あなたのライカ

さかしま

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第八話

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 品種にもよるが、バラは手入れをちゃんとすれば冬以外のシーズンで咲く花だ。
 俺としては大量に咲き誇る春バラよりも少し蕾の数を減らし、大きさも小振りな夏咲きのバラが好きだった。夏バラよりも数を減らした秋バラも、目移りせずに愛でられるから好ましい。
 約束というほどのものはしていなかったけれど、話題に出したのなら今年のうちに来てみたかった。
 冬の直前の庭園は静穏に包まれている。肌寒さは日に増して、まばらに咲く草木の色も心なしか色濃く落ち着き物悲しい。雨の日とは本質的に異なる閑散とした客入りは、けれどそれにすらどこか趣があった。

「本当に好きですね」

 鼻の触れる手前や三歩遠退いたほどから深紅の一輪のバラをしげしげと眺めていると、呆れた声色でハロルド様が横に立った。俺はなにを今さらと、くすりと笑って頷く。

「好きですよ。俺、ここに三時間は居れますもん。もう花は冬にほぼ枯れかけなんですけどね」

 外に出るのも、花を見るのも好きだ。
 幸いなことに、俺は大抵の風景に美しさを感じるし、どこに行っても、なにを見ても、それなりに好き、が、増えていく。
 きっと、俺は生きることに向いているのだろう。

「羨ましいですね」

 対してハロルド様は、生きることに多少向いていないのだとも思う。
 羨望の色が溶けた瞳が俺を見下ろしている。俺は少しだけうーんと唸ったあと、腕が触れる距離に一歩横に足を進め、バラの葉を眺める。

「俺もハロルド様が羨ましいですよ」
「こんなののどこが羨ましいんだか」
「相変わらずの自己肯定感ですね。んー、身長は単純に羨みの対象ですけど、例えば、ハロルド様ってすごく器用ですよね」
「今だに卵割りに失敗する私への的確な文句ですね」
「卑屈だなあ。技術をちゃんとモノにできる人だってことですよ。力加減は技術です。何度もやってたらそのうち身体が覚えます。学習能力あるんですから。その先は知識との組み合わせでしょう。ハロルド様、俺なんかとご自分を比べられるの、今だけですよ。今はただ、ハロルド様が圧倒的に経験不足なだけですもん」

 わかりますかと腕を肘でつつき、顔を横に見上げる。眉を寄せてやんわり曲げられた唇の、わかっているような認めたくないような、そんな表情をされ、もう、と肘でつつく力が強めになる。

「俺の方が若いのに、ハロルド様の急成長見てると焦ります。未来のなんでもできる目敏いパーフェクトな大人が横にいるんです。隣に居ていいのか悩みますね」
「それは、能力的な話です。私は人として自分が底辺であるとちゃんと知っています。こういう性格は好まれるものではないでしょう」
「ご自分が心遣いできてないと思ってるんですか? 最近のハロルド様めちゃくちゃスマートですよ。筋肉に毒されていない他部署の女性陣のハロルド様狙いにそろそろ気付いてもらいたいです。今のところ俺にだけへの態度なんですけど、なおさら俺をどうしたいのか悩みます。ご自分で考えているよりあなたは素敵だと評判の的です。なので、もてあそばないでくださいよ」

 最後は冗談めかして笑いかける。このまま冬が来て年を越せばすぐにひとつ歳を取る。二十六歳。二十代を折り返し、ついでに職業軍人なのでそう長く生きられないと思えば人生も折り返したところだろう。恋する乙女男子とかいう年齢でもないのだから、素直に勘違いして浮かれてなどいられない。
 いい大人なのだ。俺も、ハロルド様も。

「距離感が、最近ちょっと考える場面多いです。あんまり俺をいじめないでください。身体と違って心はそれほど頑丈じゃないんです」

 再三言わせてもらうが、自衛は大事だ。友人として首を組んだり、肩を抱き合ったり、そういうことはしないにしても、態度が友人の範疇を越えていれば、俺はすぐに赤面して、夢を見てしまう。なんたって、目下、この肌寒い秋空にデートを重ね見てしまうくらいに、俺は年甲斐もなくハロルド様に純情なのだから。
 ハロルド様は、そんな俺にムッとしてそっぽを向いた。そうして呟かれた言葉は、聞き逃せなかった。心臓が止まるセリフってこういうものだと体験してしまった。

「考えてほしいと言ったのは貴方でしょうが。努力してみた結果なんですが……」
「え」
「やはり私などでは満足できる対応はできかねたということですね」

 サァ、と血の気が引く。本当に血の気が引くときってこういう音が体内で鳴るのか。
 混乱した頭が冷静を装ううちにくっついていた腕が離れ、秋風が俺たちの合間に吹き抜ける。遠退く背中を掴もうと腕を伸ばすけれど、さらりと指の隙間に黒髪が流れ逃れ、足の長さに距離は簡単に開いていった。

「ま、って、ください! え、な、なんて?!」
「二度言うだけ無駄です」
「無駄じゃないですから! 待って、ください!」

 現場勤務の脚力で赤面のハロルド様の前に出て、その火移りにボッと顔を真っ赤に、口を開閉する。
 ――血圧の急降下上昇で倒れそう。
 片手で顔を覆って、指の隙間から俺を窺い見て、目をそらしたと思えばぎゅっと瞼を閉じる。そんなハロルド様を、好ましく思わないはずが、ないだろう。いつからそんな、可愛い仕草ができるようになったんだ。
 やばい。
 耳、どころか。首どころか。背中、どころか。指先まで、熱くなる……。

「は、ハロルド様、アプローチ、不器用すぎませんか……?」
「……だから、言ったでしょう。私は、卵だってろくに割れないんです」
「た、まごなんて、割れなくたっていいですよぉ……」

 俺が割りますもん……。吐息に混じらせた自分の言葉に負けじと、耳から心臓の音が聞こえる。むしろ耳たぶで心臓がジンジンと跳ねている。
 触れてもいいかな?
 やめとけ、と言う自問自答の心の声を無視して、ハロルド様の手に触れ、指を絡み、繋いでみると、ためらいながらも指に力が込められた。

「……こう、ですか?」

 不安げに握り返すハロルド様に、俺は「ぷはっ」と吹き出し笑っていた。
 これ、なにも言わずに握り返すところですよ。くつくつ肩を震わせながら笑うと、胸がいっぱいいっぱいになって、そしてちょっとだけ、キャパオーバーに涙が落ちる。その涙を今度こそなにも言わずにハロルド様は指で拭ってみせるものだから、身体は硬直して落ち着きつつあった赤面がぶり返す。
 なにこれ。夢かも。
 現実を疑う心は頬を打つ木枯らしの冷たさに起こされて、繋いだ手のひらの湿った暖かさが、夢ではないことの証明だった。

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