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第一章.死後の世界へ
§1.死後から始まるデスディニー1
しおりを挟む――落ちていく感覚。
次第に体は軽くなり、それに反して瞼は重くなる。視界に映るのはスローモーションで流れていく景色。
そんな不思議な感覚に名残惜しさを残しながらも、少年は瞼の重さに耐えきれず目をつぶった。
スローモーションで流れていた景色とは裏腹に、少年の脳裏をめまぐるしく駆け巡る光。
光の中にはどこか見覚えのある光景が詰まっており、そのひとつひとつが少年の薄れゆく思考を活性化させる。
記憶。
光の中に詰まっているのは彼の記憶だ。
幼少期に父に連れて行ってもらった遊園地、中学生の時に殴り合いの喧嘩をした友人、高校の時の自分――
ちくりと胸を刺す痛み。
その刹那、瞼の裏に一人の少女の顔が映る。
これが痛みの正体だ。
成せなかった自分への後悔と、憧れ続けた想い人への懺悔の気持ち。
想い人への気持ちは少年を突き動かしてきた。
しかし、少年は結果を出すことが出来なかった。
(俺、どうすればよかったのかな……)
そんな言葉が浮かんだ。しかし、その答えを導き出す前に少年を激しい衝撃が襲い、彼の思考は潰えた。
衝撃と共に失われる浮遊感。痛みは感じなかった。
ただ、今までに感じた事のないほどの怠さが彼の行動力を奪っていく。起き上がろうという意思さえも無くなっていく。
このまま眠ってしまおうかと少年が考えていると、彼の元へと見知らぬ男性が血相を変えて走り寄り声を掛ける。
「お、おい! だ、大丈夫か!?」
勢い任せに発せられたその声を聞いて目を開けると、目の前には今にも死んでしまいそうなほど、顔を蒼白させた中年男性がしゃがんでいた。その奥にトラックが一台止まっているとこを見るに、この男性があのトラックの運転手で間違いないだろう。
「ま、待ってろ! す、すぐに救急車を!!」
中年男性はそういうと、右ポケットに手を突っ込み、スマートフォンを取り出しダイヤルを押す。しかし、焦りからか彼の指は震え、思い通りにスマートフォンを操ることができない。
男性がもたついていると、後ろから他の男が現れ、前の男へと何か声を掛け出した。
(救急車? ごちゃごちゃうっせぇな。こっちは疲れてんだよ)
少年の思考も虚しく、辺りが静まることはなかった。それどころか、人集りはどんどんと増えていき、騒つき、終いにはサイレンの音まで聞こえてくる始末だ。
一体何が起こったのか興味が無いわけではないが、それを行動に移せるほど今の少年に覇気はない。
(もういいや……。ずっと頑張ってたし、ここらで休憩しても文句は言われないだろ)
少年は思考を停止し、再び目をつぶった。
すると、自分でも驚くほどあっさりと深い眠りへと落ちていった。
♦︎♦︎♦︎
(あのー、すいませーん)
薄っすらと聞こえるか細いソプラノボイス。少女の声だろうか。
どこか怯えた声の主は、やがて少年の体へと手を添え優しく揺すり出した。
(あのー、起きてくださーい!)
少女の声が先程よりも少しばかり強い口調になり、少年の意識も少しずつ覚醒していく。揺すられたことによって、体に感覚が戻っていく。薄っすらと目を開けると、景色は色を取り戻し、見慣れた風景が蘇る。
どうやら相当に深い眠りに就ていたらしい。
「あのー! すーいーまーせーんー!!」
少女の声が鮮明に聞こえたところで意識は完全に覚醒し、少年は体を起こし、軽く伸びをする。
「んっあぁ~っ……あれ?」
まず目に入ったのは道路。一応歩道には居るものの、公共の場のど真ん中に座り込んでいることに変わりはない。自分はどうしてこんな所に居るのか、それ以前になぜこんな所で目覚めたのか必死で思考を巡らせる。
だが、どれだけ考えてみても少年に心当たりは無かった。
(チャリンコ漕いでて、その後は……えっと、ダメだ思い出せない)
それでも何かヒントはないものかと辺りを見回して見るものの、めぼしい情報は得られない。
濁った橙色とグレーのタイルが貼られた歩道、ガードレールに沿って違法駐輪された自転車、ガードレールの外は少し狭さを覚える片側一車線の県道。間違いなくいつもの通学路だ。
(ダメだ、いつも通りすぎて何も見つからない)
少年は諦めて帰宅することを決意し、立ち上がった。
しかし、立ち上がるとあることに気が付いた。
(起こしてくれた人にお礼を言わなきゃ。こんなところで寝てたんだ、下手したら警察に連れてかれちゃうとこだもんな)
再び辺りを見回し、自分を起こしてくれたであろう人間を探す。
とはいえ、顔を見たわけではない。もし少年が目覚めた事を確認し、既に立ち去っていたとしたら探し様がない。
だが、そんな心配を余所にすぐ隣から先程の声が聞こえた。
「あ、あの……」
少年は声のした方向――右後ろへと振り返った。するとそこには、栗色の髪の毛をした小柄な少女が一人、ぽつんと立っていた。
どこか怯えた様子はあるものの、しっかりと少年の方を見つめている。そして、少年と目が合うと少女はゆっくりと此方へ向かって歩き出した。
「え、えっと、あ、あの――」
「いやぁ~、本当にすんませんでした。俺のこと起こしてくれた人ですよね? こんな時期に外で寝てたら凍死しちゃいますもんね! いやいや本当助かりました。ちょっとお礼の粗品とかはあげられないんですけど、感謝の気持ちだけでも受け取ってください。そいじゃ、これで!」
右手を縦に揃え、自分の額の前に構える。その手を御礼と謝罪の意味を込め、軽く前後に振り、少年はそそくさとその場を後にした。
(いやいや、冗談じゃないよ。ちっさいけど、あんな可愛い子に道端で寝てるとこ見れるとか恥ずかしくてゲロ吐いちゃいそうだわ!)
そう考えた途端、少年の顔は林檎の様に真っ赤に染まっていった。
彼も一応は思春期まっしぐらの男子である。ましてや初対面の美少女にみっともない姿を晒したとあらば、礼儀よりも先に自分の面子を守りたくなる気持ちもあるだろう。
しかし、少年のそんな気持ちを余所に、迅速に且つ確実にこの場を去るための道具が無いことに気付く。
「あ、あれ……?」
慌てて辺りを見回すが、目に映るのは先程も見た、いつのも通学路だ。
少年の脳裏に嫌な予感が過る。
「じ、自転車が無い……」
嫌な予感はどんどん肥大化していき、少年の思考を負の色へと染め上げていく。
かつて一度だけ犯してしまった罪。だが、少年はそんな負の思考を一瞬で打ち消す。
(そんな事はあり得ない。もう二度とあんな事はしないと誓ったじゃないか!)
かつて犯した罪。
それは今でも少年の心を縛り付けている。
中学を卒業してすぐのことだった。
見事に第一志望の高校に合格を決め、華々しい気分で迎えた春休み。少年は母親と卒業祝いと合格祝いを兼ねて、好きな物を一つ買ってもらう約束をしていた。
これから始まる高校生活をより良いものにするためにも、この買い物は有効活用出来る物を買うべきだと少年は頭を抱え必死に考えた。
最新型の携帯電話を所持していればクラスで一目置かれるのではないか。ブランド物の腕時計をしていれば女子が集まってくるのではないか。
実に三日三晩、事細かく欲しいものについてシミュレートした。
そして、導き出した答えが正に自転車だ。
自転車といっても、ロードバイクやマウンテンバイクといったアクティブな物ではなく、あくまでも一般的なシティサイクルだ。元より、彼にそんなアグレッシブな一面は存在しない。
それでも少年は自転車を欲した。他のどんな物よりも、なにに変えても手に入れたい物が自転車にはあったのだ。
少年も自転車を持ってはいる。
ハンドルはストレートのトンボ型、スタンドタイプは片足。そして、最大の欠点は荷台が付いていないことだ。
彼はそのことに大きなコンプレックスを持っていた。
中学三年生にもなってくると、同級生の中には異性との交際をスタートさせる者もちらほらと現れ出す。彼らは決まって自転車の後ろに恋人を乗せ、颯爽と少年の横を過ぎ去っていくのだ。少年は彼らのそんな姿に憧れを抱いた。
だが、所詮は中学生。人の幸せを素直に喜べるほど少年の精神は大人ではない。
次第に憧れは嫉妬へと変わり、自分も荷台付き自転車さえあればあちら側――勝ち組の人間になれるはずだと思うようになった。
結論を出して直ぐに母親に自転車をねだった。
しかし、当然母親は首を縦には振らない。
それからというもの、少年は荷台付きの自転車へと恋い焦がれ続けていたのだ。
だが、悲劇は突如として少年を襲った。
念願の荷台付き自転車を手に入れて数日。暇な春休みを有意義に過ごすべく、レンタルビデオ店を訪れた際に事件は起こった。
駅前に立地するビデオ店には専用駐輪場が存在せず、自転車での来店の場合は近隣の有料駐車場を使用するか、店舗前に直接停めるしか方法は無い。少年は迷うことなく店舗前に自転車を停め、ビデオ店へと入店。そして、十分程してレンタルしたDVDの入った袋を抱え、退店した少年を待っていたのは絶望的な光景だった。
「な、ない!?」
そう、無くなっていたのだ。
恋い焦がれ続け、志望校合格という偉業を達成し、やっとの思いで手に入れた大切な愛車が無くなっていたのだ。
盗難という言葉が脳裏を過る。そう考えてから走り出すまでは早かった。
全力疾走で交番まで向かい、警察官に思いの丈をぶつける。しかし、警察官から返って来た言葉は少年を更なる絶望へと追いやった。
「あ~、ダメだよ。君、路駐してたんでしょ? 今さっき回収業者が持って行っちゃったよ」
少年は自分の失態を呪った。
これから訪れるであろうバラ色の未来が一瞬で凍りついていく瞬間を感じた。
「ほら、これに懲りたらもう違法駐輪とかしちゃダメだよ。地図あげるから自転車取ってきなさい」
絶望に浸る少年に警察官は優しく声を掛け、一枚の紙を渡した。少年は安堵し、警察官に何度も礼の言葉を述べ、地図の指す地へと足を向けたのだ。
結局のところ、自転車の保管場所は駅から徒歩で二十分。更には、保管料として別途で料金を請求される始末だ。自分に非があるとしても、自転車を停めただけでこの待遇は割に合わない。
少年は心に誓った。
もう二度と違法駐輪などしないと――
そんなこともあって、少年が違法駐輪をすることなどまずない。自転車が自分の把握しない所にあるはずなどあり得ない。
故に、少年は焦っていた。今度こそ本当に盗難されてしまったのではないかと。なんと言っても、憧れだった荷台はその目的を達成できていないのだ。
「自転車なら、見つからないと思いますよ」
少年の心中を察したかのように後方から声が聞こえる。
自転車という単語に反応し、少年が咄嗟に後ろを振り向くと、そこには先程の小柄な少女が立っていた。
「えっ!? あ、な、なんで……?」
焦る気持ちを的確に射抜く言葉と、自分の失態を見られた羞恥心が混在し、少年の思考回路は通常運転を諦めたかのように固まっていく。
しかし、少女は質問に答えることなく次の言葉を発した。
「えっと……失礼ですが、椎名太一さんでお間違いないでしょうか?」
少年の表情は焦りのものから驚愕のものへと変化していく。驚くことに、目の前の少女は初対面であるにもかかわらず、自分の名前を的確にいい当てたのだ。
自転車のことといい、名前のことといい、この少女は一体何者なのか。事態はいよいよ少年の理解の範疇を超えはじめた。
「え、あっ、はい。そ、そうですけど」
「ふーっ、よかった」
少年の返事を聞き、安堵の表情を浮かべる少女。
いつしか少年は自転車のことをすっかりと忘れ、少女を真っ直ぐに見つめていた。少年は無意識に固唾を飲み、少女の次の言葉を待つ。
そして、永遠にも感じる数秒の沈黙を経て、少女は意を決し口を開いた。
「た、大変申し上げにくいのですが……二月十七日午後一時四分、椎名太一様の死亡が確認されました」
少女は真っ直ぐに少年を見つめそう言った。
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