エンジェルワーカー~あの世で始めた天使の仕事~

ラジカルちあき

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第一章.死後の世界へ

§1.死後から始まるデスディニー3

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 時間が止まったのかと思うほどに静まり返った風景。
 しかし、交差点の信号が変わると共に、一台の車のエンジンが掛かる音が響いた。流行りのアイドリングストップ機能を搭載した車だろうか。
 そこで太一たいちはやっと気付く。止まっていたのは時間ではなく、自分自身の思考回路。目の前少女の言葉がトドメとなり、太一の思考はエンストしていたようだ。

「俺が死んだ? は? なにいってんの?」

 太一は外人のリアクションにも引けを取らない程オーバーに両手を広げ、少女へと疑問をぶつける。
 少女はその動作から太一の動揺を悟ったのか、申し訳なさそうな表情で質問に答えた。

「お気持ちはお察ししますが、全て事実です」

 少女は太一の目を真っ直ぐに見つめていう。
 その真面目な表情に一瞬流されそうになるが、いっていることはとんでもない。自分が死んだなどといわれて、素直に受け入れる人間はいないだろう。現に、自分はこの通りぴんぴんしているのだから。

「あのなぁ、君はなんなの? 初対面の人に死んだのなんだのって」

 さっきまでハイテンションだった太一も流石にテンションが落ち、呆れ返ってしまう。悪戯と言えど、自分が死んだといわれているのだから不機嫌になるのも当然だ。
 しかし、そんな太一を余所に少女は下を向き、なにかをブツブツいい始めた。

「初対面……初対面……あっ!」

 なにかに気付いたのか少女は勢い良く声を上げ、再び太一の顔を見つめ直す。だが、その表情は今にも泣き出しそうなものへと変化していた。

「た、大変失礼しましたっ!」

 そういって、少女は太一に何度も頭を下げ出した。なにか重大なミスを犯してしまったのだろうか。
 太一としても、可愛らしい少女が必死に頭を下げているともなれば怒る理由もない。それに彼女は路上で寝ているところを助けてくれた恩人だ。ここはお互い変な奴だったということで手打ちにしてやることにした。

「人違いとかだったんだろ? まぁ今回はお互い様だし、無かったこ――」

 しかし、太一は言葉を最後まで言い切ることが出来なかった。まるで太一の声など聞こえていないかの様に、少女が喋り出してしまったのだ。

「も、申し遅れましたが、わたくし……えっと、ご、後生支援組合ごしょうしえんくみあいより業務依頼を受けて参りました、えっと……は、鳩山本土保安局はとやまほんどほあんきょくの、じょ、浄土誘導員じょうどゆうどういん香川真由美かがわまゆみと申しますっ!」
「は?」

 太一は思わず言葉を失った。この少女と会ってから理解が追いつかないことばかりだが、今度という今度はついに理解の範疇を超えてしまった。
 とはいえ、このまま放置するわけにもいかず、太一は懸命に言葉を絞り出す。

「えっと、君はなにをいっているのかな?」
「じ、自己紹介を。す、すいません、順番がごちゃごちゃになってしまいました」

 目の前の少女は再び頭を下げる。小刻みに震えてはいるものの、少女の声色は最初と変わらず、自分が可笑しなことをいっているのだという自覚が全く感じられない。
 太一としてもどうすればいいか判断に困るところだが、ただ一つだけ記憶の深くに手がかりを見つけた。

「あぁ~、そういう設定ね。はいはい。いたいた、そういうやつ。中学のときによくそいつの書いたノート見せて貰ったよ。設定ノートって言うんだっけ?」
「え? あ、えっと……」

 背の丈は百四十センチ後半くらい、ほんのりと幼さを残す少女の顔からは、彼女がちょうど中学生くらいだということが窺える。着ている服は白と黒だけで構成されており、そこからはなにか内に秘めた強いものが伝わってくる。
 つまり、そういうことだろう。

「真由美ちゃんだっけ? 君、中学生くらいだよね? 分かるよ、そういうの大好きな年頃だもんね。でもダメだよ、知らない人にそんなこといっちゃ。君、可愛いんだから、逆に変なやつに悪戯とかされちゃうよ」
「い、いや……そうじゃなくって……」
「いいのいいの。俺、わりかしそういうのに理解ある方だから。えっと、ジョードユードーインだっけか? 中学生でそんなんできるなんてすごいね。じゃっ、そろそろ俺も帰るから。くれぐれも変なやつには気を付けるんだよ」

 そういって、太一は真由美に手を振りながら踵を返し、その場を歩き出した。

(自転車の行方は後で警察に聞くとして、とりあえずこの場を離れるか。いくら可愛いくっても、あそこまで重症だと正直付き合いきれないもんな)

 受験には失敗するし、目を覚ませば路上に寝ているし、出会ったばかりの人には死人呼ばわりされるしで、太一にとって今日という日は散々な一日になってしまった。こういう日には、なにをやっても上手くいかないと彼は知っている。今、理恵に告白しても失敗してしまうかもしれない。
 そう考え、太一は高校への報告義務を放棄し、真っ直ぐ家路につくことにした。

 朝来た道をゆっくりと徒歩で戻っていく。
 普段は自転車でしか通らない通学路も、こうして歩いてみるとまた違った色を見せる。道路脇に植えられたマメツゲは、最近手入れされたのか綺麗に切り揃っているし、塀の向こうに見える梅の木は花を咲かし、春が近いことを知らせている。

(俺には春が来なかったけどな……)

 それでも、新しい発見は太一の心を少しだけ軽くしていく。見慣れた風景でも、心境の変化でこれほどまでも違って見える。
 太一はここ半年くらい勉強ばかりしていて、心に余裕がなかったのだと改めて実感する。
 心に余裕がなかったから失敗が続いたのかもしれない。せめて今日くらいはゆっくりと、なにも考えず過ごすのも悪くはないのではと考えることにした。

 しかし、景色に夢中になりすぎて、前方の状況を全く把握できていなかった。太一がふと目線を正面に戻すと、そこには女性の乗った自転車が今まさに衝突せんと迫っている。
 途端、太一の脳裏を駆け巡る黒い影と轟音。
 それでもとっさに思考を切り替え、最悪の自体を回避しようとするが、気付くのが遅すぎた。太一が行動に移る前に自転車は体に接触してしまう。

「っ……えっ?」

 怪我を覚悟し、せめてもの気休めで顔を背けた太一であったが、怪我もなければ、一切の痛みも感じていない。慌てて後ろを振り向くと、女性の乗った自転車は速度を落とさず、まるで何事もなかったかのように走り去って行くではないか。
 ハンドルを切ったところで回避できる距離ではなかったはずだ。
 そもそも、あの距離で歩行者に気付かないわけがない。そして、衝突寸前に脳裏を駆け巡った謎の影と音。
 たった今起こった全てのことが太一に不安を植え付けていく。

「事故の記憶がフラッシュバックしてしまったんですね」

 前方から声を掛けられ、太一は自分がずっと自転車の去った方――後方に顔を向けていたことに気付く。我に返り、前方へと向き直ると、そこには先程の少女が立っていた。

「事故で亡くなられた方の多くには大きなトラウマが残ってしまいます。自分の命を一瞬で刈り取ってしまった出来事ですので、仕方のないことではあるのですが……あっ、でも、安心してください。そういった恐怖を一日でも早く取り除けるよう、浄土では常時メンタルカウンセリングを実施しておりますので!」

 真由美の言葉を聞いて、太一は不安材料がさっきのことだけでないのを思い出す。
 考えてみれば、この少女が姿を現してからなにかが狂い始めたようにも思える。もしかすると自分は既に、この真由美と名乗る少女になにかされてしまったのではないか。寝ている間に、幻覚を見てしまうような薬を飲まされてしまったのではないか。
 そんな不安だけが徒らに太一を押し潰していく。

「君はいったい……」

 太一は思わず口に出してしまう。
 今自分になにが起こっているのか、自分はどうなってしまったのかを目の前の少女は知っている。真由美の話を聞いてみようと太一は思った。

「さっきも申し上げました通り、浄土誘導員の香川真由美です」

 真由美は再度自己紹介をし、肩に掛けていた真っ黒のハンドバッグに手を突っ込んだ。
 程なくしてバッグから手を出した彼女の手には、ペットボトルのお茶が握られており、それを太一へと差し出す。

「えっと、よろしければ、これ飲んでください。話は少し落ち着いてからにしましょ」

 太一はそれを素直に受け取り、遠慮なく頂くことにする。
 早速キャップを開け、ひとくち飲み込んだ。すると、乾いていた喉はすぐに次を求め、貰ったお茶はたちまち空っぽになってしまった。

「落ち着きましたか?」
「おかげさまで」

 貰っておいて否定的なことをいうのも憚られるので、太一は当たり障りのない回答を返す。
 実際、太一の中にうごめく不安は全く薄れてはいない。しかし、真由美から話を聞いてみないことにはなにも分からないままだ。太一はうごめく不安を無理やり胸の奥へと押し込み、再び真由美の方へ顔を向ける。
 その動作をゴーサインとみなしたのか、真由美は姿勢を正して口を開いた。

「この度は御愁傷様です」
「ちょっ! 待って待って待って! それ、人が死んでお悔やみ申し上げます的な言葉でしょ!? 出だしからぶっ飛びすぎだって!」

 太一のツッコミに真由美はキョトンとしてしまう。彼女にはなにが可笑しいのか理解が出来ないようだ。

「え? で、でも、研修ではまず最初に掛ける言葉だって習いましたよ」
「いやいや、研修とか知らねぇし。ってか、そもそも最初じゃないし」
「あっ……」

 揚げ足を取られてしまい、真由美の顔は曇ったものに変ってしまう。
 それを見た太一は、このままでは永遠に話が進まないと悟り、自分から話を切り出すことにする。

「とりあえず、さっきから君は俺を死人扱いするけど、そこんとこ詳しく教えてよ」
「え? あ、あー、そうでしたね」

 真由美は返事をすると、ハンドバッグからクリアファイルを取り出し、更にその中からA4サイズの紙を取り出す。
 返事がぎこちなかったことにツッコミそうになった太一ではあったが、話の腰を折ってまた進まなくなるのを危惧し、ぐっと我慢する。

「えっと……椎名太一さん、十八歳。二月十七日の一時四分頃、自転車走行中に四トントラックと衝突。死因は外傷性のショック死となっていますね」
「い、いや、そんなサラッといわれても」
「でもでも、組合から頂いた書類なので間違いはないはずです!」
「そういう意味でいったんじゃないんだけどな」

 太一はあまりの会話の噛み合わなさに思わずため息が出てしまう。やはり、真由美は自分をからかっているのではないか。
 だいいち自分が死んでいるとは、どう考えても思えない。両足はしっかりと地面に着いているし、肌を刺すのような寒さだって感じれる。太一の身体は正常に機能しているのだ。
 しかし、それを見越したかのように、真由美は太一に言葉を掛ける。

「さっき自転車と衝突したの覚えていますか?」

 核心を突かれた。
 真由美のことや、脳裏を過った黒い影については、変な出来事として片付けられる。
 しかし、さっきの自転車との衝突だけは合点がいかない。衝突時に顔を背けてしまい、直接的なシーンを見ることが出来なかったが、それでもなんの衝撃も感じないというのはおかしい。

「あの自転車、除けたりしてないですよ」
「え?」

 真由美の目線は真っ直ぐに太一を捉え、そこからは妙な現実味を感じ取れる。
 思わず太一は目線を外し、少しでも気持ちを紛らわそうと、ちょうど視界に入った交差点角のコンビニまで移動する。

「いやー、なんか疲れちゃったな! ちょっとコンビニでエナジードリンクでも買ってくるね!」

 真由美に必要以上に大きな声で要件を伝え、太一はコンビニへと入店しようとした。しかし、いくら待っても入り口の自動ドアが開かない。前後に動いたり、肩を揺らしたりしても開く気配すら感じられない。

「あ、あれ? お、おかしいぞ……店員さぁーん! ドア壊れてますよぉー!!」
「い、いや、ドアは開かないと思いますよ」

 太一の問いかけに応じたのは、コンビニの店員ではなく真由美であった。
 その言葉で入店を諦めた太一は、外に設置されたゴミ箱の横へと移動する。

「い、いやだなー、コンビニになんて用は無いよ! 俺は最初からここに来たかったんだよ! コンビニ独特の狭い屋根の下、でもなんだかんだで雨宿りとか出来ちゃう万能スペースに! 俺たちのベストプレースに! ねっ、おじさん! そうだよね?」

 混乱した太一は、奥に置かれた灰皿の前で煙草を吸っていた中年男性の肩に手を掛けた。が、太一を待っていたのは中年男性との軽快なトークではなかった。

「えっ?」

 謎の浮遊感が太一を襲う。
 中年男性に掛けたはずの右手は、あろうことか男性をすり抜けてしまう。想定外の出来事でバランスを崩し、太一はそのまま地面へと倒れこんでしまった。
 真由美は慌てて太一の元へと駆け寄り、起き上がる手助けをしながら言葉を掛ける。

「だ、大丈夫ですか!? 今の椎名さんは霊体ですので、物体への接触は出来ないんです。もちろん、自動ドアに認識されることもありません」

 真由美に手伝ってもらい、やっとの思いで立ち上がるが、太一の目にはなにも映っていない。今起こったことが、頭の中で何度も再生される。
 自転車衝突の時は顔を背けてしまったが、今回はしっかりと両目で捉えた。自分の右手は確かに男性をすり抜けたのだ。

「う、うぁぁぁぁ!!」

 太一は自分を支える真由美を振り払い、その場を走り去ってしまった。

 自分は本当に死んでしまったのか。そんな疑問だけが太一を支配する。
 しかし、今しがた起こった出来事は紛れも無い事実。今だって、走っている太一に気付かず、彼の体をすり抜けていく人が何人いただろうか。
 もう二度と誰にも認識されない。誰にも触れることさえ出来なくなってしまった。
 次第に足の力は抜けていき、太一はその場にしゃがみ込んでしまう。

 誰しもにいずれ訪れる、人が無に帰ること。それが死ということだと想像していた。
 無宗教の太一にとっては、天国も地獄もなく暗闇が人を包み、目覚めることのない眠りに就くだけのことだと思っていたのだ。
 しかし、今の状況はどうだろうか。
 もし、仮に自分が死んでしまったとして、この状況はあまりに酷い。生前となんら変わりない姿形でいるにもかかわらず、誰にも気付いてもらえない。もう二度と、自分の声は誰にも届くことはない。
 太一の中にあった不安はたちまち絶望へと姿を変え、活力を吸い付くしていく。やがて、しゃがんでいる力さえなくなり、その場に膝をついて蹲ってしまった。
 だが、絶望に打ちひしがれる太一を余所に、後方からはどこか締まりのない声が響く。

「う、うわぁぁ! ちょっ、ど、どいてくださぁぁい!!」

 声が太一に届くのと同時に、訪れる衝撃。今日なん度目の衝突だろうか。
 声の主は太一に躓き、宙を舞う。綺麗な弧を描くようにして、あえなく地面へと落下した。情けなくなるほど間抜けな音が響き、太一が顔を上げると、やはりそこには真由美が転んでいた。
 必死で太一のことを追いかけてきたのであろう。

「い、痛たた……」
「……」
「なんでそんなとこで蹲ってるんですかっ!? 危ないじゃないですか!」
「……」

 この空気の読めなさは、もはや天性というしかあるまい。
 当然、太一は呆れて物もいえなくなってしまう。

「あともう一つ! 私、中学生じゃないですからね! れっきとした十八歳です!!」
「……」
「あーっ! 疑ってますね!? ほら、見てください!」

 そう言って真由美は運転免許証を向ける。
 確かに、免許証に記載されてる生年月日は、太一と同じ年の生まれと書かれていた。この免許証が偽装されたものでなければ、真由美は中学生ではなく太一と同い年ということになる。

(つーかそれ、今いうことなのかよ)

 太一は疑問に思ってしまう。
 思い返せば、真由美は最初からそうだった。全てにおいて、言葉の順番、タイミングを間違っている。他にも、どこかおどおどしているし、真面目な顔をしたかと思えば急に空回る。
 それでも、なぜか彼女からは必死さが伝わってくる。
 彼女なりに一生懸命やっているのかもしれない。つまり、真由美は全体的にスペックが低いのだろう。ポンコツ女なのだろう。
 太一はそれに気付いた途端、悩んでいたのがバカバカしく思えてきた。
 そして、気付けば笑っていた。

「ちょっ、なんで笑うんですか!?」
「いやぁー、君があまりにも面白くてさ」
「え、えっ? どういう意味ですか?」
「言葉通りの意味だよ」

 太一の言葉で、真由美は物憂げな顔をする。おそらく意味が分かっていないのだろう。
 しかし、太一は気付く。
 たとえ会話が噛み合わなくても、こうして声を掛け合えることがどれだけ幸せなことか。自分を認識できる相手がちゃんと存在していることがどれだけ幸せなことか。
 太一はゆっくりと立ち上がり、すっきりした顔で真由美を見る。

「悩んでても仕方ないよな」
「えっ?」
「なんか元気出てきたよ」
「ほ、本当ですか!?」
「あぁ」

 くよくよしていてもなにも始まらない。ただ自分を信じ、自分の思ったことをするだけだ。
 目の前にいる少女のように、決してぶれることなく自分を貫くのだ。
 いつしか太一は受験の失敗も、さっきまで感じた不安も忘れ声を上げて笑っていた。

「じゃあ、浄土へ行ってくれるんですね!?」
「ん? なにそれ?」
「え、えっと、死者が行くべき場所です」
「は?」

 太一の回答は、真由美の想像していたものと違ったのだろうか。真由美からは一気に冷静さが消えていく。
 だが、ここで引いては自分の仕事を完遂できなくなってしまう。
 それだけは避けねばならないと、必死に言葉を絞り出す。

「で、ですから、是非とも浄土へ!!」
「嫌だよ」

 太一は即座に返答する。
 決してぶれないと決めたばかりだ。そもそも、そんな話を聞いた覚えはない。説明不足の真由美が悪いのだ。

「な、なんでですか!?」
「だって知らない土地とか怖いし」
「だ、大丈夫ですよ大丈夫! すぐに慣れますよ絶対! それに、浄土は死者が住む所なので、みんな椎名さんのことを認識できますよ!!」
「へー、そうなんだ」

 真由美の必死の説明もあって、太一は浄土というものがなんとなく理解できた。
 しかし、交渉に応じるつもりは毛頭ない。

「つーか、そもそも俺、死んでないし」
「は? えぇぇぇぇ!?」

 真由美は思わず驚倒した。
 あと一歩だと思っていた交渉が、まさかスタート地点で滞っていたとは思いもしなかったのだ。
 こうなってくると、真由美の力量ではどうすればいいのかさえ分からなくなってしまう。諦めて帰ってしまおうという甘い考えさえ頭を過るが、すぐにそれを打ち消す。
 どちらにしても、帰社したら今日の報告書を作成しなければならない。対象に死を受け入れさせることすら出来ませんでしたなどと書ける筈もない。ましてや、正式な誘導員になって初日の仕事でなんの成果も得られないなんて、いくら真由美といえどプライドが許さない。

 浄土誘導員。
 それはこの世に彷徨う魂を、死後の世界へと導く役割。
 いわば、天使の仕事だ。

 浄土に移り住んで四年。思えば、ずっと浄土誘導員に憧れ続けてきた。
 不慮の事故で命を落とし、全てを失った真由美に初めて夢を与えてくれたのは、他でもない浄土誘導員だった。
 真由美を担当した誘導員は、美人で背も高く、美しさと格好良さを兼ね備えたような人で、それでいて親切丁寧で。真由美が彼女に憧れを抱くようになるのに、そう時間は掛からなかった。
 それ以来ずっと浄土誘導員を目指し、難しい試験や辛い研修を乗り越え、やっと夢を叶えることが出来たのだ。
 自分の不器用さは生前から分かっていることだが、真由美にとってこの仕事は簡単に諦められるほど安易な夢ではない。やっと掴んだ夢の入り口で立ち往生するわけにはいかない。
 真由美は深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。
 そして、気合を入れ直し、太一の目をしっかりと見つめる。

「あ、あの」
「な、なんだよ」

 真由美の醸し出す緊迫した雰囲気に、太一は思わず固唾を飲む。だが、ここで空気に飲まれるわけにはいかない。太一は覚悟を決め、真由美に強い視線を返す。
 そのまま数秒ほど沈黙が続き、ついに真由美が口を開いた。

「ど、どうしたら、亡くなったことを受け入れてくれますか……?」

 太一の覚悟も虚しく、真由美から出た言葉は弱気なものだった。
 なにかを決意したような顔で言うものだから、てっきり物凄い殺し文句がくると太一は身構えていのだ。
 真由美になにかを期待してしまったことを後悔しつつ、太一は返答を考える。

(ここでキラーパスを出せれば、この女を振り払えるかもしれない。よし)

 脳細胞をフル動員し、太一は必死に考える。
 そして、計算に計算を重ね、一つの答えを導き出した。

「自分の葬式でも見れば納得すんじゃねぇーの?」

 中途半端に言葉を濁すのではなく、真っ向からの勝負。
 もし、本当に太一が死んでいたのなら、必ずどこかで葬儀は行われているはずだ。逆に、真由美のいっていることがデタラメなのだとしたら太一の葬儀など存在しない。今起こっている現象もなにかトリックがあるのかもしれない。
 ならば、ここで白黒はっきりさせようと太一は考えたのだ。

「お葬式ですか?」

 真由美は今にも消え入りそうな声で言葉を返す。その反応を見た太一は、自分の勝ちを確信した。
 やはり、自分は死んでなどはいない。きっと、この現象も催眠術かなにかで幻覚を見せているに違いない。
 そう考えた太一の顔からは次第に笑みがこぼれ出した。
 しかし、真由美の表情は一向に崩れない。太一がそのことに気付いた時には、既に真由美が次の言葉を発していた。

「お葬式、行きますか?」
「えっ?」

 太一は自分の耳を疑った。
 キラーパスを出したつもりが、思わぬカウンターを受けてしまったのだった。
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