黒髪碧眼の美少年がやってきた【R18】

七篠りこ

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第3章 旅で得るもの、失うもの

7、帰還

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 白と紺の太いボーダーのTシャツに、インディゴのジーンズ。
 懐かしい日々の中で、百花がカイリに選んだものだ。
 
(うん……? これは……一体どういうこと?)

 いまいち状況が飲み込めない百花に対して、カイリは彼女の両手を強く握り締めると「ただいま、モモカ」と泣き笑いのような顔になった。少しだけ上がった口の端が震え、青い目が潤んでいる。
 それをぽかんと眺めて「……カイリ?」と百花は名を呼ぶ。
 『もしかして』と『まさか』を何度も心の中で繰り返した後で「……今、行ってきたの?」と震える声でたずねる。カイリは大きくうなずいて「……僕のタイミングは、モモカとは大分違ったってことみたいだ」と答えた。

「嘘……」
「本当」
「う……」

 嘘じゃないなら、夢でもないよね?
 言いかけた百花はカイリに抱きしめられた。ふわりと漂ったのは懐かしい、自分の愛用していた柔軟剤の香り。嘘じゃない、夢でもない。百花はしっかりとカイリの背に手を回した。
 
 その途端、ひゅうとかひゃあとかまわりで歓声が上がる。
 そこでようやく百花はここが店の入口であったことを思い出した。そうだったと慌てて腕を突っぱねれば、カイリも素直に百花を解放する。それでも百花を見つめる目には熱がこもっていて、彼がまだ百花を求めていることが如実にあらわれている。

(嬉しいけど、恥ずかしいけど……でも嬉しい)

 百花は顔を真っ赤にしながら、いつの間にか集まっていた人だかりの中にオリビーを見つけると、慌てて駆け寄ったのだった。

 ◆

 アンソニーとオリビーと食事の席につき一部始終を話すと、二人とも目を丸くして驚いた。

「ニアって本当に気まぐれなのね」

 そう言ってオリビーは息をついた後「それとも劇的なのが好きなのかしら」といたずらっ子のように微笑む。

「すれ違いながらも結ばれる恋人たちなんて……とっても素敵だわ」

 夢見る乙女の瞳で語られ、百花とカイリは苦笑で応えるしかない。オリビーは二人のなれそめや向こうでの日々に興味があるのか、矢継ぎ早に質問してくる。それに照れたりごまかしたり答えたりしているところで、ちょうどエンハンスからの伝書鳩が戻ってきた。(窓からいきなり鳩が入ってきて、百花はめちゃくちゃ驚いた)
 返事には『明日朝一番の船に乗る』とあったそうだ。

「あとは殿下に期待しよう」

 アンソニーの言葉に一同でうなずき、食事を進めていく。そしてあらかたテーブルの上の皿が空になると、役目は終えたとばかりにカイリが百花を引っ張って立たせた。

「食後のお茶も飲まないのか?」と残念がるアンソニーに対して、オリビーは「あらあなた、これ以上は野暮ってものよ」と微笑む。
 そんな二人に見送られて、百花はカイリに急かされながら部屋へと戻った。あんまりにも早足だから、案内してくれた騎士がいぶかしむような顔をしていた。

 そうして部屋に入るなり、カイリが百花を抱きしめる。

「ずっと待たせてごめん」

 絞り出すような声に、カイリの想いが詰まっている。彼は少しだけ震えていた。

 どうしてカイリが百花のことを覚えていなかったのか。それは彼自身がまだ異界渡りをしていなかったから。

 百花の部屋にやってきたカイリが、百花を知っていたことも、自分のことを好きだと豪語したのも、なんてことはない。彼はすでにオミの国で百花と過ごしていて、それを知っていたから。

 不可解だった点が線につながって、百花には驚きとともに喜びがわきあがった。

「まさか今だったなんてね……」

 なんていうタイミングだろう。
 どうしてこんなにずれているのだろう。
 それも全てニアの気まぐれなんだろうか。

「モモカにはいくら謝っても足りないと思ってる。オミの国に来た時にひどい態度をとってごめん」

 暗い声で言われ、百花は小さく笑って「大丈夫」と伝えた。

 カイリの態度なんて、今は何も気にしていない。確かに最初はなんで覚えていないのかと絶望したけれど、からくりがわかってしまえば納得だ。

「今はもう全然気にしてないから安心していいよ。それにこうしてお互い完全に記憶があるって状態になれたんだからいいじゃん。終わりよければ全て良しだよ」
「……モモカ……」

 カイリの身体が少しだけ揺れ、百花の肩に顎をのせるようにした。だからその表情は見えないが、きっと彼は泣きそうになっているんじゃないかなと思う。震える身体を抱きしめて、百花はゆっくりと背中をさすろうとした。けれど彼の背中にはまだリュックがある。仕方ないから、リュックの下に手を潜り込ませるだけにとどめた。

「異界渡りしてきたってことは……病気は治ってるってことなんだよね?」
「うん」
「よかった……! それが本当に気がかりだったの」

 ウェインが『いずれ分かる』と言っていた意味が、ここにきて百花にもわかった。彼はカイリをこのタイミングで異界渡りさせることを決めていたから、百花に心配いらないと言ったのだ。

(だからリエルの葉も渋ったのかな。それとも、あれはあれで別の理由が……?)

「モモカにも本当に心配をかけてごめん」
「ううん、いいんだよ。いや、もちろんすごく心配したけど、こうして治ったんだもん。ほっとしたー!」

 確かな鼓動の音は曇りなく百花の耳に届く。それをしっかりと堪能して、百花は小さく身じろぎした。身体を離そうとすると、カイリは少し名残惜しそうだったけれど、おとなしく腕を外す。百花はその腕に触れて「そろそろリュックおろそ」と口角を上げた。

「ついでに中身も見せて!」

 百花はカイリの腕を引っ張ってソファへと座らせると、サイドテーブルにリュックの中身を並べてもらった。

 一生懸命ふりがなをふった薬草図鑑、指をさして言葉を覚えた国語辞典、そして毎日作っていたサツキベーカリーのパンたち。それを見たら、一気に懐かしさが溢れ出す。

「うわ……うわー! これ!」

 ほろほろと涙をこぼしながら、百花は図鑑や辞書のページをめくり、それが済んだらパンを一つ一つ確かめるように手に取った。カイリがいたのはちょうど暑い時期だったから、なすやズッキーニを乗せた夏野菜のピザやマンゴーを乗せたデニッシュなど夏の限定パンが入っている。

(そうだよ、こういうの持たせてた!)

 他にも、通年販売しているあんぱんやカレーパン、塩パンなど、合わせて十個のパンをテーブルの上に並べると小さな山ができた。

「お腹いっぱいだけど、何か食べたいなぁ……。カイリ、半分ずつ食べない?」

 カイリもうなずいたから、百花はグレープフルーツを乗せたデニッシュを選んだ。ヨーグルトクリームのさわやかな甘味とピンクグレープフルーツの酸味がとても合うと評判で、夏にいつも苦戦するデニッシュ系の中でダントツの売り上げを誇っていたパンだ。

 それを一口まずは食べる。
 焼きたてではないし、それこそ長距離移動したせいか、パリッとした食感はなかったけれど、バターの風味香る生地と具のハーモニーが口の中でとけていく。やっぱりサツキベーカリーのパンは美味しかった。

(こんなリッチな配合のパン、こっちじゃできないもんなぁ。そもそもバターないし……)

 かみしめて味わおうという気持ちとは裏腹に、口が勝手に動き、あっという間に半分食べてしまった。残りをカイリにどうぞと渡す(ナイフがなかったため、こういうやり方で半分こすることになったのだ)

「サツキベーカリーのパンの味、懐かしいよ。……みんな元気だった?」
「元気だったよ」
「そっか。……なんか不思議だよね。わたしはここにいるのに、向こうにもいたわけでさ。こんがらがったりしなかった?」

 冗談めかして聞くと、「それはないけど……」とカイリは思いのほか真面目な表情になって百花を見つめた。そういえば、カイリの前髪が少しだけ伸びている。目にうっすらかかるほどだった長さが、もう覆うほどに伸びていて、そっと横に流されている。あの一瞬の間に、カイリだけは数ヶ月の時を過ごしていたのだと改めて感じた。

「……僕のことを知らなかったのが、ものすごく悔しかった」

 言いながらカイリはデニッシュをサイドテーブルに置き、百花の肩を抱いた。そのまま引き寄せて百花の頭を肩にもたせかけるようにして、もう片方の腕が百花の腰にまわされる。抱きしめるには割と無理な体勢だが、カイリはそんなことは気にする様子はない様子だ。

「こっちではモモカの気持ちは僕に向いていたのに、向こうでは違ったからすごくイライラした。恋愛対象じゃないって言い切られた時には、目の前が真っ暗になったし」
「あぁ……そういえばそんなこともあったねぇ」

 あの合コンの夜だ。
 百花にとってはもう二年半近く前のことになる。当然思い出はその分色あせてきているのだが、カイリの中ではまだ最近の出来事だからか、表情が険しい。

「僕の知らない世界をたくさん持っていて、知り合いもたくさんいて……僕は向こうでまた自分の知られざる面を知ったよ」
「知られざる面って?」
「自分が嫉妬深いってこと」

 カイリは言い切ると百花の正面にまわり、百花の脇の下に手を入れて抱き上げた。ふわりと身体が浮いて「ぎゃあっ」と驚きの声が出てしまう。そのまま首に手を回すよう言われ、その通りにすると、カイリが遮二無二な力で抱きしめた。

「あのゴーコンでモモカに絡んでた男を峰打ちできたのは奇跡だったと思う。もしこっちだったら多分何かしら怪我はさせてた」
「きゅ、急に物騒なこと言わないでよ」
「あと榊も」

 急に名前が出てきて百花は「えっ、えっ、さ、榊さん!?」とどもってしまった。その動揺が気になったのか、カイリが百花をのぞきこんでくる。

「何その反応。……まさか榊と何かあった?」

 鋭い!
 百花は一瞬口を開けたが、即座に「ないない!」と首を横に振った。プロポーズされたなんて伝えたら、烈火のごとく怒りそうだ。

「まさか……」
「いや、ないから! 本当にカイリが心配するようなことは、何も!!」

 焦って弁明するも、カイリの視線には疑いの色が濃い。結局百花は追求から逃れられず榊にプロポーズされたことを白状させられた。

「……いやでも、別に承諾してないから!」

 保留していたことは伏せて、百花は「セーフだって! ね?」とカイリに言いつのる。一方でカイリは「それで、モモカは戻ったら榊と結婚するつもりなの」とすごんできた。

「いや、いやいやいや、しません! しません!! ていうか、帰りたくありません!!」

 焦って放った言葉を受けて、カイリは鳩が豆鉄砲くらったような顔になった。そしてすぐに吹き出す。

「帰りたくありませんって言葉……本気と受け取っていいの? 故郷でしょ」
「いや、そうなんだけど……でも、だって……」

 勢いで言ってしまったけれど、百花の本心はそうだった。
 たとえ家族と離れても、サツキベーカリーで働けなくなっても、カイリと一緒にいたい。できることなら、ずっと……。

(多分、今向こうに戻ったら、前以上にカイリのことを忘れられない)

 一緒にいればいるほどに好きになる。そばにいたいと願ってしまう。
 こういう気持ちは、今までの恋愛で感じたことがなかった。

「カイリとずっと一緒に……いたいから」

 これまで自分の気持ちは割と素直に伝えてきたつもりだけれど、どういうわけかこの一言を発するのには相当の労力を要した。大事なことを伝える時には、自然と緊張で口が重くなるのかもしれない。

 おそるおそるカイリを見つめると、彼は微笑んでいた。春の木漏れ日のような暖かい表情に泣きたくなる。それだけでカイリも同じ気持ちなのだと伝わってきた。

「僕も同じ。モモカを向こうに帰したくない」

 ふわりと空気が動いて、カイリが百花の頬にふれる。長い指がゆっくりと涙を浮かべる百花の目尻をなぞった。

「探そう。一緒にいられる方法を」

 あるのだろうか。
 ウェインに切り捨てられた百花の願いは、叶える方法が、どこかに。
 こぼれ落ちていく涙をカイリは今度は唇を寄せてなめとった。あたたかい感触に百花は目を閉じて応える。

「泣かないで」
「……ん、うんっ……」

 百花はカイリにすがりつくように抱きついた。 
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