星河灯台夜行譚

さやかオンザライス

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第四章 【斑鳩の少年】

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 列車が次の停留所へ滑り込むと同時に、車窓の外の色がゆっくりと変わっていった。
 蒼い街とはちがう。もっと深く、もっと冷たく、夜の底に沈んだような色だ。

 透と彗は、思わず息をひそめた。

 停留場は、鳥の羽根のような白い模様が無数に重なり合った大きな駅だった。
 だが、駅舎は半分ほど崩れていて、天井には巨大な穴が空いている。
 そこから夜の星がまるで見下ろしてくるように輝いていた。

「、、、、、、ここ、なんだろう、」
 彗が小声で言う。

 透は首を振った。
ただ、胸の懐中時計がわずかに震えているのを感じた。

 列車のドアが開いた。

 ふたりがゆっくりと降りた瞬間、
 どこからか紙を薄く裂くような音がした。

 視線を向けると、崩れかけた駅舎の影から、白い羽根を散らしながら一人の少年が姿を現した。

 年は透たちと同じ程だが雰囲気はまるで異なる。
 銀色に近い淡い髪が肩まで流れ、瞳は黒曜石のように深い。
 服はどこか古代の宗教儀式めいた白衣で、袖や裾に鳥の羽根のような模様が刺繍されていた。

「やっと来たね、」

 少年は、透たちを見つめると微笑んだ。
 その笑みは穏やかなのに、どこか胸にざわりと触れてくるような、不思議な不安を伴っていた。

「君は、」
透が問うと、少年は首をかしげた。

「斑鳩(いかるが)。
  ここは“渡りの駅”。
  行くあてを失った記憶が、いったん鳥になる場所だよ」

「記憶が鳥に、」

 彗が呟くと斑鳩は頷いた。
「忘れられたものは、鳥の形で空を漂うんだ。
  でもね、長く留まることはできない。
  名前をもつ人のそばへ戻りたがるから」

 透は息をのんだ。
 その説明は、彼の胸の奥で眠っていた何かをひどく騒がせた。

 彗が震える声で囁く。
「この場所なんだか、嫌な感じがする」

「わかってる」

 目に映るものすべてが、美しくも不安で、“儚い世界の終わり”の匂いをしていた。

 斑鳩は、壊れた駅の中央にある円形の床へふたりを案内した。
 そこには黒い石板が埋め込まれ、銀色の文字が刻まれていた。

「ここには、これまで“帰れなかった”人たちの記録が残っているんだ」

「帰れなかったって。どこに、」
 透が尋ねる。

 斑鳩は、まっすぐ透の目を見た。

「元の時間に、だよ」

 風が吹き、羽根のような白い粉が舞い散った。

「でもーーーーーー」
 斑鳩はふきつける風の中で微笑んだ。
「君たちは、まだ間に合う。
  だって名前を失っていないからね」

 その言葉に透の胸が強く傷んだ。

「名前をーーーーーー失う、」

「この世界に長くいるとね、少しずつ忘れてしまうんだ。
  自分の名前も、誰かの声も、帰りたい場所も」

 彗が青ざめる。
「それでーーーーーーどうなるの、」

「鳥になるよ。
  記憶の鳥。
  そして、空へ溶けていく」

 そのとき、“チチ、、、、、、”という細い鳴き声が頭上から聞こえた。

 見上げると、夜空に無数の白い鳥が舞っていた。

 どの鳥も透きとおるように淡く、翼の先が星明かりで青く光っている。

「これが全部、、、、、、記憶、」

「そう。誰かの、ね」

 斑鳩はそっと手を伸ばし一羽の鳥を腕に留めた。
 鳥はまるで薄い光の固まりみたいに震えている。

「この鳥は、きみの名前を識(し)ってるみたいだ」

 透は息を止めた。

 彗が、透の袖をきゅっと掴む。

「どうして、」

 斑鳩は鳥を透へと差し出す。
「触れてみて。
  何か思い出すかも」

 透は躊躇った。
 けれど、吸い寄せられるように手を伸ばす。
 鳥の体は冷たく、透明で、かすかに震えていてーーーーーー

 その瞬間
 懐中時計の秒針が暴れるように動いた。

   KIRI、KIRIRI ーーーーーー!

「透、離して」
 彗の叫びが響く。

 しかし遅かった。

 次の瞬間、透の視界は白い光で満たされた。
 駅も、斑鳩も、彗ですらも遠く離れ、
 ただひとつ、“忘れられたはずの声”だけが耳元で囁いた。

ーーーーーーまだ、来る時間じゃない。

 透は目を見開いた。
 その声は、
 確かに知っている声だった。

 だが、
 その持ち主を思い出せない。

 

 光はしばらく透の視界を白く焼きつづけた。
 耳鳴りの奥で、砂の落ちる音のような、遠い波のような音が重なり合う。

 誰の声だろうーーーーーー、

 それを考えるより早く、意識が引き戻されるように揺れ、
 透は黒い石板の前へと倒れ込んだ。

「透、」
 彗が抱きかかえるようにして駆け寄った。
 その顔色は驚きと不安で蒼白だ。

 透は息を整えながら、ゆっくりと周囲を見回す。
 駅舎の瓦礫、夜空の穴、漂う記憶の鳥、、、、、、
 すべてが元の位置にあったが、ひとつだけ違っていた。

 ーーーーーー斑鳩の姿が、どこにもない。

「突然消えたんだ。光が広がった瞬間、まるで風にさらわれたみたいに」

 透は胸を押さえた。
 懐中時計はまだ微かに震えている。
 秒針は、まったく見覚えのない時刻を指していた。

「彗。さっきの声を聞いたか、」

「声、」
 彗は首を横に振った。
「光に呑まれたとき、透が一瞬なにか言ってたけれど、はっきりとは聞こえなかった」

 透は唇をかんだ。

 ーーーーーー知っている。
ーーーーーーでも、どうしても思い出せない。

 そのもどかしさは、胸の奥で針となって刺さりつづけた。

 ふたりは崩れた駅舎を進み、暗いホームの奥へと歩いた。
 レールは途中で途切れ、夜空へと溶けるように消えている。
 その消失点の手前に、古びた案内板が立っていた。

 白い羽根のような文字で、次の停留所の名が書かれている。

 《星図図書館》

「図書館、、、、、、」
 彗が小さく呟く。

 透は案内板に触れようとして、ふと手を止めた。
 案内板の下に、小さな白い石が置かれていた。

 石の表面には、黒いインクで数字が書かれている。

    “3”

 透は眉をひそめた。
「これ、さっきは無かったよな」

 彗も首を傾げる。
「なんの数字だろう、」

 透は気味の悪さを覚えながら石を拾い上げた。
 裏返すと、薄れかけた文字が浮かび上がった。

 “忘れる順番”

 それだけ。

 意味がわからない。
 だが、その言葉に触れた瞬間、胸のどこかが強くひきつれた。

「これ、置いていこうよ」
 彗が不安そうに言う。

 透はしばらく迷ったのち、そっと石をポケットにしまった。

 彗は心配そうにしつつも、それ以上は言わなかった。

 ふたりが案内板の前に戻ると、さっきまで無かったはずの光が足元に流れはじめた。
 銀色のレールが、ふたたび霧のように現れ、星空へ向かって伸びていく。

 夜行列車が来る。

 薄い汽笛が、夜の湖面のように震えながら響く。

 透と彗は頷き合い、再び列車へと乗り込む。

 扉が閉まる直前、
 背後で風がざわりと揺れる。

 そこには、
 崩れた駅舎の影の奥に、
 ほんの一瞬だけ、斑鳩が立っていた。

 白い羽根が舞い、その姿は夜に溶けるように静かに消えた。

 列車が動き出す。
 白い鳥たちが舞い散る中、停留所はゆっくりと遠ざかっていった。

 そして透の懐中時計は、
 病院を逆に刻み始めていた。
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