くんは誰かと通話を始めた。
「ほんとに今いるんですか? ──え? いいですけど……」
もしかして誰かと待ち合わせ……?
嫌な予感にサーッと血の気が引いていく。そして通話を切った瑞季くんは、予想通りに「ちょっと知り合いが来てるみたいで、迎えに行ってくる」と告げた。
「……知り合いって?」
まさか彼女!? とドキドキしたけれど、瑞季くんからかえってきた答えは「チームのみんな」だった。
ああ! あのイケメンたちか!
普段から瑞季くんの試合は見ているし、チーム配信だってチェックしている。だから、チームメイトの顔はすぐに浮かんだ。彼らが今ここに来ているなんて──。
「小松さんはどうする? 一緒に来る?」
瑞季くんがフラットな性格であることに、今ほどホッとしたことはないかもしれない。私は「行く!」と声を弾ませた。
人の波に逆流するようにして正門までたどりつくと、そこには画面の向こうで見たことのある男性2人が立っていた。明るい雰囲気のノイズさん、優しそうなおいちゃん。イメージ通りだ。
けれど、その隣に女性が2人いる。
……誰だろう。
1人はふわふわと砂糖菓子みたいなかわいさがあり、もう1人もメガネをかけているけれどどこか愛らしい雰囲気がある。
「ノイさんとおいさんだけかと思った」
瑞季くんは4人の前にたどりつくと、めずらしく声に驚きをのせていた。それに対して、ノイズさんが「せっかくだし、人数多い方が楽しいじゃん」と笑う。彼はそれから私を見て「あれ、もしかしてデートの邪魔しちゃった?」と首をかしげた。
デート!
ひとり赤面しそうになっているのは私だけで、瑞季くんは「違いますよ。友達です」とあっさり答える。当たり前なんだけれど、事実なんだけれど、そこまで感情こもらない声で言われると寂しい。
それでも瑞季くんが「同じゼミの小松さんです」としっかり紹介してくれたから、私も「はじめまして。みなさんのこと、いっつも応援してます」と頭を下げた。
「わー、ありがと! 女の子でカードゲームに興味ある子って少ないし、嬉しいよ」
ノイズさんは満面の笑みで答えると「じゃあ俺たちのことも紹介してよ」と瑞季くんを促した。
「えーと……小松さんは試合とか見てくれてるから知ってると思うけど、ノイさんとおいさんです。で、こちらがおいさんの彼女の由加子さん。あとマネージャーの豊福さんです」
由加子さん、豊福さんか。
おいちゃんに彼女がいるっていう話は有名だけど、こんなに可愛い子だなんて思わなかった。まるでアイドルみたいな華やかさだ。
それに、チームのマネージャーが女の人ってことも知らなかった。
明るくて優しい雰囲気が、なんだか胸に針をさしてくる。
「はじめまして、小松さん」
由加子さん、豊福さんは二人とも優しく微笑んでくれた。ちくりと、また胸が痛む。──どうしてだろう。
私が自問自答している間に、おいちゃんが瑞季くんに「なんかおすすめある?」とたずねた。
「友達の部活がやってる豚汁、結構おいしいです」
瑞季くんはそう答えて「案内しましょうか?」とたずねた。
確かに、今ならまだ良平くんはいるだろう。言えば肉多めにしてくれるかもしれない。
「豚汁いいね! 風冷たいし、あったまろうよ」
ノイズさんが明るく言って、みんなうなずく。こうしてまたみんなでラグビー部の屋台に戻ることになったんだけれど。
「豊福さん、ここまで遠かったでしょう」
瑞季くんは、歩き始めた途端に豊福さんの隣に行ってしまった。いつもの無表情ではあるけれど、その声はどこか心配そうだ。
「そこまでじゃなかったよ。わたしも久しぶりにこういう雰囲気味わいたかったし」
のんびりと豊福さんも答えている。それを聞いて、瑞季くんは少しだけほっとしたように目元をゆるめた。
──なんか、すごく……嫌な気持ちだ。直感が何か言いたげで、もやもやする。そんな気持ちをシャットダウンしようとしていると「コオリって大学ではどんな感じなの?」とノイズさんが私の隣にやってきた。
「あいつのことだから、要領よさそうだけど」
「そうですね。いつも効率よく勉強してて、そつのない感じです」
「やっぱりね」
ノイズさんは自分の予想通りだったのが嬉しかったのか、にこっと笑った。いい笑顔だ。明るくて、まぶしいくらい。
この人、画面で見たまんまの印象だな。
キラキラしたオーラは、もしかしたら生身の方が強いかも。
それからもノイズさんが私の相手をしてくれたから、胸にこもったもやもやは広がることはなかった。
良平くんは、再び姿をあらわした私たちを見て「あれ?」と首をかしげたけれど、ノイズさんとおいちゃんを見て「おおお!」と声を張り上げた。
「なになに、全員集合じゃん!」
良平くんは興奮した様子で「ホンモノ! おおおおー! 初めて見た!」と騒いでいる。それにノイズさんとおいちゃんはちょっと驚いていたけれど、すぐに「俺たちのこと知ってるんだねー。ありがとう!」と破顔した。
「いやもう! 瑞季から話も聞いてるし、試合も見てるしで……握手してください!」
言うなり良平くんが2人に向かって手を差し出す。ごつごつした大きな手を見て、おいちゃんが「めちゃくちゃ鍛えてるね、すごい」と感動したようにつぶやいた。それから2人と順番に握手して、良平くんはご満悦だ。
彼らが豚汁を買うときも張り切って「肉大盛り!」と指示していた。
「コオリの友達、意外なくらい豪快だな」
ノイズさんが笑いをこらえて呟く。隣にいる豊福さんも「本当だね」と微笑んだ。瑞季くんは肩をすくめて「まあ……言いたいことはわかります」と苦笑いだ。
あ、まただ。
胸の奥が痛む。
二度目となれば、その理由も察しがついた。
私、『コオリ』くんとしての瑞季くんの顔は、何も知らないんだ……。
どこか力の抜けた様子でノイズさんたちと会話している瑞季くんの顔は、大学では見たことのないものだった。あまり表情が動かないタイプだと思っていたけれど、今目の前にいる瑞季くんは違う。特に……豊福さんに対して。彼女と話すときの柔らかい雰囲気は、私には見せたことのないものだ。
唐突にひどい疎外感に襲われて、私は良平くんの袖を引っ張った。客の呼び込みに戻っていた良平くんは突然私が背後にあらわれたから、驚いている。
「おお、どうしたよ。割り箸足りなかった?」
「違う。──良平くん、助けて」
「は?」
「無理。もう無理」
良平くんは何事かという顔をして、瑞季くんたちの方を見た。豚汁を手に入れた彼らは、またベンチを求めて来た道を戻り始めている。
「瑞季となんかあった?」
私の様子がどうもおかしいと気づいてくれたのか、良平くんが声をひそめた。それに必死で首を横に振りながら「瑞季くんは何もしてない。私が気づいちゃっただけ。──瑞季くん、あの人のこと好きだ」と早口で言う。
「あの人?」
「メガネの人! いたでしょ!」
「……いたっけ?」
「ばか!」
どこまで選手しか見てないのよ! 憤慨する私に良平くんは眉を下げて「落ち着けって──」と言いながら、腕時計を確認した。それから「ごめん、ちょっと先に抜けさせて」と屋台に向かって言うなり、私の腕を引っ張った。
「おーい瑞季! 俺、小松に用事あるから、ちょっと借りるな!」
野太い声で良平くんが叫ぶ。
まわり全員が振り返るような大声にひいいっと今度は顔が青ざめたけれど、肝心の瑞季くんには無事届いたようで、彼が片手をあげるのが見えた。
それからの話は……私の中で一番の黒歴史と言っていいものになった。
人気のないところにつくなり大泣きした私に、良平くんはたじたじ。
瑞季くんが豊福さんに恋してると言ってもぴんとこないらしくて、慰めもとんちんかんだし。
あげくの果てに「あーもう、じゃあ俺でいいな。そうしろ」なんて言われてキスされて、涙が引っ込んだんだから、私も私だ。だから黒歴史。
そして学祭明けのゼミで様子のおかしい私たちに、瑞季くんが目ざとく気づいて──ああ、ここから先は何も言いたくない。
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