8 / 20
第八話
しおりを挟む
品種にもよるが、バラは手入れをちゃんとすれば冬以外のシーズンで咲く花だ。
俺としては大量に咲き誇る春バラよりも少し蕾の数を減らし、大きさも小振りな夏咲きのバラが好きだった。夏バラよりも数を減らした秋バラも、目移りせずに愛でられるから好ましい。
約束というほどのものはしていなかったけれど、話題に出したのなら今年のうちに来てみたかった。
冬の直前の庭園は静穏に包まれている。肌寒さは日に増して、まばらに咲く草木の色も心なしか色濃く落ち着き物悲しい。雨の日とは本質的に異なる閑散とした客入りは、けれどそれにすらどこか趣があった。
「本当に好きですね」
鼻の触れる手前や三歩遠退いたほどから深紅の一輪のバラをしげしげと眺めていると、呆れた声色でハロルド様が横に立った。俺はなにを今さらと、くすりと笑って頷く。
「好きですよ。俺、ここに三時間は居れますもん。もう花は冬にほぼ枯れかけなんですけどね」
外に出るのも、花を見るのも好きだ。
幸いなことに、俺は大抵の風景に美しさを感じるし、どこに行っても、なにを見ても、それなりに好き、が、増えていく。
きっと、俺は生きることに向いているのだろう。
「羨ましいですね」
対してハロルド様は、生きることに多少向いていないのだとも思う。
羨望の色が溶けた瞳が俺を見下ろしている。俺は少しだけうーんと唸ったあと、腕が触れる距離に一歩横に足を進め、バラの葉を眺める。
「俺もハロルド様が羨ましいですよ」
「こんなののどこが羨ましいんだか」
「相変わらずの自己肯定感ですね。んー、身長は単純に羨みの対象ですけど、例えば、ハロルド様ってすごく器用ですよね」
「今だに卵割りに失敗する私への的確な文句ですね」
「卑屈だなあ。技術をちゃんとモノにできる人だってことですよ。力加減は技術です。何度もやってたらそのうち身体が覚えます。学習能力あるんですから。その先は知識との組み合わせでしょう。ハロルド様、俺なんかとご自分を比べられるの、今だけですよ。今はただ、ハロルド様が圧倒的に経験不足なだけですもん」
わかりますかと腕を肘でつつき、顔を横に見上げる。眉を寄せてやんわり曲げられた唇の、わかっているような認めたくないような、そんな表情をされ、もう、と肘でつつく力が強めになる。
「俺の方が若いのに、ハロルド様の急成長見てると焦ります。未来のなんでもできる目敏いパーフェクトな大人が横にいるんです。隣に居ていいのか悩みますね」
「それは、能力的な話です。私は人として自分が底辺であるとちゃんと知っています。こういう性格は好まれるものではないでしょう」
「ご自分が心遣いできてないと思ってるんですか? 最近のハロルド様めちゃくちゃスマートですよ。筋肉に毒されていない他部署の女性陣のハロルド様狙いにそろそろ気付いてもらいたいです。今のところ俺にだけへの態度なんですけど、なおさら俺をどうしたいのか悩みます。ご自分で考えているよりあなたは素敵だと評判の的です。なので、もてあそばないでくださいよ」
最後は冗談めかして笑いかける。このまま冬が来て年を越せばすぐにひとつ歳を取る。二十六歳。二十代を折り返し、ついでに職業軍人なのでそう長く生きられないと思えば人生も折り返したところだろう。恋する乙女男子とかいう年齢でもないのだから、素直に勘違いして浮かれてなどいられない。
いい大人なのだ。俺も、ハロルド様も。
「距離感が、最近ちょっと考える場面多いです。あんまり俺をいじめないでください。身体と違って心はそれほど頑丈じゃないんです」
再三言わせてもらうが、自衛は大事だ。友人として首を組んだり、肩を抱き合ったり、そういうことはしないにしても、態度が友人の範疇を越えていれば、俺はすぐに赤面して、夢を見てしまう。なんたって、目下、この肌寒い秋空にデートを重ね見てしまうくらいに、俺は年甲斐もなくハロルド様に純情なのだから。
ハロルド様は、そんな俺にムッとしてそっぽを向いた。そうして呟かれた言葉は、聞き逃せなかった。心臓が止まるセリフってこういうものだと体験してしまった。
「考えてほしいと言ったのは貴方でしょうが。努力してみた結果なんですが……」
「え」
「やはり私などでは満足できる対応はできかねたということですね」
サァ、と血の気が引く。本当に血の気が引くときってこういう音が体内で鳴るのか。
混乱した頭が冷静を装ううちにくっついていた腕が離れ、秋風が俺たちの合間に吹き抜ける。遠退く背中を掴もうと腕を伸ばすけれど、さらりと指の隙間に黒髪が流れ逃れ、足の長さに距離は簡単に開いていった。
「ま、って、ください! え、な、なんて?!」
「二度言うだけ無駄です」
「無駄じゃないですから! 待って、ください!」
現場勤務の脚力で赤面のハロルド様の前に出て、その火移りにボッと顔を真っ赤に、口を開閉する。
――血圧の急降下上昇で倒れそう。
片手で顔を覆って、指の隙間から俺を窺い見て、目をそらしたと思えばぎゅっと瞼を閉じる。そんなハロルド様を、好ましく思わないはずが、ないだろう。いつからそんな、可愛い仕草ができるようになったんだ。
やばい。
耳、どころか。首どころか。背中、どころか。指先まで、熱くなる……。
「は、ハロルド様、アプローチ、不器用すぎませんか……?」
「……だから、言ったでしょう。私は、卵だってろくに割れないんです」
「た、まごなんて、割れなくたっていいですよぉ……」
俺が割りますもん……。吐息に混じらせた自分の言葉に負けじと、耳から心臓の音が聞こえる。むしろ耳たぶで心臓がジンジンと跳ねている。
触れてもいいかな?
やめとけ、と言う自問自答の心の声を無視して、ハロルド様の手に触れ、指を絡み、繋いでみると、ためらいながらも指に力が込められた。
「……こう、ですか?」
不安げに握り返すハロルド様に、俺は「ぷはっ」と吹き出し笑っていた。
これ、なにも言わずに握り返すところですよ。くつくつ肩を震わせながら笑うと、胸がいっぱいいっぱいになって、そしてちょっとだけ、キャパオーバーに涙が落ちる。その涙を今度こそなにも言わずにハロルド様は指で拭ってみせるものだから、身体は硬直して落ち着きつつあった赤面がぶり返す。
なにこれ。夢かも。
現実を疑う心は頬を打つ木枯らしの冷たさに起こされて、繋いだ手のひらの湿った暖かさが、夢ではないことの証明だった。
俺としては大量に咲き誇る春バラよりも少し蕾の数を減らし、大きさも小振りな夏咲きのバラが好きだった。夏バラよりも数を減らした秋バラも、目移りせずに愛でられるから好ましい。
約束というほどのものはしていなかったけれど、話題に出したのなら今年のうちに来てみたかった。
冬の直前の庭園は静穏に包まれている。肌寒さは日に増して、まばらに咲く草木の色も心なしか色濃く落ち着き物悲しい。雨の日とは本質的に異なる閑散とした客入りは、けれどそれにすらどこか趣があった。
「本当に好きですね」
鼻の触れる手前や三歩遠退いたほどから深紅の一輪のバラをしげしげと眺めていると、呆れた声色でハロルド様が横に立った。俺はなにを今さらと、くすりと笑って頷く。
「好きですよ。俺、ここに三時間は居れますもん。もう花は冬にほぼ枯れかけなんですけどね」
外に出るのも、花を見るのも好きだ。
幸いなことに、俺は大抵の風景に美しさを感じるし、どこに行っても、なにを見ても、それなりに好き、が、増えていく。
きっと、俺は生きることに向いているのだろう。
「羨ましいですね」
対してハロルド様は、生きることに多少向いていないのだとも思う。
羨望の色が溶けた瞳が俺を見下ろしている。俺は少しだけうーんと唸ったあと、腕が触れる距離に一歩横に足を進め、バラの葉を眺める。
「俺もハロルド様が羨ましいですよ」
「こんなののどこが羨ましいんだか」
「相変わらずの自己肯定感ですね。んー、身長は単純に羨みの対象ですけど、例えば、ハロルド様ってすごく器用ですよね」
「今だに卵割りに失敗する私への的確な文句ですね」
「卑屈だなあ。技術をちゃんとモノにできる人だってことですよ。力加減は技術です。何度もやってたらそのうち身体が覚えます。学習能力あるんですから。その先は知識との組み合わせでしょう。ハロルド様、俺なんかとご自分を比べられるの、今だけですよ。今はただ、ハロルド様が圧倒的に経験不足なだけですもん」
わかりますかと腕を肘でつつき、顔を横に見上げる。眉を寄せてやんわり曲げられた唇の、わかっているような認めたくないような、そんな表情をされ、もう、と肘でつつく力が強めになる。
「俺の方が若いのに、ハロルド様の急成長見てると焦ります。未来のなんでもできる目敏いパーフェクトな大人が横にいるんです。隣に居ていいのか悩みますね」
「それは、能力的な話です。私は人として自分が底辺であるとちゃんと知っています。こういう性格は好まれるものではないでしょう」
「ご自分が心遣いできてないと思ってるんですか? 最近のハロルド様めちゃくちゃスマートですよ。筋肉に毒されていない他部署の女性陣のハロルド様狙いにそろそろ気付いてもらいたいです。今のところ俺にだけへの態度なんですけど、なおさら俺をどうしたいのか悩みます。ご自分で考えているよりあなたは素敵だと評判の的です。なので、もてあそばないでくださいよ」
最後は冗談めかして笑いかける。このまま冬が来て年を越せばすぐにひとつ歳を取る。二十六歳。二十代を折り返し、ついでに職業軍人なのでそう長く生きられないと思えば人生も折り返したところだろう。恋する乙女男子とかいう年齢でもないのだから、素直に勘違いして浮かれてなどいられない。
いい大人なのだ。俺も、ハロルド様も。
「距離感が、最近ちょっと考える場面多いです。あんまり俺をいじめないでください。身体と違って心はそれほど頑丈じゃないんです」
再三言わせてもらうが、自衛は大事だ。友人として首を組んだり、肩を抱き合ったり、そういうことはしないにしても、態度が友人の範疇を越えていれば、俺はすぐに赤面して、夢を見てしまう。なんたって、目下、この肌寒い秋空にデートを重ね見てしまうくらいに、俺は年甲斐もなくハロルド様に純情なのだから。
ハロルド様は、そんな俺にムッとしてそっぽを向いた。そうして呟かれた言葉は、聞き逃せなかった。心臓が止まるセリフってこういうものだと体験してしまった。
「考えてほしいと言ったのは貴方でしょうが。努力してみた結果なんですが……」
「え」
「やはり私などでは満足できる対応はできかねたということですね」
サァ、と血の気が引く。本当に血の気が引くときってこういう音が体内で鳴るのか。
混乱した頭が冷静を装ううちにくっついていた腕が離れ、秋風が俺たちの合間に吹き抜ける。遠退く背中を掴もうと腕を伸ばすけれど、さらりと指の隙間に黒髪が流れ逃れ、足の長さに距離は簡単に開いていった。
「ま、って、ください! え、な、なんて?!」
「二度言うだけ無駄です」
「無駄じゃないですから! 待って、ください!」
現場勤務の脚力で赤面のハロルド様の前に出て、その火移りにボッと顔を真っ赤に、口を開閉する。
――血圧の急降下上昇で倒れそう。
片手で顔を覆って、指の隙間から俺を窺い見て、目をそらしたと思えばぎゅっと瞼を閉じる。そんなハロルド様を、好ましく思わないはずが、ないだろう。いつからそんな、可愛い仕草ができるようになったんだ。
やばい。
耳、どころか。首どころか。背中、どころか。指先まで、熱くなる……。
「は、ハロルド様、アプローチ、不器用すぎませんか……?」
「……だから、言ったでしょう。私は、卵だってろくに割れないんです」
「た、まごなんて、割れなくたっていいですよぉ……」
俺が割りますもん……。吐息に混じらせた自分の言葉に負けじと、耳から心臓の音が聞こえる。むしろ耳たぶで心臓がジンジンと跳ねている。
触れてもいいかな?
やめとけ、と言う自問自答の心の声を無視して、ハロルド様の手に触れ、指を絡み、繋いでみると、ためらいながらも指に力が込められた。
「……こう、ですか?」
不安げに握り返すハロルド様に、俺は「ぷはっ」と吹き出し笑っていた。
これ、なにも言わずに握り返すところですよ。くつくつ肩を震わせながら笑うと、胸がいっぱいいっぱいになって、そしてちょっとだけ、キャパオーバーに涙が落ちる。その涙を今度こそなにも言わずにハロルド様は指で拭ってみせるものだから、身体は硬直して落ち着きつつあった赤面がぶり返す。
なにこれ。夢かも。
現実を疑う心は頬を打つ木枯らしの冷たさに起こされて、繋いだ手のひらの湿った暖かさが、夢ではないことの証明だった。
0
あなたにおすすめの小説
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
小学生のゲーム攻略相談にのっていたつもりだったのに、小学生じゃなく異世界の王子さま(イケメン)でした(涙)
九重
BL
大学院修了の年になったが就職できない今どきの学生 坂上 由(ゆう) 男 24歳。
半引きこもり状態となりネットに逃げた彼が見つけたのは【よろず相談サイト】という相談サイトだった。
そこで出会ったアディという小学生? の相談に乗っている間に、由はとんでもない状態に引きずり込まれていく。
これは、知らない間に異世界の国家育成にかかわり、あげく異世界に召喚され、そこで様々な国家の問題に突っ込みたくない足を突っ込み、思いもよらぬ『好意』を得てしまった男の奮闘記である。
注:主人公は女の子が大好きです。それが苦手な方はバックしてください。
*ずいぶん前に、他サイトで公開していた作品の再掲載です。(当時のタイトル「よろず相談サイト」)
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
愛を知らない少年たちの番物語。
あゆみん
BL
親から愛されることなく育った不憫な三兄弟が異世界で番に待ち焦がれた獣たちから愛を注がれ、一途な愛に戸惑いながらも幸せになる物語。
*触れ合いシーンは★マークをつけます。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
どうせ全部、知ってるくせに。
楽川楽
BL
【腹黒美形×単純平凡】
親友と、飲み会の悪ふざけでキスをした。単なる罰ゲームだったのに、どうしてもあのキスが忘れられない…。
飲み会のノリでしたキスで、親友を意識し始めてしまった単純な受けが、まんまと腹黒攻めに捕まるお話。
※fujossyさんの属性コンテスト『ノンケ受け』部門にて優秀賞をいただいた作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる