黒髪碧眼の美少年がやってきた【R18】

七篠りこ

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第3章 旅で得るもの、失うもの

8、水面に投げられた小石ひとつ

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 次の日の午後一番に、エンハンスはダイスへと着いた。
 高速船から颯爽と降りて来たエンハンスは普段通りの平服だった。彼はダイスの気候をよくわかっているらしく、半袖のチュニックにハーフパンツだ。むしろ普段以上に軽快な姿に、なんだか心が和んだ。供についている男性もこざっぱりとした格好で、申し訳程度の帯剣はしているが、一介の観光客にしか見えない。

「うまい具合に首尾してくれたな。まさか直接国王と話せる機会がもらえるなんて思ってなかった」

 エンハンスは微笑みながらカイリの肩をたたく。

「そっちはどうなの」
「ああ、こっちもアシュフォードは押さえた。今は宰相殿に連絡をつけさせているところなんだが……まあお目付役を置いてきたからなんとかなるだろう」

 さて、どちらが芽吹くかな。
 ひゅうと口笛を鳴らして、楽しそうにエンハンスはカイリに笑いかける。カイリは「ちょっと緊張感足りないんじゃない?」と呆れた様子で返していたが、その表情はどこか緩んでいた。 

「アンソニーとオリビーも、尽力してくれてありがとう」

 丁寧に頭を下げたエンハンスに対して、アンソニーとオリビーも同じように返す。私たちは何もしておりませんよとアンソニーは謙遜しつつも嬉しそうだ。

(不思議。エンハンスが来たら、みんなの顔が明るくなった)

 別にこれまでだって暗い顔をしていたわけじゃない。けれど、エンハンスが皆の中心に立ち声をかけただけで、表情が生き生きし始めた。自然とエンハンスを先頭に歩き出す形になり、風を切って歩く彼の背中がとても頼もしく見える。

(こういうのがもしかして上に立つ人の器ってやつなのかも)

 そんなことを思いながら、百花は皆について行った。


 
 その夜、ダイス国王がエンハンスを歓迎する晩餐会を開いた。
 普通晩餐会というのは、城の中にあるバンケット会場のような部屋で行われるそうだが、ダイス国王が主催した晩餐会の場所は城の中央庭園だった。円形の広大な庭の中央に同じく丸いテーブルが輪を描くように配置され、その上に色とりどりの料理が配置されている。厨房に直結した場所らしく、次から次へと出来立ての料理が湯気をたてて運ばれて来て、皆の目と舌を楽しませた。

「晩餐会っていうからもっと緊張感あるのかと思ったけど、こうして外で立食だと気楽な感じでいいね」

 百花は隣に立つカイリに耳打ちしてから、取り皿の上に乗せた鴨肉のローストを口に運んだ。石窯で焼き上げた肉に特製ソースがかかっていて、このソースがまた美味しい。おそらく多くの野菜を煮込み、なおかつ香辛料もふんだんに使われている。

(やっぱり調味料が豊富だと味に深みが出るなぁ)

 そして何よりも百花の心を弾ませたのが、ダイスに甘いお酒があったことである。今百花の持つグラスにはナパという柑橘系の果実のお酒が入っている。口に含むと、まずつんとした酸味を感じるが、すぐに甘みが広がっていく風味のお酒だった。オミの国にはエールのような苦いものしかなかったから、初めて飲んで百花はすっかり虜になってしまった。

「飲み過ぎ注意だよ」

 ぐびぐびとまるでジュースのようにナパ酒を飲む百花を、カイリがたしなめる。彼のグラスにはエールが注がれているのだが、半分ほど飲んだきり大して減っていない。

「だって本当に美味しいんだもん。オミの国にもこのお酒輸入した方がいいよ、絶対! 女子好みの味」

 できればお土産に持って帰りたいなぁなんてことを考えている百花とは対照的に、カイリは生真面目な顔のまま「ねえ、モモカ」と声をひそめた。まるで内緒話をするような小さな声に、百花は首をかしげる。そんなふうにしなくても、二人のまわりには人はいない。

 エンハンスは少し奥まった場所のテーブルで、国王と歓談の真っ最中。アンソニー夫妻は大臣夫妻とウェインと、飾り切りされた果物や焼き菓子の乗ったテーブルを囲んで話し込んでいる。エンハンスが供に連れて来た騎士は、先ほどから皿に料理を山盛り乗せては食べてを繰り返していた。

「どうしたの?」
「……ウェイン王子に、何か感じたことはない?」
「何か?」

 抽象的な問いかけに答えられずにいると、カイリは「僕が異界渡りしてる時」と呟く。

「彼の声を聞いた気がしたんだ」
「え?」
「ほら、僕が一度、急に頭が痛いって言ってたことがあったでしょ。覚えてる?」
「ああ……うん。覚えてるよ。退院してすぐの時だよね?」

 そうだ、あれは退院した日の夕食の時。急にカイリが苦しみだしたから、また病院に逆戻りかと焦ったのだ。
 その時の胸騒ぎまで思い出してしまい、百花は顔をしかめた。

「僕はあの時、モモカがオミの国に来ていることを言おうとしていたんだ。でもその時ニアが『話すのはルール違反だ』と心に語りかけて来た」
「……それが……ウェインの声だったの?」
「向こうで聞いた時にピンときたんだ。今日改めて声を聞いてみて、やっぱりそうなんじゃないかと思ってる」

 そう言いながら、カイリはウェインに視線を送った。つられて百花も同じ方向を見る。
 庭園内は夜だというのに夕方のような明るさがある。それは点在する魔法灯(街灯のように高い位置で光っている)とテーブルごとに置かれた燭台が光源となっている。

 そのおかげでこちらを向いたウェインが、すっと目を細めたのにも気づいてしまった。

(か、感づいてそうな顔してる……!)

 おののく百花にウェインは微笑みを浮かべると、アンソニーたちに挨拶をしてからこちらへと歩み寄って来た。

「ちょうどいい。確かめてくる」
「あ、カイリ……」

 思わずカイリの服を引いてしまう。一歩を踏み出していたカイリは振り向くと、百花を安心させるように彼女の髪をなでた。

「大丈夫だから、モモカは待ってて」

 そしてカイリはウェインへと近づいて行った。カイリが何事かを話すとウェインはうなずいて、二人で連れ立って庭園の出口へと向かっていく。それを見送りながら、どんどん百花の動悸は激しくなっていった。


(カイリの考えていることは当たっている……でも、それでたどりつく真実は……)

 自分と同じことを言われるだけだ。
 その時、カイリは何を思うのだろう。
 真実を知ってもなお「あきらめない」と百花に言ってくれるだろうか。

 不安がふくらんできたことをごまかすように、百花はナパ酒を飲み干した。

(弱気になったらダメだ。まだ時間はあるし、できることもきっとある)

 自分にできることは……と考えて、百花の目は自然にアリスを探していた。ぐるりと一座を見渡してみるも、栗色の髪の少女は見当たらない。晩餐会の最初の頃には姿を見たのだが、どこに行ったのだろう。

 グラスを置いて庭を歩いてみようかと思っていたところで「私のこと探してるの?」と背後から声がかかった。振り向いてまず目に飛び込んで来たのは、ふわりと揺れる真っ白いチュール。妖精のようなふわっとした形のサマードレスに身を包んだアリスが微笑んでいた。

「アリス、王女様」
「ちょうど私もあなたに頼みたいことがあったの」

 来て、と手を引かれる。子供の手にしては指が長く綺麗な手は、しっとりとして柔らかかった。

 ◆

 アリスが手を引いて先導した先は、百花とカイリの滞在している部屋だった。供をしてきた騎士にお茶を持ってくるよう命じると、ずかずかといの一番に入って行く。部屋の中央で仁王立ちしたアリスは、百花に「さ、パンをちょうだい」と手を出した。

 彼女の頼みというのは、昨日カイリが持ち帰って来たサツキベーカリーのパンが食べたいということだった。カイリとはデニッシュを一つ食べただけなので、大半は残っている。百花は快諾し、こうして部屋に戻って来たというわけだ。

「甘いパンがいいわ」
「わかりました、ちょっと待ってくださいね」

 百花はリュックを持って来て、ビニール袋に入ったパンを一つずつサイドテーブルに並べていく。鮮度保持のために魔法で凍らせてもらっているので、ビニール袋の中はカチコチだ。

「カイリに魔法で凍らせてもらってるんですけど、とくことってできます?」
「当たり前でしょう」

 腰に手をあてて胸を張った後「それで、どれがどんなパンなの?」とアリスは袋の山をくいいるように見つめている。よほどパンに興味があるらしい。何だか嬉しいなと暖かい気持ちになりながら百花は丁寧にパンの説明をして、アリスはクリームパンとマンゴーデニッシュを所望した。

 ビニール袋から出して皿に置いたそれらのパンをアリスが手早く解凍すると、タイミングを見計らったように給仕がお茶を持って来た。先日カイリと一緒に飲んだ糖蜜茶だった。

 アリスはソファに深く腰かけ「じゃあいただくわ」と言うなり、まずはクリームパンにかぶりつく。可憐な美少女が大口で一気にパンの三分の一ほどを含むから、百花はびっくりして二度見してしまった。案の定アリスは頬を膨らませて口いっぱいのパンをなんとか咀嚼しようと頑張っている。いくらなんでも入れすぎである。

「そんなにパンが食べたかったんですか」

 百花もアリスの隣に座り小さく笑うと、彼女はうなずきながらも勝気な視線を向けて来た。最後にはお茶でパンを流し込むようにすると「当たり前でしょ! この世界ってまだ食文化が全然ダメなの。甘いお菓子の種類が少なくて飽き飽きしてたのよ。私は甘い物が好きなのに!」と憤慨している。

 そして次にアリスはマンゴーデニッシュを食べ始めた。今度はちゃんと適正量を口に運んでいるところが微笑ましい。アリスはあっと言う間に二つのパンを食べ終わると「美味しかったわ」と口元をハンカチで拭った。

「あなたの世界はさすがに歴史があるから、食文化も成熟してるわね。こういうパン、こっちでも作れるの?」

 日常的にこんなパンが食べたいわとアリスは目を輝かせるが、百花は「バターがないと厳しいかもしれないです」と首を横に振った。その製法を聞かれたが、百花にも詳しくはわからない。知っているのは原材料が牛乳であることくらいだ。

「牛乳ならこっちにもあるじゃない! できるんじゃない?」
「そうですね、作り方さえわかれば。あと、確か何か道具が必要だった気がします」
「ふうん……じゃあ次はそのあたりに強い人間を連れて来たらいいのかしら」

 ぶつぶつと呟くアリスの言葉にひっかかりを覚えて「連れて来るっていうのは……わたしみたいに誰かを異界渡りさせるってことですか?」と聞いてみる。アリスは表情を変えずにうなずいた。

「この世界はまだうまれて二百年足らずの若い世界なの。だから新しい技術を呼び込むために、時折異世界から人材を召喚してる」
「ということは……わたしが、その?」
「そう。あなたは立派にこちらでパンを作った。この間ウェインはカイリのことばかり言ってたけど、私にとってはこちらの方が重要だわ。食文化というのは世界の発展には欠かせない要素だもの」

 壮大な話に頭が追いつかないと思いつつ「でも別にわたし、そんな凄腕のパン職人じゃないのに……」と呟く。むしろ修行中の身で、パン職人としてはひよっこの部類に入るだろう。結果的にパンを作れたけれど、この世界の食文化を担うなんて重責がおえるような能力なんてない。

 今更ながらプレッシャーに背筋を凍らせていると、アリスは「いいじゃない、結果的には成功してるんだから」と小さく笑った。

「こちらに来る人間に関しては、私たちは希望は伝えるけれど人選自体はあなたの世界の神がするのよ。私たちが決めるのはこちらから送る人物だけ」
「……なるほど……」

(なんかすごいシステマチックなんだな……)

 だからこそ期限がきっちり決まっているのかもしれない。

「……やっぱり帰らなきゃだめなんですか?」

 百花は両手で糖蜜茶の入ったカップを包み込みながら、アリスを見つめた。しんとした空気が満ちる。アリスは、その恐ろしいほどに整った顔立ちを無表情に戻して、百花を見つめ返した。値踏みするような視線を受けて、百花は歯を食いしばった。
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