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第一章.死後の世界へ
§1.死後から始まるデスディニー5
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時刻は四時四十五分。二月も下旬へ近付き、以前と比べると日が少し長くなったことをことを感じさせる。あと数週間もすれば寒さも和らぐだろう。
学校を後にした二人は太一の自宅へと移動していた。
集会中に太一が取り乱し、大暴れしてしまったせいで、当初の目的だった葬儀の情報を見事に聞き逃してしまい、両親から情報を得るしか方法が無くなったのだ。
真由美としては、死を受け入れた太一をすぐにでも浄土へ連れて行きたかったのだが、太一が自分の葬儀を見たいと駄々をこねてしまった。ここで強引な手段を用いて、また話が拗れたら今度こそ自分の精神が持たないと思い、真由美は仕方なしに頷いたのだった。
「さ、寒くね?」
帰宅して三十分。太一はふと思った。
それもそのはずで、現在の室温は七℃。動いていれば感じないのだろうが、じっとしているには少し寒すぎる。一般的な家庭なら、エアコンやストーブを入れていて不思議ではない時間帯であろう。
しかし、太一の現状ではストーブは愚か、電気のスイッチすら押すことは出来ない。全てすり抜けてしまうのだ。
「そ、そうですね」
真由美は小さな体をより一層小さく丸め込み、ぶるぶると震えながら問いに答える。やはり体が小さいと体感的に寒く感じるのだろうか。
一応は太一も気を利かせ、エアコンの使える車の中での待機を勧めたのだが「ガソリン無駄遣いしたら会社に怒られちゃいます」といった具合に却下されてしまった。
「まあ、外で居るよりかはマシか」
太一は使えないエアコンやストーブを嘆くよりも、今の現状はまだマシな方だと切り替えることにした。
そもそも、この状況で家に入れただけでも有難いことなのだ。家の前に到着し、いざドアを開けようとしたらドアノブが握れない。完全に詰んだと絶望する太一だったが、真由美の「ドア、すり抜けられますよ」という助言で呆気なく帰宅をとげたのだった。
こうしてなんとか帰宅した太一だったが、真由美の読み通り両親は不在であった。しかし、なんとしても葬儀の情報を得たい太一は、自宅で待機して両親の帰宅を待つことを提案し、こうして今リビングで必死に寒さと格闘しているのだ。
「も、もう限界ですっ!」
そういって真由美は勢い良く立ち上がった。
なにを決意したかは知らないが、真由美の瞳には覚悟の色が見て取れる。もしや、あれだけ嫌がっていた車での待機に移行しようというのだろうか。あの瞳の色は、経費を無駄遣いすることに対する意思表示なのかもしれない。
そんな淡い期待が、太一の気持ちを盛り上げる。
太一とて寒いのは御免被りたい。むしろ、人の会社のことなど知ったことではないので、積極的に真由美の背中を押していきたいところだ。
しかし、真由美の口から出た言葉は太一の想像から遥かに掛け離れたものだった。
「エアコン、つけてもいいですか!?」
「は?」
「ですから、エアコンです!!」
太一は呆れ返ってしまった。
それが出来ないから、二人は今こうして苦しんでいる。そもそも、物体に触れられないということを太一に教えたのは、他でもない真由美本人なのだ。
「突然なにいってんだよお前は。寒さで頭でもやられたか?」
「そんなことより、リモコンはどこですか!?」
太一の言葉に一切取り合わず、真由美はまっすぐにエアコンを見つめている。そんな彼女の勢いに圧倒され、太一は思わずリモコンの置き場所を指差した。
真由美は一瞬振り返り太一が指差す方を確認すると、リモコンへと一直線に歩き出す。リモコンの前まで移動した真由美は、軽く深呼吸をし、リモコンに手を掛ける。すると、あろうことか真由美の右手はリモコンをがっしりと握り、ゆっくりと持ち上げてしまった。更には、迷うことなく起動ボタンを押し、エアコンは動き出したのだ。
送風口から吹き出す風は次第に温まっていき、冷え切った部屋を適温へと変えていく。真由美はエアコンの前で、まるで春を待ち望んだ小動物の様に全身で風を受けている。
だが、太一はショックのあまり素直にエアコンからの恩恵を受けることが出来ずにいた。
「なっ!? なにやってんだ!?」
「あ……す、すいません。人の家のエアコンをつけちゃうなんて、私……図々しいですよね」
暖かさを求めるあまり我を忘れていたのか、太一の声を聞いて真由美はハッとする。そして、我を取り戻した彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。
確かに人の家のエアコンを他人が動かすには、少々電気代が高い気もする。
だが、今はそれどころではない。
「そういう意味じゃなくて! なんでリモコン持てたんだよ!? 説明しろって!」
先刻、路上で錯乱した時に、物体への接触は不可能だと説明されたはずだ。しかし、目の前ではそれを説明した張本人が悠々と物体への接触を果たしているではないか。
なんという矛盾。
そもそも、太一は今の自分について深くを知らない。
真由美の言葉に霊体や浄土といった専門用語が混ざっていても、言葉の真髄まで理解することは出来ず、あくまでも推測の域を越えられないでいる。
自分になにが出来て、なにが出来ないのか。なんのために浄土へと連れて行かれるのか。全てを知っておかねばならない。この機会に多くの疑問をぶつけるのも悪くはないだろう。
太一は、気持ちを落ち着かせ、真由美に疑問をぶつけることにした。
「説明ですか……」
あからさまに表情を曇らせる真由美。
それもそのはずで、この手の説明をするのは彼女の役目ではない。本来ならば後生支援組合の職員の仕事なのだ。
しかし、ここで蔑ろにしてしまえば、太一は必ずへそを曲げるだろう。一応、研修でも習ったし、念のために資料も用意はしてある。
真由美は、諦めてハンドバッグから一枚の厚紙を取り出した。
「これをどうぞ」
太一は渡された厚紙を素直に受け取り、素早く目を通す。
受験勉強でこの半年間ひたすら文章を読んできた経験が生きたのか、太一は一瞬で資料を読み終えてしまった。よもや、こんなところで勉強の成果が出るとは皮肉以外の何物でもないが。
「お分かりいただけましたか?」
「まぁ、粗方は」
真由美に声を掛けられ、太一は顔を上げる。
渡された資料がたった一枚の厚紙だけで不安ではあったが、この資料はよく要点が纏まっており、実に分かり安いものになっていた。まだ全ての疑問が解決したわけではないが、太一の心中に渦巻いていたモヤモヤをかなり小さくすることには成功したようだ。
両面にカラーで印刷された資料には、霊泉と霊塊、浄土での暮らし、という二項目について重点的に書かれていた。
霊泉とは生物の中に流れている生命エネルギーのようなもので、人は皆これを消費しながら生きている。
そして、霊泉を入れる器を霊塊と言い、この二つを総称して霊魂という。
この世に胎児として誕生した時点で等しく与えられ、成長と共に少しずつ減っていき、いずれ霊泉が尽きれば全ての生命はその活動を停止する。それが霊泉。つまり、寿命の根源だ。
では、なぜ寿命にばらつきがあるのかというと、霊泉の使用量は人によって異なるからである。
その原因の多くはストレスから来るもので、病気にしても、怪我にしても、辛いことがあれば必ずといっていいほどストレスを感じてしまう。
その結果、無意識のうちに霊泉の使用量は上がり、磨り減った心を治癒しようとする。当然、減ってしまった霊泉は回復することはなく、その分の寿命が縮んでしまうというわけだ。
だが、どんなことにも例外は存在する。
本来ならば、肉体と霊魂の二つが揃っていて初めて生物として機能するのだが、もしもどちらかを失ってしまったら。
霊魂を失えば、生きるためのエネルギーが供給されなくなり、当然朽ち果ててしまう。しかし、肉体を失ったとしても、霊魂は消滅しない。霊泉を消費し切るまで、決して消えることはない。
今回の太一のケースが正にその通りで、不運な事故により肉体が使用不可能な程に壊れてしまった。しかし、弱冠十八歳の彼の霊塊には、寿命がいつ来るのか想像出来ないほどの霊泉が残っていた。
これにより、太一の霊魂は肉体を切り離し、霊体として生成されたのだ。
では何故、生命エネルギーでしかないはず霊魂が、死したことを気付かせない程のクオリティを持った姿を生成できるのか。
それはひとえに霊魂の機能が優れているとしかいいようがない。
霊体の生成に使われる物は、生前の記憶とイメージ。
よく、魂に刻むなどという表現が使われるが、それはあながち間違いではなく、霊魂は生前の出来事を記憶している。
どれだけ脳内の記憶が欠落していようとも、霊魂は確実に生前の記憶を刻んでいる。そして、その記憶を元に、器である霊塊は生前の姿を再現し、生命エネルギーである霊泉は文字通り体を動かすためのエネルギーとなる。
このようにして、今の太一は存在しているのだ。
そして、浄土とは。
一言で言ってしまえば、いわゆるあの世だ。
死人があの世に行かなければならないのは当然と思うが、それにもしっかりとした理由が存在する。
霊塊の数には限りがあり、霊泉を使い切った物を再利用して、また新しい命へと送り込まれるのが一連の流れとなっている。輪廻転生という言葉が近いだろうか。
通常、寿命を迎えた霊塊は自動的に浄土へと送られ、新しい霊泉をこしらえ、次の人生を送る。
だが、太一の様な霊体はその霊泉を余してしまっている。
それを使い切るためにも、浄土で暮らし、第二の人生を全うする事が推奨されているのだ。
わざわざ浄土に行かなくてもと思うところもあるが、それもそれで問題がある。
本土人――すなわち、この世に暮らす人間にしてみれば、太一達霊体は幽霊に他ならない。タイミングが悪ければ写真に写り込むこともあるし、なにかあれば死んだ誰々の怨念がと罵られる。
ただ霊泉を消費しているだけなのに、悪霊扱いされてしまう生活など誰が望むものか。ならば死人は死人同士、浄土で仲良く暮らすほうがまだマシに違いない。
生者と死者のトラブルを減らすためにも、死者は浄土で暮らすべきなのだ。
そんな内容が、可愛らしいイラストを織り交ぜて、渡された資料には記載されていた。
「では、説明はこんなところで――」
「いや、待ってくれ」
そそくさと説明を区切ろうとする真由美だったが、その願いも虚しく、太一の言葉に上書きされてしまう。
自分の現状は把握できたが、まだ解決していない問題がある。それを解決するまでは、太一の心が完全に晴れることはないだろう。内なるモヤモヤを晴らすためにも、太一は真由美に話を切り出した。
「リモコン、どうやって持ったんだよ?」
「えっ? あ、リ、リモコン……」
「うむ。リモコン」
「せ、説明しなきゃ……ダメですか?」
「ダメ」
この後に及んで、無駄な抵抗を続ける真由美。持参した資料でこの場は凌げると思っていたのだが、どうやら甘かったらしい。今になって、ついエアコンに手を伸ばしてしまった自分を呪う。
別に説明すること自体が嫌なわけではないのだが、真由美自身どうしてもこの分野に於いては苦手意識を強く持ってしまう。
霊子学といわれるこの分野は、本土では非科学的とされている霊的な存在を解き明かすための分野に当たる。
生物学にリンクするような霊体の生態系から、量子力学に基盤を置いた霊魂の持つ記憶と情報の状態変化など、多くのことがこの分野にて研究されている。
無論、真由美もそこまで深く勉強したわけではない。しかし、浄土誘導員になる為に必要な資格が存在し、その必須科目に基礎霊子学の試験が含まれているのだ。
憧れの職に就くため必死に勉強はしたものの、理解に苦しむ内容ばかりであった。真由美にとって、人の生死が関わった時点でその全ては哲学的になり、そのことに理由を求めるという発想自体を持ち合わせていないのだ。
結果的に資格試験は丸暗記で乗り切れたが、その内容が彼女の知識となることはなかった。
「えっと、あまり理論的なことは分からないんですけど」
そういいながら、真由美は太一を指差す。
人を指差すなとツッコミたくなるが、いくら空気の読めない真由美でも、このタイミングでそこまで突拍子もないことはしないはずだ。なにか理由があるはずと考え、太一はじっと真由美の話に耳を傾ける。
真由美はそれを肯定と受け取り、続きを話し出した。
「ソファー……どうやって座ってるんですか?」
「どうやってって、そりゃお前……あれ?」
真由美の質問に答えようとして、太一は異変に気付いた。
霊体は物体への接触が出来ないはずなのに、自分は堂々とソファーに座っている。普通ならすり抜けてしまうのがセオリーというものだ。
しかし、帰宅してからずっと、さも当たり前の様に座り続けている。
なにか特別なソファーなのかという考えが頭を過るが、すぐにその考えを打ち消す。
太一の知る限り、このソファーは彼が中学生の時に、父親が大手輸入家具店にて新品で購入したものだ。出荷前の北欧で、謎の魔術にでも掛けられてない限りは怪奇現象などあり得ないし、そもそもそんなことは過去に一度だって起きていない。
「座れるとか座れないという考えはさほど重要ではありません。大事なのはイメージです」
「イメージ……?」
「資料にあった通り、霊体は生前の記憶とイメージによって生成されます」
確かに、渡された厚紙にはそう記載されていた。
だが、太一にはそれとなんの関係があるのかが一向に見えて来ない。
「記憶は霊体の内面的部分を決定し、イメージは外面的な部分と言えば分かりますかね……?」
「うーん……じゃあ、死ぬ時に自分をめちゃくちゃイケメンだと思い込めば、霊体は超絶イケメンになるってこと?」
「うっ……き、極論を言えばそうなるんですけど……」
真由美としては頑張って分かりやすい単語を選んでいるつもりなのだが、思った以上に上手く伝わらない。やはり、組合の役員に任せてしまいたい衝動に駆られてしまう。
それでも真由美は必死に考え、次の言葉を絞り出す。
「その……えっと、記憶はあくまでも主観的なもので、自分で風景を見ている分には、そこに自分は投映されませんよね?」
「まー、たしかに。ロールプレイングゲームじゃないんだから、自分の目で見ている限り、自分の姿は映らないわな」
「その通りですっ!!」
初めて自分の意図した言葉が伝わり、気を良くした真由美はテンポ良く次の言葉を続ける。
「そこで必要となるのがイメージです。自分がどんな顔なのか、どんな服を着ているのか等といったイメージを誰しもが持っています。霊体の外面は、そのイメージから作られるんですよ」
「なるほど……でもさ、体重とか身長って、意外と正確な数字とか覚えてなし、覚えててもイメージなんて出来ないよ」
「そこは記憶を参照すれば大丈夫です。えっと……“なんかいつもと違う、風邪とかじゃないけど今日は体が重い”という日とかあるじゃないですか? あれって、体が無意識のうちに出してる警告なんですよ」
「うーん……つまり、普段は全く意識してないけど頭のどっかではいつも通りな自分を覚えてて、その記憶を元に肉体を再現してるってこと?」
「正解なのですっ!!」
見事なまでに意思の疎通が出来て、真由美のテンションは思わず語尾がおかしくなる位ぐんぐんと上がっていく。太一としては、なんだか再び予備校の夏期講習に通っている気がして、感慨深い気分になってしまうが。
ともあれ、せっかく真由美がノリにノっているのだ。ここで区切るのはいささか勿体無い。話も確信に近付いているようだし、ここは真由美に主導権を預けた方が無難だろう。
「っと、ここまでは資料にもあった内容ですね。ここからが本題でなんですが……生前、なにかアクセサリーなどの小物類を身に付けてはいませんでしたか?」
「アクセサリー……小物……」
太一はしばし考えながら自身の体を見回してみる。しかし、生前の太一はピアスやネックレスといったアクセサリー類には興味が無く、真由美のいうような物に心当たりはない。
アクセサリーと聞くとどうしてもチャラついた印象を受けてしまい、なんとなく自分の描く理想像とはかけ離れている気がして敬遠していた。
彼が好む物といえば、あくまでもナチュラルに、さり気なく身に付けられる物が中心となっている。たとえば、シンプルな見た目とは裏腹に、高品質な素材を使い、精密に作り込まれた腕時計や、少し年上のお兄さん方が持っているようなブランド物の財布など。
「あっ」
真由美の質問にピンと来ないながらも、ふと左腕に目を落とした太一に電撃が走った。
霊体として覚醒してからてんやわんやし過ぎていて気にも留めなかったが、左腕にしていた筈の腕時計が綺麗さっぱり消えている。他にも、一目見たらどこのブランドの物か特定できるタータンチェックの財布や、春に機種変更したばかりのスマートフォンまで、太一の高校生活を彩る大切な小物類の大半が消え失せているではないか。
「な、なんで!? いろいろ無い!!」
「お、落ち着いてください! それが霊魂のイメージです!」
再び暴れ出しそうになる太一を必死になだめ、真由美は説明を続ける。
「霊魂にとって、アクセサリー類はイメージとしては少し弱い物なんですよ」
「なんで!? こんなどうでもいい制服の校章エンブレムまで精密に再現されてるのになんで!?」
太一はブレザーの胸ポケットを指差す。そこには、盾の様な形をした青いワッペンが刺繍されていた。もしも真由美のいう通り小物類が再現できないのならば、ワッペンもそれに含まれて可笑しくはないはずだ。
「正直いって、霊魂が作り出す衣服の再現率は異常です。それはひとえに人間の衣服に対する記憶が並外れているということになります。服を買うときって、結構細かいデザインとか見たりするじゃないですか」
「ま、まぁ確かに……でも、腕時計も財布もかなりこだわって選んだんだぞ!!」
太一はこの説明にどうしても納得することが出来なかった。
しがない高校生である太一が、少ない放課後の時間を犠牲に、一生懸命アルバイトをしてやっとの思いで手に入れた代物だ。その努力の結晶がイメージとして弱いなどといわれて、納得出来るわけがない。
「ま、まぁ、中には再現してしまう位の強いイメージを持った人もいるにはいるんですが……それもかなり稀ですよ」
「だったらなんで!? 俺は超絶大切にしてたんだぞ!!」
真由美は太一の凄まじい勢いに思わず後ずさってしまう。彼のいい分は分かるものの、自分は魔法使いでも、錬金術師でもない。浄土へ行ったらまた買ってくれとしかいいようがない。真由美にはどうすることも出来ないのだ。
しかし、ここで太一を放置するわけにもいかず、なんとか説得力のある言葉を言おうと必死で考える。
「えっと……お財布を家に忘れちゃうことはあっても、服を着忘れることってないですよね?」
「うっ……」
この真由美の言葉がクリティカルヒットしたのか、太一は押し黙ってしまう。
確かに、小物類を家に忘れることはあってもズボンを履き忘れて出掛ける馬鹿はいないだろう。所詮は小物であって、無くてもなんとかなる。
己の欲望を満たすため、思い出を繋ぎとめるため、人それぞれに理由はあるだろう。だが、誰しもが心の何処かで無くても生きていけることを分かっている。
それは太一とて例外ではあるまい。
「くっ」
「そ、そんなに気を落とさないでくださいよ……き、きっと浄土でも素敵な物が見つかりますよ」
励ましの言葉を掛ける真由美であったが、その優しさが逆に太一の胸を締め付ける。
真由美のいってる意味は分かるし、自分自身も財布を忘れた経験はある。しかし、太一の行き場のない気持ちはどんどんテンションを下げていく。挙句、ほっとけば気にも留めなかっただろうことに気が付いてしまう。
「じゃあさ、なんで制服なんだよ。俺、もっと気に入ってる服あるのにさ」
「そ、それは多分、生前に一番着用した服で、一番イメージしやすかったからじゃないですかね……?」
真由美のお手本の様な回答に、太一は分かってはいたがガックリしてしまう。
約三年間も着ている服だし、今日家を出る前にも、じっくりと玄関の鏡でその姿を目に焼き付けている。こればかりは屁理屈の得意な太一でも反論のしようがない。
「ははは、俺のイメージって……イメージ……ん?」
不貞腐れる太一であったが、ある名案が浮かぶ。
それが成功したとしてもなにが変わるわけではないのだが、少なくともこの行き場のない怒りは収まるかもしれない。そのためには目の前の少女に犠牲になってもらわなければならない。
太一はニヤける気持ちを押さえつけ、口を開く。
「イメージで服も生成されるっていったよね?」
「えっ? あ、はい」
「ならさ、もし俺にひん曲がった性癖があったとして、全裸が正装とかいう変態だったら、全裸で生成されてたの?」
「……え?」
「いや、だから全裸だって! すっぽんぽん!!」
「い、いや、あの……」
「ほらほら、君が連れて帰らなきゃならない奴が全裸でぶっ倒れてたらどうすんの? でも、ありえない話じゃないよね? そういう場合どうするの? イメージがどうのこうのっていってんだから想像出来るよね? 全裸」
太一は立ち上がり、真由美に向かって両手を広げる。
すると、真由美は顔を赤らめていく。
太一が怒りを抑えるために取った奇策。それはただのセクハラだ。
気の弱そうな異性にイヤらしい言葉を掛け、その表情を見てストレスを発散する。とても高校生の所業とは思えないが、今日一日不運の連発でストレスゲージが振り切っている太一にとってそんなもの関係ない。
ましてや、目の前にいるのは汚れを知らなそうな可愛らしい少女。ちょっとくらいイタズラしたくなる気持ちも致し方ない。
そうしている間も、真由美の顔は今にも爆発してしまいそうなほど赤くなっていく。
一体どんな想像をしているのだろうか。
しかし、彼女が質問に答えるまでは解放する気はない。
太一は真っ直ぐに真由美をニヤついた顔で見つめ続ける。
「そそそそそれは……わた、わ、私が困ります……」
真由美は震える声でなんとか回答を述べた。
その必死な姿に太一の行き場のない怒りは一気に収まり、なんとも形容し難い幸福感を得ることに成功したのだった。
(可愛いじゃねーかこんちきしょー!!)
内心でそんなことを考えつつも、目的を達成した太一は、逸れた話を起動修正するためにも咳払いを一つ打つ。
まだリモコンの審議は終わっていないのだ。
「ゴホンッ、失礼。それで、リモコンの話だが」
「ほ、ほえ? あ、あぁ……そうでしたね」
太一の声をきっかけに、真由美も逆走してしまった思考を呼び戻す。
真由美はまだ若干赤らんだ顔をしているが、なんとか平常心を取り戻りしたらしく、説明を再開する。
「散々イメージの話をしましたが、霊魂の生成は無意識下の話です。ですが、今の私達には意識があり、あらゆることをイメージすることが出来ます」
「つまり、イメージ次第ではリモコンに触れられたりするってこと?」
「ええ。あまり複雑なことだとイメージが追いつかずに失敗してしまいますが、練習次第では本土での生活だって――」
真由美は言葉を中断し、口を噤む。自分の失言に気付いてしまったのだ。このままでは今までの苦労が水の泡になってしまう。
そして、根性の曲がりくねった太一がそれを聞き逃すはずもない。
「うむ。ならば浄土へ行く必要はないな。よし」
「あぁぁぁ、い、今のは無しですっ!! 浄土へは行かないとダメなんですっ!!」
「今、自分でいったんじゃん」
「そ、それは……い、いや、あの……そうだ!! 浄土へ行かないと、お財布もオシャレな服も買えないんですよ!!」
「む……」
ギリギリセーフといったところだろうか。なんとか太一の悪性を押さえつけることが出来た。
しかし、これで味を占められては仕方がないので、もう一撃ダメ押しの一手を打つ必要がある。
「それに、どれだけ頑張っても生者に触れることは出来ませんので、やはり本土での生活は孤独になってしまいますよ」
「そうなの? なんで?」
「え、えっと~……れ、霊魂と肉体との兼ね合い……ですかね……?」
真由美の回答は歯切れの悪いものだった。
実をいうと、生者と死者の関係は霊子学においても難題とされている。無論、真由美もそこまでは勉強してはいない。一応、解き明かされてはいるものの、その解答に行き着くまでには相当根を詰めて勉強しなければ理解することは出来なのだ。
だが、太一にとってすればそんなものは理由にならない。
「お前……嘘ついてんだろ?」
「う、嘘なんてついてないですよ!! こ、この関係性は浄土でも難題で――」
真由美は必死に弁解しようとするものの、太一は一向に聞く耳を持たない。
しかし、幸か不幸か真由美の声を上書きするように、玄関からガチャリという鈍い音が響いた。
「ご、ご両親帰って来たみたいですよ!!」
「あ? うん。命拾いしたな」
まるで下っ端悪役のような安いセリフを吐きながら、太一は玄関へと歩を進めた。
いつもなら太一が迎えに行く間も無く、ものの数秒でリビングまで移動してくる母親なのだが、今日はいつもと様子が違う。廊下へと出た太一の目に映ったのは、玄関で蹲る母親の姿と、そのすぐ後ろに無表情で佇んでいる父親の姿。
母の背中は小刻みに震えており、声にもならないほどか細い声が、嗚咽を交え、すするように漏れている。父の目には一切の光はなく、ただ呆然と母の背中を見つめている。
「な、なんだよ……」
無意識に言葉を漏らした太一はゆっくりと両親に近付き、母の肩に手を掛ける。しかし、どれだけ強くイメージしようとも、その手はすり抜けてしまう。
もどかしさからか、いつの間にか太一は自分の下唇を思い切り噛んでいた。
辛いのは自分だけではなかった。余裕がなったとはいえ、残された人のことを全く考えていなかったとやっと気付く。
いつも茶化すようなことばかりいうが、太一のやりたいことをちゃんと応援してくれる母親。反抗期の時から気まずくて会話が減ってしまったが、悩んでいると必ず背中を押してくれる父親。
たくさんの愛情を注ぎ、自分をここまで育ててくれた両親が辛くないわけがない。
「こんな……こんなの見たくなかった……」
葬儀の情報を得るために戻ってきた自宅で、こんな辛い光景を目の当たりにするとは思ってもみなかった。太一を襲う後悔の念は肥大化を続け、彼の心を蝕んでいく。
今後、両親はどうやって生きていくのか。死んだはずの自分という存在が、二人を縛り付けてしまわないだろうか。
そんな感情が太一の胸をえぐる。
『遺影写真を決めよう……』
父は酷く渇いた声を母に掛けた。母は震えながらも、父の手を借りてゆっくりと立ち上がる。そして、二人は廊下へ上がり、太一をすり抜けてリビングへと向かって行った。
「あの、椎名さん……これ以上この場にいない方が……」
リビングから顔を出した真由美に声を掛けられ、太一の思考が戻る。
真由美のいう通り、このまま両親を見続けていたら太一のメンタルは音を立てて崩壊してしまうだろう。しかし、太一はその場を動かない。
「なんてひでぇ顔してんだよ」
「え?」
太一はゆっくりと後方へと体の向きを変え、真由美をしっかりと見つめる。そして、大きく深呼吸をして、思いの丈を全て言葉にする。
「こんなんじゃおちおち死んでもいらんねぇよ。手紙書いてあいつらに喝入れてやる。だから、俺を鉛筆握れるようにしてくれ!!」
予想の斜め上を行く発言に、真由美も言葉を失ってしまう。だが、太一の表情からは伊達や酔狂で言っているわけではない事が窺える。
真由美としては、そんな真っ直ぐな太一の要望に応えてやりたいところだが、素直に頷く事が出来ない。
浄土に存在する法律として【本土人との過度な接触を禁ずる】といった物がある。手紙を送るという行為は、本土人に影響を与えてしまうことは目に見えている。無論、浄土に暮らす真由美としてはこの法律を守らねばならない。
「別に代筆してくれっていってるんじゃないんだよ。あくまでもイメージトレーニングに付き合ってくれっていってんの」
真由美が飲み込んでいる言葉を感じ取ったのだろうか。太一の全てを察したような物言いに、真由美の心臓がドキリと跳ね上がる。
しかし、お陰で決心がついた。
真由美が憧れる誘導員ならば、迷わず協力するだろう。言い訳は後から考えればいい。自分の不甲斐なさに呆れながら、真由美は口を開いた。
「分かりました。まだ浄土の住民登録をされていない無戸籍者の椎名さんに及ばずながら協力させて頂きます」
真由美の決断に感謝の意を感じながらも、太一は取り急ぎ自室への移動を促す。
ソファーに座れたからといって、鉛筆を持てるとは限らない。また、霊体としての説明を受ける以前、道ばたですり抜けた自転車の件を考えても物体への観賞が相当難易度の高いものだと分かる。それに加えて、今は触れられないという概念が染み付いてしまった。
まずはその意識を取り除くところからスタートしなければならないだろう。
不安を抱えながらも自室への移動を終えた太一は、丁度机の上に置かれていたレポート用紙を開こうとしたところ、やはり懸念通りすり抜けてしまう。
実際のところ、浄土人でも本土の物に触れられる人間はそう多くはない。
そもそも、本土へ行くような職種も少なく、出来てもほぼ意味をなさない。そのくせして、かなりの集中力と根気を要求されることから、興味があっても手を出さない人間が大半を占めている。現に、真由美も習得までに三ヶ月の期間を要したのに、触れられる物の種類はそう多くはない。
それでも、やらなければならない理由が太一にはある。
息を吸うのも忘れてしまいそうなほど集中して、太一は何度も何度も、自分を信じてレポート用紙に手を伸ばす。
しかし、人の集中力とはそう長く続かないもので、一時間も経つと太一の表情にも雲りが見え隠れする。
開始からひたすら手を伸ばし掴んでいるビジョンを何度もイメージしてはいるものの、未だレポート用紙は表紙のままだ。
「なんだ、なにが足りないんだ」
「うーん、もっと紙の質感を記憶から呼び起こしてみてください」
「いや、そうじゃなくて。なんかもっとこぉ、具体的なアドバイスないの?」
「えっと、感じ方は人それぞれなので、そこはなんとも……」
出来ないことに対して太一は次第に苛ついていく。
真由美としては、自分の持つイメージが太一に悪影響を及ぼさないよう、漠然としたことしかいえないでいた。
感じ方は人それぞれ。真由美が辛いと言ったからといって、太一にとって辛いとは限らない。
だが、確信的なことをいわれてしまうと、そうだと思い込んでしまうのもまた人間である。霊体が物体へ触れる為には、自分が生前に感じたものを的確に伝達しなければならないのだ。
太一も真由美のいわんとすることは分かっているつもりだが、どうしてもヒントを求めてしまう。
そんなやり取りを続けること更に一時間。進展は一向に見られない。
変化といえば、真由美がチラチラと時間を気にし出したことだろうか。三十秒に一回くらい、ジャケットの袖をめくり、左腕の内側に付けた小さい腕時計を確認している。
「だぁぁぁもうっ!! さっきからなんなんだよお前!! ちらっちらちらっちら時計見やがって! 気が散るんだよ!!」
「ひぃっ……あ、あ、えっと、き、帰社時刻が……」
太一の激怒に真由美は縮こまりながらも、正直な意見を述べる。
それを聞いた太一の苛々は倍増し、凄まじい勢いでやる気が削がれていく。
「手伝ってくれるっていったじゃんかよ!!」
「え……で、でも、帰社して報告書作成しなきゃいけないですし……そ、その……今日が賞味期限のお豆腐が――」
「うっせぇ!!」
「ひぃっ」
しかし、太一の願いも虚しく、室内にチープな電子音が鳴り響く。音の正体は真由美の携帯で、彼女は画面に映る着信者を確認すると、太一の鬼の形相を無視して通話を開始する。
気を使ってか通話しながら部屋の隅へと移動はするものの、真由美の声はバッチリ聞き取れてしまう。
「は、はい。一応は完了です――多分九時前には戻れるかと。えっと、明日は――あ、はい。了解しました」
一分程で通話を終えた真由美は、鞄に携帯を入れ、太一の前へ戻ってきた。そして、申し訳なさそうな顔をして、太一に頭を下げる。
「あ、あの、帰社命令が出たので戻ります。えっと、明日の十時にはこっちに来られると思いますので、お部屋でお待ちください」
「あ、ちょっ!」
「イメージトレーニング頑張ってくださいね!! それでは私はこれで」
太一の言葉を待たずして、真由美は逃げるように去って行った。
部屋に一人残された太一は、孤独と戦いながら、イメージトレーニングを再開したのだった。
学校を後にした二人は太一の自宅へと移動していた。
集会中に太一が取り乱し、大暴れしてしまったせいで、当初の目的だった葬儀の情報を見事に聞き逃してしまい、両親から情報を得るしか方法が無くなったのだ。
真由美としては、死を受け入れた太一をすぐにでも浄土へ連れて行きたかったのだが、太一が自分の葬儀を見たいと駄々をこねてしまった。ここで強引な手段を用いて、また話が拗れたら今度こそ自分の精神が持たないと思い、真由美は仕方なしに頷いたのだった。
「さ、寒くね?」
帰宅して三十分。太一はふと思った。
それもそのはずで、現在の室温は七℃。動いていれば感じないのだろうが、じっとしているには少し寒すぎる。一般的な家庭なら、エアコンやストーブを入れていて不思議ではない時間帯であろう。
しかし、太一の現状ではストーブは愚か、電気のスイッチすら押すことは出来ない。全てすり抜けてしまうのだ。
「そ、そうですね」
真由美は小さな体をより一層小さく丸め込み、ぶるぶると震えながら問いに答える。やはり体が小さいと体感的に寒く感じるのだろうか。
一応は太一も気を利かせ、エアコンの使える車の中での待機を勧めたのだが「ガソリン無駄遣いしたら会社に怒られちゃいます」といった具合に却下されてしまった。
「まあ、外で居るよりかはマシか」
太一は使えないエアコンやストーブを嘆くよりも、今の現状はまだマシな方だと切り替えることにした。
そもそも、この状況で家に入れただけでも有難いことなのだ。家の前に到着し、いざドアを開けようとしたらドアノブが握れない。完全に詰んだと絶望する太一だったが、真由美の「ドア、すり抜けられますよ」という助言で呆気なく帰宅をとげたのだった。
こうしてなんとか帰宅した太一だったが、真由美の読み通り両親は不在であった。しかし、なんとしても葬儀の情報を得たい太一は、自宅で待機して両親の帰宅を待つことを提案し、こうして今リビングで必死に寒さと格闘しているのだ。
「も、もう限界ですっ!」
そういって真由美は勢い良く立ち上がった。
なにを決意したかは知らないが、真由美の瞳には覚悟の色が見て取れる。もしや、あれだけ嫌がっていた車での待機に移行しようというのだろうか。あの瞳の色は、経費を無駄遣いすることに対する意思表示なのかもしれない。
そんな淡い期待が、太一の気持ちを盛り上げる。
太一とて寒いのは御免被りたい。むしろ、人の会社のことなど知ったことではないので、積極的に真由美の背中を押していきたいところだ。
しかし、真由美の口から出た言葉は太一の想像から遥かに掛け離れたものだった。
「エアコン、つけてもいいですか!?」
「は?」
「ですから、エアコンです!!」
太一は呆れ返ってしまった。
それが出来ないから、二人は今こうして苦しんでいる。そもそも、物体に触れられないということを太一に教えたのは、他でもない真由美本人なのだ。
「突然なにいってんだよお前は。寒さで頭でもやられたか?」
「そんなことより、リモコンはどこですか!?」
太一の言葉に一切取り合わず、真由美はまっすぐにエアコンを見つめている。そんな彼女の勢いに圧倒され、太一は思わずリモコンの置き場所を指差した。
真由美は一瞬振り返り太一が指差す方を確認すると、リモコンへと一直線に歩き出す。リモコンの前まで移動した真由美は、軽く深呼吸をし、リモコンに手を掛ける。すると、あろうことか真由美の右手はリモコンをがっしりと握り、ゆっくりと持ち上げてしまった。更には、迷うことなく起動ボタンを押し、エアコンは動き出したのだ。
送風口から吹き出す風は次第に温まっていき、冷え切った部屋を適温へと変えていく。真由美はエアコンの前で、まるで春を待ち望んだ小動物の様に全身で風を受けている。
だが、太一はショックのあまり素直にエアコンからの恩恵を受けることが出来ずにいた。
「なっ!? なにやってんだ!?」
「あ……す、すいません。人の家のエアコンをつけちゃうなんて、私……図々しいですよね」
暖かさを求めるあまり我を忘れていたのか、太一の声を聞いて真由美はハッとする。そして、我を取り戻した彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。
確かに人の家のエアコンを他人が動かすには、少々電気代が高い気もする。
だが、今はそれどころではない。
「そういう意味じゃなくて! なんでリモコン持てたんだよ!? 説明しろって!」
先刻、路上で錯乱した時に、物体への接触は不可能だと説明されたはずだ。しかし、目の前ではそれを説明した張本人が悠々と物体への接触を果たしているではないか。
なんという矛盾。
そもそも、太一は今の自分について深くを知らない。
真由美の言葉に霊体や浄土といった専門用語が混ざっていても、言葉の真髄まで理解することは出来ず、あくまでも推測の域を越えられないでいる。
自分になにが出来て、なにが出来ないのか。なんのために浄土へと連れて行かれるのか。全てを知っておかねばならない。この機会に多くの疑問をぶつけるのも悪くはないだろう。
太一は、気持ちを落ち着かせ、真由美に疑問をぶつけることにした。
「説明ですか……」
あからさまに表情を曇らせる真由美。
それもそのはずで、この手の説明をするのは彼女の役目ではない。本来ならば後生支援組合の職員の仕事なのだ。
しかし、ここで蔑ろにしてしまえば、太一は必ずへそを曲げるだろう。一応、研修でも習ったし、念のために資料も用意はしてある。
真由美は、諦めてハンドバッグから一枚の厚紙を取り出した。
「これをどうぞ」
太一は渡された厚紙を素直に受け取り、素早く目を通す。
受験勉強でこの半年間ひたすら文章を読んできた経験が生きたのか、太一は一瞬で資料を読み終えてしまった。よもや、こんなところで勉強の成果が出るとは皮肉以外の何物でもないが。
「お分かりいただけましたか?」
「まぁ、粗方は」
真由美に声を掛けられ、太一は顔を上げる。
渡された資料がたった一枚の厚紙だけで不安ではあったが、この資料はよく要点が纏まっており、実に分かり安いものになっていた。まだ全ての疑問が解決したわけではないが、太一の心中に渦巻いていたモヤモヤをかなり小さくすることには成功したようだ。
両面にカラーで印刷された資料には、霊泉と霊塊、浄土での暮らし、という二項目について重点的に書かれていた。
霊泉とは生物の中に流れている生命エネルギーのようなもので、人は皆これを消費しながら生きている。
そして、霊泉を入れる器を霊塊と言い、この二つを総称して霊魂という。
この世に胎児として誕生した時点で等しく与えられ、成長と共に少しずつ減っていき、いずれ霊泉が尽きれば全ての生命はその活動を停止する。それが霊泉。つまり、寿命の根源だ。
では、なぜ寿命にばらつきがあるのかというと、霊泉の使用量は人によって異なるからである。
その原因の多くはストレスから来るもので、病気にしても、怪我にしても、辛いことがあれば必ずといっていいほどストレスを感じてしまう。
その結果、無意識のうちに霊泉の使用量は上がり、磨り減った心を治癒しようとする。当然、減ってしまった霊泉は回復することはなく、その分の寿命が縮んでしまうというわけだ。
だが、どんなことにも例外は存在する。
本来ならば、肉体と霊魂の二つが揃っていて初めて生物として機能するのだが、もしもどちらかを失ってしまったら。
霊魂を失えば、生きるためのエネルギーが供給されなくなり、当然朽ち果ててしまう。しかし、肉体を失ったとしても、霊魂は消滅しない。霊泉を消費し切るまで、決して消えることはない。
今回の太一のケースが正にその通りで、不運な事故により肉体が使用不可能な程に壊れてしまった。しかし、弱冠十八歳の彼の霊塊には、寿命がいつ来るのか想像出来ないほどの霊泉が残っていた。
これにより、太一の霊魂は肉体を切り離し、霊体として生成されたのだ。
では何故、生命エネルギーでしかないはず霊魂が、死したことを気付かせない程のクオリティを持った姿を生成できるのか。
それはひとえに霊魂の機能が優れているとしかいいようがない。
霊体の生成に使われる物は、生前の記憶とイメージ。
よく、魂に刻むなどという表現が使われるが、それはあながち間違いではなく、霊魂は生前の出来事を記憶している。
どれだけ脳内の記憶が欠落していようとも、霊魂は確実に生前の記憶を刻んでいる。そして、その記憶を元に、器である霊塊は生前の姿を再現し、生命エネルギーである霊泉は文字通り体を動かすためのエネルギーとなる。
このようにして、今の太一は存在しているのだ。
そして、浄土とは。
一言で言ってしまえば、いわゆるあの世だ。
死人があの世に行かなければならないのは当然と思うが、それにもしっかりとした理由が存在する。
霊塊の数には限りがあり、霊泉を使い切った物を再利用して、また新しい命へと送り込まれるのが一連の流れとなっている。輪廻転生という言葉が近いだろうか。
通常、寿命を迎えた霊塊は自動的に浄土へと送られ、新しい霊泉をこしらえ、次の人生を送る。
だが、太一の様な霊体はその霊泉を余してしまっている。
それを使い切るためにも、浄土で暮らし、第二の人生を全うする事が推奨されているのだ。
わざわざ浄土に行かなくてもと思うところもあるが、それもそれで問題がある。
本土人――すなわち、この世に暮らす人間にしてみれば、太一達霊体は幽霊に他ならない。タイミングが悪ければ写真に写り込むこともあるし、なにかあれば死んだ誰々の怨念がと罵られる。
ただ霊泉を消費しているだけなのに、悪霊扱いされてしまう生活など誰が望むものか。ならば死人は死人同士、浄土で仲良く暮らすほうがまだマシに違いない。
生者と死者のトラブルを減らすためにも、死者は浄土で暮らすべきなのだ。
そんな内容が、可愛らしいイラストを織り交ぜて、渡された資料には記載されていた。
「では、説明はこんなところで――」
「いや、待ってくれ」
そそくさと説明を区切ろうとする真由美だったが、その願いも虚しく、太一の言葉に上書きされてしまう。
自分の現状は把握できたが、まだ解決していない問題がある。それを解決するまでは、太一の心が完全に晴れることはないだろう。内なるモヤモヤを晴らすためにも、太一は真由美に話を切り出した。
「リモコン、どうやって持ったんだよ?」
「えっ? あ、リ、リモコン……」
「うむ。リモコン」
「せ、説明しなきゃ……ダメですか?」
「ダメ」
この後に及んで、無駄な抵抗を続ける真由美。持参した資料でこの場は凌げると思っていたのだが、どうやら甘かったらしい。今になって、ついエアコンに手を伸ばしてしまった自分を呪う。
別に説明すること自体が嫌なわけではないのだが、真由美自身どうしてもこの分野に於いては苦手意識を強く持ってしまう。
霊子学といわれるこの分野は、本土では非科学的とされている霊的な存在を解き明かすための分野に当たる。
生物学にリンクするような霊体の生態系から、量子力学に基盤を置いた霊魂の持つ記憶と情報の状態変化など、多くのことがこの分野にて研究されている。
無論、真由美もそこまで深く勉強したわけではない。しかし、浄土誘導員になる為に必要な資格が存在し、その必須科目に基礎霊子学の試験が含まれているのだ。
憧れの職に就くため必死に勉強はしたものの、理解に苦しむ内容ばかりであった。真由美にとって、人の生死が関わった時点でその全ては哲学的になり、そのことに理由を求めるという発想自体を持ち合わせていないのだ。
結果的に資格試験は丸暗記で乗り切れたが、その内容が彼女の知識となることはなかった。
「えっと、あまり理論的なことは分からないんですけど」
そういいながら、真由美は太一を指差す。
人を指差すなとツッコミたくなるが、いくら空気の読めない真由美でも、このタイミングでそこまで突拍子もないことはしないはずだ。なにか理由があるはずと考え、太一はじっと真由美の話に耳を傾ける。
真由美はそれを肯定と受け取り、続きを話し出した。
「ソファー……どうやって座ってるんですか?」
「どうやってって、そりゃお前……あれ?」
真由美の質問に答えようとして、太一は異変に気付いた。
霊体は物体への接触が出来ないはずなのに、自分は堂々とソファーに座っている。普通ならすり抜けてしまうのがセオリーというものだ。
しかし、帰宅してからずっと、さも当たり前の様に座り続けている。
なにか特別なソファーなのかという考えが頭を過るが、すぐにその考えを打ち消す。
太一の知る限り、このソファーは彼が中学生の時に、父親が大手輸入家具店にて新品で購入したものだ。出荷前の北欧で、謎の魔術にでも掛けられてない限りは怪奇現象などあり得ないし、そもそもそんなことは過去に一度だって起きていない。
「座れるとか座れないという考えはさほど重要ではありません。大事なのはイメージです」
「イメージ……?」
「資料にあった通り、霊体は生前の記憶とイメージによって生成されます」
確かに、渡された厚紙にはそう記載されていた。
だが、太一にはそれとなんの関係があるのかが一向に見えて来ない。
「記憶は霊体の内面的部分を決定し、イメージは外面的な部分と言えば分かりますかね……?」
「うーん……じゃあ、死ぬ時に自分をめちゃくちゃイケメンだと思い込めば、霊体は超絶イケメンになるってこと?」
「うっ……き、極論を言えばそうなるんですけど……」
真由美としては頑張って分かりやすい単語を選んでいるつもりなのだが、思った以上に上手く伝わらない。やはり、組合の役員に任せてしまいたい衝動に駆られてしまう。
それでも真由美は必死に考え、次の言葉を絞り出す。
「その……えっと、記憶はあくまでも主観的なもので、自分で風景を見ている分には、そこに自分は投映されませんよね?」
「まー、たしかに。ロールプレイングゲームじゃないんだから、自分の目で見ている限り、自分の姿は映らないわな」
「その通りですっ!!」
初めて自分の意図した言葉が伝わり、気を良くした真由美はテンポ良く次の言葉を続ける。
「そこで必要となるのがイメージです。自分がどんな顔なのか、どんな服を着ているのか等といったイメージを誰しもが持っています。霊体の外面は、そのイメージから作られるんですよ」
「なるほど……でもさ、体重とか身長って、意外と正確な数字とか覚えてなし、覚えててもイメージなんて出来ないよ」
「そこは記憶を参照すれば大丈夫です。えっと……“なんかいつもと違う、風邪とかじゃないけど今日は体が重い”という日とかあるじゃないですか? あれって、体が無意識のうちに出してる警告なんですよ」
「うーん……つまり、普段は全く意識してないけど頭のどっかではいつも通りな自分を覚えてて、その記憶を元に肉体を再現してるってこと?」
「正解なのですっ!!」
見事なまでに意思の疎通が出来て、真由美のテンションは思わず語尾がおかしくなる位ぐんぐんと上がっていく。太一としては、なんだか再び予備校の夏期講習に通っている気がして、感慨深い気分になってしまうが。
ともあれ、せっかく真由美がノリにノっているのだ。ここで区切るのはいささか勿体無い。話も確信に近付いているようだし、ここは真由美に主導権を預けた方が無難だろう。
「っと、ここまでは資料にもあった内容ですね。ここからが本題でなんですが……生前、なにかアクセサリーなどの小物類を身に付けてはいませんでしたか?」
「アクセサリー……小物……」
太一はしばし考えながら自身の体を見回してみる。しかし、生前の太一はピアスやネックレスといったアクセサリー類には興味が無く、真由美のいうような物に心当たりはない。
アクセサリーと聞くとどうしてもチャラついた印象を受けてしまい、なんとなく自分の描く理想像とはかけ離れている気がして敬遠していた。
彼が好む物といえば、あくまでもナチュラルに、さり気なく身に付けられる物が中心となっている。たとえば、シンプルな見た目とは裏腹に、高品質な素材を使い、精密に作り込まれた腕時計や、少し年上のお兄さん方が持っているようなブランド物の財布など。
「あっ」
真由美の質問にピンと来ないながらも、ふと左腕に目を落とした太一に電撃が走った。
霊体として覚醒してからてんやわんやし過ぎていて気にも留めなかったが、左腕にしていた筈の腕時計が綺麗さっぱり消えている。他にも、一目見たらどこのブランドの物か特定できるタータンチェックの財布や、春に機種変更したばかりのスマートフォンまで、太一の高校生活を彩る大切な小物類の大半が消え失せているではないか。
「な、なんで!? いろいろ無い!!」
「お、落ち着いてください! それが霊魂のイメージです!」
再び暴れ出しそうになる太一を必死になだめ、真由美は説明を続ける。
「霊魂にとって、アクセサリー類はイメージとしては少し弱い物なんですよ」
「なんで!? こんなどうでもいい制服の校章エンブレムまで精密に再現されてるのになんで!?」
太一はブレザーの胸ポケットを指差す。そこには、盾の様な形をした青いワッペンが刺繍されていた。もしも真由美のいう通り小物類が再現できないのならば、ワッペンもそれに含まれて可笑しくはないはずだ。
「正直いって、霊魂が作り出す衣服の再現率は異常です。それはひとえに人間の衣服に対する記憶が並外れているということになります。服を買うときって、結構細かいデザインとか見たりするじゃないですか」
「ま、まぁ確かに……でも、腕時計も財布もかなりこだわって選んだんだぞ!!」
太一はこの説明にどうしても納得することが出来なかった。
しがない高校生である太一が、少ない放課後の時間を犠牲に、一生懸命アルバイトをしてやっとの思いで手に入れた代物だ。その努力の結晶がイメージとして弱いなどといわれて、納得出来るわけがない。
「ま、まぁ、中には再現してしまう位の強いイメージを持った人もいるにはいるんですが……それもかなり稀ですよ」
「だったらなんで!? 俺は超絶大切にしてたんだぞ!!」
真由美は太一の凄まじい勢いに思わず後ずさってしまう。彼のいい分は分かるものの、自分は魔法使いでも、錬金術師でもない。浄土へ行ったらまた買ってくれとしかいいようがない。真由美にはどうすることも出来ないのだ。
しかし、ここで太一を放置するわけにもいかず、なんとか説得力のある言葉を言おうと必死で考える。
「えっと……お財布を家に忘れちゃうことはあっても、服を着忘れることってないですよね?」
「うっ……」
この真由美の言葉がクリティカルヒットしたのか、太一は押し黙ってしまう。
確かに、小物類を家に忘れることはあってもズボンを履き忘れて出掛ける馬鹿はいないだろう。所詮は小物であって、無くてもなんとかなる。
己の欲望を満たすため、思い出を繋ぎとめるため、人それぞれに理由はあるだろう。だが、誰しもが心の何処かで無くても生きていけることを分かっている。
それは太一とて例外ではあるまい。
「くっ」
「そ、そんなに気を落とさないでくださいよ……き、きっと浄土でも素敵な物が見つかりますよ」
励ましの言葉を掛ける真由美であったが、その優しさが逆に太一の胸を締め付ける。
真由美のいってる意味は分かるし、自分自身も財布を忘れた経験はある。しかし、太一の行き場のない気持ちはどんどんテンションを下げていく。挙句、ほっとけば気にも留めなかっただろうことに気が付いてしまう。
「じゃあさ、なんで制服なんだよ。俺、もっと気に入ってる服あるのにさ」
「そ、それは多分、生前に一番着用した服で、一番イメージしやすかったからじゃないですかね……?」
真由美のお手本の様な回答に、太一は分かってはいたがガックリしてしまう。
約三年間も着ている服だし、今日家を出る前にも、じっくりと玄関の鏡でその姿を目に焼き付けている。こればかりは屁理屈の得意な太一でも反論のしようがない。
「ははは、俺のイメージって……イメージ……ん?」
不貞腐れる太一であったが、ある名案が浮かぶ。
それが成功したとしてもなにが変わるわけではないのだが、少なくともこの行き場のない怒りは収まるかもしれない。そのためには目の前の少女に犠牲になってもらわなければならない。
太一はニヤける気持ちを押さえつけ、口を開く。
「イメージで服も生成されるっていったよね?」
「えっ? あ、はい」
「ならさ、もし俺にひん曲がった性癖があったとして、全裸が正装とかいう変態だったら、全裸で生成されてたの?」
「……え?」
「いや、だから全裸だって! すっぽんぽん!!」
「い、いや、あの……」
「ほらほら、君が連れて帰らなきゃならない奴が全裸でぶっ倒れてたらどうすんの? でも、ありえない話じゃないよね? そういう場合どうするの? イメージがどうのこうのっていってんだから想像出来るよね? 全裸」
太一は立ち上がり、真由美に向かって両手を広げる。
すると、真由美は顔を赤らめていく。
太一が怒りを抑えるために取った奇策。それはただのセクハラだ。
気の弱そうな異性にイヤらしい言葉を掛け、その表情を見てストレスを発散する。とても高校生の所業とは思えないが、今日一日不運の連発でストレスゲージが振り切っている太一にとってそんなもの関係ない。
ましてや、目の前にいるのは汚れを知らなそうな可愛らしい少女。ちょっとくらいイタズラしたくなる気持ちも致し方ない。
そうしている間も、真由美の顔は今にも爆発してしまいそうなほど赤くなっていく。
一体どんな想像をしているのだろうか。
しかし、彼女が質問に答えるまでは解放する気はない。
太一は真っ直ぐに真由美をニヤついた顔で見つめ続ける。
「そそそそそれは……わた、わ、私が困ります……」
真由美は震える声でなんとか回答を述べた。
その必死な姿に太一の行き場のない怒りは一気に収まり、なんとも形容し難い幸福感を得ることに成功したのだった。
(可愛いじゃねーかこんちきしょー!!)
内心でそんなことを考えつつも、目的を達成した太一は、逸れた話を起動修正するためにも咳払いを一つ打つ。
まだリモコンの審議は終わっていないのだ。
「ゴホンッ、失礼。それで、リモコンの話だが」
「ほ、ほえ? あ、あぁ……そうでしたね」
太一の声をきっかけに、真由美も逆走してしまった思考を呼び戻す。
真由美はまだ若干赤らんだ顔をしているが、なんとか平常心を取り戻りしたらしく、説明を再開する。
「散々イメージの話をしましたが、霊魂の生成は無意識下の話です。ですが、今の私達には意識があり、あらゆることをイメージすることが出来ます」
「つまり、イメージ次第ではリモコンに触れられたりするってこと?」
「ええ。あまり複雑なことだとイメージが追いつかずに失敗してしまいますが、練習次第では本土での生活だって――」
真由美は言葉を中断し、口を噤む。自分の失言に気付いてしまったのだ。このままでは今までの苦労が水の泡になってしまう。
そして、根性の曲がりくねった太一がそれを聞き逃すはずもない。
「うむ。ならば浄土へ行く必要はないな。よし」
「あぁぁぁ、い、今のは無しですっ!! 浄土へは行かないとダメなんですっ!!」
「今、自分でいったんじゃん」
「そ、それは……い、いや、あの……そうだ!! 浄土へ行かないと、お財布もオシャレな服も買えないんですよ!!」
「む……」
ギリギリセーフといったところだろうか。なんとか太一の悪性を押さえつけることが出来た。
しかし、これで味を占められては仕方がないので、もう一撃ダメ押しの一手を打つ必要がある。
「それに、どれだけ頑張っても生者に触れることは出来ませんので、やはり本土での生活は孤独になってしまいますよ」
「そうなの? なんで?」
「え、えっと~……れ、霊魂と肉体との兼ね合い……ですかね……?」
真由美の回答は歯切れの悪いものだった。
実をいうと、生者と死者の関係は霊子学においても難題とされている。無論、真由美もそこまでは勉強してはいない。一応、解き明かされてはいるものの、その解答に行き着くまでには相当根を詰めて勉強しなければ理解することは出来なのだ。
だが、太一にとってすればそんなものは理由にならない。
「お前……嘘ついてんだろ?」
「う、嘘なんてついてないですよ!! こ、この関係性は浄土でも難題で――」
真由美は必死に弁解しようとするものの、太一は一向に聞く耳を持たない。
しかし、幸か不幸か真由美の声を上書きするように、玄関からガチャリという鈍い音が響いた。
「ご、ご両親帰って来たみたいですよ!!」
「あ? うん。命拾いしたな」
まるで下っ端悪役のような安いセリフを吐きながら、太一は玄関へと歩を進めた。
いつもなら太一が迎えに行く間も無く、ものの数秒でリビングまで移動してくる母親なのだが、今日はいつもと様子が違う。廊下へと出た太一の目に映ったのは、玄関で蹲る母親の姿と、そのすぐ後ろに無表情で佇んでいる父親の姿。
母の背中は小刻みに震えており、声にもならないほどか細い声が、嗚咽を交え、すするように漏れている。父の目には一切の光はなく、ただ呆然と母の背中を見つめている。
「な、なんだよ……」
無意識に言葉を漏らした太一はゆっくりと両親に近付き、母の肩に手を掛ける。しかし、どれだけ強くイメージしようとも、その手はすり抜けてしまう。
もどかしさからか、いつの間にか太一は自分の下唇を思い切り噛んでいた。
辛いのは自分だけではなかった。余裕がなったとはいえ、残された人のことを全く考えていなかったとやっと気付く。
いつも茶化すようなことばかりいうが、太一のやりたいことをちゃんと応援してくれる母親。反抗期の時から気まずくて会話が減ってしまったが、悩んでいると必ず背中を押してくれる父親。
たくさんの愛情を注ぎ、自分をここまで育ててくれた両親が辛くないわけがない。
「こんな……こんなの見たくなかった……」
葬儀の情報を得るために戻ってきた自宅で、こんな辛い光景を目の当たりにするとは思ってもみなかった。太一を襲う後悔の念は肥大化を続け、彼の心を蝕んでいく。
今後、両親はどうやって生きていくのか。死んだはずの自分という存在が、二人を縛り付けてしまわないだろうか。
そんな感情が太一の胸をえぐる。
『遺影写真を決めよう……』
父は酷く渇いた声を母に掛けた。母は震えながらも、父の手を借りてゆっくりと立ち上がる。そして、二人は廊下へ上がり、太一をすり抜けてリビングへと向かって行った。
「あの、椎名さん……これ以上この場にいない方が……」
リビングから顔を出した真由美に声を掛けられ、太一の思考が戻る。
真由美のいう通り、このまま両親を見続けていたら太一のメンタルは音を立てて崩壊してしまうだろう。しかし、太一はその場を動かない。
「なんてひでぇ顔してんだよ」
「え?」
太一はゆっくりと後方へと体の向きを変え、真由美をしっかりと見つめる。そして、大きく深呼吸をして、思いの丈を全て言葉にする。
「こんなんじゃおちおち死んでもいらんねぇよ。手紙書いてあいつらに喝入れてやる。だから、俺を鉛筆握れるようにしてくれ!!」
予想の斜め上を行く発言に、真由美も言葉を失ってしまう。だが、太一の表情からは伊達や酔狂で言っているわけではない事が窺える。
真由美としては、そんな真っ直ぐな太一の要望に応えてやりたいところだが、素直に頷く事が出来ない。
浄土に存在する法律として【本土人との過度な接触を禁ずる】といった物がある。手紙を送るという行為は、本土人に影響を与えてしまうことは目に見えている。無論、浄土に暮らす真由美としてはこの法律を守らねばならない。
「別に代筆してくれっていってるんじゃないんだよ。あくまでもイメージトレーニングに付き合ってくれっていってんの」
真由美が飲み込んでいる言葉を感じ取ったのだろうか。太一の全てを察したような物言いに、真由美の心臓がドキリと跳ね上がる。
しかし、お陰で決心がついた。
真由美が憧れる誘導員ならば、迷わず協力するだろう。言い訳は後から考えればいい。自分の不甲斐なさに呆れながら、真由美は口を開いた。
「分かりました。まだ浄土の住民登録をされていない無戸籍者の椎名さんに及ばずながら協力させて頂きます」
真由美の決断に感謝の意を感じながらも、太一は取り急ぎ自室への移動を促す。
ソファーに座れたからといって、鉛筆を持てるとは限らない。また、霊体としての説明を受ける以前、道ばたですり抜けた自転車の件を考えても物体への観賞が相当難易度の高いものだと分かる。それに加えて、今は触れられないという概念が染み付いてしまった。
まずはその意識を取り除くところからスタートしなければならないだろう。
不安を抱えながらも自室への移動を終えた太一は、丁度机の上に置かれていたレポート用紙を開こうとしたところ、やはり懸念通りすり抜けてしまう。
実際のところ、浄土人でも本土の物に触れられる人間はそう多くはない。
そもそも、本土へ行くような職種も少なく、出来てもほぼ意味をなさない。そのくせして、かなりの集中力と根気を要求されることから、興味があっても手を出さない人間が大半を占めている。現に、真由美も習得までに三ヶ月の期間を要したのに、触れられる物の種類はそう多くはない。
それでも、やらなければならない理由が太一にはある。
息を吸うのも忘れてしまいそうなほど集中して、太一は何度も何度も、自分を信じてレポート用紙に手を伸ばす。
しかし、人の集中力とはそう長く続かないもので、一時間も経つと太一の表情にも雲りが見え隠れする。
開始からひたすら手を伸ばし掴んでいるビジョンを何度もイメージしてはいるものの、未だレポート用紙は表紙のままだ。
「なんだ、なにが足りないんだ」
「うーん、もっと紙の質感を記憶から呼び起こしてみてください」
「いや、そうじゃなくて。なんかもっとこぉ、具体的なアドバイスないの?」
「えっと、感じ方は人それぞれなので、そこはなんとも……」
出来ないことに対して太一は次第に苛ついていく。
真由美としては、自分の持つイメージが太一に悪影響を及ぼさないよう、漠然としたことしかいえないでいた。
感じ方は人それぞれ。真由美が辛いと言ったからといって、太一にとって辛いとは限らない。
だが、確信的なことをいわれてしまうと、そうだと思い込んでしまうのもまた人間である。霊体が物体へ触れる為には、自分が生前に感じたものを的確に伝達しなければならないのだ。
太一も真由美のいわんとすることは分かっているつもりだが、どうしてもヒントを求めてしまう。
そんなやり取りを続けること更に一時間。進展は一向に見られない。
変化といえば、真由美がチラチラと時間を気にし出したことだろうか。三十秒に一回くらい、ジャケットの袖をめくり、左腕の内側に付けた小さい腕時計を確認している。
「だぁぁぁもうっ!! さっきからなんなんだよお前!! ちらっちらちらっちら時計見やがって! 気が散るんだよ!!」
「ひぃっ……あ、あ、えっと、き、帰社時刻が……」
太一の激怒に真由美は縮こまりながらも、正直な意見を述べる。
それを聞いた太一の苛々は倍増し、凄まじい勢いでやる気が削がれていく。
「手伝ってくれるっていったじゃんかよ!!」
「え……で、でも、帰社して報告書作成しなきゃいけないですし……そ、その……今日が賞味期限のお豆腐が――」
「うっせぇ!!」
「ひぃっ」
しかし、太一の願いも虚しく、室内にチープな電子音が鳴り響く。音の正体は真由美の携帯で、彼女は画面に映る着信者を確認すると、太一の鬼の形相を無視して通話を開始する。
気を使ってか通話しながら部屋の隅へと移動はするものの、真由美の声はバッチリ聞き取れてしまう。
「は、はい。一応は完了です――多分九時前には戻れるかと。えっと、明日は――あ、はい。了解しました」
一分程で通話を終えた真由美は、鞄に携帯を入れ、太一の前へ戻ってきた。そして、申し訳なさそうな顔をして、太一に頭を下げる。
「あ、あの、帰社命令が出たので戻ります。えっと、明日の十時にはこっちに来られると思いますので、お部屋でお待ちください」
「あ、ちょっ!」
「イメージトレーニング頑張ってくださいね!! それでは私はこれで」
太一の言葉を待たずして、真由美は逃げるように去って行った。
部屋に一人残された太一は、孤独と戦いながら、イメージトレーニングを再開したのだった。
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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