星河灯台夜行譚

さやかオンザライス

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第五章 【星図図書館と記録係】

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 夜行列車は、まるで雲をかきわけるようにして滑っていった。
 窓の外は、星と霧が混ざった銀の海。
 レールはときおり途切れ、途切れた先にふわりと新しい光の線が生まれる。

 彗は落ち着かない様子で窓の向こうを見つめていた。
「、、、、、、斑鳩を見た、」

 透は頷く。
 懐中時計の震えはおさまったものの、秒針はまだ逆走し続けている。

「ここにいると、、、、、、何か、大事なものがどんどん遠くなる気がする」

 彗が不安そうに唇をかんだが、言い返す言葉は浮かばないようだった。


 やがて列車が減速し、音もなく停車した。
 車窓に浮かび上がったのは、巨大な石造りの建物だった。

 天井は星空のような黒いドームで、壁には無数の光の線が走っている。
 どれも正座のようでいて、地図のようでもある。
 建物の中央には、ゆっくりと回転する巨大な光の球体が浮かんでいた。建物の奥へ潜り込むように列車は停まっている。

 彗が息を呑む。
「すごい、、、、、、これ、図書館、」

 透は静かに頷いた。
 見覚えのある気はしない。
 だが、懐中時計が微かに反応している。
 まるでこの場所を“覚えている”かのように。

 ふたりは列車を降り、光に照らされた階段を上った。
 扉を押すと、軽い風のような音とともに開く。

 そこには、静寂の世界が広がっていた。

 壁一面に積みあがるのは、本ーーーーーーではない。
 薄いガラス板のようなものが無数に並び、
 ひとつひとつに星の図や、誰かの名前、断片的な言葉が浮かんでいた。

「忘れられたものの、最後の居場所です」

 透と彗は驚きのあまり振り返った。

 声の主は、薄い青のローブをまとった人物だった。
 性別すら曖昧なほど静かで透明な雰囲気をしている。
 顔立ちは美しく、瞳は淡い水晶のように澄んでいた。

「ようこそ、星図図書館へ、
  私はこの場所の記録係でございます」

 記録係は、ふたりに軽く会釈をした。

 彗がたずねる。
「ここには、、、、、、何が記録されているのですか、」

 記録係は、棚から一枚のガラス板をそっと抜いた。
 手の中で光が揺らぎ、板の中央に一筋の線が走る。

「記憶です。
     誰かの脳裏に一瞬だけ浮かび、
     しかし言葉にならなかった想い。
     呼ばれることのなかった名前。
     たどり着かなかった帰り道。
     そうした“欠片”がここに集められます」

 透は無意識にポケットを押さえた。
 “忘れる順番”と書かれた石が、布越しに冷たい。

「あなたたちは、探しものがあるのでしょう」

「探しもの、」

 記録係は、透の胸元に視線を落とす。
「懐中時計。それは、“案内器”ですね。
     名前を失いかけた者がここに来るときにだけ反応します」

 透は思わず時計を握りしめた。
 秒針は、相変わらず逆方向へ進んでいる。

「あなたは、誰かの声を聞いたはずです」

 透の身体が強く固まった。

 彗が驚いたように透を見る。

 記録係はガラス板を棚に戻し、ふたりにゆっくりと近づく。
 その瞳は、星の奥を覗き込むように静かだ。

「その声の主は、まだあなたのことを覚えている。
 けれど、時間がありません。
 この世界は“忘却”に満ちていますから」

 忘却。

 その言葉は、石に書かれた“忘れる順番”と奇妙に響き合った。

 記録係は手をひと振りした。
 星のような光が床に散り、図書館の中央にひとつの通路が開ける。

「あなたの“失ったもの”があります」

 彗は透の手を掴んだ。

「行こう」

 記録係はかすかに微笑む。
「気をつけて。
     “忘れたくなかったもの”ほど、
      この世界では形を変えてしまうのです」

 透と彗は、開かれた通路へと歩き出した。

 光のない部屋へ足を踏み入れると、
 空気がひんやりと震える。

 そして、

 暗闇の中央に、
 白い鳥が一羽、うずくまっていた。

 その鳥は透が近づくと
 かすかに声を漏らし、

 ーーーーーー透の名を呼んだ。

透の心臓が、止まるほど強く跳ねた。

 彗も言葉を失う。

 白い鳥は、透の名を呼ぶ。
 それは、たしかに知っている声。
 けれど思い出せない声。

 透は震える手を伸ばした。

 鳥は、透の指先に触れーーーーーー

 突然、少年の姿になった。

 透と同じ年頃。
 淡い翡翠色の瞳。
 白い息を吐くような儚い表情。

 少年は、透を見て微笑んだ。

「ようやく、見つけてくれたね」



 少年は、しばらく静かに微笑んでいた。
 その笑みは懐かしく、胸の痛むような温度を帯びている。
 だが、透の記憶にはどうしても彼の姿はなかった。

「、、、、、、君は、」

 少年は少しだけ首をかしげた。
「わからないの、透。ぼくーーーーーー」

 言いかけた瞬間、暗闇の中で風がざわりと音を立てた。
 記録係が通路の入口に立っていた。
 淡い光の粒がローブから零れ落ちる。

「いけません」

 記録係は静かに言った。

「形を保てなくなります」

 少年は淡い光に包まれ、輪郭が波打つ。
 透が手を伸ばすと、その細い体の端が霧のように崩れた。

「待って、」

 少年は微笑んだまま首を振る。
「大丈夫。すぐに消えたりしない。
 でも、透にはまだ早いんだ」

 少年は揺らぎながら透の手に触れた。
 その指先は少し冷たく、羽根のように軽い。
 
「ぼくは、君のーーーーーー」

 そして次の瞬間、
 少年の身体は光の鳥へと戻り、
 羽音も立てずに暗闇へ散った。

 透は崩れ落ちるように膝をついた。
 彗が駆け寄り、肩に手を添える。

「彼を知ってるの、」

 透は、弱々しく首を振るしかなかった。
 頭の奥がずきずきと痛む。
 忘れていた記憶が、何かと衝突するように軋んでいる。

 記録係が静かに近づいてくる。

「あなたの名前が、彼を呼び起こしたのです。
     でも、まだ思い出してはいけません。
     順番があるのです」

 透は顔を上げた。
「順番、」

 記録係は頷いた。
「この世界では、忘れる順番と、思い出す順番が決まっているのです。
 それを守らなければ、あなた自身が形を保てなくなる」

「じゃあーーーーーーぼくはこれから、何を忘れるんだ、」

 記録係は少しだけ悲しそうに目を伏せた。
「まだ、何も。ただ、時計が逆に動いているあいだは危険です。
 あなたは誰かに呼ばれている。
 本来なら、この世界に来る前に思い出すべき名前、、、、、、」

 彗が透の肩を抱えるようにして言った。
「形を保てなくなるって、どういうこと、」

 記録係は静かに答える。
「斑鳩を見たでしょう、」

 透は言葉を失った。
 頭のどこかが冷たくしびれる。

 記録係はふたりに背を向け、通路の奥を指し示した。

「次の場所へ。
 “彼”と再会する前に、すべきことがあります」

 透は震えながら立ち上がる。
 少年ーーー鳥ーーーあの声。
 何か大切なものが手のすぐ先にあるのに、掴めない。

彗が透の手を握った。
「行こう。
 透。ぼくたち、一緒に帰ろう」

 透は静かに頷いた。
 記録係は深いドームの天井を仰ぎ、ひとこと告げた。

「次の停留所はーーーーーー【記憶の峡谷】」

 その名を聞いた瞬間、
 懐中時計が鋭い音を響かせた。
 秒針が跳ね上がり、逆走がさらに加速する。
 透は胸を押さえた。

 記録係は言った。

「急ぎなさい。
 “彼”が完全に形を失う前に」

 扉が開く。
 ふたりは再び夜行列車へと戻った。

 星図図書館が遠ざかるなか、透はぽつりと呟いた。

「彗、、、、、、ぼく、何を忘れてるんだろう」

 彗はゆっくりと透の手を握った。

 列車は光を引き、
 ふたりを次の停留所ーーーーーー記憶の峡谷へと運んでいく。
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