あなたのライカ

さかしま

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第十一話

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 窓際のカウンター席で煙草を咥えながら夜道を見上げているハーウィンを見つけ、忍び寄り、テレビくらい楽に買えるワインをテーブルに置く。世の中新しいものより当たり年の熟成年月を経たワインの方が安定して遥かに高い。その価値を知っていればグラスに注がれる前に唾が溢れ、煙草の灰はズボンに落ちて瓶を持つ手が震えるというものだ。

「持ち帰って十日くらい寝かせたら飲み頃かなあ。いや、鉄道揺れるだろうしもうちょっと?」
「これ、どうやって……」
「ふっふーん、俺は清く正しいお貴族様に可愛がってもらってるんですよ! 高いお酒探してたら大佐のお父さんにもってっていいぞって言われて」
「さっすがエリート出世コース隊のパトロン付き! 店主に預けてくるから好きなもの頼んでな!」

 ハーウィンの破顔にこちらとしてもにんまり笑顔で遠慮なく奢られよう。片手をあげ店員を呼び適当に酒とつまみを頼み、戻ってきた上機嫌のハーウィンと出されたお酒で乾杯をする。

「ダイナーくんはどうしたんです?」
「店の住所だけ教えて置いてきた。今頃迷ってるだろうな」
「うわ、悪い大人だ……。一緒に来ればいいのに……」
「はは、あんたが到着するまで永遠とあんたの話を聞かされる喋らされるとか無理無理。よかったな、スゲー好かれてるぞ」
「ありがたいですねえ」
「あんまもてあそぶなよ」
「ダイナーくんは俺が何を言っても立ち直るタイプと見ました。つまりどう対応しても無駄というやつです」

 違いないと高らかに笑ってハーウィンはハイボールを飲み干し二杯目を頼んだ。なかなかのハイペースだが、ハーウィンはビールよりウイスキー派の飲んべえだ。炭酸が入ってる分薄い酒だと平然と言う。

「ダイナーくんが来る前に愚痴を聞いてもらっていいですか?」
「おー! 振られでもしたか?」
「まさか。順調ですよ。でも、あの人、性欲ないんですかね?」
「ぶはっ! ごほっ、……ン゛ッン゛ッ! え、あんたらそこまで行ったのか?!」
「行けてないから愚痴ってるんですう」

 あの日からまだ数日しか経っていないが、一日一回は触れる程度のキスをするようになった。でもそれだけだ。二回はないし、一回は本当にちゅっと触れる程度。それも次第に唇の端のほぼ頬に寄ってきている。ちょっと無理矢理唇の真ん中に狙いを定めちゅっとしたときに唇を舐めてみたら視線をそらされそそくさと逃げ出される始末だ。
 潔癖なのか、童貞力が強いのか、枯れているのか。
 どれらにせよ俺は枯れていないのだ。その上まだ全盛期と言ってもいい年齢だ。お触りはむこう三ヶ月ないにしても、もうちょっと発展してもいいんじゃないか。
 不貞腐れる俺の横でハーウィンはまじめな顔をしてみせるものだから、俺もまじめにどう思うか問いかける。

「ちなみにどっち?」

 片手でオーケーの形をつくり、その輪に中指の関節をくいっと曲げ入れる。このおっさん、まじめな振りしておちょくり始めやがった。下品なジェスチャーに、その手を掴んでぐっと握り潰すとハーウィンは痛がりながらもくつくつと笑っていた。

「使うのは俺の尻ですね」
「ほー」
「薬買うの恥ずかしかったから無駄にはしたくない……」
「若いねえ」
「おっさんの言葉過ぎる」

 椅子越しに尻をパシパシと叩かれ肘で打つ。それでも悪びれないのだから酒が入ると大抵の男はだめだ。気心が知れている年上の男友達はもっとだめだ。

「俺はご無沙汰だけど勃つモンは勃つし、同い年だし枯れてはないだろ。男なんてジジイになっても現役っつーし」
「つまり俺には魅力がないと」
「は? あるに決まってんだろ。っと、あー……なんつうか、あんたでも不貞腐れることあるんだな。年下のくせに兄貴みたいに甲斐甲斐しく世話焼いてくるもんだから悔しくていつか鼻っ面折ってやるって昇進目指したりもしたが、そんときの俺に今のあんたの表情見せてやりてえ」

 頭を撫でられ、それを手の甲で弾くとハーウィンはまた楽しげに笑いだした。
 笑いごとじゃない。
 テーブルに投げ出した自分の腕枕に突っ伏しながらのセリフは誰が聞いても不貞腐れている男児の声色で、友人として心を許した上官殿はますます愉快げに笑いころけた。

「ええい、ダイナーくんはまだですか!」

 首根っこに腕を回されこめかみにぶちゅぶちゅとアルコールに陽気になり始めた友人にキスされる。貞操観念、とハロルド様の声が脳内にちらつく。それでもハーウィンは酒が入るとスキンシップが激しくなるたちなので、放っておいた方が悪化しないと、俺も冷えたハイボールをぐびっと一気に飲み干し二杯目を頼んだ。


「えっ! 獣人なんですか?!」
 そんな、と顔色を悪くさせるダイナーくんに、こちらが驚いた。
「知らなかった?」
 聞けば項垂れてビールジョッキを両手で抱き持ち飲もうとして、そして力なくテーブルに着陸。言葉よりも雄弁な「知りませんでした」を前にハーウィンを一瞥すると、このおっさんは口笛を一息吹いてつまみの生ハムとクリームチーズのカナッペをつまみ、ウインクを見せた。確信犯だ。ダイナーくんで遊んでいる。

「獣人は嫌い?」
「まさか! ないです、ライカさんは尊敬してます、大好きです!」

 ブンブンと頭を横に振って、目頭を一粒濡らし、瞳をぎゅっとつむってビールを飲み干していく。いい飲みっぷりだと横でからかいの声が聞こえるがその太ももに拳を振り下ろし黙らせた。悪い大人と不憫な後輩に挟まれていると少しだけ疲れる。
 プライベートで曹長呼びは酒が不味くなると言えば嬉々としてダイナーくんは俺をライカさんと呼んだ。公私共に良好な関係を築けるだろういい子はアルコールを摂取するほどに涙腺が緩くなる性質のようだった。

「……俺、曹長になりたいんです。それで士官試験を受けて、将来的には少佐になりたいんです」
「いいね。ダイナーくんが呼ぶなら手助けに行くよ。上官としていっぱい俺に命令できるね」
「ふふ、だから、今後十年どころか三十年は身の振り方をもう決めてしまっているんですよ、俺」
「ストイック。目標明確ですごくいい。応援するね。俺、出世の招き犬だからダイナーくんのためにひと吠えするよ」

 がばっと腕を広げ、ぎゅっと抱きしめて耳元で「わおん」と吠え離れ際にまた微笑みあう。ダイナーくんはむず痒そうに、でも心から喜んで、涙をぽろりと落としてぐすんと鼻をすすった。
「獣人かぁ」ダイナーくんはぽつりと新しいビールに言葉を溢す。
「獣人なんだよねぇ」俺は窓越しの空に向かって言葉を返す。
「最近ようやくお付き合いし始めたんだ」
「はあぅうあぁ……」
 ダイナーくんは大きく息を吐く。傷心に苦笑して背中を叩くけれど、ダイナーくんは予想通りにへこたれる子じゃなかったようで、鼻水をすんすんしながらも「えへ」と甘えた声でぴったりと肩を抱くようにくっついてきた。メンタルが強いのはいいことだ。こういう人は、本当に珍しい。
 人は獣人が番しか選ばないと勘違いしている。選んだ相手が番なのだと。だから勝手に諦めてくれるし、好いた相手は愛されることを受け入れてしまいがちになる。その方が都合がいいのであえて誰も否定しないし、俺も口をつぐませてもらう。魂や果実の片割れなんて、遠い昔か物語の中のものだ。
 実際獣人は抗えない熱愛に動かされるのだから勘違いと言うのもまた違うのかもしれないけれど、野生に寄っている獣人はそこのところがシビアだ。強い雄が魅力的な雌に選ばれる。いい雄いい雌には、選べる運命なんていくつもある。
 だから振られるのは平気だ。新しく次を目指せる。だから、本当に。平気のはずなんだけど……。
 ――振られたら、今度は本当に死にたくなるんだろうなあ。
 ハーウィンに泣きつきに行く自分が容易く想像できて、先走ってちょっとだけ、目頭が濡れた。

 帰り際に手土産のワインを自分の赤ん坊のように大切そうに抱いたハーウィンが、諌めるように口を開く。夢から覚めさせるみたいに。

「なあ。あんたばっかり好きみたいだ。あほらしいと思わないのか?」
「……おあいにくさま、まだ一度もそんなこと、思ったことはないよ」
「まだ、ね。ならいい。ま、俺らもあほだし強くは言わないでおいてやるよ。おら、ダイナーしっかり立て。俺は肩貸さねーぞ。酒の方が大事だ」
「おれだってライカさんのが大事ですう! ライカさんとまだのむんですう!」

 むしろ連れて帰りますぅ、と泣き上戸にわんわんと泣き落としに抱きつかれ、眉を下げるもなんとかふたりと別れたころには日付も変わる時間になっていた。

 遅くなったなあと反省するも、走ることなく酔いの余韻を楽しみながら、フラフラと大佐のお屋敷を訪ねたところ「遅かったですね」と不機嫌な顔をした恋人に迎えられ苦笑する。いつでも迎え入れてくれる執事さんに挨拶を済ませて屋敷を出れば、酒臭いとお小言をもらい、それでもいきなり刺客に襲われても返り討ちできるほどにしか飲んでいないと頬を膨らませる。
 ちゅーほしいです。
 酔っていると思われてるならその勢いを装うのもいい。帰路の道端で甘えたに胸に寄り添ってみるも、軽く抱き返してくれるけれど、背中をぽんぽんとあやかすように叩かれ、ただそれだけだった。
 本当に好かれているのかわからないとは、俺のセリフだ。

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