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第2章 いざ異世界
15、慟哭(カイリ視点)
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別に好きで曖昧にしてるわけじゃない。
カイリは、まずそう思った。けれどあまりにも独りよがりな考えであることも、同時にわかっていた。
百花の言う通りで、何もはっきりしたことを言わずに事に及んだのは自分だし、その後も何事もなかったかのように接したのも自分だ。
突然の百花の激情に何も言えないでいると、彼女はがたんと大きな音をたてて立ち上がった。顔を真っ赤にして握った拳を震わせ、相当興奮しているようだ。
「いっつもカイリはわたしの気持ちなんてお見通しって感じですかしちゃってさ! いくらわたしがカイリを好きだからって、あんまり調子に乗ってると痛い目みるんだから!」
どうだ、まいったか!
とでも言いたそうな顔で見下ろされる。
ぶつけられた言葉たちはおそらく百花の中での怒りが表出したものだろうが、カイリはたった一つの言葉をひろって、心臓が苦しくなるのを感じた。
(……モモカが好きなのは、どっちのカイリ?)
百花の記憶の中にいる『カイリ』を重ねているだけなのか、それとも、今こうして共にいる自分を想ってくれているのか。
普段、百花から向けられる微笑みはまっすぐなものだと思う。
それをそのまま信じられたら、すぐに気持ちに応えることができるのだろうか。
何も反応を見せないカイリに、百花は荒く息をしたまま、伺うように視線を向ける。その後で一気に「……わたし……何言ったっけ……」と顔を青くした。
「『いくらわたしがカイリを好きだからって、あんまり調子に乗ってると──』」
「ぎゃーーーーっ!!」
一字一句間違えずに反芻しようとしたが、百花の悲鳴にかき消された。今度は彼女は再び真っ赤である。彼女の顔色はいつも忙しい。
「忘れて!!」
それだけ言い置いて、百花は逃げるように階段を駆け上がっていく。それを追いかけたかったけれど、理性がそれを止めた。
『先がない自分が、彼女を手にいれてどうする』
重い言葉に押しつぶされそうになる。
いつからか自分の心をかき乱すようになった存在。離れていると気になって、そばにいればいたで気になる。
(……抱かなければ良かった)
彼女を押し開いた時の喜びの余韻は、今でもカイリにまとわりついて離れない。だから困る。ともすれば手を伸ばしたくなって、想いを告げたくなる。
(彼女にそばにいてほしい。でも)
百花が突然ダイスのことを言い出したのには、絶対に理由があるはずだ。
和平交渉以外に、彼女がダイスに関心を持つ理由と言ったら、ニアのことしかない。
(もしも彼女が故郷に帰りたいという気持ちが少しでもあるならば、そのために動いた方がいいのかもしれない)
すぐには結論は出せず、カイリはしばらくその場から動けなかった。
◆
翌日。朝起きたら今度は百花がいなかった。朝食はすでに作ってあって、かまどにはガルボ(かぼちゃのような野菜)のスープが置いてある。パンの試作品をひたしながらそれを食べて、カイリは城へと向かった。
エンハンスの居室に着くと、彼は身支度をしているところだった。今日は貴族議会に顔を出すからと、ひげをそって正装をしている。光沢のあるシャツに細身のズボンを履き、重そうな深緑のジャケットを着ていると、普段の倍以上の威厳があった。
ダイスに再度働きかけるという提案に対して、思った以上にエンハンスの反応は鈍かった。意匠がこらされた木製の椅子に足を組んで座り、エンハンスは腕組みをしながら、カイリを一瞥し「悪くはないが……」と呟く。
「以前断られた時のことを覚えているか? 自分たちでなんとかしろと門前払いだぞ? 今回もそうなると思うが」
「確かにそうかもしれない。でも、今はあの時と違って交渉材料が増えた。そこに賭けてもいいんじゃないか?」
カイリはエンハンスの正面に立って「僕に行かせてほしい」と頼んだ。エンハンスはカイリを一瞥して、首を横に振った。
「ハンス」
「もちろん試してみてもいいが、その前に俺からも話をしていいか? 一つ思いついたことがあるんだ」
そう言われ、カイリはエンハンスを見返した。エンハンスは目線だけで向かいの椅子に座るよう促し「アシュフォードだよ」と不敵に笑った。
それは貴族議会の議長をしている有力貴族の名前だった。先だってカイリとエンハンスが調べていた、帝国と密かに貿易をしている黒幕とされる存在だ。証拠も少しずつそろってきて、ほぼ間違いないというところまできていた。もう少ししたら一斉検挙する予定だったはずだ。
「アシュフォードが食糧品と引き換えに、帝国から大量の武器を仕入れているだろう。それはクーデターの準備でほぼ間違いない。そして、別働隊が面白い情報をつかんできたんだ」
「面白い情報?」
「帝国側の取引相手だよ。裏で糸を引いているのは帝国宰相だった」
思った以上の大物の名前に、カイリは目を見開いた。帝国宰相といえば、皇帝の右腕として全ての政務を取り仕切る存在だ。女性ながら豪胆な性格で、しかも頭もキレるから、唯一皇帝がその意見に耳を傾ける相手だと聞いたことがある。
「ただのクーデターならリンガードにまかせておこうと思ったが、裏に宰相がいるなら話は別だ。アシュフォードを脅して、宰相との会談を仲介させる。うまく説得できれば、帝国の軍を引かせることができるかもしれない」
オミの国の第二王子であるエンハンスと帝国宰相の会談。
確かに実現すれば、大きな可能性は広がる。
ただ、エンハンスが言うほどに簡単なことではないのも事実だった。
「そんなにうまくいくと思うか」
「いくさ。アシュフォードは態度は尊大だが、小心者だ。クーデターを成功させられるほどの器はない。少し脅して、餌でもちらつかせれば言いなりになるだろう」
「だとしても。一体どこでその会談をするつもりだ。まさか帝国に乗り込むわけじゃないだろう?」
「そのまさかだよ。こちらから出向くのが礼儀だろう。こう言う時は誠意を見せるのが大事だからな」
「何を考えてる!」
カイリは思わず叫んだ。
「のこのこ帝国に行ったって、人質にされるか殺されるに決まってる!」
「殺しはしないさ、あの宰相は。前に何かの式典で会ったことがあるが、あれは卑怯なことができないタイプだ」
「クーデターをそそのかしている時点で卑怯だろう」
「そこだよ」
エンハンスは指を立てて、口の端をあげた。
「帝国は春になって戦端が開かれれば、自分たちが勝つことは確信しているだろう。新兵器の開発も順調なようだしな。なのに、どうして宰相はあえてクーデターをアシュフォードに持ちかけたんだと思う?」
「アシュフォード自身で思い立ったことかもしれない」
「いや、それはない。小心者だから、たとえ思いついたとしても実行する決心はつかないだろう。背中を押したのは確実に宰相だよ。彼女はおそらく冬の間に戦自体を終わらせたいんだ。おそらくそれ程までに帝国の食糧事情はせっぱつまっていると見た。冬を越せないほどひどいのかもしれない」
エンハンスの予想が当たっているのか、それとも見当ちがいなのか、カイリには判断できなかった。
黙ったままでいると「だから」とエンハンスが力を込めた声音で告げる。
「今ここで俺が申し入れた時、向こうがとりあえずでも交渉の場につく可能性は高いと思う」
「でも、それでも危険すぎる。帝国に行ってもし何かあったら……」
「もちろん俺もやすやすと人質になる気はない。ましてや殺される気もな。切り札を持って行く」
「切り札?」
エンハンスはすぐには答えずに、底光りする目をカイリに向けた。たまにエンハンスはこういう目をするのだ。目的のためには手段を選ばない冷酷さを体現する暗い光が灯っている。
間違いなく、エンハンスはよからぬことを考えている。
聞くのが怖い、と思ったけれど、聞かないわけにはいかない。
「モモカを連れて行く」
「な……に言ってる」
「彼女の技術はおそらく今の帝国にとって喉から手が出るほど欲しいものだ。チオ麦で作ったパンを食べただろう? 天然酵母と一緒にあれを出せば、必ずくいついてくる」
「彼女は全然関係ない世界の人間だぞ!? そんな危険な場所に連れて行くべきじゃない!」
「彼女の身は俺が保証する」
「敵国に単身で乗り込んで、身の安全なんて保証なんでできるわけないだろう!?」
「……カイリ」
落ち着けよ、とエンハンスは手で彼を制して「恐れていては事態は何も変わらない」と言う。
「だからと言って──」
「お前は反対か?」
エンハンスの問いかけは静かだった。興奮しているカイリとは正反対に椅子に深く腰掛け足を組み、カイリの目をじっと見つめてくる。カイリははっと我にかえり、もう一度自分の中でエンハンスの案を整理したが、最終的に「ああ、賛成はできない」とうなずいた。
「そうか……」
エンハンスは無言で立ち上がると、腰にさした剣を抜いた。一連の動作はひどくゆっくりだったが、カイリは微動だにせず剣の切っ先が自分の鼻先につきつけられるのを見つめた。エンハンスの目は笑ってはいない。本気の牽制だった。
「残念だよ」
「……ハンス」
「モモカを説得しに行ってくる。お前はここでおとなしくしていろ」
「そんなこと見過ごせるわけないだろう。……モモカは僕がダイスに連れていく」
カイリが低く発した言葉を聞いて、エンハンスは「……じゃあ少々手荒なことをする」と剣を構えた。ジリっと電気が弾ける音とともに刀身に火花が散り始める。
(……くる!)
本能的にカイリが後ろに飛び退くのと、エンハンスの剣から雷撃が放たれるのは同時だった。カイリの立つ部分のラグが焦げ付き、独特のすえた香りがたちこめる。
「何するんだ!」
カイリはとっさに自身を覆うように防御壁をはり、自身も短剣を抜いた。エンハンスの長剣相手では明らかに分が悪い。けれど今ここで彼を止めないと、とんでもないことが起こると確信していた。無茶を承知でエンハンスへと飛び込み、短剣を彼めがけて振りかざす。ガキィンと鈍い金属音とともに簡単に弾かれ、カイリは後ろへ飛び退いた。エンハンスは「悪いな、カイリ」とちっともそう思っていない表情で再び稲妻を走らせた。それは防御壁によって角度を変え、部屋の天井やカーテンを焦がす。
「やめろ! 部屋が燃えるぞ!」
屋内で雷を放つなど、自殺行為にも程がある。事実、カーテンに残り火がくすぶっている。カイリが慌てて消火のために氷を放とうとしていると「隙だらけだぞ」とカイリの耳元で低い声がした。
「なっ……!」
驚きとともに振り返った時にはエンハンスはカイリの正面にまわりこんでいて、剣の柄がカイリの腹にめりこんでくる。一瞬息が止まった。
「ぐっ……がはっ……!
膝をついて喘ぐカイリを見下ろして「モモカは俺が守るから安心しろ」とだけ言い残し、エンハンスは魔法でカイリをしばりつけた。見えない縄のようなもので身体を巻かれているような感覚。身動きがとれない。
「お前はお前の思う道を行けばいい。書状が必要なら、ダイス王家にあてて書いてやる」
そう言い残してエンハンスは転移魔法を使って消えた。行き先はわかりきっている。
「ハンス!」
呼んだ時には既に遅く、光陰のゆらめきが淡く消えた。 カイリは「──くそっ!!」と叫び、自身の魔力を最大限に放出した。
カイリは、まずそう思った。けれどあまりにも独りよがりな考えであることも、同時にわかっていた。
百花の言う通りで、何もはっきりしたことを言わずに事に及んだのは自分だし、その後も何事もなかったかのように接したのも自分だ。
突然の百花の激情に何も言えないでいると、彼女はがたんと大きな音をたてて立ち上がった。顔を真っ赤にして握った拳を震わせ、相当興奮しているようだ。
「いっつもカイリはわたしの気持ちなんてお見通しって感じですかしちゃってさ! いくらわたしがカイリを好きだからって、あんまり調子に乗ってると痛い目みるんだから!」
どうだ、まいったか!
とでも言いたそうな顔で見下ろされる。
ぶつけられた言葉たちはおそらく百花の中での怒りが表出したものだろうが、カイリはたった一つの言葉をひろって、心臓が苦しくなるのを感じた。
(……モモカが好きなのは、どっちのカイリ?)
百花の記憶の中にいる『カイリ』を重ねているだけなのか、それとも、今こうして共にいる自分を想ってくれているのか。
普段、百花から向けられる微笑みはまっすぐなものだと思う。
それをそのまま信じられたら、すぐに気持ちに応えることができるのだろうか。
何も反応を見せないカイリに、百花は荒く息をしたまま、伺うように視線を向ける。その後で一気に「……わたし……何言ったっけ……」と顔を青くした。
「『いくらわたしがカイリを好きだからって、あんまり調子に乗ってると──』」
「ぎゃーーーーっ!!」
一字一句間違えずに反芻しようとしたが、百花の悲鳴にかき消された。今度は彼女は再び真っ赤である。彼女の顔色はいつも忙しい。
「忘れて!!」
それだけ言い置いて、百花は逃げるように階段を駆け上がっていく。それを追いかけたかったけれど、理性がそれを止めた。
『先がない自分が、彼女を手にいれてどうする』
重い言葉に押しつぶされそうになる。
いつからか自分の心をかき乱すようになった存在。離れていると気になって、そばにいればいたで気になる。
(……抱かなければ良かった)
彼女を押し開いた時の喜びの余韻は、今でもカイリにまとわりついて離れない。だから困る。ともすれば手を伸ばしたくなって、想いを告げたくなる。
(彼女にそばにいてほしい。でも)
百花が突然ダイスのことを言い出したのには、絶対に理由があるはずだ。
和平交渉以外に、彼女がダイスに関心を持つ理由と言ったら、ニアのことしかない。
(もしも彼女が故郷に帰りたいという気持ちが少しでもあるならば、そのために動いた方がいいのかもしれない)
すぐには結論は出せず、カイリはしばらくその場から動けなかった。
◆
翌日。朝起きたら今度は百花がいなかった。朝食はすでに作ってあって、かまどにはガルボ(かぼちゃのような野菜)のスープが置いてある。パンの試作品をひたしながらそれを食べて、カイリは城へと向かった。
エンハンスの居室に着くと、彼は身支度をしているところだった。今日は貴族議会に顔を出すからと、ひげをそって正装をしている。光沢のあるシャツに細身のズボンを履き、重そうな深緑のジャケットを着ていると、普段の倍以上の威厳があった。
ダイスに再度働きかけるという提案に対して、思った以上にエンハンスの反応は鈍かった。意匠がこらされた木製の椅子に足を組んで座り、エンハンスは腕組みをしながら、カイリを一瞥し「悪くはないが……」と呟く。
「以前断られた時のことを覚えているか? 自分たちでなんとかしろと門前払いだぞ? 今回もそうなると思うが」
「確かにそうかもしれない。でも、今はあの時と違って交渉材料が増えた。そこに賭けてもいいんじゃないか?」
カイリはエンハンスの正面に立って「僕に行かせてほしい」と頼んだ。エンハンスはカイリを一瞥して、首を横に振った。
「ハンス」
「もちろん試してみてもいいが、その前に俺からも話をしていいか? 一つ思いついたことがあるんだ」
そう言われ、カイリはエンハンスを見返した。エンハンスは目線だけで向かいの椅子に座るよう促し「アシュフォードだよ」と不敵に笑った。
それは貴族議会の議長をしている有力貴族の名前だった。先だってカイリとエンハンスが調べていた、帝国と密かに貿易をしている黒幕とされる存在だ。証拠も少しずつそろってきて、ほぼ間違いないというところまできていた。もう少ししたら一斉検挙する予定だったはずだ。
「アシュフォードが食糧品と引き換えに、帝国から大量の武器を仕入れているだろう。それはクーデターの準備でほぼ間違いない。そして、別働隊が面白い情報をつかんできたんだ」
「面白い情報?」
「帝国側の取引相手だよ。裏で糸を引いているのは帝国宰相だった」
思った以上の大物の名前に、カイリは目を見開いた。帝国宰相といえば、皇帝の右腕として全ての政務を取り仕切る存在だ。女性ながら豪胆な性格で、しかも頭もキレるから、唯一皇帝がその意見に耳を傾ける相手だと聞いたことがある。
「ただのクーデターならリンガードにまかせておこうと思ったが、裏に宰相がいるなら話は別だ。アシュフォードを脅して、宰相との会談を仲介させる。うまく説得できれば、帝国の軍を引かせることができるかもしれない」
オミの国の第二王子であるエンハンスと帝国宰相の会談。
確かに実現すれば、大きな可能性は広がる。
ただ、エンハンスが言うほどに簡単なことではないのも事実だった。
「そんなにうまくいくと思うか」
「いくさ。アシュフォードは態度は尊大だが、小心者だ。クーデターを成功させられるほどの器はない。少し脅して、餌でもちらつかせれば言いなりになるだろう」
「だとしても。一体どこでその会談をするつもりだ。まさか帝国に乗り込むわけじゃないだろう?」
「そのまさかだよ。こちらから出向くのが礼儀だろう。こう言う時は誠意を見せるのが大事だからな」
「何を考えてる!」
カイリは思わず叫んだ。
「のこのこ帝国に行ったって、人質にされるか殺されるに決まってる!」
「殺しはしないさ、あの宰相は。前に何かの式典で会ったことがあるが、あれは卑怯なことができないタイプだ」
「クーデターをそそのかしている時点で卑怯だろう」
「そこだよ」
エンハンスは指を立てて、口の端をあげた。
「帝国は春になって戦端が開かれれば、自分たちが勝つことは確信しているだろう。新兵器の開発も順調なようだしな。なのに、どうして宰相はあえてクーデターをアシュフォードに持ちかけたんだと思う?」
「アシュフォード自身で思い立ったことかもしれない」
「いや、それはない。小心者だから、たとえ思いついたとしても実行する決心はつかないだろう。背中を押したのは確実に宰相だよ。彼女はおそらく冬の間に戦自体を終わらせたいんだ。おそらくそれ程までに帝国の食糧事情はせっぱつまっていると見た。冬を越せないほどひどいのかもしれない」
エンハンスの予想が当たっているのか、それとも見当ちがいなのか、カイリには判断できなかった。
黙ったままでいると「だから」とエンハンスが力を込めた声音で告げる。
「今ここで俺が申し入れた時、向こうがとりあえずでも交渉の場につく可能性は高いと思う」
「でも、それでも危険すぎる。帝国に行ってもし何かあったら……」
「もちろん俺もやすやすと人質になる気はない。ましてや殺される気もな。切り札を持って行く」
「切り札?」
エンハンスはすぐには答えずに、底光りする目をカイリに向けた。たまにエンハンスはこういう目をするのだ。目的のためには手段を選ばない冷酷さを体現する暗い光が灯っている。
間違いなく、エンハンスはよからぬことを考えている。
聞くのが怖い、と思ったけれど、聞かないわけにはいかない。
「モモカを連れて行く」
「な……に言ってる」
「彼女の技術はおそらく今の帝国にとって喉から手が出るほど欲しいものだ。チオ麦で作ったパンを食べただろう? 天然酵母と一緒にあれを出せば、必ずくいついてくる」
「彼女は全然関係ない世界の人間だぞ!? そんな危険な場所に連れて行くべきじゃない!」
「彼女の身は俺が保証する」
「敵国に単身で乗り込んで、身の安全なんて保証なんでできるわけないだろう!?」
「……カイリ」
落ち着けよ、とエンハンスは手で彼を制して「恐れていては事態は何も変わらない」と言う。
「だからと言って──」
「お前は反対か?」
エンハンスの問いかけは静かだった。興奮しているカイリとは正反対に椅子に深く腰掛け足を組み、カイリの目をじっと見つめてくる。カイリははっと我にかえり、もう一度自分の中でエンハンスの案を整理したが、最終的に「ああ、賛成はできない」とうなずいた。
「そうか……」
エンハンスは無言で立ち上がると、腰にさした剣を抜いた。一連の動作はひどくゆっくりだったが、カイリは微動だにせず剣の切っ先が自分の鼻先につきつけられるのを見つめた。エンハンスの目は笑ってはいない。本気の牽制だった。
「残念だよ」
「……ハンス」
「モモカを説得しに行ってくる。お前はここでおとなしくしていろ」
「そんなこと見過ごせるわけないだろう。……モモカは僕がダイスに連れていく」
カイリが低く発した言葉を聞いて、エンハンスは「……じゃあ少々手荒なことをする」と剣を構えた。ジリっと電気が弾ける音とともに刀身に火花が散り始める。
(……くる!)
本能的にカイリが後ろに飛び退くのと、エンハンスの剣から雷撃が放たれるのは同時だった。カイリの立つ部分のラグが焦げ付き、独特のすえた香りがたちこめる。
「何するんだ!」
カイリはとっさに自身を覆うように防御壁をはり、自身も短剣を抜いた。エンハンスの長剣相手では明らかに分が悪い。けれど今ここで彼を止めないと、とんでもないことが起こると確信していた。無茶を承知でエンハンスへと飛び込み、短剣を彼めがけて振りかざす。ガキィンと鈍い金属音とともに簡単に弾かれ、カイリは後ろへ飛び退いた。エンハンスは「悪いな、カイリ」とちっともそう思っていない表情で再び稲妻を走らせた。それは防御壁によって角度を変え、部屋の天井やカーテンを焦がす。
「やめろ! 部屋が燃えるぞ!」
屋内で雷を放つなど、自殺行為にも程がある。事実、カーテンに残り火がくすぶっている。カイリが慌てて消火のために氷を放とうとしていると「隙だらけだぞ」とカイリの耳元で低い声がした。
「なっ……!」
驚きとともに振り返った時にはエンハンスはカイリの正面にまわりこんでいて、剣の柄がカイリの腹にめりこんでくる。一瞬息が止まった。
「ぐっ……がはっ……!
膝をついて喘ぐカイリを見下ろして「モモカは俺が守るから安心しろ」とだけ言い残し、エンハンスは魔法でカイリをしばりつけた。見えない縄のようなもので身体を巻かれているような感覚。身動きがとれない。
「お前はお前の思う道を行けばいい。書状が必要なら、ダイス王家にあてて書いてやる」
そう言い残してエンハンスは転移魔法を使って消えた。行き先はわかりきっている。
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