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その頃、王宮では
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シャルロッテは老婆がいくつか持ってきてくれた服の中から、村の少年が着るような素朴なものを選んで着替える。
老婆が張り切って料理を作ろうとするのを断り、代わりに持ち運べる保存食を用意してほしいと頼んだ。
そして盗賊達の持ち物の中から、僅かな路銀と一番良さそうな剣、髪の染め直し用にインク壺をいくつか失敬する。
金貨や宝石の類に関しては、老婆が受け取るように勧めた。
「私が持っていても重いだけですわ」
固辞する老婆にそう言うと、シャルロッテは近くの木に繋がれていた馬にひらりと飛び乗り、剣を一振りして繋いでいた縄を切ると、馬の腹を蹴って宿屋を後にした。
行く当ては無い。
だが、不思議と何とかなりそうな気がする。
このまま行けるところまで行ってみよう。
青空の下を駆けるシャルロッテの心情に応えるかのように、馬が機嫌よく嘶いた。
一方その頃、王宮ではドゥム王子が荒れ狂っていた。
切り裂かれた口を隠すため、急ごしらえでつくらせた面頬のようなもので顔の下半分を覆い隠し、覆いの隙間から苛々と度の強いワインを呷っている。
「ええい! シャルロッテはまだ見つからぬのか!」
王子の投げたワイングラスが宙を飛び、報告に来ていた兵士の額に直撃する。
ドゥム王子の周囲の人間には多かれ少なかれ青あざや傷が出来ており、それは新しく婚約者に決まったチェルシーも例外では無かった。
(どうして、どうして、こんなことに……)
八つ当たりで殴られ、目の周りを青黒く変色させたチェルシーは自問を繰り返していた。
異母姉のシャルロッテから婚約者を奪った彼女はとんでもない悪女だと思われそうだが、実際のところ、チェルシーは世の人が想像する悪女からは程遠い女性だった。
チェルシーの母親は平民であり、オツェアン侯爵のお手付きとなって彼女を身ごもった。
幼くして母親が亡くなった後、チェルシーはオツェアン侯爵家に引き取られたが、娘としては認められず、居候としてひっそりと侯爵邸で暮らすこととなる。
シャルロッテはこのことを父の情愛の無さだと思い込んでいるが、そしてそれはある程度は事実であるが、父侯爵の意図は別のところにあった。
父であるオツェアン侯爵はチェルシーを人前に出さず、頃合いを見計らって、中央とは縁遠い辺境貴族の次男坊あたりに嫁がせるつもりだった。
何故なら、チェルシーはやや思慮に欠けるところがあり、平民や下級貴族ならばそれも愛嬌で済んだかもしれないが、侯爵家の人間という立場としては到底オツェアン侯爵が認めるに足る存在では無かったからである。
実際チェルシーは、部屋で大人しくしているようにとの言いつけを破って、オツェアン侯爵邸にシャルロッテを訪ねてきたドゥム王子を「王子様ってどんな方なのかしら」と興味本位で見に行き、気づいた王子に声をかけられた際には非礼を詫びてすぐに下がれば良いものを、好奇心丸出しで話しかけに行くという、上級貴族の令嬢らしからぬ振る舞いを平然と行った。
当時の彼は姉シャルロッテの婚約者であり、たとえ王子でなかったとしても相応の礼儀と距離を保って接さねばならない相手だったにも関わらず、である。
その後もチェルシーは、自分の馴れ馴れしい行動がどういう結果を引き起こすか深く考えることなく、王子が訪れる度にこっそりと会いに行き続けた。
偶々ドゥム王子はチェルシーを気に入ったわけだが、気に入らなければ非礼を咎められて処罰されても不思議ではなかったことに彼女が思い至ることは遂に一度も無く。
そして、ドゥム王子から、シャルロッテと別れてチェルシーと婚約したいと告げられた時も、彼女はその言葉を非常に楽観的に受け取った。
勿論、異母姉に対して申し訳ないという気分はある。
だが、シャルロッテとドゥム王子の婚約は家同士が決めたことで、シャルロッテが王子に恋しているようには思えない。
お姉さまは無表情だが綺麗な方だし、王子と別れてもすぐに良い相手が見つかるだろう、とチェルシーは都合よく考えた。
居候の立場とはいえ侯爵家に引き取られて何年もの月日が経ちながら、平民の子どものような甘ったるい恋愛観でしか物事を判断できない彼女に、王家と侯爵家が交わした幼い頃からの婚約を破棄するということがどういうことか、それによってシャルロッテがどのような立場に陥るのか、また、ドゥム王子がどういった手段に出るか、そのようなことは全て想像の外だった。
また、父であるオツェアン侯爵がチェルシーを娘と認めて王子との婚約を承諾したのは、王家の権威を笠に着た王子の半ば恐喝めいた申し出に折れた形なのだが、彼女はそれを父親としての平凡な愛情だとしか解釈できず。
夜会でドゥム王子が濡れ衣の悪事をもってシャルロッテを糾弾し始め、参加者達が一様に凍りついたような表情になった時、初めてチェルシーはもしかして自分は何かまずいことをしたのでは、と思い当たった。
シャルロッテが逃亡した後、王子の怒りは凄まじく、チェルシーはそれまで気づかなかった王子の暴力的な面を身をもって知ることになる。
(どうして……)
王子は今までずっと優しかったのに、とチェルシーは嘆いた。
ドゥム王子がチェルシーの前で暴力的な面を見せなかったのは、単に彼女と会う時に癇癪を起こすような事態が発生しなかっただけに過ぎない。要は運の問題である。
お姉さま、とチェルシーは届かぬことと知りながら心の中で異母姉に呼びかけた。
オツェアン侯爵は外部に向けてはチェルシーのことを秘匿したものの、邸内で異母姉妹が顔を合わせること自体は特に禁じなかったので、チェルシーとシャルロッテの間には交流があった。
そして、シャルロッテはチェルシーを可愛がるとまではいかなくても、それなりの親切さをもって接してくれていた。
こんなことになるとは思わなかったんです、とチェルシーはシャルロッテの胸に縋りついて泣き出したい気分だった。
チェルシーは悪女ではない。
ただ、どこまでも楽観的で、思慮が足りないだけで。
一見ささやかに思える短所はしかし、時として悪女以上の惨事を引き起こすのであった。
老婆が張り切って料理を作ろうとするのを断り、代わりに持ち運べる保存食を用意してほしいと頼んだ。
そして盗賊達の持ち物の中から、僅かな路銀と一番良さそうな剣、髪の染め直し用にインク壺をいくつか失敬する。
金貨や宝石の類に関しては、老婆が受け取るように勧めた。
「私が持っていても重いだけですわ」
固辞する老婆にそう言うと、シャルロッテは近くの木に繋がれていた馬にひらりと飛び乗り、剣を一振りして繋いでいた縄を切ると、馬の腹を蹴って宿屋を後にした。
行く当ては無い。
だが、不思議と何とかなりそうな気がする。
このまま行けるところまで行ってみよう。
青空の下を駆けるシャルロッテの心情に応えるかのように、馬が機嫌よく嘶いた。
一方その頃、王宮ではドゥム王子が荒れ狂っていた。
切り裂かれた口を隠すため、急ごしらえでつくらせた面頬のようなもので顔の下半分を覆い隠し、覆いの隙間から苛々と度の強いワインを呷っている。
「ええい! シャルロッテはまだ見つからぬのか!」
王子の投げたワイングラスが宙を飛び、報告に来ていた兵士の額に直撃する。
ドゥム王子の周囲の人間には多かれ少なかれ青あざや傷が出来ており、それは新しく婚約者に決まったチェルシーも例外では無かった。
(どうして、どうして、こんなことに……)
八つ当たりで殴られ、目の周りを青黒く変色させたチェルシーは自問を繰り返していた。
異母姉のシャルロッテから婚約者を奪った彼女はとんでもない悪女だと思われそうだが、実際のところ、チェルシーは世の人が想像する悪女からは程遠い女性だった。
チェルシーの母親は平民であり、オツェアン侯爵のお手付きとなって彼女を身ごもった。
幼くして母親が亡くなった後、チェルシーはオツェアン侯爵家に引き取られたが、娘としては認められず、居候としてひっそりと侯爵邸で暮らすこととなる。
シャルロッテはこのことを父の情愛の無さだと思い込んでいるが、そしてそれはある程度は事実であるが、父侯爵の意図は別のところにあった。
父であるオツェアン侯爵はチェルシーを人前に出さず、頃合いを見計らって、中央とは縁遠い辺境貴族の次男坊あたりに嫁がせるつもりだった。
何故なら、チェルシーはやや思慮に欠けるところがあり、平民や下級貴族ならばそれも愛嬌で済んだかもしれないが、侯爵家の人間という立場としては到底オツェアン侯爵が認めるに足る存在では無かったからである。
実際チェルシーは、部屋で大人しくしているようにとの言いつけを破って、オツェアン侯爵邸にシャルロッテを訪ねてきたドゥム王子を「王子様ってどんな方なのかしら」と興味本位で見に行き、気づいた王子に声をかけられた際には非礼を詫びてすぐに下がれば良いものを、好奇心丸出しで話しかけに行くという、上級貴族の令嬢らしからぬ振る舞いを平然と行った。
当時の彼は姉シャルロッテの婚約者であり、たとえ王子でなかったとしても相応の礼儀と距離を保って接さねばならない相手だったにも関わらず、である。
その後もチェルシーは、自分の馴れ馴れしい行動がどういう結果を引き起こすか深く考えることなく、王子が訪れる度にこっそりと会いに行き続けた。
偶々ドゥム王子はチェルシーを気に入ったわけだが、気に入らなければ非礼を咎められて処罰されても不思議ではなかったことに彼女が思い至ることは遂に一度も無く。
そして、ドゥム王子から、シャルロッテと別れてチェルシーと婚約したいと告げられた時も、彼女はその言葉を非常に楽観的に受け取った。
勿論、異母姉に対して申し訳ないという気分はある。
だが、シャルロッテとドゥム王子の婚約は家同士が決めたことで、シャルロッテが王子に恋しているようには思えない。
お姉さまは無表情だが綺麗な方だし、王子と別れてもすぐに良い相手が見つかるだろう、とチェルシーは都合よく考えた。
居候の立場とはいえ侯爵家に引き取られて何年もの月日が経ちながら、平民の子どものような甘ったるい恋愛観でしか物事を判断できない彼女に、王家と侯爵家が交わした幼い頃からの婚約を破棄するということがどういうことか、それによってシャルロッテがどのような立場に陥るのか、また、ドゥム王子がどういった手段に出るか、そのようなことは全て想像の外だった。
また、父であるオツェアン侯爵がチェルシーを娘と認めて王子との婚約を承諾したのは、王家の権威を笠に着た王子の半ば恐喝めいた申し出に折れた形なのだが、彼女はそれを父親としての平凡な愛情だとしか解釈できず。
夜会でドゥム王子が濡れ衣の悪事をもってシャルロッテを糾弾し始め、参加者達が一様に凍りついたような表情になった時、初めてチェルシーはもしかして自分は何かまずいことをしたのでは、と思い当たった。
シャルロッテが逃亡した後、王子の怒りは凄まじく、チェルシーはそれまで気づかなかった王子の暴力的な面を身をもって知ることになる。
(どうして……)
王子は今までずっと優しかったのに、とチェルシーは嘆いた。
ドゥム王子がチェルシーの前で暴力的な面を見せなかったのは、単に彼女と会う時に癇癪を起こすような事態が発生しなかっただけに過ぎない。要は運の問題である。
お姉さま、とチェルシーは届かぬことと知りながら心の中で異母姉に呼びかけた。
オツェアン侯爵は外部に向けてはチェルシーのことを秘匿したものの、邸内で異母姉妹が顔を合わせること自体は特に禁じなかったので、チェルシーとシャルロッテの間には交流があった。
そして、シャルロッテはチェルシーを可愛がるとまではいかなくても、それなりの親切さをもって接してくれていた。
こんなことになるとは思わなかったんです、とチェルシーはシャルロッテの胸に縋りついて泣き出したい気分だった。
チェルシーは悪女ではない。
ただ、どこまでも楽観的で、思慮が足りないだけで。
一見ささやかに思える短所はしかし、時として悪女以上の惨事を引き起こすのであった。
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