エンジェルワーカー~あの世で始めた天使の仕事~

ラジカルちあき

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第二章.浄土誘導員のあれこれ

§1.マンネリ気味の生活1

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 外の空気を包むのはしっとりとした夜風。まだ少し冷たさを残したそれは、火照った体に程よい刺激を与えてくれる。
 月明かりに照らされた街路樹は妖艶な色に染まり、付けたばかりの青い葉を嬉しそうに揺らす。
 静まり返った道路。終電を迎え、束の間の眠りへと落ちる線路。
 街は春の静かな夜へと溶けていく。

「しゃ~らっせぇ~」

 眠りゆく街に溶けず、ひときわ明るい光を放つ建物。二十四時間営業のコンビニだ。
 そして、店内から薄っすら聞こえる声は、眩い店舗とは裏腹に夥しい量の眠気を含んでいることが分かる。
 どれだけ店が光に満ち溢れようとも、時刻は草木も眠る丑三つ時。そこで働く者が眠気の一つも感じてしまうのは致し方あるまい。

「ん? 今、なんて言ったん?」

 人気の少ない夜の店内は、声がよく響く。
 眠気に満ちた店員の声に反応するもう一人の店員。腐っても営業中のため、ボリュームを抑えた彼の声さえ鮮明に響かせる。
 とはいえ、店内に居るのは二人の店員と一人の客のみで、唯一の客は週刊誌に没頭中の立ち読み客。ならば、特段なにも気にするはあるまい。
 眠気に支配される店員はやる気のなさを隠すことさえせず、質問の問いを口にする。

「いらっしゃいませって言ったんだよ。新田くん……そんなことも分かんないなんて、相当眠いんだね」

 新田と呼ばれた店員は、思わず顔をしかめてしまう。目の前で最も眠そうにしている人物から、そんなことを言われたのだから当然だ。
 大方、さっきのは欠伸をしながらの挨拶だったから呂律が回らなかったのだろう。
 そんな当たりを付けてはみるものの、やはり目の前でこうも眠気を剥き出しにされてはこっちまで眠くなってしまう。
 新田は今にも湧き上がってきそうな欠伸を噛み殺し、隣に立つ店員へと言葉を返す。

「君ねぇ……仮にも僕は時間帯責任者なんだから、ちょっとはいい顔したいと思わないの? オーナーに、椎名しいなくんがサボってましたーってチクっちゃうよ」

 やる気のない店員は若干バツの悪そうな顔をするものの、新田の言いを聞いて素直に姿勢を正す。
 同い年とはいえ新田の方が先輩であり、また彼は深夜帯の責任者だ。確かに、先輩が頑張っている中で後輩の自分が眠そうにしているという構図も良くはない。
 後輩は後輩らしく、自分に出来る業務を必死に熟すべきなのだ。

「うっす、新田さんの言うとおりっす。では自分、さっき廃棄になった塩カルビ弁当食ってきますんで、レジお願いしゃす!」
「……」

 呆れかえって言葉も出ない新田を置いて、やる気のない店員改め、椎名太一はバックルームへと去っていくのだった。

 早いもので、太一が浄土へ移り住んでから二ヶ月が経つ。
 直向きに頑張る小さな女の子や、辛い過去を背負う美人カウンセラーに影響され、浄土誘導員を目指すことを決意した二ヶ月前。傷付いた人々の気持ちを胸に、世のため人のため日夜働きます、などとは微塵も思っていないが、とにかく太一は浄土誘導員を目指した。
 だが、浄土での生活は思いの外に安定していて暮らしやすい。
 居住アパートこそボロいものの、後生支援組合からの支援金は生活に充分な額が与えられ、贅沢をしなければ寝てても暮らしていける。また、二週間に一度ポスチュマスカウンセリングといわれる、いわゆる死後のメンタルケアが設定されており、そこへ行けば美人カウンセラーとの有意義な雑談を無料で受けることもできる。
 もはや、働かざるもの食うべからずとは死語に近い。
 とはいえ、太一も年頃の男子だ。人並みにオシャレもしたければ、同年代の友達も欲しい。
 そんなちょっとしたお小遣い欲しさからアルバイトを始め、彼は今現在こうして深夜のコンビニにて廃棄を貪っている。

「ぬっはぁー、ごちそうさま。これで今日の晩飯代も浮いたね! やったね太一くん!」

 などと独り言ちっているのだから、二ヶ月前の熱意は大したことないのかもしれない。
 確かに、一定の生活費が振り込まれる現状でアルバイトを始めたことは評価に値する。だが、掲げた目標を完全に見失い、あまつさえこの勤務態度なのだから救いようがない。
 弱冠十八歳。世の中知らないことだらけで、どうしても楽な方へと引っ張られてしまう少年。
 そして、はたから見ればそれはどんなに羨ましいことか。

「はぁー……たまに君が羨ましくて仕方なくなるよ」

 立ち読み客と店員を除いて、店内は無人。そんな暇すぎる状況に見切りを付けた新田は、戻ってくるなり太一に声を掛ける。
 新田は現在大学一年生。一昨年の秋に命を落とし、浄土で受験をして、今年から浄土の大学に通っている。
 同い年ということもあって色々と話が合うところも多く、太一とは仲良くシフトを共にしてはいるものの、やはり大学生とフリーターでは世の中が違って見える。新田にとって、太一は自由奔放な夢の生活を送っているように見えるのだろう。
 しかし、それは太一にとっても同じこと。

 生前の傷が疼く。
 あの日目にしたキャンバスボードが鮮明に蘇り、太一の視界は数字でいっぱいになってしまう。だが、そこに映された数字は全く意味を成さず、唯一意味を成す数字はどこにも見当たらない。
 絶望に支配され、地面に崩れ落ちた膝の痛み、急速に失われていく酸素、色を失う景色。
 なにもかもがあの日のまま蘇り、無意味な日々を繰り返す太一の良心をえぐる。

「あ? 嫌味かこんちきしょー! インテリ大学生がそんなに偉いのかゴルァ!!」

 絶望から意識を繋ぎ止めるため、太一は毒を吐く。
 こうでもしないと平常心を保っていられないのがフリーターの性。俗にいう逆ギレだ。

「い、いや、そういうつもりで言ったわけじゃーー」
「わかってる、わかってるさ……そんなこと言うんなら浪人してでも大学入れって話だよな。でもな、俺にはちゃんとした目標があるんだ。直向きに頑張る少女のため、過去に怯える女性のため……俺は大学生という夢のキャンパスライフを捨ててでもやらねばならないんだ!!」

 無駄な熱さをもって、畳み掛ける太一。これが眠さを超越した深夜のテンションだ。
 こういうときだけ夢だの目標だのと口にするのだから、この男は救えない。
 新田の方もまた始まった、と言わんばかりの呆れ顔で太一を見つめている。

「はいはい、分かったから! あ、ほら、客来たぞ!」

 まだ語り足りない太一を余所に、来客を知らせる入店音が響く。
 職業病とまではいかないものの、清掃や商品陳列が主な仕事となる夜勤にとってこのチャイムはちょっとした恐怖を煽る音に違いない。新田はもちろんのこと、空回って周りの見えなくなった太一でさえ一気に現実へと引き戻される。

「なんだよっ、空気読めよな!」
「はぁー、そんなに嫌なら僕が出ようか?」

 本来であれば、新田より先にバックルームへと戻った太一が接客に出るのが順当なのだが、この状態で客前に出せばクレームになる可能性は高い。少しでも可能性があるのならば、そのリスクを未然に防ぐのも時間帯責任者の役目の一つ。
 大人な新田は、太一を宥めがてらに自分が出ることを提案する。
 が、直後太一の目の色は変わっていた。

「いや、いいよ。俺が出る」

 突然の変貌に驚く新田だったが、太一の目線が監視カメラのモニター、正確にはモニターに映る女性を捉えていることに気付き全てを理解する。

「あぁポニテさん、なるほど。んじゃ、よろしく」
「おう!」

 さっきまでのやる気のなさが嘘のようなハキハキとした返事をした太一は、元気よくバックルームを飛び出した。

 先に述べた通り、夜勤の主な仕事は清掃や商品陳列である。
 昼の繁忙期では出来ないような大掛かりな清掃や、深夜にのみ納品される商品。客足が少ない深夜だからこそ可能な業務は決して少なくない。
 そして、その大半は黙々と熟すルーティンワークが多く、単純作業の嫌いな太一にとっては気の滅入る作業ばかりだ。
 故に、廃棄を貪ったり、新田と無駄話をしたりと、少しでも有意義な時間になるよう努力はしているのだが、それでも夜はあまりに長い。次第に廃棄は食い飽きてしまい、無駄話のネタも尽きてしまう。
 しかし、太一は見つけた。
 不変的な日常に舞い降りた天使を。深夜の気の滅入りそうな時間を鮮やかに彩る光を。

「いらっしゃいませっ!!」

 ついさっき納品されてきたカップ麺を脇に抱え、あたかも今まで倉庫整理をしていました、と言わんばかりな勤勉さを振りまく太一。
 元気よく、滑舌よく、お手本のような挨拶をする姿には、数分前までの不良店員ぶりを微塵も感じさせない。爽やかで仕事熱心。お客様を持て成す優秀な店員の姿がそこにはあった。

 太一はわざと女性の前を横切り、しっかりと頭を下げる。

「失礼いたします」

 一声かけ、女性の視線を遮らない低さで横切るが、その間も太一の目線は女性を盗み見る。
 年の頃は二十歳前後だろうか。くりっとした猫目は吸い込まれそうなほどのブラック。長く伸びる手足は細身な彼女のシルエットを美しく強調する。
 そして、頭の頂上付近で結った艶やかな黒髪は、ゆらゆらと揺らめき、太一の昂る心臓と同期する。
 モニター越しで確信はしていたが、いま来店したのは太一が密かに好意を寄せる女性ーー通称『ポニテさん』で間違いない。

 深夜の退屈な時間にやってくる至福のとき。
 店員と客以上の会話をするわけでもなければ、お釣りを渡すときうっかり手を握るなんて小心者の太一には到底無理。それ以前に、太一は彼女の名前すら知らない。
 ポニーテールが印象的だったが故に、新田と二人で勝手に『ポニテさん』と命名しただけだ。
 それでも、太一は彼女の接客をするのがなによりも好きで、このときだけは眠気を忘れ、退屈を忘れ、時間を忘れ、今この瞬間を素直に楽しめている。
 そんな気がするのだ。

「すいません」

 深い妄想に沈む太一を現実へと引き戻す凜とした声は彼女のもの。
 太一がぼけっとしている間に彼女は購入商品を決め、レジへと進んでしまったのだ。
 これはまずいと太一は猛ダッシュでカウンターへ向かう。優秀な店員である自分が客のアクションに気付かないなどあってはならない。

「お待たせいたしました!」

 声高らかに到着を告げる太一。
 そんな必死すぎる太一に『ポニテさん』は軽い会釈で応じる。
 会釈と共に揺れるポニーテールに、太一の心は再び引き込まれそうになってしまう。
 だが、今は接客中だ。
 太一は強引に心を落ち着かせ、商品カゴへと手を伸ばす。

「二百十円が一点~四百六十円が一点ーーこちら温めますか?」

 相手の目を真っ直ぐに見て、業務的な問いを投げかける。
 とはいえ、この問いは店員から公然的に話し掛けられる数少ないチャンスであり、必然的に店員と客の会話が成立する夢の瞬間。
 当然、太一が勇気を持って話し掛ければ店員と客の壁をぶち壊すことだって可能だろう。しかし、万が一そこで彼女が疑念を抱いてしまえば全ては終了。最悪の場合、今後一切店に来なくなってしまうかもしれない。
 得られる未来はバラ色だが、ヘタレ太一にとってはリスクが大きすぎる。
 故に、あくまでも業務の枠から外れない範囲で存在感をアピールすることこそ、客に恋するヘタレ店員の最大にして最高の目標なのだ。

「あ、お願いします」
「かしこまりました」

 いたって当たり障りのない会話。むしろ、会話といっていいのかすら謎ではあるが。
 ともあれ、太一は高揚感満載の表情で弁当をレンジへ入れ、俊敏な動きでボタン操作を開始。
 実はここでも太一のある工夫が施されている。
 弁当のラベルに記載された加熱時間は一分。だが、これはあくまでも業務用高出力レンジの話であり、家庭用レンジの場合はもっと長い。
 ということは、もし業務用レンジの出力を落とすことが出来れば、弁当をゆっくり温めることが可能になり、同時にそれを待つ人間をこの場に引きつけることも可能になるのだがーー

(これがあるんだな、出力切替コマンド)

 ニヒルな笑みを浮かべる太一は、レンジ右下の四角いボタンを二度プッシュ。電子音と共に出力が千五百から七百までダウンする。
 おおよそ、現在製造されている規格ならば出力切替の機能は標準装備だろう。技術面に於いて大幅に遅れている浄土でもこの機能は健在である。
 こうして太一は『ポニテさん』の滞在時間を引き延ばすことに成功したのだった。

「お箸はご利用ですか?」

 滞在時間が伸びたということは、会話可能のリミットも伸びたということだ。
 太一は業務の範疇を守り、且つ確実に返答をもらえる質問を投げ掛ける。

「お願いします」
「何膳ご利用ですか?」
「一膳で」
「ストローはご利用ですか?」
「大丈夫です」
「アイスのスプーンはご利用ですか?」
「結構です」
「かしこまりました……では、こちらお会計の方、千四百六十円になります」

 ーーいっぺんに聞けよ。
 きっと『ポニテさん』は内心で思ったことだろう。
 太一とてそんなことはとっくに理解している。だが、所詮はコンビニ店員。相手からすればモブ同然だ。
 記憶に残るようなビジュアルがあれば話は変わってくるのだろうが、残念なことに太一には甘いマスクや一度見たら忘れないインパクトといったものがない。
 故に、こうやってジリジリと相手の記憶に入り込む他ないのだ。

 そうこうしているうちに店内には、至福の時間の終わりを告げる電子音が響く。
 太一は名残惜しさを感じながらもレンジから弁当を取り出し、弁当用のレジ袋へと詰める。それを両手で丁寧に『ポニテさん』へと渡し、深々とお辞儀。

「ありがとうございました」

 その後、彼女が店を完全に出るまで見送り、これにて作業完了。
 実際に接している時間は恐らく五分に満たないが、コンビニの接客としては異例の長さだろう。
 無駄に引き伸ばされた時間を目一杯使い、可能な限り自分の欲望を満たすその姿勢。本来ならお客様を満足させてこその接客業なのだが、これではどちらが客か分からない。
 正直なところ、バックルームで待機する新田は、いつクレームが入ったものかと気が気ではなかった。

「たっだいまぁ~」

 太一は満面の笑みでバックルームへと帰還する。
 いつものことながら、出る前と出た後でこうもテンションが違うのだから呆れてしまう。新田はデスクに肘を置き、深い溜息を吐いた。

「何度も訊くようだけど、どこがいいの?」

 もはや恒例となったやり取り。新田は太一が彼女の接客を終える度に尋ねている。
 そして、太一からの返答もまた恒例のものだ。

「君の目は節穴か? 顔、スタイル、ポニテ。どれを取っても完璧じゃん!」
「いや、確かに美人だとは思うけどさ……」
「君は大学生で出会いに困らないからそんなこと言えんの! 出会いに飢えたフリーターはお客さんとカウンセラーぐらいしか異性と絡めないんだよ!?」

 こういったところでも大学生とフリーターの差は如実に現れる。
 太一のいう通り、基本的にバイト先と自宅の往復しかしないフリーターには出会いの場が少ない。また、インターネットの普及し切っていない浄土では、SNSといった安易に出会いを提供してくれるサービスも絶望的。更にいうならば、夜勤戦士である太一は日中に睡眠をとっているため、どうしても人の活動時間とズレが生じてしまう。
 こうした理由から、太一は自然とバイト先に出会いを求めてしまうのだ。

「それともなにか? 君の大学に遊びに行ってもいいのかい? 女子大生を紹介してくれるのかい?」
「……ごめん、僕が悪かった。それはやめてくれ」

 顔を近付けて畳み掛ける太一を、心底嫌そうな顔で押し返す新田。
 バイトの付き合いだけでこの疲労感なのだから、もし太一が大学に来たら実害は避けられまい。想像しただけで鳥肌が立ってしまう。
 この男が大学生活に支障をきたす存在だという予感は確かなものであり、やっとの思いで勝ち取った大学生活を、こんなわけの分からない奴に奪われるなど許せるはずがない。

「つれねぇな……まぁいいけどさ。俺にはポニテさんがいるし」
「そ、そうだね……」

 たかだか少し濃密な接客をしただけで彼氏面するのだから、やはりこいつを大学の女友達に合わせてしまったら面倒なことになるのは目に見えている。
 新田は自分の予感を確信し、深い溜息を吐いた。

「で、新田くんは彼女のどこが気に食わないわけ?」

 これも何度も繰り返されたやり取りだ。
 新田が戻って来た太一に質問を投げるように、太一もまた新田とのフリーター談義がひと段落したらこうやって話を彼女へと戻す。
 当然、新田はこの後の展開がどうなるのかを知っているし、それがどれだけ面倒なのかも理解している。
 しかし、毎回『ポニテさん』の接客を終えた太一に同じ質問をしている自分にも非がある故、面倒でも答えてねばなるまい。

「あー、服装……かな? なんかババ臭くない?」

 新田が気にしているのは彼女の服装。二十歳前後と予想されている『ポニテさん』だが、彼女の来店衣装は年齢よりも遥かに落ち着いている。
 大きなボウタイが特徴的な白いインナーブラウス、ジャケットとパンツは黒字のストライプと、いわゆるカジュアルスーツファッション。
 歳が近いと想像している分、就活など当分先の新田の目には違和感として映ってしまう。
 とはいえ、社会に出てしまえば年齢に関わらず、スーツを着る機会などいくらでも訪れる。
 太一を浄土へと連れてきた浄土誘導員ーー香川真由美がいい例だ。
 七五三にしか見えないのが玉に瑕だが、あれでいて彼女も歴とした社会の歯車。似合う似合わないに関わらず、それに相応しい服装をしているのだ。
 それをババ臭いの一言で済ますなど言語道断。所詮、新田は世間知らずの大学生ということか。
 激しい憤怒を胸に、太一は六分割されたモニターの雑誌コーナーを指差し言う。

「お前は昨日納品された働く女七十二時間スペシャルを買って帰れ」
「い、いや……遠慮しとくよ。それに、働く女性の良さは充分に君から教わったし」
「だったらなぜ!?」

 確かに、新田と仕事を共にするようになってから太一は口を酸っぱくして働く女性の良さを語ってきた。それはもはや洗脳と言ってもいいだろう。
 だが、話す度に決まって新田は苦笑するだけで、ここから胸の高鳴るトークに発展したことはない。
 あんなに美しい『ポニテさん』が老けて見えるスーツを着て、こんな時間まで働いていると想像しただけでも太一の胸は締め付けられているというのに、なぜそれが伝わらないのか。
 太一にはそれがどうしても理解できなかった。

「ズボンの丈がさ……」

 熱くなる太一から少し距離を置き、新田は冷静なトーンで言う。
 それに反比例するよう、太一の秘めたる炎は熱量を増していく。

 新田のいう『ズボンの丈』が、シックに決まった彼女のファッションを著しく乱しているのは理解できる。
 上半身がビジネススタイルのテンプレと言わんばかりにぴっちりと決まっているのだから、ボトムスもそれに見合った物ーータイトスカートやスラックス、またはスキニーで合わせるべきだろう。
 が、彼女が履いているのはハーフパンツ。丈が膝くらいまでしか無い物なのだ。
 オフィスカジュアルが重宝される昨今では特段珍しい着こなしでもないのだが、二十歳前後の女性が選ぶコーデかといえば素直に頷けない。雑誌売り場に並ぶ同系統のファッション誌からも、ターゲット層がもう少し上だということは表紙を見ればすぐ分かる。
 ごく普通の大学生である新田にとって、やはり女性は年相応の服を着るべきであり、あえて外しにいくこと自体理解できなかった。

「分かってない……お前は全く分かってない! スボンの折り返された裏地ちゃんと見たことあるか? けっこうオシャレなんだぞ! ハーフパンツから伸びる黒ストッキングの柄、あれよく見るとアーガイルになってんだぞ! 知ってんのかゴルァ!? この拘りが、お前には分からんのか!?」

 新田の普通すぎる回答に、ついに太一の怒りは爆発。両手をデスクに叩きつけ、乱暴な口調で自論を並べる。

「うっ……」
「知らなかったろうが? そういう細かいポイントに気付けないからお前は彼女ができないんだ!」

 新田が言い返せないことをいいことに、太一は一気に畳み掛ける。
 とはいえ、この言いはあんまりだ。これには温厚な新田も太一を睨み返す。
 そもそも、入学してまだ二週間程度。彼女などできるはずもない。
 元より、どちらかといえば自分は草食系で、誰彼構わず絡みに行く勇気はない。しかし、今週末に行われる新歓コンパで一矢報いてやろうと構想しているところだ。
 そんな気張っている心を逆撫でするような太一の言いに、新田も心中穏やかではいられない。

「気付いただけじゃダメじゃないの? なにかアクション起こさないと」
「あ? どういう意味だよ?」
「いっつもネチネチと『ポニテさん』の接客してるだけで、なんにもアクション起こさないチキン野郎には言われたくないって言ってんの!」
「っ!?」

 太一は思わず息を飲んだ。
 いつものパターンならここまでヒートアップすることはない。精々、太一が働く女性の良さを語り、新田が苦笑して終了のはずなのだが、どういうわけか今日の新田はやけに突っかかってくる。あまつさえ、こんなストレートな物言いをするなど普段の彼からは想像できない。
 予想外の反撃に唖然とする太一。
 だが、ここで素直に負けを認められるほど太一は大人ではない。ピンチの時こそ無駄に頭が回転してしまうのだ。

「お、お前と一緒にするなよ……俺はちゃんと動ける人間だ」
「へー。なら、今度『ポニテさん』にアドレス渡してみてよ」

 新田からの突き刺すような視線と言葉が、太一のいきがった思考を殺す。
 この男、なんとエグいことを言うのか。草食系の根暗男と思っていたが、とんだ鬼畜男ではないか。
 太一は新田の見方を改めねばならないと感じていた。彼のシニカルな笑みにはそれだけの悪意が籠っていたのだ。

「さって……そろそろいい時間だし、僕は冷蔵庫の品出ししてくるよ」
「お、おう……」

 なんとも苦い後味を残して、新田は冷蔵庫へと消えていく。
 こうして、夜勤戦士たちの夜は更けていくのだった。
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