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5月のある晴れの日のこと ①
しおりを挟む「晶ー、今日遊び行っていい?」
「……は?」
ようやく春らしさがうかがえるようになった頃、友人は私に会うなりそういった。
馬鹿も休み休み言ってほしいと、常日頃からあんなにお願いしているというのに。
「今日彼氏のバイトが17時上がりで、そのあと夕飯一緒に食べに行く約束したから、時間つぶしに!」
「ふざけんな」
一瞬呆けた顔をした私にさらに捲し立てる。
まったく、人の家をなんだと思ってるんだ。
私の個人的な空間に、そうそう簡単に、躊躇なく入り込んでこないで欲しい。
「お願い! 晶の家ならもツルノまで徒歩5分でしょ? しかも大学に近い! あたしの家より。だから、この通り!!」
土下座をしそうな勢いで頭を下げて言われても、そんなに可愛く頼み込まれても、今日に限っては本当に困る。
なぜなら。
「……16時からバイト入ってるんだけど」
「鍵ならちゃんとかけてポストに入れておくから!」
「うちのぼろアパートのポストは中からしか取れないから。入り口に部屋の数だけポストがあるようなそこそこいいとこになんて住んでないから」
「だから、ちゃんと紐つけて!」
一体こいつはなんという生物なのだろう。 人間、という枠に入りきるような物ではないことだけは確かなのだが。
大学に入った時から思っていたのだが、この友人には人に突発的な殺人衝動を起こさせる天賦の才があるのかもしれない。
出会って間もないころから数えて、今まで何度その衝動をやり過ごしたのか、もう覚えていない。
そんな才能、わたしには備わっていなくてよかったと思う。欲しいとも羨ましいとも思わないけれど。
「煙草ひと箱買ってあげるから!」
「……そんなんで私がつられると思う――」
「ええーい、ふた箱!!」
「絶対だかんな、帰り買えよ」
煙草ふた箱によって、私の面倒くさいという重りは釣り合いをとれずいとも簡単に傾いてしまった。
私の防衛ラインなんて、たかがしれているということだ。
「バイトあるから途中までしか相手できないけど、部屋の中だけは絶対に荒らすな」
「わかってますよー」
「ほんとに分かってるのか……」
授業は私も明日香も13時30分で終わった。つまりどういうことかと言うと、2人で仲良く私の家へ向かって歩いている、ということ。
それにしても、こいつは天然記念物級の馬鹿なんだなと再認識させられる。
今日だってなんの計画性もないことを言い出すし、この間だっていきなりインターホンが鳴ったと思ったら、見慣れた体が目の前に倒れてきた。
倒れられたらこっちは世話するしかない。
狙ってるのかと疑いたくなるのだが、あいにくとこの友人がそこまで頭が回るほどの策士などではないということを、この1年間で嫌と言うほど思い知らされている。
「おっじゃましまーす」
「狭いところですが」
「んー、たしかにあたしの部屋より狭いけど、弦はあんまり物持ってないから広く感じるよ!」
……本当に無自覚なのだろうか?貶すだけ貶しといてその笑顔はなんなのだと問いたいところだが、言ったところで逆になにが?と聞かれるのがオチだ。
これは、一回くらい本当に殺ったところで罰は当たらないと思う。
「飲み物いる?」
「さっぱりしたやつ欲しい。あとなんかお菓子」
「図々しいにもほどがある。お菓子はない。紅茶でいいなら」
「じゃあそれでいいや」
無理やり押しかけてきた身分だというのに、随分と態度がデカくて偉そうなのもいつものことだ。
台所に居座ったままの私を置いてこぢんまりとしたリビングに行き、鞄を適当におろしてテーブルに向かうと、明日香は今日出された課題をやり始めた。
私と話しているときのようなふざけた雰囲気は全くなく、真剣そのものだ。
明日香の場合は、人よりも課題にかける時間が多くかかってしまうから、当然といえば当然のこと。
一年と少し一緒に過ごしてきて、人よりも数倍真面目で、自分の欠点を理解してそれを補おうと努力しているすごいやつだってことはわかってきた。
……無性に殺したいくらいふざけたやつでもあるけれど。
「明日香、集中しているところ悪いけど、一服させて」
「あー、喫煙者だっけ?どうぞどうぞ」
淹れたての紅茶を机の上に置き、訪問者の同意を得てから、ポケットに入れていた煙草に火をつける。
もちろん、喫煙場所は強く回した換気扇の下だ。部屋に煙草のニオイがつくことは避けたい。
……それ以外にも理由はあるけれど。
部屋にある掛け時計をみれば、もうすぐ14時を指すところだ。
バイト先までは車で10分ほどかかる。余裕を持っていつもは20分前に家を出ているが、今日は15分前でいいだろう。
先輩に誘われてその店に初めて入ったのは半年ほど前。当時は一人暮らしにようやく慣れてきたところで、自炊も出来ずに偏った食生活をおくっていた。当然体にいいものではなくて、酔って軽くなった口からその事を聞いてみかねたそこのご婦人がバイトに誘ってくれ、さらにはオーナーが料理を教えてくれるようになったのだ。
まあオーナーの腕前にはかなわないが。
本当に感謝している。本当の両親みたいな存在だ。
バイトは私一人しかいないけど、もともと二人でやっていけるほど小さな規模のお店。
私のせいで懐が痛くなっていないかが心配なのだが、奥さんもマスターも、気にするなと言って笑っている。
大学生になったんだから周りに迷惑をかけずに頑張ろうとは思うのだが、久しぶりともいえるほど長い間、人の温かさに触れていなかったせいで、2人の行為に甘えてしまっているのが現状だ。
実の親子でもないのに。
けれど、もうしばらく。せめて、大学を卒業するまでは、あの夫婦に甘えていたいとも思う。
まるで自分たちの子供であるかのように接してくれていて、地元のお客さんも一介のバイトに過ぎない私に本当によくしてくれていて、愛情に餓えていた私の心を満たしてくれるような、そんな温かさがある。
できれば毎日でも働いていたいような場所で、だからなのか、バイトが終わってしまう時間になると、私の心の中は寂しさとか、虚しさとか言う後ろ向きな気持ちでいっぱいになる。
「バイト中はさすがに吸わないんでしょ?」
「ん?んー、さすがにね」
区切りがついたらしく、明日香が顔を上げて聞いてきた。
このあとデートすると聞いたせいか、いつもよりも服装や化粧なんかに気合が入っているせいなのか、普段とは違った雰囲気をまとっている明日香がなんだかおかしく感じる。
「ランチの時間は吸わないけど、バーに切り替わったら吸うよ」
「あ、夜はバーになるんだっけ」
「そ。今日は閉店までだから、夜は吸える」
「嬉しそうだねー」
明日香の言葉に一瞬考えてしまったが、確かに今日を楽しみにしていたかもしれない。
常連さんが、紙巻きたばこを持ってきてくれる日なのだ。
海外で買ったものだそうで、葉っぱと紙、フィルターなどを自分でタバコの形にするそうだ。見たことがないので今日を楽しみにしていた。
「酔っ払いに絡まれないようにね」
「常連さんいい人たちばっかりだから大丈夫だよ」
「そうなの? この間新歓で飲んだ所は店員さん大変そうだったけどな~」
「チェーン店だと多いイメージは確かにあるよね」
「喚くおっさんは見苦しかったね」
「それには激しく同意する」
しかしバイト先にはそんなみっともない人は、少なくとも半年前に働き始めてから一人もいない。みんな紳士なおじ様ばかりだ。
フィルターギリギリまですった煙草の火を灰皿でけし、換気扇下から確認できた、空になった明日香のカップを台所に下げる。
私がバイトに行った後も待ち合わせの時間とやらまでにはまだもう少しあるし、もう一杯ぐらい作ったほうがいいだろう。
そう思って、再びケトルでお湯を沸かし始めた時だった。
ピーンポーン……
滅多にならない呼び鈴が、ここぞとばかりに自己主張を始めた。
私の住むぼろアパートに、呼び鈴の向こう側の人物に要件を問えるような、そんなハイテクな機械はついていない。
「はーい、今でまーす」
向こう側の人物に聞こえるくらいの大きさで言って、すぐに扉を開ける。
「どちら様ですか……っうわ?!」
「晶さーん!!」
ドンッ、という衝撃とともに、小学生くらいの男の子が飛びついてきた。
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