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第2章 いざ異世界
17、好きだから
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「モモカにマーキングしておいて良かったよ。まさかこんなに早く使う時がくるなんてな」
ぬっと姿をあらわしたエンハンスは二人に向かって明るく笑いかけた。その言葉にカイリが「──まさか」と反応して、百花の手を確かめる。いつかの日にエンハンスが恭しく口付けてきた手の甲に、うっすらと何かの紋章が浮かび上がっていた。
「何これ!?」
百花は発光する自身の手の甲に驚いて、まじまじと見つめた。今までまるで気づかなかった。
「それ、いろんな結界を無効化して俺に君の場所を知らせてくれるんだ。便利だろう?」
いわゆるGPSを埋め込まれた的な感じと受け取ればいいのだろうか。どうやらあの時の口付けはそういう意図があったらしい。ということは、あの時からずっとエンハンスから場所を特定されていたということだ。
(一歩間違えばストーカー的な……)
百花はぶるりと身を震わせて「いやぁ……ちょっと……解除してもらえると嬉しいけど」と一応伝えてみる。そこは完全にスルーされて、エンハンスは「さあ行こう」と手を差し出してきた。
カイリから反抗にあうとは露とも考えていない、余裕がそこにはあった。
事実、カイリはエンハンスの手をにらみつけてはいるが、動く気配はない。エンハンスは百花からカイリに視線を移すと「最初から逃げ切れるなんて思っていなかっただろう? 転移魔法に結界に、お前の魔力でよく頑張ったよ」と尊大な態度を見せた。
カイリは唇をかんでうつむいてしまったが、すぐに顔をあげて「でも僕はやっぱり反対だ」と低く告げる。
「心配性だな」
エンハンスはおかしそうに笑いながら、手の平から光を発した。発動が目にも止まらぬ速さだったから、カイリは避けることもできずそれを受けてしまう。呻きながら崩れ落ちたカイリをあわてて受け止めると、彼は眉間にしわを寄せた表情のまま意識を失っていた。規則正しい呼吸にほっとするも、ぶるりと悪寒が背筋を走る。
「だ、大丈夫なんだよね?」
恐る恐るエンハンスに聞くと、彼は「もちろん」と大きくうなずいた。
「眠ってるだけだよ、心配いらない」
まずは城に帰ろうとエンハンスは言い、カイリを肩にかついだ。軽々といった様子で、二人の体格差が如実にあらわれている。百花はおとなしく先導するエンハンスについて行った。
◆
ゆっくり話したいからと案内されたのは、城の中にあるエンハンスの自室だった。
侍女らしき女性がいれてくれたお茶を優雅に飲みながら、エンハンスは椅子にゆったりと座っている。その向かいに腰掛けて、百花も同じようにお茶を一口含んだ。あたたかいハーブティーに身体があたためられていく。それだけで、心は少し落ち着いた。
(さすが王子の部屋。ものすごく広い)
敷きつめられた絨毯の柔らかさに驚き、天井の高さに驚き、そして調度品の高級感に驚いた。エンハンスは普段庶民と同じ格好をしているから忘れがちだが、本来はこういう世界で生きる人なのだ。
「カイリは今どこにいるの?」
あの後森を出たら近衛騎士が数人待機していて、カイリはその人たちに連れられて去ってしまったのだ。百花はエンハンスの馬に乗せてもらい、まっすぐにここに案内された。(ちなみに馬には横座りで乗せてくれたので、今度はスカートのことを気にしなくても済んだ。スピードも百花に合わせてゆったりと走らせてくれて、先ほどより随分余裕のある道のりだったけれど、やっぱりお尻はものすごく痛かった)
エンハンスは百花を安心させるように微笑むと「別室にいるよ。モモカとの話が終わったら呼ぶつもり」と言った。あの森で見せていたような高圧的な雰囲気はかき消えて、いつもの朗らかで柔らかいエンハンスに戻っている。あれはきっと王族としての一面だったのだろう。もしかして、普段百花の知らないところでの二人はああいう感じなのだろうか。
ふと思いつくと心配になってきて、カイリの処遇が不安になる。
「別室って……牢屋じゃないよね?」
「なんで牢屋だと思うんだ?」
「だって……カイリがしたことは……」
「ないない。ただの痴話喧嘩でいちいちそんなことしてたら面倒なだけだ」
エンハンスは豪快に笑う。その様子に嘘の香りはしなかったから、百花はほっと息をついた。
それなら安心だ。
「カイリからどこまで聞いてる?」
エンハンスに聞かれ、先ほどの森での会話を伝える。エンハンスは「ほとんど知ってるな」とうなずいた。その後エンハンスからも一通りの説明を受け「どう思う?」と尋ねられる。威圧感もなく、ただ『明日の予定はなんだっけ?』とでも言うような軽い問いかけ方だったので、百花の口はなめらかに動いた。
「うん、良いと思ったよ。わたし別に話うまくないから、交渉の席で役に立つかはわかんないけど。とにかく帝国の偉い人と会談できるチャンスがあるなら絶対乗った方が良いと思う」
「モモカならそう言ってくれると思っていたよ。君はその場にいてさえくれればいいんだ。それで、パンの話になった時にちょっと説明してもらえばいい」
「うん、それくらいならできると思う。外交とかよくわからないから、簡単に考えすぎてるかもしれないけど」
「それでいいんだ。カイリみたいに考えすぎると何もできなくなる。あいつは分が悪い賭けには絶対乗らないんだ。緻密に状況を計算する能力はあるが、それだけに思い切ったことができない。……つまらないと常々思ってた」
突然カイリのことに話題が移って、百花は瞬きした。エンハンスは「でもまあ、今回はちょっと面白かった」と何かを思い出したのか、含み笑いをしながら百花を見つめる。
「俺に食ってかかってきた時のカイリを見せてあげたかったよ。なかなかお目にかかれない必死な形相だった。よっぽど好かれてるんだな、モモカは」
「そうなのかなぁ……」
そうだよ、とエンハンスは気楽な感じでうけあって、真顔に戻ると「カイリは人にも物にも執着しない」と断定した。
「何故だかわかる?」と聞かれ、百花は首を横に振った。エンハンスは「あいつは臆病なんだ」とワントーン落とした声音で続ける。
「両親を亡くして以来、大事なものを作らないようにしてる。失うのが怖いからさ。そしてひたすら、何かから逃げるように俺に尽くし続けているんだ。あいつは頭も良いし、実行力もある。だからそばにいてくれると本当に助かるんだが、たまに心配になる。あいつは自分自身にすら執着していないように見える時があるんだ」
どうリアクションを取っていいのかわからなくて、百花は沈黙したままエンハンスを見つめた。
カイリが色々なことを諦めているのは、おそらく両親のこともあるけれど、自分の病気のせいでもあるだろう。いつか死ぬならば、後ろ髪引かれることなく旅立ちたいとでも思っているのかもしれない。
「だから俺は君に期待してる」
「期待?」
「カイリの生きる理由になること」
(生きる理由!? またものすごいことを言い出した!)
百花は目を白黒させて、絶句した。
エンハンスは百花を買いかぶりすぎである。
カイリが百花を特別に想ってくれているのは今回の件でわかったけれど、先ほど元の世界に戻った方がいいなんて言われたばかりなのだ。
(もし本当に大事なら、あそこは『一緒にいたい』って言うところじゃないの?)
そんなことをエンハンスに言うと、彼は渋い表情になって「本当にあいつは仕方のないやつだな」と吐き捨てた。
そこは百花も同感で、うんうんと大きくうなずいた。
意地っ張りで、素直じゃない。
先回りして考えすぎだし、何だかんだ人の話をあまり聞いてない。
──でも、彼はいつだって誰かのために生きている。それはこれまで過ごした時間で、なんとなくわかってきていた。
「カイリは……優しすぎるのかな」
「さあ。自分自身を省みない口実が欲しいだけかもしれない」
エンハンスは諦めたようにつぶやき、寂しげな表情を見せた。彼は彼でカイリを大事に思っていることが伝わり、やっぱり二人は良い関係なんだと認識を改めた。
◆
その後カイリも交えて三人でじっくりと議論をした結果、七日間という期限つきで百花とカイリはダイスへと行くことになった。目的は、和平交渉の仲立ち、もしくは、帝国宰相との会談場所に使わせてもらうことを説得すること。
エンハンスはオミの国に残り、アシュフォードへの根回しをすると言う。
もしもダイスでの交渉が失敗に終わった場合は、宰相との会談は帝国で行う。その際は、百花もカイリも同席することとなった。
エンハンスの自室に現れたカイリは、もう騒ぐ様子も見せずに冷静に自分の意見を言っていた。その落ち着きっぷりに百花はびっくりしたのだが、エンハンスは予想通りだったようで何事もない調子で彼に接した。
「出発は明日。こちら側からも人を用意しておくから、明日合流してくれ」
エンハンスからの指示を受けて、家に帰ってくる。カイリは言葉少なに旅支度の心得を百花に伝えると、さっさと自室に引っ込んでしまった。
(あれはかなり落ち込んでるな……)
目に生気がないし、声に張りもない。
がっくりしているのが目に見えてわかって心配しかない。
期限があるとは言え、当初彼が目論んでいたダイスへ行くことは叶うのだ。もうちょっと前向きになった方がいいのではないだろうか。
百花は自分の身支度を終わらせると、お茶を持ってカイリの部屋をノックした。
カイリの方も用意は終わったらしく、ベッド脇に大きめのバッグが置かれている。トレイを机の上に置いて、カップを渡すと「ありがとう」と穏やかに受け取ってからカイリはベッドに座った。人ひとり分の間隔をあけて百花も座ると「あのさ……今日はありがとね」と伝えた。
対するカイリは眉をひそめて百花を見る。
何がありがとうなのか、とその視線が言っていた。
「わたしのことすごく心配してくれてたわけでしょ。そういうの嬉しいなって単純に思うからさ。だから、ありがとう。明日からは心機一転、頑張ろうね!」
ねっと明るく同意を求めたが、カイリは目をそらし立ち上がってしまった。カップを机に戻すと、そのまま振り向く。
「……今日は振り回して、ごめん」
「謝ることないってば! びっくりしたけど、ちょっと嬉しかったし」
「嬉しい? なんで?」
「だって、カイリがハンスに逆らうなんて、相当覚悟がいることでしょ?」
百花がにこやかに告げると、カイリはそっぽを向いた。そのまましばらく黙っていたが「君は、なんなの」と戸惑いの表情を浮かべた。
「……僕だって普段ならあんな捨て鉢なことはしない。モモカをあの時連れ出したからって、すぐにハンスに追いつかれるのは予想できてた。──なのに……そうせずにはいられなかったんだ」
衝動のまま行動するという経験が、カイリには少ないのかもしれない。エンハンスが言う通り、いつも自分の行動を客観的に管理できているカイリにとって、今日の自分がしたことは信じられないという位置づけのようだ。
「……モモカといると、僕は自分がおかしくなってばかりだ」
頭を振って、カイリは百花の隣に戻ってきた。さっきより少しだけ距離が近い場所に座っていることに、彼は気づいているだろうか。
百花は「自意識過剰は承知で言うけど」と前置きをしてから「それはさ……多分、カイリがわたしのこと好きだからだよ」と言った。
好きだから心配するし、助けたくなる。
そういうことだと思うのだけれど、どうだろうか。
(まあ、わたしの希望的観測なだけだけど)
百花の言葉にカイリは驚く様子も見せず、むしろ「そんなこと知ってる」と事もなげに肯定した。
「でもモモカはいつかいなくなる。僕だってそうだ。病気のことがある。だから──」
「……だから?」
カイリはそこから続けなかった。再び立ち上がると「この話はこれ以上したくない」と百花に背を向ける。そのまま部屋を出ようとするから「ちょっと待って!」と百花は強く呼び止めた。急いでカップを机に置き、後ろからカイリに駆け寄って、その手を掴む。
「確かにカイリは病気だし、わたしだっていつ帰るのかわからないけど……だからこそ一緒にいようよ!」
カイリの肩がびくりと震える。そのまま百花はカイリの前にまわりこむと「わたしだってカイリが好きだから! せっかく好き同士なのに離れるなんて、ありえないよ!」と精一杯の想いを告げた。そして、正面から抱きついて「お願いだから、あきらめないで!」と叫ぶ。
ぎゅっと腕に力をこめて抱きしめると「いたっ」とカイリが声をあげた。あまりにきつくしすぎたかもと、一瞬腕をゆるめたが、やっぱりまた力を込める。カイリにはそれくらいわかりやすい方が絶対に伝わると思った。
「好きだから、離れたくない! 一緒にいられるなら、一緒にいたい! お願いだから頑張ろうよ!」
ぎゅうぎゅうとしめつけながら懇願する。口をとめたらカイリから否定的なことを言われるのではないかと不安で、百花はひたすら同じことを繰り返した。それをしばらく繰り返していると「わかったから……」とカイリが百花の背に腕をまわしてくる。
「……本当に君って」
とくんとくんと波打つカイリの心臓の音が穏やかに耳に入ってくる。彼の吐いたため息が首筋をなでて、百花は一瞬心臓がぎゅっと鳴った気がした。
「僕は、モモカとは逆だ。いずれいずれ別れる時がくるなら、最初からもう離れてしまった方が楽だと思ってる」
カイリは静かな声で、そう告げた。
「でもそうしようとしたって結局できなくて、今日みたいなことになるなら、いっそ一緒にいた方がいいのかもしれない、と少し思った」
少しだけね、と念押しのように繰り返されたが、それでもいいと百花は喜んだ。
「でしょでしょ! じゃあそうしようよ!」
弾むような百花の声とは裏腹に、カイリはいつも通り冷静だ。けれど、百花を抱きしめる腕にはこれ以上ない力がこもっていて、彼の気持ちを如実に伝えていた。
ぬっと姿をあらわしたエンハンスは二人に向かって明るく笑いかけた。その言葉にカイリが「──まさか」と反応して、百花の手を確かめる。いつかの日にエンハンスが恭しく口付けてきた手の甲に、うっすらと何かの紋章が浮かび上がっていた。
「何これ!?」
百花は発光する自身の手の甲に驚いて、まじまじと見つめた。今までまるで気づかなかった。
「それ、いろんな結界を無効化して俺に君の場所を知らせてくれるんだ。便利だろう?」
いわゆるGPSを埋め込まれた的な感じと受け取ればいいのだろうか。どうやらあの時の口付けはそういう意図があったらしい。ということは、あの時からずっとエンハンスから場所を特定されていたということだ。
(一歩間違えばストーカー的な……)
百花はぶるりと身を震わせて「いやぁ……ちょっと……解除してもらえると嬉しいけど」と一応伝えてみる。そこは完全にスルーされて、エンハンスは「さあ行こう」と手を差し出してきた。
カイリから反抗にあうとは露とも考えていない、余裕がそこにはあった。
事実、カイリはエンハンスの手をにらみつけてはいるが、動く気配はない。エンハンスは百花からカイリに視線を移すと「最初から逃げ切れるなんて思っていなかっただろう? 転移魔法に結界に、お前の魔力でよく頑張ったよ」と尊大な態度を見せた。
カイリは唇をかんでうつむいてしまったが、すぐに顔をあげて「でも僕はやっぱり反対だ」と低く告げる。
「心配性だな」
エンハンスはおかしそうに笑いながら、手の平から光を発した。発動が目にも止まらぬ速さだったから、カイリは避けることもできずそれを受けてしまう。呻きながら崩れ落ちたカイリをあわてて受け止めると、彼は眉間にしわを寄せた表情のまま意識を失っていた。規則正しい呼吸にほっとするも、ぶるりと悪寒が背筋を走る。
「だ、大丈夫なんだよね?」
恐る恐るエンハンスに聞くと、彼は「もちろん」と大きくうなずいた。
「眠ってるだけだよ、心配いらない」
まずは城に帰ろうとエンハンスは言い、カイリを肩にかついだ。軽々といった様子で、二人の体格差が如実にあらわれている。百花はおとなしく先導するエンハンスについて行った。
◆
ゆっくり話したいからと案内されたのは、城の中にあるエンハンスの自室だった。
侍女らしき女性がいれてくれたお茶を優雅に飲みながら、エンハンスは椅子にゆったりと座っている。その向かいに腰掛けて、百花も同じようにお茶を一口含んだ。あたたかいハーブティーに身体があたためられていく。それだけで、心は少し落ち着いた。
(さすが王子の部屋。ものすごく広い)
敷きつめられた絨毯の柔らかさに驚き、天井の高さに驚き、そして調度品の高級感に驚いた。エンハンスは普段庶民と同じ格好をしているから忘れがちだが、本来はこういう世界で生きる人なのだ。
「カイリは今どこにいるの?」
あの後森を出たら近衛騎士が数人待機していて、カイリはその人たちに連れられて去ってしまったのだ。百花はエンハンスの馬に乗せてもらい、まっすぐにここに案内された。(ちなみに馬には横座りで乗せてくれたので、今度はスカートのことを気にしなくても済んだ。スピードも百花に合わせてゆったりと走らせてくれて、先ほどより随分余裕のある道のりだったけれど、やっぱりお尻はものすごく痛かった)
エンハンスは百花を安心させるように微笑むと「別室にいるよ。モモカとの話が終わったら呼ぶつもり」と言った。あの森で見せていたような高圧的な雰囲気はかき消えて、いつもの朗らかで柔らかいエンハンスに戻っている。あれはきっと王族としての一面だったのだろう。もしかして、普段百花の知らないところでの二人はああいう感じなのだろうか。
ふと思いつくと心配になってきて、カイリの処遇が不安になる。
「別室って……牢屋じゃないよね?」
「なんで牢屋だと思うんだ?」
「だって……カイリがしたことは……」
「ないない。ただの痴話喧嘩でいちいちそんなことしてたら面倒なだけだ」
エンハンスは豪快に笑う。その様子に嘘の香りはしなかったから、百花はほっと息をついた。
それなら安心だ。
「カイリからどこまで聞いてる?」
エンハンスに聞かれ、先ほどの森での会話を伝える。エンハンスは「ほとんど知ってるな」とうなずいた。その後エンハンスからも一通りの説明を受け「どう思う?」と尋ねられる。威圧感もなく、ただ『明日の予定はなんだっけ?』とでも言うような軽い問いかけ方だったので、百花の口はなめらかに動いた。
「うん、良いと思ったよ。わたし別に話うまくないから、交渉の席で役に立つかはわかんないけど。とにかく帝国の偉い人と会談できるチャンスがあるなら絶対乗った方が良いと思う」
「モモカならそう言ってくれると思っていたよ。君はその場にいてさえくれればいいんだ。それで、パンの話になった時にちょっと説明してもらえばいい」
「うん、それくらいならできると思う。外交とかよくわからないから、簡単に考えすぎてるかもしれないけど」
「それでいいんだ。カイリみたいに考えすぎると何もできなくなる。あいつは分が悪い賭けには絶対乗らないんだ。緻密に状況を計算する能力はあるが、それだけに思い切ったことができない。……つまらないと常々思ってた」
突然カイリのことに話題が移って、百花は瞬きした。エンハンスは「でもまあ、今回はちょっと面白かった」と何かを思い出したのか、含み笑いをしながら百花を見つめる。
「俺に食ってかかってきた時のカイリを見せてあげたかったよ。なかなかお目にかかれない必死な形相だった。よっぽど好かれてるんだな、モモカは」
「そうなのかなぁ……」
そうだよ、とエンハンスは気楽な感じでうけあって、真顔に戻ると「カイリは人にも物にも執着しない」と断定した。
「何故だかわかる?」と聞かれ、百花は首を横に振った。エンハンスは「あいつは臆病なんだ」とワントーン落とした声音で続ける。
「両親を亡くして以来、大事なものを作らないようにしてる。失うのが怖いからさ。そしてひたすら、何かから逃げるように俺に尽くし続けているんだ。あいつは頭も良いし、実行力もある。だからそばにいてくれると本当に助かるんだが、たまに心配になる。あいつは自分自身にすら執着していないように見える時があるんだ」
どうリアクションを取っていいのかわからなくて、百花は沈黙したままエンハンスを見つめた。
カイリが色々なことを諦めているのは、おそらく両親のこともあるけれど、自分の病気のせいでもあるだろう。いつか死ぬならば、後ろ髪引かれることなく旅立ちたいとでも思っているのかもしれない。
「だから俺は君に期待してる」
「期待?」
「カイリの生きる理由になること」
(生きる理由!? またものすごいことを言い出した!)
百花は目を白黒させて、絶句した。
エンハンスは百花を買いかぶりすぎである。
カイリが百花を特別に想ってくれているのは今回の件でわかったけれど、先ほど元の世界に戻った方がいいなんて言われたばかりなのだ。
(もし本当に大事なら、あそこは『一緒にいたい』って言うところじゃないの?)
そんなことをエンハンスに言うと、彼は渋い表情になって「本当にあいつは仕方のないやつだな」と吐き捨てた。
そこは百花も同感で、うんうんと大きくうなずいた。
意地っ張りで、素直じゃない。
先回りして考えすぎだし、何だかんだ人の話をあまり聞いてない。
──でも、彼はいつだって誰かのために生きている。それはこれまで過ごした時間で、なんとなくわかってきていた。
「カイリは……優しすぎるのかな」
「さあ。自分自身を省みない口実が欲しいだけかもしれない」
エンハンスは諦めたようにつぶやき、寂しげな表情を見せた。彼は彼でカイリを大事に思っていることが伝わり、やっぱり二人は良い関係なんだと認識を改めた。
◆
その後カイリも交えて三人でじっくりと議論をした結果、七日間という期限つきで百花とカイリはダイスへと行くことになった。目的は、和平交渉の仲立ち、もしくは、帝国宰相との会談場所に使わせてもらうことを説得すること。
エンハンスはオミの国に残り、アシュフォードへの根回しをすると言う。
もしもダイスでの交渉が失敗に終わった場合は、宰相との会談は帝国で行う。その際は、百花もカイリも同席することとなった。
エンハンスの自室に現れたカイリは、もう騒ぐ様子も見せずに冷静に自分の意見を言っていた。その落ち着きっぷりに百花はびっくりしたのだが、エンハンスは予想通りだったようで何事もない調子で彼に接した。
「出発は明日。こちら側からも人を用意しておくから、明日合流してくれ」
エンハンスからの指示を受けて、家に帰ってくる。カイリは言葉少なに旅支度の心得を百花に伝えると、さっさと自室に引っ込んでしまった。
(あれはかなり落ち込んでるな……)
目に生気がないし、声に張りもない。
がっくりしているのが目に見えてわかって心配しかない。
期限があるとは言え、当初彼が目論んでいたダイスへ行くことは叶うのだ。もうちょっと前向きになった方がいいのではないだろうか。
百花は自分の身支度を終わらせると、お茶を持ってカイリの部屋をノックした。
カイリの方も用意は終わったらしく、ベッド脇に大きめのバッグが置かれている。トレイを机の上に置いて、カップを渡すと「ありがとう」と穏やかに受け取ってからカイリはベッドに座った。人ひとり分の間隔をあけて百花も座ると「あのさ……今日はありがとね」と伝えた。
対するカイリは眉をひそめて百花を見る。
何がありがとうなのか、とその視線が言っていた。
「わたしのことすごく心配してくれてたわけでしょ。そういうの嬉しいなって単純に思うからさ。だから、ありがとう。明日からは心機一転、頑張ろうね!」
ねっと明るく同意を求めたが、カイリは目をそらし立ち上がってしまった。カップを机に戻すと、そのまま振り向く。
「……今日は振り回して、ごめん」
「謝ることないってば! びっくりしたけど、ちょっと嬉しかったし」
「嬉しい? なんで?」
「だって、カイリがハンスに逆らうなんて、相当覚悟がいることでしょ?」
百花がにこやかに告げると、カイリはそっぽを向いた。そのまましばらく黙っていたが「君は、なんなの」と戸惑いの表情を浮かべた。
「……僕だって普段ならあんな捨て鉢なことはしない。モモカをあの時連れ出したからって、すぐにハンスに追いつかれるのは予想できてた。──なのに……そうせずにはいられなかったんだ」
衝動のまま行動するという経験が、カイリには少ないのかもしれない。エンハンスが言う通り、いつも自分の行動を客観的に管理できているカイリにとって、今日の自分がしたことは信じられないという位置づけのようだ。
「……モモカといると、僕は自分がおかしくなってばかりだ」
頭を振って、カイリは百花の隣に戻ってきた。さっきより少しだけ距離が近い場所に座っていることに、彼は気づいているだろうか。
百花は「自意識過剰は承知で言うけど」と前置きをしてから「それはさ……多分、カイリがわたしのこと好きだからだよ」と言った。
好きだから心配するし、助けたくなる。
そういうことだと思うのだけれど、どうだろうか。
(まあ、わたしの希望的観測なだけだけど)
百花の言葉にカイリは驚く様子も見せず、むしろ「そんなこと知ってる」と事もなげに肯定した。
「でもモモカはいつかいなくなる。僕だってそうだ。病気のことがある。だから──」
「……だから?」
カイリはそこから続けなかった。再び立ち上がると「この話はこれ以上したくない」と百花に背を向ける。そのまま部屋を出ようとするから「ちょっと待って!」と百花は強く呼び止めた。急いでカップを机に置き、後ろからカイリに駆け寄って、その手を掴む。
「確かにカイリは病気だし、わたしだっていつ帰るのかわからないけど……だからこそ一緒にいようよ!」
カイリの肩がびくりと震える。そのまま百花はカイリの前にまわりこむと「わたしだってカイリが好きだから! せっかく好き同士なのに離れるなんて、ありえないよ!」と精一杯の想いを告げた。そして、正面から抱きついて「お願いだから、あきらめないで!」と叫ぶ。
ぎゅっと腕に力をこめて抱きしめると「いたっ」とカイリが声をあげた。あまりにきつくしすぎたかもと、一瞬腕をゆるめたが、やっぱりまた力を込める。カイリにはそれくらいわかりやすい方が絶対に伝わると思った。
「好きだから、離れたくない! 一緒にいられるなら、一緒にいたい! お願いだから頑張ろうよ!」
ぎゅうぎゅうとしめつけながら懇願する。口をとめたらカイリから否定的なことを言われるのではないかと不安で、百花はひたすら同じことを繰り返した。それをしばらく繰り返していると「わかったから……」とカイリが百花の背に腕をまわしてくる。
「……本当に君って」
とくんとくんと波打つカイリの心臓の音が穏やかに耳に入ってくる。彼の吐いたため息が首筋をなでて、百花は一瞬心臓がぎゅっと鳴った気がした。
「僕は、モモカとは逆だ。いずれいずれ別れる時がくるなら、最初からもう離れてしまった方が楽だと思ってる」
カイリは静かな声で、そう告げた。
「でもそうしようとしたって結局できなくて、今日みたいなことになるなら、いっそ一緒にいた方がいいのかもしれない、と少し思った」
少しだけね、と念押しのように繰り返されたが、それでもいいと百花は喜んだ。
「でしょでしょ! じゃあそうしようよ!」
弾むような百花の声とは裏腹に、カイリはいつも通り冷静だ。けれど、百花を抱きしめる腕にはこれ以上ない力がこもっていて、彼の気持ちを如実に伝えていた。
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