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第2章 いざ異世界
16、バッタバタの逃避行
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その時、百花はちょうどかまどの温度を見ているところだった。
今日はすこし低音でじっくりパンを焼いて、いわゆる『白パン』を作ってみよう思っていたのだ。ちょうど頃合いというところで成形済みのパン生地が並んだ天板を準備していると、背後でシアの短い悲鳴が聞こえた。
何事!? と驚いて振り向くと、シアの目の前にエンハンスが立っていた。いつになく豪華な服装で、トレードマークのヒゲもそっていたから、はじめは誰かと思った。
「あれ、ハンス?」
どうしたの? とのんびりたずねると「ちょっと急ぎの用事ができてね」とエンハンスは肩をすくめた。そして、厨房に入ってきたオウルに「突然ごめん」と言うなり、手の平から淡い紫色の光を発した。
「なっ!?」
驚くオウルにその光の玉が放たれる。間髪入れずに同じ光をシアにも放ち、二人はがくりと膝をついた。
「ど、どうしたの?」
エンハンスがシアを支えたため、百花はオウルに駆け寄る。目を閉じたオウルから細く寝息が聞こえてきて、百花は困惑した。振り向くとシアも似たような状態のようだ。エンハンスはシアを椅子に座らせ、作業台に突っ伏すような姿勢にさせると、続いてオウルにも同じことをした。
(何がどうなってるの? 今、ハンスが二人を眠らせたよね……。なんで?)
「ハンス……?」
「モモカに大事な話があるんだ」
一歩ずつ踏み出してくるエンハンスが、いつもの雰囲気と違って、疑念と恐怖を抱かせる。正装してこざっぱりとしているエンハンスは普段の何倍も爽やかなのに、その目の奥が見えなくて百花は一歩ずつ後ずさった。
「な、なんか今日のハンス、怖いんだけど……」
じりじりと間をつめられて、ついに壁際に追い込まれる。エンハンスの大きな体躯が、百花に影を落とした。
「モモカには、俺と一緒に帝国に来てほしいんだ」
「帝国に?」
「交渉に同席して欲しい」
「え? 和平交渉の目処がたったの?」
昨日から状況が一変したのだろうか。驚く百花にエンハンスが「可能性が出てきたというくらいだよ。ただーー」と続けようとしたところで、「ハンス!!」という怒声とともに厨房のドアが荒々しく開かれた。
「カイリ!?」
何事!? と目をみはる百花だったが、それを聞く前にエンハンスが百花の前に立ちはだかった。エンハンスの背中ごしに見るカイリの顔は眉毛がつり上り、湯気が出てるんじゃないかというくらいに真っ赤だ。
「行かせない」
短く言うと、カイリが百花に向かって手を伸ばす。訳は分からなかったが、とりあえずその手に触れようと百花も手を伸ばした。けれど寸前のところでエンハンスに阻まれた。
「せっかちだな。説明くらいさせろ。別に今すぐ帝国に行くわけじゃないぞ」
「説明なんて必要ない。モモカは聞いたら行くって言うに決まってる」
「それに何の問題が?」
カイリはエンハンスの問いに答えることなく、流れるような動作で短剣を抜いた。
「ちょっと! 何してんの!!」
百花は叫んだが、エンハンスは驚いた様子もなく「……恋に目が眩んだか」と彼も剣を構える。危ないから下がっててとエンハンスに言われ「い、いやいやいや……」と百花は顔面蒼白だ。
「そんなんじゃない。無謀なことはやめろと言ってるだけだ」
「理想じゃ国は救えない。わかっているだろう?」
「焦って身を投げ出すのは愚か者のすることだ」
(ケンカの内容がまるで見えてこない!! 一体なんで急にこんな一触即発ムードになっちゃってるの!?)
「二人とも落ち着いてよ! ここ、絶対ドンパチしたらまずい場所だから! 石窯だって熱くしてるところだし! オウルとシアだってここにいるから!」
刃物の前に飛び出すのは怖かったけれど、それでも百花は二人の間に割って入った。二人とも、わたしのためにケンカはやめて! と身を呈する昔のアニメの画面が浮かんだが、現実で起こるとあんなふうにかわいらしくはできないと身を持って知った。ていうか、そもそも二人が争っている理由が百花にあるかどうかもわからないが。
「なんだかわかんないけど話し合おうよ! 対話! 対話大事だってーー!!」
ねっ、と交互に男二人を見やり、カイリと目があった瞬間、彼が一歩を踏み出して百花の手をつかんだ。
その瞬間、目の前でフラッシュのように眩しい光が発光する。
「えっ!?」
そのまま腕がひっぱられ、抱きしめられた直後にものすごい重圧を感じた。まるで急降下するジェットコースターに乗った気分だ。
「ぎゃあぁぁぁ!」
百花の悲鳴が響き、めちゃくちゃな圧力がやんだ時、百花はまるで見たこともない場所に立っていた。
◆
「えっ、う、馬……!?」
目を開けて飛び込んできたのは、つぶらな真っ黒い瞳の馬の顔だった。
驚いて視線を巡らせて、どうやら厩舎にいるらしいことがわかる。ずらりとつながれた馬たちは、突然の闖入者にも驚いた様子はなく、青草を食べたりぼんやりしたりとマイペースだ。
「な、なんでここに?」
ぽかんとする百花だったが「早く!」といきなり背後から急かす声がして「ええ?」と困惑する。見るとカイリが一頭の馬を連れてきていた。外に出て! と言われて、あわてて走って厩舎の外に出る。眩しい日差しが飛び込んで来たのと、見たことのある街並みが目に入ってくる。どうやらここはハイネの街の中のようだ。
位置関係を確かめるようにまわりの景色を観察していると、急にカイリから身体を抱えられて、どすんと落とされる。硬い衝撃の後でふわりと柔らかい感触がして、見ると茶色のたてがみだった。
「なんで!?」
「なんでもいいから!」
「いやでも、スカートがぁっ!!」
鞍をまたがされ、スカートがめくり上がってしまっている。くるぶし丈の長いものだが、それが膝までずり上がって、靴下どころか下穿きが丸見えである。恥ずかしすぎる。
すかさずカイリも後ろに乗ってきて、バタつく百花を抑え込む。
「今はそれどころじゃない!」
カイリは言うなり手綱をあやつって馬を発進させた。ぎゅんと風を切って走り出して、ものすごい風圧に身体がのけぞってしまう。それをカイリにしっかりと抱きとめられて、わけもわからないうちに百花は馬上の人となって走り出していた。
(も、ものすごい揺れだ……)
馬になんて乗るのは初めての百花だ。街を出て、街道をひたすら走り、左右にはのどかな草原や丘などの自然の中を抜けていく。目的地は一体どこだろう。ていうかおしりと足がものすごく痛い。絶対明日は筋肉痛だ。
カイリは無言で馬を駆けているが、ちょっと強引すぎる。揺れに少しだけ慣れたところで、百花は声を張り上げた。
「かっ……カイリ!」
振動の中で懸命に声を発すると「何」と短い返事がくる。
「ちょっと落ち着いて! 一体何があったのか、お願いだから教えてよ!!」
「今は言えない」
「だって、ハンスが帝国と交渉できるかもって言ってたよ! それ大事じゃん!」
「……行かせない」
「な、なんで!? どうしちゃったのー!?」
思わず振り向くと、カイリは険しい表情で前を見据えている。先ほどといい、あそこまで感情をあらわにするカイリは珍しいから、よほどのことがあるのだろう。けれど、こっちとしては何もわからないままなのは困る。ひたすらわめきつづけて、ようやくカイリはどこかの森の入り口で馬を止めた。
「ここは……?」
地面におりたった時に膝が笑ってしまい、へたりこんでしまう。それを見てカイリは百花を横抱きにすると「ここで説明するよ」と森の中へと踏み込んで行った。うっそうとした森は昼間なのに薄暗く、何かおどろおどろしいものが出て来そうで怖い。百花は思わずカイリにしがみつく。カイリはそんな百花をしっかりと抱えて、大きな古木の下までくるとそこで結界を張った。光の粒子がまるでテントのような形をなして、パチンと弾ける。同じ魔法を森の入り口につないだ馬にもかけていたから、きっと馬にも結界がはられているのだろう。
「誰から逃げてるの……? まさかハンスじゃないよね?」
百花の問いに、カイリは一度視線を投げただけで答えなかった。それが答えだと言っているようなものだ。百花は愕然として「なんで……」と眉をゆがめた。
ゆったりと木の根が盛り上がった部分に百花をおろして自身もその横に座ると、カイリは「モモカには僕と一緒にダイスに行って欲しい」と告げる。
「え、ダイスに?」
昨日はあんなにうだうだ言っていたのに、どういう風の吹きまわしだろうか。百花としては願ったり叶ったりなのだが、それにしてもさっきのエンハンスとの衝突が気になって仕方ない。
「連れてってもらえるなら嬉しいけど、ハンスは帝国と交渉するって言ってたよね。わたし、同席してほしいって言われたんだけど」
「それはダメ」
「ダメってなんで?」
カイリはしかめっ面のまま、ことのあらましを説明した。エンハンスの考えている帝国宰相との会談、そしてカイリの考えているダイス訪問。そして二人が衝突した理由も。
「そっか……」
何度も頭の中でカイリの説明を繰り返して、自分なりに飲み込むと、エンハンスの案はカイリが危惧するほど悪い話ではないような気がする。それを正直に言うと、カイリは「何言ってるの!」と百花の肩をつかんだ。
「帝国に行くなんて危険すぎる!」
「いやでもさ、宰相さんと会談できるっていうのはすごいことなんじゃない? カイリが心配してるのは場所が帝国だからってことだよね? それなら、場所を帝国じゃないとこで指定するのはどうなの? こっちに来てもらうのは図々しいだろうから、ほら、いっそダイスとかで会談できるようにしたらどう? 折衷案!」
「そんなの……」
「むしろ、ダイスの王様にそれをかけあってみた方がオッケーもらえるかもよ! ちょっと場所かしてください的な」
「な……」
「ね! ハンスに提案してみようよ! どっちにしろ、このまま逃げるみたいにダイスに行ったって絶対いいことない! 話し合ってお互い納得してからいろいろ動こうよ!」
「どこまでおめでたいの、君。ハンスは無理やりにでもモモカを連れて行くつもりなんだよ!? 戻ったら軟禁されるかもしれない」
「そんな……ハンスがそこまでやるようには思えないけど」
「ハンスは必要なことならやる。僕が反対する限り、モモカを自分の手元においておこうとするはずだ」
「そんなものかな……まあそれは困るけど、でも、ハンスのやろうとしてることも結構いい感じに思えるんだよ」
「ダメだ! モモカは僕と行くんだ!」
「カイリってば! 冷静になってよ!!」
もう! と息を吐いて、百花は両手でカイリの頬を挟み込んだ。ぎゅうと力をこめて顔を押しつぶすようにすると、カイリが目を見開いて絶句する。その力を緩める事なく「わたしのこと心配してくれるのは嬉しいけど」と声を張った。
「こんなことしたらダメだよ。ハンスとも話し合おう」
今のカイリは感情的になりすぎて、いつもの冷静な判断ができなくなっているように思う。
帝国に乗り込むということは、確かに危険だとは思う。けれど、いきあたりばったりでダイスに行くよりも、可能性があるのではないだろうか。
カイリはしばらくされるがままの状態で百花を見つめていたが、ゆっくりと彼女の手をほどいた。そのまま握り込まれて、百花の胸が一度高鳴る。
「モモカを危ない目にあわせたくない」
「……うん、ありがとう」
「モモカは……」
ここでカイリは一旦言葉を止めて、百花を見つめた。勘違いしそうになるくらいの熱い視線で、それに煽られて緊張してくる。けれど続いて告げられたのは「元の世界に帰った方がいい」という言葉だった。
「──はあ!?」
昨晩の話をいきなり蒸し返されて、百花は口を大きく開いたままカイリを見つめた。
(ま、まさか……わたしをダイスに連れて行きたいって言ってるのは、そのため……?)
あんなにここにいたいと言ったのに、何一つ伝わっていなかったということなのか。
それがわかってしまい、百花は「いや……だからさ……」と脱力してしまう。帰りたいなんて一言も言ってないというのに、早合点しすぎである。
それを説明しようとしたところで、耳元でガラスが割れたような音が響いた。はっとして辺りを見回すと光の粒子が弾けて空へと消えていくのが見える。カイリが身を固くしたのと「見つけたよ」と背後から声がかかったのは同時だった。
「ぎゃーーー!!」
思わず叫んでしまったのは、暗がりに大きな体躯の影だけが揺らめいたから。カイリは瞬時に百花を守るように立つと、短剣を構えた。
今日はすこし低音でじっくりパンを焼いて、いわゆる『白パン』を作ってみよう思っていたのだ。ちょうど頃合いというところで成形済みのパン生地が並んだ天板を準備していると、背後でシアの短い悲鳴が聞こえた。
何事!? と驚いて振り向くと、シアの目の前にエンハンスが立っていた。いつになく豪華な服装で、トレードマークのヒゲもそっていたから、はじめは誰かと思った。
「あれ、ハンス?」
どうしたの? とのんびりたずねると「ちょっと急ぎの用事ができてね」とエンハンスは肩をすくめた。そして、厨房に入ってきたオウルに「突然ごめん」と言うなり、手の平から淡い紫色の光を発した。
「なっ!?」
驚くオウルにその光の玉が放たれる。間髪入れずに同じ光をシアにも放ち、二人はがくりと膝をついた。
「ど、どうしたの?」
エンハンスがシアを支えたため、百花はオウルに駆け寄る。目を閉じたオウルから細く寝息が聞こえてきて、百花は困惑した。振り向くとシアも似たような状態のようだ。エンハンスはシアを椅子に座らせ、作業台に突っ伏すような姿勢にさせると、続いてオウルにも同じことをした。
(何がどうなってるの? 今、ハンスが二人を眠らせたよね……。なんで?)
「ハンス……?」
「モモカに大事な話があるんだ」
一歩ずつ踏み出してくるエンハンスが、いつもの雰囲気と違って、疑念と恐怖を抱かせる。正装してこざっぱりとしているエンハンスは普段の何倍も爽やかなのに、その目の奥が見えなくて百花は一歩ずつ後ずさった。
「な、なんか今日のハンス、怖いんだけど……」
じりじりと間をつめられて、ついに壁際に追い込まれる。エンハンスの大きな体躯が、百花に影を落とした。
「モモカには、俺と一緒に帝国に来てほしいんだ」
「帝国に?」
「交渉に同席して欲しい」
「え? 和平交渉の目処がたったの?」
昨日から状況が一変したのだろうか。驚く百花にエンハンスが「可能性が出てきたというくらいだよ。ただーー」と続けようとしたところで、「ハンス!!」という怒声とともに厨房のドアが荒々しく開かれた。
「カイリ!?」
何事!? と目をみはる百花だったが、それを聞く前にエンハンスが百花の前に立ちはだかった。エンハンスの背中ごしに見るカイリの顔は眉毛がつり上り、湯気が出てるんじゃないかというくらいに真っ赤だ。
「行かせない」
短く言うと、カイリが百花に向かって手を伸ばす。訳は分からなかったが、とりあえずその手に触れようと百花も手を伸ばした。けれど寸前のところでエンハンスに阻まれた。
「せっかちだな。説明くらいさせろ。別に今すぐ帝国に行くわけじゃないぞ」
「説明なんて必要ない。モモカは聞いたら行くって言うに決まってる」
「それに何の問題が?」
カイリはエンハンスの問いに答えることなく、流れるような動作で短剣を抜いた。
「ちょっと! 何してんの!!」
百花は叫んだが、エンハンスは驚いた様子もなく「……恋に目が眩んだか」と彼も剣を構える。危ないから下がっててとエンハンスに言われ「い、いやいやいや……」と百花は顔面蒼白だ。
「そんなんじゃない。無謀なことはやめろと言ってるだけだ」
「理想じゃ国は救えない。わかっているだろう?」
「焦って身を投げ出すのは愚か者のすることだ」
(ケンカの内容がまるで見えてこない!! 一体なんで急にこんな一触即発ムードになっちゃってるの!?)
「二人とも落ち着いてよ! ここ、絶対ドンパチしたらまずい場所だから! 石窯だって熱くしてるところだし! オウルとシアだってここにいるから!」
刃物の前に飛び出すのは怖かったけれど、それでも百花は二人の間に割って入った。二人とも、わたしのためにケンカはやめて! と身を呈する昔のアニメの画面が浮かんだが、現実で起こるとあんなふうにかわいらしくはできないと身を持って知った。ていうか、そもそも二人が争っている理由が百花にあるかどうかもわからないが。
「なんだかわかんないけど話し合おうよ! 対話! 対話大事だってーー!!」
ねっ、と交互に男二人を見やり、カイリと目があった瞬間、彼が一歩を踏み出して百花の手をつかんだ。
その瞬間、目の前でフラッシュのように眩しい光が発光する。
「えっ!?」
そのまま腕がひっぱられ、抱きしめられた直後にものすごい重圧を感じた。まるで急降下するジェットコースターに乗った気分だ。
「ぎゃあぁぁぁ!」
百花の悲鳴が響き、めちゃくちゃな圧力がやんだ時、百花はまるで見たこともない場所に立っていた。
◆
「えっ、う、馬……!?」
目を開けて飛び込んできたのは、つぶらな真っ黒い瞳の馬の顔だった。
驚いて視線を巡らせて、どうやら厩舎にいるらしいことがわかる。ずらりとつながれた馬たちは、突然の闖入者にも驚いた様子はなく、青草を食べたりぼんやりしたりとマイペースだ。
「な、なんでここに?」
ぽかんとする百花だったが「早く!」といきなり背後から急かす声がして「ええ?」と困惑する。見るとカイリが一頭の馬を連れてきていた。外に出て! と言われて、あわてて走って厩舎の外に出る。眩しい日差しが飛び込んで来たのと、見たことのある街並みが目に入ってくる。どうやらここはハイネの街の中のようだ。
位置関係を確かめるようにまわりの景色を観察していると、急にカイリから身体を抱えられて、どすんと落とされる。硬い衝撃の後でふわりと柔らかい感触がして、見ると茶色のたてがみだった。
「なんで!?」
「なんでもいいから!」
「いやでも、スカートがぁっ!!」
鞍をまたがされ、スカートがめくり上がってしまっている。くるぶし丈の長いものだが、それが膝までずり上がって、靴下どころか下穿きが丸見えである。恥ずかしすぎる。
すかさずカイリも後ろに乗ってきて、バタつく百花を抑え込む。
「今はそれどころじゃない!」
カイリは言うなり手綱をあやつって馬を発進させた。ぎゅんと風を切って走り出して、ものすごい風圧に身体がのけぞってしまう。それをカイリにしっかりと抱きとめられて、わけもわからないうちに百花は馬上の人となって走り出していた。
(も、ものすごい揺れだ……)
馬になんて乗るのは初めての百花だ。街を出て、街道をひたすら走り、左右にはのどかな草原や丘などの自然の中を抜けていく。目的地は一体どこだろう。ていうかおしりと足がものすごく痛い。絶対明日は筋肉痛だ。
カイリは無言で馬を駆けているが、ちょっと強引すぎる。揺れに少しだけ慣れたところで、百花は声を張り上げた。
「かっ……カイリ!」
振動の中で懸命に声を発すると「何」と短い返事がくる。
「ちょっと落ち着いて! 一体何があったのか、お願いだから教えてよ!!」
「今は言えない」
「だって、ハンスが帝国と交渉できるかもって言ってたよ! それ大事じゃん!」
「……行かせない」
「な、なんで!? どうしちゃったのー!?」
思わず振り向くと、カイリは険しい表情で前を見据えている。先ほどといい、あそこまで感情をあらわにするカイリは珍しいから、よほどのことがあるのだろう。けれど、こっちとしては何もわからないままなのは困る。ひたすらわめきつづけて、ようやくカイリはどこかの森の入り口で馬を止めた。
「ここは……?」
地面におりたった時に膝が笑ってしまい、へたりこんでしまう。それを見てカイリは百花を横抱きにすると「ここで説明するよ」と森の中へと踏み込んで行った。うっそうとした森は昼間なのに薄暗く、何かおどろおどろしいものが出て来そうで怖い。百花は思わずカイリにしがみつく。カイリはそんな百花をしっかりと抱えて、大きな古木の下までくるとそこで結界を張った。光の粒子がまるでテントのような形をなして、パチンと弾ける。同じ魔法を森の入り口につないだ馬にもかけていたから、きっと馬にも結界がはられているのだろう。
「誰から逃げてるの……? まさかハンスじゃないよね?」
百花の問いに、カイリは一度視線を投げただけで答えなかった。それが答えだと言っているようなものだ。百花は愕然として「なんで……」と眉をゆがめた。
ゆったりと木の根が盛り上がった部分に百花をおろして自身もその横に座ると、カイリは「モモカには僕と一緒にダイスに行って欲しい」と告げる。
「え、ダイスに?」
昨日はあんなにうだうだ言っていたのに、どういう風の吹きまわしだろうか。百花としては願ったり叶ったりなのだが、それにしてもさっきのエンハンスとの衝突が気になって仕方ない。
「連れてってもらえるなら嬉しいけど、ハンスは帝国と交渉するって言ってたよね。わたし、同席してほしいって言われたんだけど」
「それはダメ」
「ダメってなんで?」
カイリはしかめっ面のまま、ことのあらましを説明した。エンハンスの考えている帝国宰相との会談、そしてカイリの考えているダイス訪問。そして二人が衝突した理由も。
「そっか……」
何度も頭の中でカイリの説明を繰り返して、自分なりに飲み込むと、エンハンスの案はカイリが危惧するほど悪い話ではないような気がする。それを正直に言うと、カイリは「何言ってるの!」と百花の肩をつかんだ。
「帝国に行くなんて危険すぎる!」
「いやでもさ、宰相さんと会談できるっていうのはすごいことなんじゃない? カイリが心配してるのは場所が帝国だからってことだよね? それなら、場所を帝国じゃないとこで指定するのはどうなの? こっちに来てもらうのは図々しいだろうから、ほら、いっそダイスとかで会談できるようにしたらどう? 折衷案!」
「そんなの……」
「むしろ、ダイスの王様にそれをかけあってみた方がオッケーもらえるかもよ! ちょっと場所かしてください的な」
「な……」
「ね! ハンスに提案してみようよ! どっちにしろ、このまま逃げるみたいにダイスに行ったって絶対いいことない! 話し合ってお互い納得してからいろいろ動こうよ!」
「どこまでおめでたいの、君。ハンスは無理やりにでもモモカを連れて行くつもりなんだよ!? 戻ったら軟禁されるかもしれない」
「そんな……ハンスがそこまでやるようには思えないけど」
「ハンスは必要なことならやる。僕が反対する限り、モモカを自分の手元においておこうとするはずだ」
「そんなものかな……まあそれは困るけど、でも、ハンスのやろうとしてることも結構いい感じに思えるんだよ」
「ダメだ! モモカは僕と行くんだ!」
「カイリってば! 冷静になってよ!!」
もう! と息を吐いて、百花は両手でカイリの頬を挟み込んだ。ぎゅうと力をこめて顔を押しつぶすようにすると、カイリが目を見開いて絶句する。その力を緩める事なく「わたしのこと心配してくれるのは嬉しいけど」と声を張った。
「こんなことしたらダメだよ。ハンスとも話し合おう」
今のカイリは感情的になりすぎて、いつもの冷静な判断ができなくなっているように思う。
帝国に乗り込むということは、確かに危険だとは思う。けれど、いきあたりばったりでダイスに行くよりも、可能性があるのではないだろうか。
カイリはしばらくされるがままの状態で百花を見つめていたが、ゆっくりと彼女の手をほどいた。そのまま握り込まれて、百花の胸が一度高鳴る。
「モモカを危ない目にあわせたくない」
「……うん、ありがとう」
「モモカは……」
ここでカイリは一旦言葉を止めて、百花を見つめた。勘違いしそうになるくらいの熱い視線で、それに煽られて緊張してくる。けれど続いて告げられたのは「元の世界に帰った方がいい」という言葉だった。
「──はあ!?」
昨晩の話をいきなり蒸し返されて、百花は口を大きく開いたままカイリを見つめた。
(ま、まさか……わたしをダイスに連れて行きたいって言ってるのは、そのため……?)
あんなにここにいたいと言ったのに、何一つ伝わっていなかったということなのか。
それがわかってしまい、百花は「いや……だからさ……」と脱力してしまう。帰りたいなんて一言も言ってないというのに、早合点しすぎである。
それを説明しようとしたところで、耳元でガラスが割れたような音が響いた。はっとして辺りを見回すと光の粒子が弾けて空へと消えていくのが見える。カイリが身を固くしたのと「見つけたよ」と背後から声がかかったのは同時だった。
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