4 / 16
4.日照雨(そばえ)
しおりを挟む
あの賭け事をきっかけに、僕とツバメは度々会って話すようになった。僕が体育服を忘れたときは彼女に雨を降らせて室内学習に授業を変更させたり、快晴日和に一人こっそり傘を持参し、放課後になんの前触れもなく彼女が空を泣かせ、友人らを困らせたりもした。その度にツバメにデザートを献上しなければならなかったけれど、それに見合うだけの力を彼女は持っていたし、僕も認めていた。
同じイタズラ仲間だった浩人にはツバメの秘密を打ち明けられなかったので、結局誘えずにいた。浩人がいれば、もっと雨を利用して面白いことができると思うと、秘密を抱えたことがちょっともったいない気がした。
雨上がりのある日の放課後、ツバメと田園を突っ切っている砂利道を一緒に下校していたとき、彼女は転校してきた成り行きを話してくれた。
「父さんが銀行員の転勤族で、数年おきに各地を点々としてるの」
右隣を歩きながら日傘をゆらゆら揺らすツバメが言った。
「テンキンゾク?」
「各地に務めてる会社の支店があって、そこに飛ばされる人、一家のこと」 とても流暢にツバメは言った。「だから二、三年に一回は引っ越すの」
「そんなに引っ越すのか。前はどこにいたんだ?」
僕が訊ねると、彼女は北方の地名を口にした。有名な地名だったから僕ももちろん知っていたけれど、彼女はその地の思い出話などは語ろうとはしなかった。
「ってことは、ここにいるのもそう長くないんだな」
「多分ね」
「そんなに引っ越し多かったら、小山内もお母さんも大変そうだな」
僕が言うと、ツバメは少しだけ歩調を弱めた。気づくのが遅れて、慌てて僕も彼女に合わせる。
「どうした?」
「私の母さん、もういないから」
ごく自然に、もしくはそう装って、ツバメはあっさりと言った。
胸に、ちくりとした痛みが走った。
それは以前どこかで感じたものと、かなり似ていた。
「気にしないで、誰だって驚くことだから」ひどく、落ち着いた声だった。「もう、何年も前のことになるんだけどね」
「ごめん……知らなかった」
素直に詫びると、彼女は首を横に振ってくれた。
小山内乙鳥には母親がいない。彼女が転校してきてもう二ヶ月が経とうとしているのに、そんな情報は僕の耳には一切入っていなかった。別のクラスとはいえ、事情にうとかった僕はこれまでにない罪悪感を感じた。
けれど、同時に僕はある種の親近感を覚えた。
「じゃあ、小山内の家は父子家庭になのか?」
「うん。父さん子育てが苦手だけど、なんとか上手くやってる」
達観した口調でツバメは言った。異性の親となると、子どもとの距離感や接し方が分からなくなるのかもしれない。僕の家庭でも同じ条件が揃ってはいるけれど、娘となるとまたケースが違う気がした。
「実はさ」僕は思い切って話すことにした。「僕の親父も、もういなんだ」
「お父さんが?」
ツバメはかなり驚いた様子だった。それから僕はツバメにことの経緯を話した。
「じゃあ、家事は大抵できるの?」
「まあ、そこそこ。料理のレパートリーも年々増えてるし、その辺り困ったことはないな」
「へぇ、スゴいね。私はてんでダメだな……小遣いとかどうしてるの?」
「基本的にないな。だから代わりに夏休みとか冬休みにバイトしてる」
「バイト?」
「っても、父親の漁仲間のおっさんらの手伝いだけどね。親父がとにかく顔が広かったから、よく面倒見てくれるんだ」
深夜帯に起きてお昼まで海上にいたり、捕れる魚の種類なんかを話すとツバメは興味ありげに頷いていた。
「でも学校には話し通してないから、チクんないでくれよ」
「まさか。でもこれで共犯か」ツバメは言った。「私の秘密とアルバイト、口止めとしてはおあいこだね」
「でも小山内の方がでっかいような気がするけどな」
僕がぽつりと言うとツバメは息が混じった声でくすりと笑った。
「じゃあ将来はお父さんの跡を継ぐの?」
「んん、どうだろうな」
僕は唸った。確かに家系的に見れば漁師に就くことがもっとも筋が通る。アルバイトもしている分、ある程度の経験と知識は蓄積されている。親父の背に憧れていたこともある。けどだからといってその道に進むことが絶対とは今まで一度も思わなかった。第一、将来のことなんて、まだ全然考えられない。母親に負担をかけまいと高校受験を避ける手も考えたけど、それは母親ががんとして聞かなかった。だから今は、受験のことで頭がいっぱいだった。
「まだ全然分からないな、親父が生きてればまた変わってくるのかもしれないけど」僕は素直に言った。それが正直な意見だった。「小山内は、どうするんだ?」
当然のように僕は訊き返した。
「私は……」少しうつむいて、ツバメは言った。「もし叶うなら、私は夜になりたいな」
「夜?」
「……バカにしてるとか思ってる?」
「いや、そういうわけじゃないけど」僕は両手を目の前でばたつかせて否定の色を表した。「けど、なんでよりによって夜なんだ?」
僕は訊ねたけれど、ツバメは黙りを決め込んでそれっきり答えなかった。
――ケンカしたから。
――お天道様と。
出会ったときにツバメが言っていたケンカの相手。お天道様。夜といえば太陽とは対局な立ち位置になる。泣くと雨を降らせたり、差している日傘といい、彼女は太陽とはなんらかの因縁があるように思えた。もちろん、彼女の言ったことを真に受けるわけではない。けれど、どこか腑に落ちない点があるのも確かだった。
父親がいない息子。
母親がいない娘。
もしかしたら、ツバメは僕に父親がいないことを知っていたのかもしれない。雨を降らせる秘密を打ち明けてくれたとき「きまぐれだったから」と彼女は言っていたけど、似た境遇を持っているからこそ、同じ痛みを知っている者同士だからこそ、彼女は僕に迫ってきたとも解釈できた。
そっと隣を歩くツバメを見やる。まだ高く昇っている太陽に、彼女は日傘を強く突き立ててるように差していた。
同じイタズラ仲間だった浩人にはツバメの秘密を打ち明けられなかったので、結局誘えずにいた。浩人がいれば、もっと雨を利用して面白いことができると思うと、秘密を抱えたことがちょっともったいない気がした。
雨上がりのある日の放課後、ツバメと田園を突っ切っている砂利道を一緒に下校していたとき、彼女は転校してきた成り行きを話してくれた。
「父さんが銀行員の転勤族で、数年おきに各地を点々としてるの」
右隣を歩きながら日傘をゆらゆら揺らすツバメが言った。
「テンキンゾク?」
「各地に務めてる会社の支店があって、そこに飛ばされる人、一家のこと」 とても流暢にツバメは言った。「だから二、三年に一回は引っ越すの」
「そんなに引っ越すのか。前はどこにいたんだ?」
僕が訊ねると、彼女は北方の地名を口にした。有名な地名だったから僕ももちろん知っていたけれど、彼女はその地の思い出話などは語ろうとはしなかった。
「ってことは、ここにいるのもそう長くないんだな」
「多分ね」
「そんなに引っ越し多かったら、小山内もお母さんも大変そうだな」
僕が言うと、ツバメは少しだけ歩調を弱めた。気づくのが遅れて、慌てて僕も彼女に合わせる。
「どうした?」
「私の母さん、もういないから」
ごく自然に、もしくはそう装って、ツバメはあっさりと言った。
胸に、ちくりとした痛みが走った。
それは以前どこかで感じたものと、かなり似ていた。
「気にしないで、誰だって驚くことだから」ひどく、落ち着いた声だった。「もう、何年も前のことになるんだけどね」
「ごめん……知らなかった」
素直に詫びると、彼女は首を横に振ってくれた。
小山内乙鳥には母親がいない。彼女が転校してきてもう二ヶ月が経とうとしているのに、そんな情報は僕の耳には一切入っていなかった。別のクラスとはいえ、事情にうとかった僕はこれまでにない罪悪感を感じた。
けれど、同時に僕はある種の親近感を覚えた。
「じゃあ、小山内の家は父子家庭になのか?」
「うん。父さん子育てが苦手だけど、なんとか上手くやってる」
達観した口調でツバメは言った。異性の親となると、子どもとの距離感や接し方が分からなくなるのかもしれない。僕の家庭でも同じ条件が揃ってはいるけれど、娘となるとまたケースが違う気がした。
「実はさ」僕は思い切って話すことにした。「僕の親父も、もういなんだ」
「お父さんが?」
ツバメはかなり驚いた様子だった。それから僕はツバメにことの経緯を話した。
「じゃあ、家事は大抵できるの?」
「まあ、そこそこ。料理のレパートリーも年々増えてるし、その辺り困ったことはないな」
「へぇ、スゴいね。私はてんでダメだな……小遣いとかどうしてるの?」
「基本的にないな。だから代わりに夏休みとか冬休みにバイトしてる」
「バイト?」
「っても、父親の漁仲間のおっさんらの手伝いだけどね。親父がとにかく顔が広かったから、よく面倒見てくれるんだ」
深夜帯に起きてお昼まで海上にいたり、捕れる魚の種類なんかを話すとツバメは興味ありげに頷いていた。
「でも学校には話し通してないから、チクんないでくれよ」
「まさか。でもこれで共犯か」ツバメは言った。「私の秘密とアルバイト、口止めとしてはおあいこだね」
「でも小山内の方がでっかいような気がするけどな」
僕がぽつりと言うとツバメは息が混じった声でくすりと笑った。
「じゃあ将来はお父さんの跡を継ぐの?」
「んん、どうだろうな」
僕は唸った。確かに家系的に見れば漁師に就くことがもっとも筋が通る。アルバイトもしている分、ある程度の経験と知識は蓄積されている。親父の背に憧れていたこともある。けどだからといってその道に進むことが絶対とは今まで一度も思わなかった。第一、将来のことなんて、まだ全然考えられない。母親に負担をかけまいと高校受験を避ける手も考えたけど、それは母親ががんとして聞かなかった。だから今は、受験のことで頭がいっぱいだった。
「まだ全然分からないな、親父が生きてればまた変わってくるのかもしれないけど」僕は素直に言った。それが正直な意見だった。「小山内は、どうするんだ?」
当然のように僕は訊き返した。
「私は……」少しうつむいて、ツバメは言った。「もし叶うなら、私は夜になりたいな」
「夜?」
「……バカにしてるとか思ってる?」
「いや、そういうわけじゃないけど」僕は両手を目の前でばたつかせて否定の色を表した。「けど、なんでよりによって夜なんだ?」
僕は訊ねたけれど、ツバメは黙りを決め込んでそれっきり答えなかった。
――ケンカしたから。
――お天道様と。
出会ったときにツバメが言っていたケンカの相手。お天道様。夜といえば太陽とは対局な立ち位置になる。泣くと雨を降らせたり、差している日傘といい、彼女は太陽とはなんらかの因縁があるように思えた。もちろん、彼女の言ったことを真に受けるわけではない。けれど、どこか腑に落ちない点があるのも確かだった。
父親がいない息子。
母親がいない娘。
もしかしたら、ツバメは僕に父親がいないことを知っていたのかもしれない。雨を降らせる秘密を打ち明けてくれたとき「きまぐれだったから」と彼女は言っていたけど、似た境遇を持っているからこそ、同じ痛みを知っている者同士だからこそ、彼女は僕に迫ってきたとも解釈できた。
そっと隣を歩くツバメを見やる。まだ高く昇っている太陽に、彼女は日傘を強く突き立ててるように差していた。
0
あなたにおすすめの小説
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
あやかし警察おとり捜査課
紫音みけ🐾書籍2冊発売中!
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。
しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。
反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました
由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。
尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。
けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。
そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。
再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。
一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。
“尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。
静かに離婚しただけなのに、
なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる