あなたのライカ

さかしま

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第七話

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「ダルムシュタット大佐、ライカ・ローデン曹長ただいま帰還いたしました」

 背筋を伸ばし、後ろで手を組み真っ直ぐに大佐を見上げ挨拶をすると、腹が痛んでしゃんとした表情が苦笑に変わる。形式的な挨拶を済ませると、大佐は「強がるな」と盛大なため息で出迎えてくれた。

「ずいぶんとやられたな。目ぇ見えてるか?」
「見えてますよ。顔のは腫れも引いてもうただの青アザです」
「次は顔もちゃんと守れよ」
「自分が美形だったら顔守ってましたけど、そんなに美形でもないので優先順位はこのまま低いです」
「お前な、大陸顔じゃないっつーだけで大抵の大陸人にゃ美人に見えんだよ」
「なに言ってるんですか。俺、大陸生まれですよ。あ、ハロルド様も、ただいま帰りました。いやあ、首の筋肉に腕の骨は負けるわ、お腹にテーブル刺さるわ、炭坑夫強い。経験の多い出張でした」
「どんな戦闘だったんですか……」
「そりゃー漢と漢のアツい肉弾戦ですよ。間接的に大佐には素手でやりあえないなと思い知らされました」
「こんなのと真面目にやりあってどうするんです」
「真面目にやるだけ損だなと再確認しました」
「よろしい」
「なんだお前ら、目の前で悪口か」
「まさか。大佐が味方という安心感を再確認しましたよ」
「ん、おう、ならいい」

 ハロルド様は大丈夫だったか聞けば、貴方よりはと言われて笑うしかない。互いに五体満足でなによりだ。聞けばお隣のジャクソン老夫婦が世話を焼いてくれたと言う。世話焼きですからねえ、なんて笑って聞いていたら、貴方が寄越したんじゃないですかとムッとされてようやく俺が頼んだんだったと思い出した。すっかり忘れていた。他にも忘れていることがあるような気がする。爆弾発言について考えてだとかなんだとか、ああ、待って。よし、思い出していないていでいさせてもらおう。

「とりあえず今日は帰れ。もうすぐ日も落ちるしな。仕事は週明けからでいい。もともと来週に帰ってくると思ってたし、たかが三日四日だけどな」
「それだけあれば骨もくっつきます。獣人でよかった。帰りがけの道中でも十分療養してましたし、完全復帰を目指しますね」

 久しぶり……とまでは行かないが、数日振りの我が家は埃もなく、花も枯れていなかった。すごい、これが誰かと家で暮らすということか。戦時と未成年の訓練生時代は宿舎暮らしだったけど、あれはタコ部屋のようなものなので数に入れなくていいだろう。雪山で暮らしているときは毎日が新雪で毎日新居みたいなものだったし、これもノーカウント。一人暮らしする前に数日大佐のお屋敷で侍女付きでお世話になったこともあるけどそれこそノーカンだ。だからこそ、胸にドクドクと衝撃が走った。
 ジャクソンさんたちに挨拶を済ませ、ごろんとソファベッドに寝転がる。同居人がいれば買い出しにだっていかなくていいのだ。包帯ぐるぐる巻きの俺に配慮してしばらくはハロルド様が家事をしてくださるそうなので、ひたすら寝て過ごす。

 ドアの開く音で起き、帰宅したハロルド様をおかえりなさいと迎え入れる。寝起きだからか頭の中がお花畑みたいにぼやんぼやんしている。
 書類捌け特化のハロルド様は、やり方さえ覚えてしまえばなんでもできるマルチな男だ。洗濯はすでにできるようになっていたし、野菜の皮剥きもそれほどヘタではなくなっていた。まあ、この数日で増えた色落ち色素沈着したタオルや指の絆創膏には触れないでおこう。
 しかし、できたのは見るからにイマイチな料理たちだ。薄くスライスされたトーストは焦げてるし、低温で揚げてしまったのかポテトはぐでぐで。豆のトマト煮は味が薄そう。同じことを思ったのか、塩胡椒で味を整えようとしたようで、鍋の中に今、白と黒の塊がぽちゃんと沈んでいった。料理はまだ伸びしろが九割みたいだった。

「……すみません。買いに行ってきます」
「え、俺、これ食べたいです」

 まだ皿に盛られていないそれらがごみ箱行きになる前に引き留める。頭がぼやぼやだったのも、料理を作る慣れない手つきを見ていれば青ざめるように意識ははっきりしていったので、これは寝言ではない本心からの言葉だった。

「こういうことでの慰めは不要です。自分の惨めさを自分で嘲るのはいいですが、他人からだとただ苛立つだけです」
「またそうやってご自分をいじめるような言葉を……。でもわかります。俺も自分のこと犬って言いますけど、他人から犬って言われるとちょっとイラっとします。狼なんだぞって。話し戻しますけど、好きな人が俺に作ってくれた初めての手料理を俺が食べたいだけですよ」

 だめですか? 見上げて首をかしげると、ハロルド様は数秒俺と目をあわせ、ふいとそらす。その秒遅れで頬がじんわり赤らんでいくのを、俺はバッチリ見てしまった。これは、まるで照れているような……。
 いや、その前に、俺は今何を言った……!
 顔が耳の先までカッと熱を持つ。なんだこの状況は。男二人してキッチンにつっ立って赤面して汗ばんで、変な空気に居たたまれない。

「自分で言っておいて照れるのはやめてください」
「す、すみません……」
「……食べたいなら、いいです。お好きにどうぞ」
「あ、はい。……やった、いただきます」
「本当に食べるんですか……」

 ハロルド様の料理は、全体的にじゃりじゃりしてて、もっさりしてて、ごりごりしていた。胡椒の塊を噛んで舌が痺れ咳き込みながら笑うのを、非常食の缶詰めを開けて食べているハロルド様は俺の正面で微妙な表情を浮かべ眺めている。それでも、残したって文句は言いませんよと水差しから水を注いでくれるのだから、そこまで気分を害してはいないのだろう。

「今度一緒に大佐のところへ料理習いに行きましょう。俺の生肉料理を可もなく不可もない料理にしたのは大佐の手腕です。ハロルド様ならすぐ俺を追い抜かして、その上大佐を越えられると思いますよ」
「そこまで料理に打ち込もうとは思いませんが、あの朝食は美味しかったですね」
「服取りに行ったときのですね。はぁ、とろふわでシナモン香る甘いフレンチトーストにカリカリの塩っ気ほどよいベーコン……」
「失敗作を食べながらよく思い出せますね」

 でもこれも好きですよと胸焼けしそうなほど油でぐでぐでのポテトを食べながら笑いかける。ハロルド様は憐れみの目で味覚も負傷したんですね、なんて断定してくるものだから、また笑った。確かに美味しいわけじゃないけど、そもそも美味しいものが食べたいわけでもないことをわかってないのだろう。

 リラに戻ってから、ハロルド様とは距離が縮んだと思う。勘違いしてもいいのか考えてしまうほどには、確実に。
 街に買い物に行けば、介護と称して肩が腕に触れそうな距離で歩く。長い足を俺のコンパスに合わせて、元々荷物持ちはしてくれている方だったのに、首にかけた三角巾でギプスをつけた片腕を吊っている俺がもう片方の手で荷物を持つ絵面が嫌なのか花を買った小袋ひとつも持たせてくれない。

「転んだらどうするんですか」

 見上げた視線の先にはあんまりにも真剣な眼差しがあるから、さすがに受け身をとりますなんて言えなくて、心配されていることについてだけを素直にお礼で答えた。身重の友人に心を砕くように眉間にしわを寄せ諭してくるものだから、少しおかしくて、嬉しい。
 ――友人。これは友人への待遇だ。
 それでも勘違いしてしまう。頬を上気させ、どうしようもなくにやけてしまう口元を手のひらの力業で一着線に戻して、トクトクと弾む自分の心音を白い日光の暖かさに馴染ませ隠す。陽は暖かいが、はぁ、と肺で温めた息は一瞬白く色を得る。隠した好意が溶けたものに色がついて見えると、胸の奥がぎゅっとしめつけられて、喉が鳴る。
 秋の終わりの風は冷えている。その分足元をはしゃいで走る子どもたちの足音は石畳の道に軽快に響き、目を引いた。白い家々はそのひとつひとつが光を反射して、あまりの光量に目が眩む。
 今が夏じゃなくてよかった。ハレーションは夏の方が強いから、あまりの光に一瞬ホワイトアウトを起こしたのかと脳が錯覚を起こして混乱してしまう。そのまま暑さにやられ、目を回して倒れるのも毎年恒例なので、そんな情けない姿を今のハロルド様に見せたら、心配かけるなときっとお叱りを受けるだろう。
 ……それも、なかなか楽しそうではあるけれど。いや。きっと楽しい。来年、そうやって倒れて目覚め際に笑って、怒られるところまでをセットでするんだろうな。
 頬を引っ張っても、どうしたって、微笑んでしまう。もう来年のことまで考えているんだから、どうしようもない。
 そのままにこにこと光に溶ける子どもたちの影を眺めながら前方不注意で歩いていれば、店の看板に額をぶつける代わりに手のひらのクッションに顔を打つ。

「前を向いて歩きなさい」
「は、はい……」

 俺の額を受け止めたあと小さく息を吐いて、ハロルド様が先を歩く。
 やばい。
 今のはただただ、ひたすらに優しかった。
 黒髪の揺れに目を奪われて、唇を噛む。初日はカモの子状態で背についてきた、あのハロルド様が、こうなった。その背を追うため駆け寄ると、ちゃんとついてきているか微かに振り向き確認すらしてくれているのだから、もう、ときめいてしまう。
 頬どころか、首もとまで真っ赤に火照る。ああ、振られても、思い出作りでいいから、この人を飼い主に狼になって散歩したい。とすら、思ってしまう。今まさに尻尾が出ていたら、ブンブンに振り回り狂っていただろう。

 買い物に家を出て帰り、そのあとまた、散歩に出掛けるのにも、ハロルド様は文句のひとつも溢さず隣を歩いてくれた。俺の怪我が治るまでは大佐が監視兼護衛をどこかにつけてくれているのでついてこなくたっていいのに。観光の人混みの中は頭ひとつふたつ抜きん出ている長身を活かして先導してくれるし、それでも人混みに揉まれたら腕を引いて連れ出してくれる。
 なんだ、この人は。こんな人だっただろうか。
 ギプスが外れても、それから数週間経とうとしても、概ねハロルド様の態度は変わらなかった。買い物袋はハロルド様が三分の二を持ち、残りすら「ついでです」と奪っていく。勉強したいからと夕食はキッチンに立たせてもらえなくなったので、せめてお皿を洗おうとすれば先に風呂に入れと追い出され、ならばハロルド様が風呂に入っているうちに掃除をしようと思えば俺が入浴している間にそれも済んでいる。洗濯なんて、「私のものは私で洗います。ついでに貴方のも」と頑なに俺が担当することを拒否されてしまい、花に水をやるくらいしかさせてもらえない。
 ここの家主、誰だっけ。まるで自分がヒモのように感じてただただ焦る。家賃も光熱費も水道代も俺が払ってるけど、でも。
 まずい。これは、とてもまずい事態だ。
 今、俺には好かれる要素がまったくない状態だった。

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