忘八侍そばかす半兵衛

北部九州在住

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延宝六年 春  西条高尾と消えた東条

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 豪商河村十右衛門とお忍びで来た大老酒井忠清による高尾選びによって一人の遊女が高尾の名前を継ぐ事になった。
 この高尾は既に『西条高尾』と呼ばれる事が決まっており、『西条』は『最上』とかけている最高級の高尾という訳だ。
 そんな高尾選びにこんな裏があったなんて事は、江戸だけでなく吉原の中ですら知られていない。

「おう。いつぞやの。
 こんな所で会うとは奇遇だな」

「よしてくださいよ。旦那。
 ここ吉原では簪職人として食っているんですから」

 吉原の飯屋で石川新右衛門から声をかけられた半兵衛は心底嫌そうな顔をする。
 吉原の表通りから外れたこの飯屋は、遊女の格を持たない夜鷹やその用心棒たちのたまり場でもあった。
 明らかに場違いな着流しの侍が飯を食べる場所ではない。
 それを言ったら、半兵衛が腰に下げている『村正』はどうなのかという所だが、少なくともここの連中は半兵衛が『蓬莱楼』楼主蓬莱弥九郎に飼われている事を知っていてこの二人に近づこうともしない。

「まぁ、何かの縁だ。
 ここの飯は奢るから、ちと助けてほしいのだ」

「奢られるのは結構でございますが、話ぐらいは聞きましょう」

 こっちの裏の素性を知った上で接触してくる石川新右衛門は若年寄堀田正俊の食客であり、松平綱吉の剣術指南御付の一人でもある柳生の剣士である。
 酒井忠清に借りのある半兵衛からすれば敵でしかないのだが、石川新右衛門は人懐っこそうな顔で勝手に話を進める。

「東条という名の遊女を探しておるのだ」

「……吉原には多くの遊女がおりますからな」

 嘘である。
 東条の名前を半兵衛は知っていた。
 その名前は高尾選びをしていた『蓬莱楼』で聞いていたのだから。

「ふむ……甲乙つけがたいな」

「でしたら、二人選んでしまえば。
 一人を西条、もう一人を東条と」

「悪くはないが、その東条は身請けしてもいいな」

 そんな会話を半兵衛は弥九郎と共に隠し部屋から聞いていた。
 半兵衛の箸の手が止まる。

(この男、何を知っている?何を企んでいる?)

 騒動を起こして吉原を出禁になるのは馬鹿らしいし、半兵衛の腕で石川新右衛門に勝てるとも思えない。
 半兵衛を眺めながら石川新右衛門が笑う。

「食わぬのか?」

「これは失礼。
 吉原で居たかと思い出していた所で。
 やはり、東条という名の遊女は知りませんなぁ」

「そうか。
 親父。俺にも同じものを」

 飯屋の親父に注文する石川新右衛門を見る事なく、半兵衛は飯を掻き込む。
 食い終わって去ろうとした所を石川新右衛門に声をかけられた。

「じゃあな。
 安中藩下屋敷に居るから見たら声をかけてくれ」

「ええ。覚えておきますよ」

 もちろん、行く気など半兵衛にはなかったが、この事は弥九郎に告げなければと半兵衛は『蓬莱楼』がある吉原の表通りに向けて歩く。
 石川新右衛門は追ってこなかった。



 石川新右衛門との接触を半兵衛から知った蓬莱弥九郎の顔は不機嫌の極みだった。
 吉原は自らの庭である。
 そこに土足で入られたようなもので面白い訳がないが、相手が曲がりなりにも安中藩堀田備中守様食客と名乗っている以上、下手に手を打って公儀の手を煩わせば大老酒井忠清に火が届きかねない。
 弥九郎は落ち着きたいのか煙管に火をつけて吸い、煙をゆっくりと吐き出した。

「それで、あの男はどうする?」

「どうもこうも、所詮こちらは忘八者だ。
 安中藩堀田備中守様の名前を出されたら何もできん」

 弥九郎の物言いに半兵衛も苦笑するしかない。
 差し出された緑茶をすすりながら半兵衛が確認する。

「東条の件はどうする?」
「知らぬ存ぜぬでいいだろう。
 今や彼女は『蓬莱楼』どころか吉原にもいないのだからな」

 弥九郎の物言いに半兵衛も察した。
 吉原の遊女が吉原から居なくなるのは、死んだか身請けされたかのどちらかしかない。
 つまり、東条という名前の遊女は身請けされて、自由の身になったという事だ。

「ふぅん……そうなると、石川新右衛門が俺に近づいた理由がわかるな」
「どういう意味だ?」
「身請けされて吉原を出るならば、吉原の理でなく江戸の町の理でとなるだろう?
 若年寄堀田備中守様にとって江戸町奉行に働きかけるのはそれほど難しい事じゃない。
 場所が分かればだがな」
「……なるほどな。仕掛けるのは吉原の外か」

 半兵衛の言っている事が正しいと弥九郎は理解する。
 そして、半兵衛が口にしなかった事も察した。
 石川新右衛門が半兵衛に吉原で接触してきたという事は、公儀隠密の中に堀田正俊もしくは松平綱吉の側についている者がいる事を意味する。

「半兵衛よ。
 お前、霊岸島の旦那の所に探りを入れてこい」
「河村十右衛門ですか?……なるほど……」

 探りと言う名目の注進である。
 何故ならば、その東条を身請けしたのが河村十右衛門だったのだから。
 今の江戸において比類なき豪商河村十右衛門が身請けした東条の値段は、仙台高尾を身請けした伊達綱宗を超えると半兵衛は察した。
 その身請け額は七千八百両。
 今なお吉原で語り草となっている話である。

「……ん?河村十右衛門ともあろうお方が身請けを隠して、引き取った!?
 豪商河村ここにありと派手に遊べるだけのお方が??」

 半兵衛の指摘に、弥九郎が実に救いのない顔で言い放つ。
 既に煙管の中から煙は消えていた。

「つまり、それだけ闇が深いって事だ」
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